あ ゆ み ち ゃ ん と の 作 文 ご っ こ
吉 永 幸 司

 若い頃、大村はま先生の実践に憧れ、御著書を何冊も読んだ。その中でも、修学旅行の作文で、書き出しの文例を生徒の数以上に示されたというご指導が今も心に強く残っている。根底に生徒を大事にし、学ぶ喜びへの案内者を感じたから。
 作文の授業をするとき、作文を書かせることで、作文嫌いを作ってはいけないなと思いながら教室に入る。その授業(2年)も、こんな思いで子どもに出会った。

 ネタとしては新しくないが、立場を変えるという意味も込めて「もしも作文」なるものを提案した。文例として、「みんながもしも、お父さんになったら」とか「ありになったら」とか、題材を提示した。とても文例を示すほどの力もないし、子どもの発想に期待した。しばらく話し合っているうちに、何人かの子が「書ける」という意志表示をしたので用紙を配った。
「もしもありになったら土の中を探検する。」
「もしも、お父さんになったら、子どもにテレビをいっぱいみてもいいといいます。テレビを見たら勉強をしなさいといいます。」
などと書き出した。月に行く子もあったし、博士になるとか、野球の選手になって書き出す子もあった。

 みんなが書き出す中で、あゆみさん(仮名)がじっと天井を見ているのが気になった。すでに授業は半分を過ぎ、「書けた」という子も出てきた。あゆみさんの表情から見て、作文が好きな子でないことが分かった。ますます嫌いになってはいけないと考え、そばに寄り添って相談にのった。
「何について書くの?」と聞いても、首を斜めにするだけ。「人形は」「チョウは」と思い付く言葉を並べても首を横にふるだけ。
「じゃあ、校長先生になったら」と言ったら、ようやく顔がゆるんだ。
「校長先生になったあゆみちゃんが、子どもになった校長にいいました。」
と書き出しを書いた。後は、考えが生まれるまでどんどん書いていった。「勉強をしなさい」「勉強よりテレビがいい」など思い付くままに書き足していった。
 そのうち、「子どもになった校長先生が、おやつがほしいといいました。」と書き足していたら、鉛筆を自分で持って「だめです。」と書き始めた。「ほしいよ。」と書き加えたら「学校はほいくえんではありません。」とまた書き加えた。鉛筆対談のようになった。そして、「王さま出かけましょう」のようにも。

 「あゆみちゃんの作文とてもおもしろいよ」と授業の後の雑談で子ども達に伝えた。「読んで」というリクエストもあったが、あゆみちゃんは「いや」と笑いながら言った。そして「ひみつ」という意味らしい。作文ごっこではあったが、作文指導は楽しい。それは、書くことで、作文嫌いを作らないという原点を忘れなかったら、知恵は生まれるし、先人の豊富な実践もある。何よりも子どもの輝きに出会えるから。
(大津市立仰木の里小)