す て き な 子 ど も た ち と 校 風
廣 瀬 久 忠

 石部南小学校の子どもたちに「この学校の自慢できることは何?」と尋ねる。
 多くの子どもは、「私たちはよくあいさつができる」と自信を持って答える。
 また、「石部南小学校の宝物は、広い法面の芝生」と答える子が大変多い。
 私には、ある意味で驚異である。本校の多くの子どもが、あいさつできることに自信を持っているし、具体的な目に見える宝物を意識していることがすごい。
 確かに本校を訪れるお客様が必ず褒めてくださる言葉に「子どもがよくあいさつしますね」がある。これが、実際にすごいのである。

 朝、職員室の前面黒板に、前日の行事日程を消して翌日の日程を書いているとき、窓の外を通る子どもから「おはようございます」と声がかかる。窓、前庭をはさんだ距離からである。来客用玄関で来賓用黒板に会議案内を書いていると、「廣瀬先生おはようございます」と声がかかる。やや暗い玄関である。しかも子どもが声をかける私は後ろ向きにしゃがんでいる。そこへ声がかかるのである。視線が合わなければあいさつしない大人が多い中で、これはすごいことである。廊下ですれ違うたびあちこちから「こんにちは」の声がかかる。黙ってすれ違うこれまでの経験と大違い。廊下では考え事ができない、うれしい悩みである。

 それより驚いたことはまだある。アクシデントで、顔に怪我をした。抜糸まで2週間、絆創膏が目立つ。
 「先生どうしたの。」これは普通の反応。無言で、怪我したのだろうと絆創膏に視線をやる子も多い。声をかけてよいものか、逡巡している様子も伺える。ところが、
「痛くないですか。」
「先生おだいじに。」
「早く治るといいね。」
の言葉がけをされるとさすがの私も驚いてしまう。この子どもたちは、あいさつの本質を知っている。九官鳥が「おはよう」と鳴き、コンピュータ音声が「ありがとうございました」「白線までお下がりください」と無機質な音声を発するのとは全く異質なのである。
 あいさつは、相手を思いやり、心と心の架け橋となることが子どもたちの心に息づいている。

 6月25日。創立20周年集会が開かれ、本校初代学校長T先生の講演があった。「開校当時の南小学校」の中で「開校の時からあいさつのできる南っ子を育てようとしてきた」という話を聞いたとき、私は確信をもった。
 学校の風土・伝統を築きあげるのは一朝一夕ではできない。数年で異動する教師の力ではなかなか根づかない。脈々とつながる子どもと卒業生を含めた地域の人々が不易の校風を生み出すのだと…。教師は、校風を自覚し、授業改善・学校づくりを推進したい。芝生の青は、用務のW氏の不断の管理の賜。
 子どもも芝も伸ばすだけでは育たない。光を放って、息づかない。
(石部町立石部南小)