巻頭言
感 動 こ そ 人 生
藤 田 元 則

 どうしてもこの喜びを分かち合いたいという衝動に駆られて、放送朝会で流してしまった。

 校内研修を終えて職員室に戻ると、机上に薄い宅配小包がおかれている。「もしや…」という思いはあったものの「まさか」の方が強かった。が、開けてみると「果たして」そのものではないか。globe KEIKOのサイン色紙だ。「やったあ!家宝にするぞ」「校長室に掲げておくぞ」「市教委訪問のとき教育長に見せるぞ」「新年会は山田屋でするぞ」などなど口走っている。
 今、私は幸福の絶頂にある…。そんな私に、隣の教頭も教務主任も冷たい視線を投げかけてくる。あげくは「校長先生、家に持って帰って懸けておいたら」ときた。「ああ、この男のロマンが分からぬか」と嘆息するが、周囲のムードはますます冷たい。「じゃあ家に持って帰るか」と変に納得してしまう。

 団欒のひととき、例のものをおもむろに取り出し、家族に公開する。妻は「グローブ?何それ?」と一瞥したきり「大岡越前」を見続けている。長女は畏敬の目で見ながらも、父親の上気ぶりに「バッカじゃないの」。次女は「あ〜あ、これがわが父上か」と呆れ果てている。「いや、何と言われようがおれはくじけないぞ」
 次の日、同年の校長新年会で、例によって、can't stop fall in loveを熱唱する。「お経じゃないか」とのたまう友人。

 ある朝突然、「これはドウシテモ全校の児童に見せなければならない」という義務感に襲われた。たまたまその日は放送朝会の日であった。そのうえ長島監督の誕生日なのだ。ということは、私が58才になる日でもある。「生命の誕生とその意義」というテーマの訓話に、サイン色紙の由来が語られ、放映されたのである。さっそく、子どもたちから「見せて見せて」「コピーして」「どうして校長先生が持ってるの」「なぜ校長先生なの」「誕生日おめでとう」と反応がすごい。「愛犬の名前を考える」以来の反応である。

 〈高田小のキムタク〉と呼ばれて、いや呼ばせてこの一年、こんな衝動に駆られたのは何年ぶりだろう。今、「教育とは、まず先に生きてみることではないか」と冷静に考察しているところである。
(大分市立高田小学校長)