巻頭言
「 か ち か ち 山 」 の お ば あ さ ん の 行 方
佐 藤 き む

 「さざなみ」という言葉から私がまず思い浮かべるのは、”近代児童文学の父”と呼ばれる滋賀県出身の巌谷小波である。貴重な「さざなみ国語教室」の紙面を提供していただいたので、今年の干支〈ウサギ〉にちなんで、小波の『日本昔噺』の中の「かちかち山」について述べさせていただく。

 「かちかち山」の話を知っていますかと尋ねると、年代を問わず知らない人はまずいない。日本人であればみんな一度は出会ったことのある昔話であるわけだが、「かちかち山」のおばあさんが、タヌキの縄をほどいてやった後どうなったかと聞くと、タヌキに杵(きね)でたたかれて怪我をしたとか、タヌキが自分がおじいさんに縛られたのと同じようにしておばあさんを天井につるして自分は逃げたとかさまざまで、なかには、タヌキに殺されたおばあさんの死骸はどうなったんだろうと、改めて疑問を持った人もいた。

 小波の「かちかち山」に

……(おばあさんが)狸の縄をゆるめ、『そんなら暫(しば)らく搗(つ)いて貰(もら)はうか』と云いながら狸に杵を渡しますと、狸はそれを受け取て、麦を搗くかと思ひの外、突然(いきなり)お婆さんに打てかかり、脆くも死んだのを見すまして、狸汁の代りに婆汁(ばばあじる)をこしらへ、自分は澄ましてお婆さんに化けて……
とあるのだが、タヌキがばばあ汁を作っておじいさんに食べさせたということを知っている人は、きわめて少ない。ほとんどの人が子供のころ絵本で「かちかち山」と出会っており、絵本では、ばばあ汁は子供には残酷だというので、カットされたり作り変えられたりしている。

 『日本昔噺』は古くから伝えられてきたものの再話であって、必ずしも小波の作品のストーリーにこだわることはないのかもしれないが、しかし、日本各地に伝わる昔話には〈ばばあ汁〉的な残酷性が存在するのはごく普通のことである。戦前の子供たちは、そうした話を祖父母や父母から炉端や床の中で聞いた。こわいもの見たさの興味は、小さな頭の中にさまざまの妖怪変化の想像画を描かせた。
 そうした音声言語による昔話の時代は去って、昔話は絵と文字言語の時代となった。〈ばばあ汁〉的な部分はストーリーからカットされて美しく書き変えられた。こうした”教育的配慮”を、巌谷小波はどう見ていることだろうか。
(弘前大学)