素 直 な 疑 問 か ら 学 習 を
北 島 雅 晴

 6年生の第一教材「赤い実はじけた」の学習でのこと。
 思春期の入り口にさしかかった女の子のおもいに共感しながら読むことを大切にしたいがのだが、おもいに迫れない子も多い。そこで、分からないことを出し合い、みんなで考えていくという学習のスタイルをとった。

 A君が、次のように発言した。
「哲夫の顔がくしゃっとなると書いてあるけど、このくしゃっとなるというのは、どういうことか分かりません。」
 A君は、国語の時間にはそれほど発言しないし、できれば彼の発言を取り上げたいと考えていた。ただ、残念ながら答えがはっきりとしていて、それほど発展性のない発言だと、内心考えていた。
C 哲夫が一所懸命仕事をしていて緊張していた顔が普通にもどったのだと思います。
C お客さんだと思っていたのに同級生だったので何だかつまらなかった。
C お客さんじゃないのでがっかりした気持ちだと思います。
C たまにしか来ないから、うれしくなったのだと思います。
といったように10名くらいの発言が続いた。言葉には表しにくいかもしれないが、相手に親しみを示す表現だと思っていたのだが、そのように受け取っていない子が多いのには驚いた。
T これは、相手を歓迎している言葉なのかそれとも、いやがっているのかどっちだと思うかな。
という投げかけから、もうしばらく考えさせた。結局、A君の発言から多くのことを学んだという点で、A君が認められることとなった。

 こんなことは分かっているだろうという教師の思い込みで、実は子どもには分かっていないということもありそうだ、と感じたひとこまであった。ちょっとした疑問でよいので、お互いに出し合うことによって分かるようになることも多い。何となく話し合っているというのではなく、話し合いによって「一人ひとりずいぶんと考えが違うのだ」「こんなことが分かってよかった」というおもいが残るものにしたい。
〇「赤い実」というのはどんなもので、なぜ「赤」なんだろうか。
〇「はじける」という感じがもう一つ分からない。
このような疑問を一つひとつ考えていく中で、学習が進んでいった。
 子どもの疑問をもとにみんなで考え、意見を出し合うという単調な学習の中に、重要な学習の要素が含まれていると感じる。
(草津市立草津第二小)