学 ぶ 楽 し さ と い う こ と
吉 永 幸 司

 1年生の学級通信から。
竹とんぼをあっちゃんからもらった。うれしかったよ。よくとんだから、うれしかったよ。
簡単な文ではある。が、この文には次のような背景がある。
 友達のあっちゃん(仮名)と特別のなかよしであった。その子からもらった竹とんぼが特別にうれしく、思わす日記に書いたのである。それが、学級通信に取り上げられて、さらに弾みがついた。

高学年の通信には次の作品が。
宿題がやっとできた。
「先生は一日でできる宿題じゃない。」
と言ったけど本当だった。頭の中で考えて浮かばないで、外で考えた。それでも、だめだったので、もう一度、初めから考えた。やっとできた。
学習というものは、子どもにすぐに答えを教えてくれるものではない。そのことを知ってほしくて様々な課題を出す。
 答えを求めながら、得ていくものが多い。それを「やっと」という言い方で満足感を表している。

 2年生になった日の日記。
先生、あさ、たんぽぽをみつけたよ。せんせいだけにおしえてあげる。ないしょだよ。
弾む心で、一生懸命に鉛筆を走らせている姿が目に浮かぶ。飾りもない真実の言葉が心を打つ。

 日々の些細にも見える出来事を子どもは見事にドラマに仕立てる。そして、 このような事例は、少し気をつけて見れば教室にはたくさんある。それを価値あるものにするかどうかは、教師の感性である。
 子どもの感動を、書くという場の設定により意識づけ、学級通信で確かなものとして高めていった筋道が表現への意欲を高めていくこれらの事例を、学ぶ楽しさという側面でまとめると次のようになる。

 (1) 些細にみえる出来事を、価値あるものに高める方法の一つとしてとして書くことを生かす。
 (2) 子どもの中にある表現したい意欲を素早く察知し言葉で伝える場を設定する。
 (3) 言葉で思いが表現できたという手応えを確実に自覚させ、公の場でよさを評価する。
(大津市立仰木の里小)