巻頭言
「 言 葉 す る 」 子 ど も た ち
西  勝 巳

 飛び入りで、入学後間もない一年生の国語の授業をさせていただいたことがあります。一分間スピーチのような、みんなにお話をしてあげましょうとの趣旨で学習を構成いたしました。
 さて、うまく話せるか不安でいっぱいのSさんの順番がやってきました。「きのう、遊園地へ、家族みんなで行きました。らんらん車ときょうりゅうすべりに乗りました。とっても楽しかったです。」といった内容でした。
 しかし、私が何よりも記憶したのは、Sさんの話が終わるやいなやとび出したN君の反応です。
 「ぼくも、らんらん車乗ったことあるで。あれ、めっちゃ高いところまで行くやろ。」と、大きな声で話したのです。うんうんとうなずいている子どもの中から、今度は別の男の子が、「きょうりゅうすべりゆうたら、最後に水の中へバシャーンと入って、みんなギャーッと叫ぶからきょうりゅうすべりってゆうねんで…?」

 私は、らんらん車もきょうりゅうすべりも、正しくは観覧車であり、急流すべりであることを、どう訂正してやればSさんを傷つけずに気づかせられるかと気をもんでいるのに、目の前の子どもたちは、全く違和感を感じない様子で、私を後目に盛り上がっているのです。もちろん正しい言葉を知っている子らは怪訝な顔をしていましたが、迫力に圧倒されたのか、自信がなくなったのか、訂正する正義感も失せたようで、みんならんらん車ときょうりゅうすべりに感化されて盛り上がっていました。

 結局私は、あまりに楽しそうに語り合っている彼らの姿に、その場は放っておきました。考えてみれば、入学して間もない彼らにとっては、観覧や急流という言葉の概念は生活語彙からは程遠く、意味を内包していない音声だけの言葉だったのかもしれません。
 それに比べ、らんらんからは、楽しいイメージが沸き、きょうりゅうからは、こわいスリルが感じられたのでしょう。まさに子どもたちにとっては、何ら違和感のない自然な言葉だったのです。
 とにかく、観覧車がらんらん車で、急流すべりが恐竜すべりだとのユニークな感性には圧倒されました。造語される過程に何らかの、子どもの「言葉する」といった言語の感性や思考機能の不思議さがあるのでしょう。国語の学習には思わぬ発見があるものだとしみじみ感じた次第です。
(神戸大学発達科学部附属住吉小学校)