高 野 さ ん の 夢 へ
常 諾 真 教

 200号を記念してというわけではないのですが、「さざなみ国語教室」のホームページを開設しました。その背景には、私の趣味(道楽?)と時代の流れ、それにもう一つ、高野さんの夢があります。

 高野倖生氏(1930〜1990)は、滋賀児童文化協会事務局長として、「滋賀県のすべての子どもが作文を好きになり、書くことを通して育っていくこと、そして滋賀の児童文化が高まっていくこと」を願って、児童作文誌『近江の子ども』を刊行されました。創刊は1960年、その早すぎた死によって休刊に至るまで93号を数えました。
 また、その編集にかかわることを通して多くの国語教師を育ててくださいました。毎年夏に行われていた「近江の子ども作文研究会」は日頃の実践が厳しく問われる場でしたし、作文を読むことを通して子どもの見方を、会話のはしばしからは教師としての心構えを学ぶことができました。
 1982年に「さざなみ国語教室」が発足したときには、月例会の場と酒食を供し、毎月の機関紙をタイプを打って印刷までしてくださいました。

 私は、月例会以外にも時々事務局を訪ね、酒を酌みかわしながらいろんな話をうかがいました。そんな中に<データベース構想>とでも言うべき話題がありました。
「ここへ来たら、国語教育に関する資料はいっぱいある。必要とする人が来て、必要とする資料をさっと揃えて渡せるようになるといいのだが…」
 高野さんの元には、膨大な数の児童作文があります。その作文が生まれた教室での実践記録や作文研究会で報告された実践事例、作文の年間指導計画もあります。倉澤先生を始めとして多くの先生方の講演記録や著作。「さざなみ国語教室」月例会での実践報告もかなりの数になっていました。

 しかし、検索をしてすぐに取り出せるようにはなっていません。私も、高野さんの記憶をたよりに、いろんなものを探し出してコピーしてもらったことがあります。
 高野さんの頭の中には、データがすべてコンピュータの中に入っていて、検索して、必要なものをプリントアウトするというようなシステムの構築があったようです。
 こんな話をしていたのは、多分、私がコンピュータを使い始めた1985年頃だろうと思います。その後、高野さんは、ワープロを使われるようになりましたが、すべての資料をフロッピーに入れるのはとうてい無理な話でした。

 さて、夢のような話を、少し実現に近づけられそうなのが、コンピュータの飛躍的な進歩とインターネットの普及です。私の手元には、82号以降の機関紙の全記事がデジタルデータとしてあります。同人の多くがワープロやコンピュータを使うようになり、自分の書いたものをデジタルの形で保存しているはずです。それらを集めて、検索できるようにすれば……。後は、労力の問題です。
 高野さんの夢が、今、私の夢になりつつあるのですが。
(守山市立玉津小)