高 野 先 生 と さ ざ な み
北 島 雅 晴

 さざなみ国語教室の機関紙にはじめて原稿をのせて頂いたのは、昭和58年6月(第15号)のことである。「おてがみをかこう」という原稿である。教室に手製のポストを持ち込み、学級の子(1年生)から手紙をもらうという内容だった。はじめての原稿であり、不安に思いながらも高野先生に読んでいただいた。
「うん。これならいいやろう。」
という言葉を聞き、少し安心したことを覚えている。
 それから毎月、月例会の1週間前の土曜日に、高野先生のもとへ原稿をもって行き、いろいろと話を伺う幸運に恵まれた。

 3回目の原稿で、「おてがみをかこう」の続編を書いた。「870通の手紙から」という題名である。今まで子どもたちからもらった手紙を「好きな絵やクイズ」「先生への質問」「生活の中から」「先生への相談」に分類し、自分なりに分析した。
「これはね、30代後半の教師が書く文章だな。まだ若いのだから、子どもとぶつかって失敗したことや悩んだ中から生み出したことを書きなさい。」
と、高野先生からいただいたコメントが印象に残っている。子どもの姿をしっかりととらえること、子どもから逃げないで受け止めることを原稿を書く時に最も大切にしていこうと心に決め、現在に至っている。

 高野先生は「ありとあらゆる」という言葉をよく使われた。子どもが学習を進めるとき、どのようなおもいを持ち、何をしたがっているのか、つまずきを感じるとしたらどんなところか、といったことについてすべての可能性を考えるようにすること、と理解している。子どもが気になる行動をとった時、その背景にあるものは何なのかを考えつくしなさいということでもある。

 もう一つ「これでは子どもがかわいそうだ」という言葉もよく使われた。「今回の原稿は自信がある」と思って読んでもらった時に返ってくる一言である。教師の発想で授業を進め、一見うまくいっているようなまとまった実践は、厳しく指摘される。
「この時、子どもの様子はどうだった?」
といった質問を受けるうちに、子どもにとってよい学習であったのかがはっきりとしてきてしまう。ちょっと失礼な言い方を許していただけるならば、高野先生の目は絶対にごまかせない。

 「子どもを中心にすえて実践を語ろう」というさざなみ国語教室の精神は、高野先生の残していただいた財産である。
(草津市立草津第二小)