ずうっと ここに おいてやって下さい
上 林 周 一

 物足りなかった。国語について、子どもについて、学級について、もっと話したいのに、自分の周りにそれを適えてくれる人があまりいなかった。
 その頃である。機会をいただいて月に一度、浜大津の「さざなみ国語教室」に通い始めたのは。当初、レベルが高く厳しい所という畏れを抱いていた。でも、今まで絶対にやめないと言う思いで必死でしがみついてきたように思う。魅力があるからだ。

 先ず例会。年間のテーマにそった授業提案を年に一人一回する。滅多にほめられない。というより、誰もがよいもよくないも忌憚なく発言する。率直だ。幾つかほめて少々意見を申すなんて甘くはない。だから、ありのままが見えてくる。わかってくる。そうして、鍛えられる。例えば、提案した授業に次のようなことが抜けていると容赦なく質される。
 *子どもの側からの視点で授業を進めている。
 *十分に教材研究がされ、その特性をつかんでいる。
 *教材は、子どもの実態と教師の意図が絡んでいる学習材である。
 *子どもの姿や授業の実際が見える授業提案である。

 また、「さざなみ国語教室」には主義主張、なんとか派・運動といった類のものは一切ない。教室の子どもが授業で学習成果を上げ輝くためにどうしたらよいかを独自に考えて実践したものを、みんなで子どもと教師と教材と授業を見つめて、率直に意見が交わされる。時間など、年に一度程度あるボーリング大会をひかえた日以外は気にしたことがない。時間制限なしの言いたい放題の授業研究会のまな板の乗ることは、やがて快感になる? これほど、贅沢で得るものが大きいものは他になかなかない。

 次に、小紙「さざなみ国語教室」。楽しみに待っていて下さる方を多数知っている。やってみたくなる実践が多い。なるほどと思うことが書いてあるなどの声をいただいている。わたしなどには、それがプレッシャーになる。なるほどという実践がないと書けないと、ずっと追いこまれてきた。でも、これがあるから、叩き直され、磨かれ鍛えられるように思う。

 また、吉永先生に様々な研究会や雑誌や単行本などによって、全国の場へ放り出していただく。必死で川を上り滝を跳ね上がり、発表の日や締め切り日を迎える。鍛えられ育てていただいている。
 例会の終わりに、みんなで高野さんの霊前に手を合わせる。いつも私は「ありがとうございます。頑張ります。ずっとここにおいて下さい」と心の中で呟いている。育てられしさざなみに感謝。
(能登川町立能登川西小)