「 一 つ の 花 」 再 考
好 光 幹 雄

 「お父さんやお母さんから溢れんばかりの愛情を注いでもらったゆみ子は、幸せだと思いました。私は『一つの花』を読んで、心があたたかくなりました。」 4年A子より。

 子どもに学ぶとはこういうことであろうか。教職に就いて二年目のことであった。

 ところで、歴史を心情的に脚色して伝えることは本質を見る目を曇らせる。そして真摯な祈りがスローガンにすり替えられたとき、人々は安心して手をつなぎ、しかも全体で誤った一歩を平気で疑いもなく歩んで行く。その弊害は「一つの花」のような文学作品の授業にも顕著に現われる。

 文学作品では主題に対して時代背景や場面設定をどのように絡ませるのかが命。しかし、作品の時代背景とその時代の渦に巻き込まれ飲み込まれた中で、登場人物が何を体験しどのような生き様をしたのかは本来別問題なのである。

 優れた文学作品は、その点で危険である。なぜならその時代背景や場面設定が巧みであるが故に、あまりにも時代背景や場面設定にこだわった読みがなされるからである。作者が意図した主題は何時の間にか何処かへ追いやられ忘れ去られてしまう。気が付けば「自然を守れ」「福祉を大切にしろ」「戦争反対」等と、子どもにスローガンを書かせ言わる授業になってしまっている。「ちいちゃんのかげおくり」「一つの花」「石うすの歌」「川とノリオ」・・等々。某教科書では、このような戦争を時代背景とした作品を「戦争のお話」として扱い、ご親切に読書案内の項まで設けている。お陰で現場では、
「『一つの花』を勉強する前にビデオで『ホタルの墓』を子どもたちに見せとかないとね。」
といった短絡的な発想と指導まで招いている。それでいったい何が育つと言うのだろうか。
「えー、また暗い戦争の話か。」と、高学年にもなれば、大人が貼ったレッテルに素直に反応する。

 作者、あまんきみこさんの真摯なひとつの祈りが、今西祐行さんの親から子への溢れんばかりの愛情のメッセージが、そして野坂昭如さんの切ない兄妹愛と絆の証が、意に反して「戦争反対」というスローガンの元に何もかもいっしょくたにされ台無しにされてしまっている。 エンデやヘルトリングの作品の訳者でもある上田真而子さんから以前こんなお話を伺った。

 「私は文学に正義を持ち込まない作品が好きです。正義を持ち込むことは、実は戦争反対と言いながら戦争へ進むことと同じことをしているからです。」

 読みについても同様。A子から学んだことは尊い。子どもの豊かな感性こそが大切にされる授業をめざしたい。
(大津市立堅田小)