日 記 の す す め
吉 永 幸 司

 「わたしの子どもの先生に、日記を書こうねと一言言ってほしかった。少し書きとめておこうねという一言でいいのです。お返事はいらないのです。ふりかえる時間を作ってやってほしいのです。」
−−講演の先生の言葉が妙に心に残っている。子どもが自らを見つめる、自分と対話する、そんな時間が学校にあるだろうかという思いを持っていた時だったからかもしれない。

 学級担任をしていた頃、必ず、子どもたちに日記を書かせた。子どもに負けないくらいの時間をとって、赤ペンを持ってコメントを書くのが楽しくて仕方がなかった。子どもと対話ができたから。
 ある時、「日記はいや」といって、ほとんど提出しない子がいた。その子には、何も書かなくてもいいから、提出することだけは徹底させた。
 白紙のノートに、赤ペンで、その子の代わりに毎日、何かを書いた。その子だけが、一冊のノートが使い切れないというのが不憫に思えたから。
 二週間に一回、あるいは、十日に一回、「自分で書く」と言って書いてきたことが、妙にうれしかったことが快い思い出として残っている。若かったからであろうか。
「先生が書いてくれたので、悪いと思って、自分でも書こうかと思うようになった。」
と、学年がかわる時、つぶやいたことを宝物として残している。

 日記指導で作文指導をしようという思いはない。少しの時間でも、「何か書くものはないかな」と沈思するじかんが大切であろうと思うから。それとともに、子どもの心に何が映っているかを知りたいから。子どもの心を知らなくて、何ができるかという思いが強いから。そう考えると、日記は、ずいぶんと幅が広い。

 マンネリ化をさけるために、いろいろと考えを拡げた。
一行日記−−一行でも書けたらいいのではないかという気安さを思った。
題名日記−−日記の題になりそうなものを書き並べる。その中でくわしく書けそうなものについて、印をつけるだけの日記。
テーマ日記−−お母さんについて、お父さんのこと等、一つのテーマを決めて書く。題名をさがさなくてもいいので、子どもたちには人気があった。
会話日記−−会話だけですすめていく日記。
 形を、内容を変えていくと、日記は奥深い。
(大津市立仰木の里小)