腰の手術後の後遺症で困っておられる方のほとんどの方は、医者に行っても治らないのでなす(すべ)がない。または(あきら)めておられる。同じ様に困っておられる方が、居るのか居ないのか、また何処に居られるかも解らないので、同じ様な苦痛を分かち合い相談する相手もいない。どうせなるようにしか成らないだろうと考えておられる。

しかし、少しでも自分達で出来ることを、行動していかないと少しでも良くなる可能性が一縷(いちる)でもある限りは、その為の行動が必要です。一緒に、または一部でもご協力宜しくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生せは生る 成さねは生らぬ 何事も

 生らぬは人の 生さぬ生けり

              米沢藩藩主 上杉鷹山

人が実行するという意思を持って為せば、ことは必ず成る。しかし、その意思がなければ何事も成すことはない。何事かができないというのは、ひとえに人々に実行するという意思がないためである。

 

 

為せば成る 為さねば成らぬ 成る業を

 成らぬと捨つる 人の(はかな)

武田信玄

つまりは、何事も最後までやらなければ成功するはずがなく、簡単にあきらめるとは愚かなことだということである。

 

 

忠臣石田光成は、三成が処刑直前に喉が乾いたので警護の者に水を所望した際、「水は無いが、がある。代わりにそれを食せ」と言われたのに対し、三成は「柿はの毒であるのでいらない」と答えた。これを聞いた警護の者は「もうすぐに首を切られる者が、今から毒断ちをして何になる」と笑ったが、三成は「大志を持つ者は、最期の瞬間まで命を惜しむものだ」と言い、泰然(たいぜん)としていたという。

また、楠木正成も講談などでは『三国志演義』の諸葛孔明の天才軍師的イメージを重ねて語られる。また、皇国史観の下、戦死を覚悟で大義の為に逍遥(しょうよう)と戦場に赴く姿が「忠臣の鑑」、「日本人の鑑」として讃えられ、修身教育でも(まつ)られた。

また、真田幸村は、敗戦必死の大坂の陣で、狙うは徳川家康の首ただひとつのみ!」とつぶやき 真っ正面から家康本陣のみに狙いを定めて突撃を敢行した。まず真田隊は越前松平家松平忠直隊を蹴散らし、毛利隊らに手一杯であった徳川勢の隙を突き家康本陣まで攻め込んだ挙句、屈強で鳴らす家康旗本勢を蹴散らした(ちなみに、本陣に攻め込まれ馬印が倒されたのは「三方ヶ原の戦い」以来二度目であり真田隊の凄まじさに家康は自害を二度も覚悟したほどだったという。これにより、奇しくも家康は武田家ゆかりの武将に二度馬印を倒されたこととなる)。しかし、最終的には軍勢で勝る徳川軍に追い詰められ、味方の傷ついた兵士を看病していた[11]ところを襲われ、忠直隊鉄砲組の西尾宗次にその首を授けた。享年49

3名とも、義を重んじ成就の可能性が非常に低いにも関わらず、一縷の望みをかけ最後まで諦めない精神を私自身の精神としております。

 

理非に目をつむり名利を追い権力にへつらうのが世人の常だが、理非曲直はさておきではすまぬ正義の硬骨漢だからこそ節義あり、知徳をそなえ、さらには公正無私の仁がこの天下国家に増えることを望むばかりである。

 

 

 

 

 

 

厚労省や一部の医師たちが、腰手術後の後遺症の世論調査したと言っているが、これは医師による都合の良い調査やアンケートで有ると世間はそう見るであろう。そうでは無く、第3者による完全なランダムな抽出による調査が必要である。そうで無ければ、正確な情報は出てくるはずも無いと考えられる。(任意により手術後、1良くなった 2変わらない 3悪くなった 等を電話か往復はがきによる調査を調査会社に依頼すること、有効回答者が500名も有れば十分であると思う)を拒絶することは、手術結果が想定以上に悪いためにそれを隠すためや既得権益や己の利益を守るためにと思われても仕方ありません。個人情報保護法でも「適用除外」という項目が有り、個人情報取扱事業者が、マスコミ・著述業関係、大学等、宗教団体や政治団体であり、それぞれ、報道・著述、学術研究、宗教活動、政治活動の目的で個人情報を利用する場合は、個人情報取扱事業者の義務の適用を受けない(501項)。

が有ります。政治は弱者を助けるためにするものである。既得権益を守ったり、票の為だけに動くのは真の政治とは言えぬことである。

 

 

ともかく正義と腰の手術後の後遺症で困っておられる本人や家族の方々のために諦めず最後まで努力を惜しまない覚悟でございます。

 

 

 

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