プロフィール

名 前:佐竹一繁

住まい:京都市

誕生日1968116

趣 味:読書 政治 ラグビー、格闘技のテレビ観戦

生立ち:私は高校、大学とラグビーをやっておりまして、現在でも宝が池競技場で出場した近畿大学との試合は接戦で有った為に記憶に残っております。

その後社会人となってからは、登山を始め、京都近辺の山はほとんど登りました。

また、愛宕山は頂上の神社の往復1時間半で帰ってき、滋賀県の伊吹山では頂上往復2時間半で帰って来るほど体力が有りました。

その為仕事も夜中の3時半から夜の9時まで日、祝以外ぶっとうしで働いていました。

仕事から帰って来、子供二人を両手に抱きぴょんぴょん飛んでやると喜ぶのでそれを食事前にしてやる事が日課でした。

祝日は家族の為に、色々な遠い所に遊びに連れて行ってやりました。

その為、夜中から家を出たり、早朝3時や4時に家を出、いたるところに、家族を連れて行ってあげました。

私は一週間の疲れも有り行った先で何時もシートをひいてその上か、車の中で寝ていました。

その間に嫁さんと子供で遊んでいました。

私自身、家族が喜んだら良いという強い思いが有ったのだと思います。

しかし、2006年夏から少し右太ももの裏が痛くなってきました。

医者に行くと、多分肉離れで有ろうと言われました。

しかし、1カ月ほどしても治らない為、「MRIを島津メデイカルセンターに撮って来て下さい」と言われました。

その結果腰のヘルニアで有ると言われました。

そして、脊椎専門の先生がおられる●●病院を紹介されました。

その先生によれば「こんなものは手術で簡単に治る」と言われました。

私は仕事もできる、日常生活には不自由しない、しかし、私は仕事の関係上、朝、中央市場に行き何度も端から端まで走り回って相場を調べ仕入れをしていたのです。

その走ると痛みが出る為、走る事が出来ない事に不自由を感じていました。しかし、この程度ならという事で、よっぽどの確実な手術で無いとしないでおこうと考えていました。

私は「腰の手術は危険で有る」と誰かに聞いた事が有ったので、ひつように先生に何度も何度も「本当に失敗したりしないのですか?」と聞き続けていると、

先生はしまいに怒り出して、「失敗しないと言っているだろ」と念を押されました。

私はこれ以上聞く事の出来ない雰囲気になっていたので、「解りました」と言いその日は帰る事にしました。

私はせんど先生に確認しましたが、しかし、念には念をと思い家族に相談をし、父親と嫁さんに再度先生に手術の安全性について確認に行ってもらう事にしました。

その時に2人で先生に何度も安全性を確認し、最後に「本当に100%失敗しないのですね?」と父親が代表して先生に尋ねました。

先生は「手術中に地震が起こらない限り失敗しない」と自信を持って言われました。

この事で私も含め家族全員安心して手術をして頂く決意を固めました。

入院1時間前まで仕事をし、2006.09.06に手術を受けました。

手術から目を覚ますと、先生は慌てて「足の指は動くか?」「踵を伸ばして下さい」など私の足が動くかを必死で調べていました。

後で考えれば手術中に神経を切ってしまった為に、足が動くかを確認に来たのです。

結果的に私の切れた神経は感覚神経でした。

詳しく言うと右足に伸びるS1の神経の神経根の中の神経根糸を手術中にメスが当たり少なくとも一本以上切ったようなのです。

私は手術後の次に日トイレに行く時に右足の裏に小石を踏んでいる感覚を覚えました。

草履に小石が付いていると思い何度も確認しましたが小石は付いていません。

これが感覚神経の切れた症状だったのです。

この小石を踏んだ感覚がだんだん広がって行きまた痛みが強くなって行きました。

そしてとうとう2006.11.29には両松葉杖をして右足に極力体重を乗せないようにして移動しています。

現在自分しか解らない痛みと向き合いながら色々な不自由な事がまだ家族にも理解してもらえない部分が有り精神状態を維持していくのにも苦労している次第です。

 

 

後編

私は体を治す為に、色々な事に挑みました。

病院には京都、滋賀と20件近く行き、その他、整体、鍼、指圧、お灸、気功等にも20件ほど通いました。結局どこも治す事は出来ません。

そこで府立医大出身の執刀医に府立医大で治療法を研究してもらう様に訴え続けていますが、無理でして、その後、市会議員、府会議員の方にも府立医大で治療法を研究して頂く様にお願いしましたが無理でした。そこで、私も当初は、私の症状も治らないと言う事で、SORD希少難病患者支援事務局)と言う会を見つけましてここに入れて頂いて、一緒に活動を手助けして頂こうと、考えておりました。

しかし、SORDに電話をし、お伺いしてみた所、これは手術後の治す事の出来ない病気には対応しておらず、入れて頂けない。

と言う事でした。私は手術前に、3人の腰の手術経験者に、確認しました所、幸い3人とも上手くいった方達でした。

私は失敗する事等予想にだにしておらず、手術後は絶望感で一杯でした。

その後、私も身近に居られる色々な方とお話等していると、実はまわりに、5人ほど腰の手術をしたけれども様々な痛みが出て来ているという方に出会いました。その後署名活動を続けていくうちに、それ以降も例を挙げますと1手術後も腰が痛くて短時間しか立っていられない。2足の裏が火傷(やけど)の皮のめくれた感覚と()り、足を付いたり、お尻に体重を掛けて座ると、お尻と足の裏に疼痛が出る。3排尿(はいにょう)障害と成る。(これはおしっこが自分の感覚で出来なくなり、排尿する時は、自分で23時間おきに尿道に(くだ)を差し入れおしっこを出す。)4片方の下半身が以上に(ふく)らみ痛みが出る。5運動神経が損傷し車椅子と成る。

等色々と困った状態で泣き寝入りされている方に出会いました。

これは、よく周りを見渡すと私の周りだけでもこれだけの方が居られるのだから、皆さん世間に向かって言われないだけで、実は相当の方が居られるのではないかと考えました。

SORD希少難病患者支援事務局)(現在は閉局)に入れて頂けないので有れば、自分で作ろうと思い、必死でパソコンの本を読んで勉強をしました。

そして、私の活動に理解して頂ける方に御協力を得てホームページを立ち上げ、

「腰」手術後のさまざまな痛みを治す会

を作りました。

この事により、私自身も希望を持てましたし、この活動は20105月後半より始めています。現在41千人を超えました。もうひと踏ん張り集めて、現在困って居られる方、これからの予備軍の方々が更なる犠牲者を増やさない為にも、医療行政に働きかける事により、数多くの困っておられる方を助ける手助けが出来ると言う事に、自分の生きがいを見つけました。なお2012年からは実際に腰の手術後の後遺症に苦しんでおられる方を、探しています。当然皆さん少しでも健康な体へ戻りたいと願っておられます。腰の手術後の後遺症に苦しんでおられる方を御紹介して頂き、解る範囲でこれだけの方が治療法を研究して頂きたいとアピールする事が目的です。私1人で結構居られますよ。と言っても、その方達の住所や連絡先が証明出来ないと、信ぴょう性に欠けます。御知り合いや友達に「腰の手術後の後遺症に苦しんでおられる方」が居られましたらご紹介宜しくお願いします。またこれらの活動で色々な方協力して頂き、またこの様な体になった事により色々な方の外見では見る事の出来ない心の美しさやその逆も毎日のように体験しています。

夢を少しでも現実に近付ける為に、今後とも皆さん御協力を宜しくお願いします

私はいつまでも希望を持ち治すことを諦めることはありません。

その為 2013.11.22にNPO法人 腰手術後のさまざまな痛みをなくす会 を設立。より一層の困っておられる人々の為に尽くす所存です。

 

 

 

 

 

 

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