第三章 慧可の思想

(1)経・論を超える

 これ以下は、いわゆる慧可の思想の特色を扱うが、「思想」という表現は、言葉の虚妄を説いた慧可には不適切かもしれない。とはいえ、それは柳田聖山が「わたくしは初期禅宗の歴史と思想のすべては、敦煌本『二入四行論』に含まれていると考える」(102)と書いているように、達摩の思想と並んで画期的なものである。

 北魏、隋時代、西域から多様な『観経』が齎されて、インドや西域の僧たちの指導による種々の観法が行われ、仏立三昧や獅子奮迅三昧、法華三昧など特別 な境地を得ることが目指された。それは経論の解釈を行っていた人々が、それだけでは実存的救済とはならないため、修行も盛んに行うようになっていたからである。彼らの課題は、大乗経論の慧学と、原始経典以来の定学の一致であった。例えば、天台の恵思や智●や華厳宗の法蔵は、止観や念仏など様々な観法を教義体系に組み込んだ。

 それらに対して、達摩は定慧双修ではなく、もともと定慧一つである壁観の坐禅を、安心の法と教え、特殊な三昧や観法の果 を求めることはない(無所求)と否定した。そこに無所求の純粋な坐禅が行じられたが、『四行論』に「そのとき理と冥府して、分別 無く寂靜無為」と説かれた素朴な実践は、ややもすれば、分別否定、言語否定の「黙照」(103)になったと考えられる。

 そのような風潮の中で、覚りや仏を、逆説的にではあるが、知的言語をもって説いた人が慧可であり、それは定学慧学の一致とは、まったく位 相が異なる。

 慧可は、まず、大乗経典や論書による仏教学の常識、概念的把握そのものを疑い、脱構築したのである。例として再び十三を詳しくみてみよう。  

十三a「問う、有餘涅槃を証し、羅漢の果 を得たる者は、此れは是れ覚なりや」。

 これに対する答えは、普通は覚であるか、覚でないか、である。しかし、慧可はいう、「答う、此れは是れ夢に証するのみ」。

 「夢に証す」とは、中観哲学が説くように、覚を含めて、一切は幻のように実体がないということだろうか。続く問はそのことを尋ねているように聞こえる。

十三b「問う、六波羅蜜を行じ、十地万行を満足し、一切の法の不生不滅なるを覚して、覚に非ず知に非ず、心無く解無きは、為た覚なりや」。そのような空観の知的理解は「答う。亦た是れ夢なるのみ」と重ねて批判されている。問うている言葉の内容というよりは、そのような相手の思慮そのものが夢に過ぎない、と慧可は突き放すのだ。

 その観念批判はゴータマ・ブッダの成正覚という言説にまで及ぶ。もし、ゴータマ・ブッダの成道を夢だと説けば、仏教そのものがひっくり返る恐れがある。だが慧可はそこまで踏み込む。

十三c「問う、十力・無処畏・十八不共法もて菩提樹下に道を成じて正覚し、能く衆生を度して、乃至涅槃に入るは、豈に是れ覚に非ずや」。これに対して「答う。亦た是れ夢なるのみ」と断じられる。なぜならそれらは言説によって描かれたゴータマ・ブッダの神話的概念に過ぎず、なんら自分と関わらないからである。大事なのは、今の自分のあり方、そういう夢からの目覚めである。

 聖典の言説に対するこれほど覚めた見方が、この時代にすでになされていたことは、一驚に値する。だが、これらの慧可の言葉を聞いたものは、歴史的事実や経・論の内容を否定されたと思い込むに違いない。そういう意味で、この答は非常に危険なものである。ここだけを取り出せば、大乗経典だけではなく仏教的世界観の破壊だといってよい。慧可や達摩が命を狙われたと伝えられるのも、慧可や曇琳が腕を落としたのも、この批判のラディカルさを思えば、納得がいく。

 ところで、そういう経典の脱構築を慧可以前に敢て遂行したのが、実は大乗運動であり、般 若思想だといえば言える。慧可はその大乗経論をさらに脱構築するのだ。先の十三b「一切の法の不生不滅なるを覚して、覚に非ず知に非ず、心無く解無し」という部分は、いわば空思想の正しい言説である。だが正しい言説をいくら理解しても、それは頭の中の出来事として夢と同じであり、そこからは実存の変革は生まれない。

 続いて十三d「問う、三世の諸佛が平等に衆生を教化し、道を得る者、恒沙の如くなるは、此れは是れ覚に非ざる可しや。答う、亦た是れ夢なるのみ」といわれる。後で詳しくみるが、慧可は「道を得る」「覚りを得る」という言説を否定する。得るべきものも得る主体もないところに落ち着くのが真実の覚であり、般 若系経典が、 「不可得」(104)と説いた事を、直接相手に「お前の夢だ」と突き付けている。弟子は対話において経典に対する根源的態度の変更を迫られるのだ。

 もっとも経典の言葉への批判は、『楞伽経』巻四にも説かれている。

 「大慧よ、若し説いて、如来は文字に堕する法を説くという者あれば、是は則ち妄説なり。法は文字を離るるが故に。この故に、大慧よ、我等諸仏及び諸菩薩は一字も説かず、一字も答えず。所以は者何。法は文字を離れるが故に」(105)

 こういわれれば、法を説かないのが仏菩薩のあり方かと思うが、ここでは文字を説かないといっているのであって、法を説かないとはいっていない。それゆえ続いて、法を説く必要性についてこう説かれる。

 「大慧よ、若し一切法を説かざれば、教法は則ち壊す。教法を壊せば、則ち諸仏・菩薩・縁覚・声聞無し。若し無ければ、誰か説き、誰の為にかせん。この故に、大慧よ、菩薩摩訶薩は言説に著することなく、宜しきに随って方便して広く教法を説く。衆生の希望・煩悩一ならざるが故に。諸法を説いて心意意識を離れしむが故に」。

 したがって「一字不説、一字不答」は文字に執着しないための逆説的表現であり、『楞伽経』では経典の諸概念を認め、仏・菩薩・縁覚・声聞の区別 や悟りや修行の段階を認める。

 ところが慧可はいう。  

十四「問う、道を脩め惑を断つのに何の心智を用いんや。答う、方便の心智を用いよ。問う、云何が方便の心智なるや。答う、惑を断じて、惑野本より起る処無きを知り、此の方便を以て、疑惑を断つことを得。故に心智と言うなり。問う、如法の心が何の惑を断つや。答う、凡夫外道、聲聞縁覚、菩薩等の解惑なり」。  

 これは経典が教える修行段階やその境位 を、実際に体験しようとしていた坐禅修行者に対する強烈な批判である。当時は『続高僧伝』の慧思の項に「南北の禅宗」とあるように、すでに慧文・慧思・智ぎや僧稠など、経論と止観(坐禅)の双方に通 じる人々が多くの弟子を擁して、菩薩への道を教え実践していたのである。次の語はそのような法師、禅師に言及している。

二一「大小乗の解りを証せず、菩提心を発さず、乃至、一切の種智を願わず、定を解する人を貴ばず、貪欲ある人を賎著まず、乃至、仏の智恵を願わずんば、其の心は自然に閑静なり。若し、人、解りを取らず、智恵を求めずんば、此の如き者は、法師・禅師の惑乱を免れんと欲す」。

 慧可の批判は、だが後に「教外別 伝・不立文字」といわれるような意味での経典批判ではない。経論の教えの外に別な教えがあるのではなく、経論を信じてそのような世界が言葉通 りに存在するかのように思う事が批判されたのである(106)

 経論が悪いのではなく、その用い方が問題なのだ。十七「若し経論の意を取らんも、かならず解することを貴ばざれ。もし解する所の処有れば、即ち心の属する所有り、心が属する所有れば、即ち是れ繋縛なり」。したがって慧可自身も「経に曰く」と『維摩経』などを引用してもいる。

 さて、「解りを取らず、智恵を求めず」という慧可のこの激しいラディカルさはどこからくるのか。それは達摩に触発されて、かつて地獄など悪道を恐れ、仏陀のように涅槃を得ようとしていたことが、根本的に間違っていた、と分かったという痛恨の前半生があるからにちがいない。書簡に、三「吾れ恒に前哲を仰慕し、広く諸行を修して、常に浄土を欽んで遺風を渇仰す。釈迦に逢うことを得て大道を証する者は巨億、四果 を獲る者無数なりと。実に謂えり、天堂は別国、地獄は他方にして、道を得、果を獲れば、形異なり、体異なると」とある通 り、かつては経典を文字どおり信じて、ゴータマ・ブッダによって証果を得た人々が無数におり、段階的な境地を得た人も夥しくいて、浄土(107)や地獄がこの世の外に有ると思い、もし、仏果 を得れば特殊な外見と超能力が具わると思って、それに向って必死の修行していたのだ。

 その誤りを達摩によって指摘されて始めて、自ら三五「天堂と地獄も亦た無し」と喝破できた。覚りへの必死の努力があったからこそ、壁観の坐禅に真の心の平安が見い出された時、その有り難さが確実なものとして実感されたのだ。

 しかし、人は説かれた言葉に惑わされる。それゆえ慧可にあっては、空般 若思想も、自らが説いた言葉さえも、乗りこえられる。  

四五「若し勤めて心の相を看じ、法の相を見、勤めて心処を看じて、是れ寂滅の処なり、是れ無生の処、解脱の処なりとし、是れ空の処なり、菩提の処なりとし、心処の処無き処、是れ法界の処なり、道場の処なり、法門の処なり、知恵の処なり、禅定無碍の処なりとせば、若し、是の如き解を作す者は、是れ、坑に堕ち、塹に落ちる人なるのみ」。

 維摩経などによる空観の観念的理解は、たとえ正しくても自分とは何の関係もないばかりか、それが仏法そのものと間違われることによって正しい仏法に入ることを阻止するのであるから、地獄行きの人と厳しく非難されるのだ。

 これは『四行論』で「教に依りて宗を悟り」といわれたことを超え、初期禅宗のさまざまな書を超える。すなわち慧可より後の『修心要論』『無心論』や『破相論』『楞伽師資記』『神会語録』等では、経典は自説の証明という目的で引用される場合がほとんどである。したがって経典に説かれる念仏やその他の行を批判しないことによって、彼らの禅はさまざまな観法や習禅と融合されてしまった。その結果 、同じような問答という形をとっても、結局は経・論の解釈にひきづられた観念化の様相を呈するのである。

 だが、六度万行を修することを批判し、浄土往生思想を批判し、十地の修行体系を批判し、心を説くことを批判した慧可の発言が、いかに従来の仏教観を破壊するダイナマイトであったかは、ほとんど想像を絶する。修行体系のみではなく、その果 である覚りが砕破されたのだ。

2)「覚りを得る」ことヘの批判  

 いったい、人間はどうして救いを求めるのだろうか。それは自分がリアルに抱いてしまう底知れぬ 不安のためではなかろうか。なぜ、このように生まれてきたのか、なぜ、つらい世を生きねばならないのか、死んだらどうなるのか。これらは、理由無しに人間を襲う不安であり、その解放には命を賭しさえする。言葉で生死は本来空だ、覚りも無明も元来ない、と教えられても、それは実際に人を平安に導くものではない。

 そこで、大乗仏教でも空思想に代わって実際の修行に即した瑜伽唯識の教えが生まれ、さまざまな実践が生まれた。しかし、それらは上座部仏教以来の修道観を出るものではなく、順次高い境地に登り、最終的に解脱を得るというものであった。したがって上座部の短所と同じく、いかなる努力をしても仏と同じ涅槃に到れないという究極的絶望を生んだ。それでも苦行を続ければその果 てに超常体験に陥り、特殊能力(神通)を身につけることもあり、それが覚りと誤解されることにもなる。現に『楞伽経』にも、様々な三昧を得て自覚聖智の境界を建立し、「如来最勝の身を得べ」(108)きこと、そして「仏身を示現」(109)することが、まことしやかに説かれるのだ。

 覚もなく、覚者もなく、衆生もないという空思想に応じる実践、それこそが達摩が『四行論』で経を引いて「法は衆生無し、衆生の垢を離れたるが故に、法は我有ること無し。我の垢を離れたるが故に」と教えた壁観だった。生死の根源的解決は、不安をいだく本人にのみ、安らぎとなる。慧可も十九「法は覚知無きが故なり。法は能く我に無畏を施すが故に、是れ大安穏の処なり」という。

 この壁観に凝住したところが、すでに凡聖等しいところであって、その他に求めるものは何もない。したがって、意識して覚りを求めることへの批判こそ、達摩門下のもっとも特徴的なあり方である(110)。縁禅師はそれを、五四「我が意の如きは、心に即して知るべき無く、冥然として亦覚せず」(111)と伝える。知るべき法も覚りもないのだ。楞禅師もいう、六五「菩薩は過去の諸仏の法を察して、十方に之を求めるに、悉く不可得なり(112)」。蔵法師もいう、六九「一切の法において得る所無き者は是を修道の人と名づく」(113)

 慧可もまた断言する。 十三e「但有し心もて分別 計校し、自心現量する者は、皆是れ夢ならくのみ。覚する時は夢なく、夢見る時は覚無し」。 十三f「若し如法に覚し真実に覚する時は、都て自ら覚せず、畢竟じて覚すること有る無し」と。

 「覚する時は夢なく、夢見る時は覚無し」とは、何か当たり前な理屈をいっているようであるが、これは夢と対立するような、夢ではない真実があるという考えを遮しているのだ。つまり私たちの日常認識は夢に過ぎず、その夢から覚めることだけが、覚なのであって、特別 な真理を覚ることではない。

 「仏」や「覚り」があるから、それと対立する「衆生」や「我」が克服すべきものとして立てられる。だから慧可は十三g「三世諸仏の正覚なる者は、並びに是、衆生が億想分別 するのみ」という。このような角度から、経典や論書に説かれている悟りの境地をすべて「夢」であり、従って虚妄としたのだ。それは突き詰めれば人間に体得できるようないかなる覚りもないということである。

 なぜそのような特別な仏の境界が批判されるのか。それは私たちにそれと分かるような体験は、どんな特殊な身体的知覚、精神状態でも、普通 の知覚や意識と同様に脳内変化であって、夢に過ぎない。現代ではそのような超常体験、幻視・幻聴などもLSDやメスカリンなどの薬によって誘導でき、そのメカニズムも解明されているから容易に理解されるはずである。慧可は1500年も前にすでに、心で法を覚るのではないことを明らかにしている。

二三「答う。心が分別することなきを名づけて正と為し、心が法を解ることあるを名づけて邪と為す。乃至、邪正をすら覚せずして、始めて正と名づく。」 三九「解る時は、法の解る可き無し。」

 この重大な点が、禅宗で「頓悟」(114)とか「見性」という伝統が作られて、悟り体験を期待するようになってから見失われてきたのではなかろうか(115)。あるいは『楞伽経』の影響を受けて、文字どおり如来の知見を人間が得る事ができる、と信じた者もいたのかもしれない。

 しかし、慧可は非常にはっきりと、人間の智恵と仏の境界の断絶を闡明する。

三七「諸仏の智恵は人に説示すべからず。亦隠藏すべからず、亦、禅定を以て測量 すべからず。解を絶し、知を絶するを諸仏の境界と為す」。人に教える事もできず、禅定によっても窺い知ることができないものが仏境涯である。したがって次のようにもいわれる。

四四「問う、云何が法を知るや。答う、法は無覚無知と名づく。心が若し無覚無知ならば、この人は法を知るなり。法は不識不見と名づく。心が若し不識不見ならば、この人は法を見ると為す。一切の法を知らざるを名づけて法を知ると為し、一切の法を得ざるを名づけて法を得ると為し、一切の法を見ざるを名づけて法を見ると為し、一切の法を分別 せざるを名づけて法を分別すと為す」。  

四五「法を無覚と名づけ、仏を覚者と名づくるは、無覚を覚とし、法と同じく覚するが是れ仏の覚なればなり」。

  ここでも、ただ無覚というのではなく、「法と同じく覚す」ということがある。それはまた三十「審らかに物の性を見て、実にして謬らざる者を、名づけて諦を見るとなし、亦た法を見ると名づく」と、「見」という表現が使われ、二八「慧眼開く」とも言われる。したがって不可知論ではなく、仏の知恵は隠藏することができないとも表現される。

 どのように「法と同じく覚する」のか、については4節で述べるが、そのあり方はいわゆる神秘思想ではない。神秘思想の多くは、究極の真実は言葉で言い表せないゆえ、その言説の至らないところを、直接の体験によって掴もうとする。ところが慧可には、いかなる身体的、精神的な特殊体験もない。言詮不及の神秘的な体験ではないからこそ、そのことを慧可はどこまでも言葉を使って、指し示そうとする。

3)言葉の葛藤  

 概念的に固定化されるのを避けて、なお法を伝えるために相手に応じて説く方法、これこそ慧可が用いた俗語や中国的用語を使った問答である。経典や論の用語を使っている限り、その用語の力に邪魔されて、本当の批判はできない。達摩の弟子たちは俗語を使った。自らの内側から出て来た言葉こそが、教学を撃ち破る(116)

 達磨系ではない同時代やそれ以後の禅者たちには『無心論』(著者不詳)、牛頭作といわれる『絶観論』、神秀の『觀心論』など問答の形式を採るものは多いが、仏教用語で書かれており、やはり教理問答の域を出ないのである。

 慧可の問答は相手の求めることに耳を傾け、それにそって答えるという普通 の対話ではなく、その問いの前提を問い直したのである。それはいささかソクラテスの産婆術としての対話に似ていよう。また、すでに指摘したように、自らの模範解答を述べてから、それを全部ひっくり返すという仰天すべきやり方は、唐代の祖師に勝るとも劣らない弟子を導く力量 といわざるを得まい。必ずしも俗語対話という形式が禅宗の新しさなのではなく、対話形式をとってなされる既成概念の破壊こそが、新しいのである。そういう甚だ危険なことを敢えて犯せるのは、仏法をたしかに得たという揺るぎない自信があるからだ。

 しかしなお、真実(法)と言葉の間には、深い矛盾が存する。真実(法)を伝えるためには、言葉を使わなければならないが、概念的言葉のレベルで了解してしまうこと(解惑)によって、かえって真実(法)は逃げ去る。その悩ましい葛藤は、語録の構成自体によって、すなわちその最初の説示と最後の説示における逆転によって指し示されている。

 すなわち慧可語録の最初は「仏心」が主題であり、次のように五つの属性が立てられる。 九「心が異相無きを名づけて真如と作す(1)。心が改む可からざるを、名づけて法性と為す(2)。心が属する所無きを、名づけて解脱と為す(3)。心性が無碍なるを、名づけて菩提と為す(4)。心性が寂滅するを、名づけて涅槃と為す(5)。」

 しかし、どのように「仏心」を言ってみても、必ずその言説を正しい説として了解してしまうという事態が生まれる。了解されてしまえば、分別 に堕すから、そのこと自体が誤りなのである。慧可は、それを避けるため、最後から二番目の説示で自分の語った言葉をほぼ否定して始末をつけているのである。便宜上、八の内実(1〜5)と対応するところに、番号にダッシュを付けて示そう。

 四八「・・・復た次に見を見ず、不見を見ざるを、是を法を見ると名づけ、知を知らず、不知を知らざるを、是を法を知ると名づくと。是の如く解するを亦名づけて妄想と為す。心に即して心無きも、無心を心とするが故に、名づけて法心と為し、今時の行者は此れを以て一切の惑いを破する。心は虚空の如くにして破壊す可からざるが故に、名づけて金剛心と為す。心は住に住せず、不住に住せざるが故に、名づけて波若心と為す。心性は広大にして、運用無方なるが故に、名づけて摩訶衍心と為す。心体は開通 して無障無碍なるが故に、名づけて菩提心と為す(4’)。・・・心は異無く不異無く、心に即して体無し。不異にして而も体ならざる無く、不異に非ずして異と不異と無きが故に、名づけて如心と為す(1’)。心に即して変ずること無きを異と名づけ、物に随って変ずるを無異と名づくるを、亦た真如心と名づく(1’)。心は内外中間に非ず、亦た諸方に在ざれば、心が住する処無きは、是れ法の住する処にして、法界の住する処なるを、亦た法界と名づく(3’)。心性は有に非ず、無に非ずして、古今に改めざるが故に、名づけて法性心と為す(2’)。心は生ずること無く、滅すること無きが故に、名づけて涅槃心と為す(5’)」。

 ここまでの引用は、慧可独特の正しい言説のように思われる。なぜなら最初に見、知、心に対して用いられるレトリック「見を見ず、不見を見ざるを、是を法を見る」は、十一「住に住せず、不住に住せずして、如法に住するを名づけて法に住すると為す」と、ほぼ同じである。だが、それは今どきの行者がそれを覚りと勘違いしているものと指摘されている。それは、七で「無心を心とするは、亦汝の心なり」と難じられた誤ったあり方である。

 さらに『大乗起信論』の説示を想起させる実体的な心の理解として、「金剛心」「波若心」「摩訶衍心」が言及され、その後に番号にダッシュを付けた部分、すなわち八で説いた菩提、真如、法性、解脱、涅槃と極めて紛らわしい「菩提心、真如心、法性心、涅槃心」が挙げられて説明がなされる。それは『楞伽経』に「有無・一異・倶不倶・非有非無・常無常を離れ」(117)とあるようなレトリックに馴染んだものには、うっかり同じことだと看做されかねない。

 ところが、最後に至って、「若し是の如き解を作す者は、是れ妄想顛倒して自心が境界を現ずることを了せざれば、名づけて波浪心と為す」と、すべて「波浪心」つまり迷妄と総括して否定されるのである。

 ちなみに八と四八の言葉で明瞭に異なる点は、四八ではすべて「心」が付けられていることである。慧可が晩年に『大乗起信論』を知っていたか定かではないが、そこには慧可の言葉と紛らわしい「心」が様々に説かれている。だから、おそらく「仏心」を、なにか実体的心であるかのように誤解する風潮が、慧可の門下にもあったのではなかろうか。「仏心」といっても、それは人間が心という言葉で想定するようないかなる「もの」でもない。むしろ十三「識心寂滅して、一動念の処無くんば是を正覚と名づく」と、明白に心が寂滅することなのだ。慧可は自分の語った言葉に引きづられて、その了解として出てくるいかなる言説も、妄想と見抜いて斬る。

 そのようなひっくり返しは三九でも見られる。そこでは、二九「有に即して有ならず、無に即して無ならざるを名づけて不動と為す」、二七「心に即して無心なるを名づけて心道とす」などの表現とよく似た言説が、三九「・・・有を得ざれば、有の動ずべき無く、無を得ざれば有の動ずべき無し。心に即して無心なれば、心の動ずべき無く・・・若し是の如き証りを作す者は、是を自ら誑惑すると名づく上来は解らず、解る時は法の解る可き無し」と否定されている。ここに慧可の問答の真骨頂がある。

 最後の四九でも、それまでの自説を総括するように「行く時は法が行くなり、我れ行くに非ず、我れ行かざるに非ず。坐する時は法が坐するなり、我れ坐するに非ず、我れ坐せざるに非ず」という風に言ってみる。一見これに文句の付けようはない。しかし、すぐに「この解を作す者も、亦た是れ妄想なるのみ」とひっくり返して語録を終結させる。いわば最後に自分の言説を葬っているのである。

 ここに、どんな正しい言説でも、話者自身を離れれば、それを理解する(解会)ことは、なんら聞き手の実存変革ではないことが見通 されている。このような言葉に対する問題意識は、唐代の禅に到って深く認識されることになり、問答による相手への実存的切り込みがなされることになる。

 あるいはまた、答えないという答え方もある。

 十六a「不覚不知は是何物の心なるや。すなわち答えず。答えざる所以は、是の法は答うべからず。法は無心なるが故に、答えれば即ち有心なり。法は言説無し。答えれば言説有り。法は解なし。答えれば即ち解有り。法は知見なし、答えれば即ち知見有り。法は彼此なし。答えれば即ち彼此有り。」

 しかし、それさえも一つの型に堕してしまうので、慧可はこう言ってから、さらに十六b「是の如きの心言は倶に是計著なるのみ」と付け加えずにはおられない。それは果 てしない言葉による言葉の否定の道になる。

十六c「空を知るといえども、空も亦不可得、不可得を知るといえども、不可得も亦不可得なり」。言っては消し、言っては消し、果 てしがない。言葉のもつ「伝える」ことと「事実をすり抜けさせる」ことという両義性を、慧可はよく承知しているからである。

                    

4)事上に得る

 慧可は三一「一箇の物を行ぜざるを、名づけて道を行ずと為す」と説いた。それでも身体で為すという行が、無いのではない。いや、まさに身心で実際に経験することこそ重要である。無分別 や無心を思索によって追求することではなく、実際にそれを自分の心身でうなづくことを、慧可は指示する。 二十「道を修める法は、文字中に依って解を得る者は、気力弱きも、若し事上より解を得る者は、気力壮んなり。・・口に事を談り、耳に事を聞くといえども、身心に自ら事を経るには如かず」といわれる通 りである。事(コト)とは、言葉(コトの端)となる前の事実である。

 「身心に自ら事を経る」第一は、仏道の実践であり、こう示される。  

十九「若し法仏をもって道を脩めん者は、その心は石頭の如く、冥冥として覚せず知せず、分別 せず。一切謄謄として如かも痴人に似よ。何を以ての故かとならば、法は覚知無きが故なり」。

  石のようなあり方とは、後に坐禅が兀兀地と形容されるごろりとした山のような不動な身心の姿勢であり、明晰な判断とは正反対の、薄暗く是非・善悪を知らない愚者のようなあり方である。痴人のような者こそが、真の智者なのだ。

 だからこの石頭のようなあり方は、慧可によって「不動」とも示される。 二九「有に即して有ならず、無に即して無ならざるを、名づけて不動と為す。不動とは正を離れず、邪を離れざるなり。」

 心が不動であるためには、身も不動でなければならず、そこに壁観の坐禅が要される所以がある。そうであれば、その坐禅はもはや涅槃を得るための修行ではなく、その不動こそが涅槃なのである。

二九「不動と涅槃も亦た義は一にして名が異なるのみ」。

 この不動なる壁観の坐禅は、後の初期禅宗の「一行三昧」(118)、「守一不移」(119)、「看心」(120)、「調心」(121)、「無得正観」(122)、「看守心」(123)、「観心」(124)など、なんらかの精神集中や心を意識的に操作するような坐禅に比べると、その特徴がよくわかるだろう。法仏による行とは、いわば、しないことをすることである。  

 壁観が、身体的にしないことをすることであるのは理解しやすい。では心はどうであろうか。慧可は次のようにいう。

 十七「心がもし分別すれば、即ち法に依って、分別 する処を看よ。若しくは貪、若しくは瞋、若しくは顛倒するも、即ち法に依って、起る処を看よ。起る処を看ざれば、即ち是れ修道なり。若し物に対して分別 せざれば、亦た是れ修道なり」。

 「分別する処を看よ」、「起る処を看よ」といわれれば、見るべき対象があるように聞こえる。しかし看ようとすれば、実はその対象となるようなものは、何も無い。これは坐禅してみれば、分別 や貪欲や怒りが、おのずと静まって跡形がなくなる体験上の事実である。事上に得るのだ。

 体験によって、観念を乗り越えるさまは次のようにも言われる。 十四「答、惑を観じて、惑の本より起こる処無きを知り、この方便を以て、解惑を断つことを得。故に心智と言うなり。」

 おそらく慧可が、そういう体得される智恵を明らかにしたのだ。(125)

 慧可は坐禅に関して手紙の結語に三「坐禅して終須に本性を見ん」といっている。一見あたかも人に本性というものがあって、それを坐禅をして見る事(見性)のように聞こえるが、語録ではっきり言われるように、実は本性なるものはない、ということが目の当たりに分かるのが「見」という内実だ。

 三十「若し物の性を見たる者は、名づけて道を得たりと為す。物の心を見るとはおよそ物の性は物の相なく、物に即して物無きを、是を物の性を見ると名づく」。

 ここで「物に即して物無し」というのは、坐禅における人間的な判断がまったく入らない「見る」という働きそのものであり、したがって、対象的に名指すものがないから「物無し」なのだ。迷いの根源に対する、身体的洞察ともいえる。

 解りに対する惑だけでなく、貪瞋痴などの惑に煩っていても、坐禅すればそれらは雨散霧消してしまう。とはいえ、もちろん誰でも坐禅すれば直ちに、貪・瞋・痴が静まるわけではない。心が静まらない時には、どうすればいいのか。慧可はこう指示する。

十七a「但使し心の起こる有らば、即ち検校して法に依って併当却せよ」。「検校」とは取り調べること、「併当却」とは「片ずけてしまうこと、始末してしまうことだそうである。放下するとか、構わないでおくといってもいいだろうか。なぜなら、意識して片付けようとすれば、それはまた心を起こすことになってしまうからだ。

 坐禅の功夫ともいうべき心の「併当却」は、十五a「若し相あるを見れば、即ち須らく併当却すべし。我有り心有り、生有り滅有るも、亦即ち併当却せよ」といわれる。「相を見る」とは感覚知覚のニューロン上に現象している事態を、言語領と繋げる統覚をもって判断的に知覚することであろう。その統覚の作用を止めることが狙われている。次の言葉もその例である。

三四「云何が仏を見るや。答う。貪に即して貪の相を見ずして、貪の法を見、苦の相を見ずして、苦の法を見、夢の相を見ずして、夢の法を見るを、是を一切処に仏を見ると名づく。若し相を見るときは、即ち一切処に鬼を見ん」。

 だが、併当却することは、実際にはなかなか難しい。この問答はさらに十五b「云何が併当却せんや」と問いつめられる。それに対しては「若し法に依って看れば、諦視を失して一箇を見ず」という。「諦視」とはその前に「云何が二諦なるや」という質問があり、その教学的答もあることから、第一義諦と世諦という分別 的見方を指すと思われる。したがって、「諦視を失して一箇を見ず」とは、判断的な統覚を働かせないで、何かを特定のモノとして認識しなくなったところをいうのだろう。モノとは三十「所謂形相有る物は、皆な是れ物なり」といわれる通 りである。

 「法に依って省る」とはどういうことだろうか。なにかを認識(分別 )するには、認識する主体が定立していなければならないが、坐禅においては、その主体が行方不明になる。それは教学では「無我」といわれることであるが、慧可は相手の問いに即して「誰がそうするのか」と問いを投げる。

二六「諸法は空なるに阿誰か道を修せん。答う、阿誰あれば道を修めることを須いんも、若し阿誰なければ、即ち道を修めることを須いず。阿誰とは我れなり。若し我無くんば、物に逢うて是非を生ぜず」。  

三十「智者は物に任せて己に任せざれば、即ち取捨無く、また違順無し。愚者は己に任せて物に任せざれば、即ち取捨有り、即ち違順有り。」

二五a「己れを見るに由るが故に、道を得ず。若し能く己れを見ずんば、即ち道を得るなり。己れとは我なり。聖人が苦に逢うて憂えず、楽に逢うて喜ばざる所以の者は、己れを見ざるに由るが故なり。苦楽せざる所以の者は己れを亡ずるに由るが故なり」。己れをなくしたところに「法に依って省る」ことが成就する。

 もっとも、身心を亡ずる実践は、実際には容易なことではない。二五b「天下に己れを亡ずる者は幾ばくか有らん」といわれる所以である。

5)得道の遅疾  

 すでに見たように、心が寂滅した涅槃とは、坐禅の工夫によっって判断的な統覚すなわち分別 である二見を離れさえすれば、すでにそうであるところであって、修行して始めて獲得される特殊な境地ではない。

 およそすべての仏教修道論は(日本の禅宗を含めて)、修行における段階的境地を認める。上座部では四禅や四向四果 であり、大乗では十地十住から『華厳経』では五十二位までもが立てられ、仏果菩提を得るまで、何劫も費やすとされる。六世紀の中国仏教者が切望したのは、できるだけ速い成道であり、そのための易しい行であった。せめて次生での成仏を願って阿弥陀信仰も盛んになっていた。それらはみな修行の果 として仏の境地を求めるものである。

 ところが、慧可はその求道の根本姿勢、修道論の基盤を批判する。

十八a「問う、道を修め道を得るに、遅疾有りや。答う、百千万劫をわかつ。即心是なる者は疾く、発心行行する者は遅し」。

 彼のいう道を得る時の遅疾は、いかなる時間的遲疾でもないから、時間の経過の中で行われる修行やその段階が入る余地はない。

 人間があえて自分で道を求めようと勤めるそのあり方自体が、仏のあり方と乖離するのであって、道元が「現成公案」で「人はじめて法を求むる時、はるかに法の辺際を離却せり」というのと同じである。人間の心の働きをやめた処が「即心是」である。それについては続いて、十八b「利根の人は即心が是れ道なることを知り、鈍根の人は、処々に道を求めて、道の処を知らず。又た即心が自是より阿耨菩提なるを知らず」と詳しい説明がある。

 ここでも私たちの心が菩提であるわけではまったくない。「即心是なる者」とは、もともと惑いがなかったところに落ち着いた人である。だが、道を得るとは己れを無くすることだと分かったとしても、そう頭で分かることは、自分が事実際にそうであることとは無関係である。いわゆる本覚思想(本来すべては覚っているとする思想)とは異なって、分かることは成ることではない。

 ここがもっとも間違われやすいところであるが、即心が完全な涅槃である、ということは、それに目覚めれば済む事実でもなく、その完全な心についた汚れを払えば良いということでもない。いわゆる頓悟でもなければ漸悟でもない。

 ではどうすればいいのか。問答はさらに続く。十八c「問う、云何が疾く道を得るや。答う、心は是れ道の体なり。故に疾く道を得るなり。行者、自ら惑の起るを知る時は、即ち法に依って看じて尽くさしめよ」。「看じて尽くさしめよ」とは先に見た通 り、惑を尽く取り除くことではなく、坐禅においてもともと惑のないところへ落ち着くことだ。問者はさらに問いつめる。

十八d「問う、云何が心は是れ道の体なるや」。どうして心が道の体などであり得るのか。ここに究極の答が告げられる。十八e「心は木石の如し。・・・心意識の筆子もて、分別 して色・声・香・味・触を描き作し、還って自ら之を見て、貪瞋痴を起こし、或いは見、或いは捨てて還って心意識を以て分別 して種々の業を起こすのみ」。つまり「即心」とは、普通に心を意味する心意識ではなく、逆に心意識の働きを止めた、木石のように不動のなんとも思わないあり方なのだ。それが実は達摩の壁観である。それを慧可はさらに二見を止めると指示する。

十七b「心がもし貴ぶ所あれば、必ず賎しむ所あり、心がもし是とする所あれば、必ず非とする所あり。心がもし一箇の物を善しとすれば、一切の物は即ち善からず」。

十九「今、法仏に依って、法僧の行道する時は、善惡・好醜・因果 ・是非・持戒破戒等の見有ることをえざれ。もし、人、是の如き計校を作す者は、皆、是迷惑し、自心現量 するのみにして、境界の自心より起こることを知らざるなり」。

 三五にも破戒無戒、凡聖、天堂地獄、是非、苦楽の二見が批判されている。二見は自分で止めようと思って止むものではない。自分をやめることができたとき、はじめて止む。

 人間を悩ます最大の二見こそ、「生死」である。生死の克服とは、仏道においては生死という「二見」の実存的超克にほかならない。それをめぐる重要な一節がある。

二九「生死と涅槃は同じきが故に、捨てざるなり。生に即して生無く、死に即して死なければ、生を捨てて無生に入り、死を捨てて無死に入るを待たず。寂滅の故に涅槃なり」。

 この「寂滅」とは具体的には二九「不動と涅槃と亦た義は一にして名が異なるのみ」といわれるように、坐禅における不動(壁観)であり、心意識の寂滅である。

十三「若し識心寂滅して一動念の処無くんば、是れを正覚と名づく」。

十八「若し能く心識の本よりこのかた空寂にして、処所を見ざるを知れば、即ち是れ修道なり」。  その、もともと惑いが無かったところが、自己も対象も他者もない法界である。したがって次のようにも言われる。

二四「汝が種々に云為し跳踉蹄蹶するも悉く法界を出でず、亦た法界に入らず、若し法界を以て、法界に入らば、即ち是れ痴人なり。菩薩は了了として法界を見るが故に、法眼浄と名ずく。法の生住滅有るを見ざれば、亦法眼浄と名ずく」。

 この「お前がさまざまに言ったり、跳ね踊り走り回ったりする一切は法界の中にある」とは、普通 に人が見たり聞いたり感じたりする一切が仏法である、というようないわゆる天台本覚法門の立場とは、まったく異なる(127)。人が自然に感ずる世界は生住滅のある煩いの世界である。だが、その世界を成り立たせているもっと深い個的な意識を離れた世界がある。それが仏の自覚の世界であり、人間のはからいを離れた身心の世界である。そこにすでに安住してあることが「了々として法界を見る」といわれるが、すでに何度も述べたように、見るべき何かがあるわけではない。

 法の生住滅が無いというのは、我というものを固定してはじめて、見られるものが変化するものと捉えられ、生住滅があると錯覚するのだ。固定した我がなくなれば、あるものは瞬時瞬時そのようにある法界だけなのだ。法界とは、私たちが無意識に持つ時間軸が超えられたところであるが、時間感覚が失われるのではなく、時間軸を成り立たせる基盤としての明晰な瞬間の地平である。

 分別を入れないそのままの見であるためには、坐禅において目を開いていることが大切である(128)。目を閉じればたちまち自分の想いの世界が展開する。それは冥想ではなく、妄想である。時間感覚の喪失(超常体験)と日常的時間のどちらにも属さない「疾さ」が、涅槃の疾さである。

6)心と無心   

 達摩は般若空の思想を基盤に壁観を説いたが、般 若の論理は中国にきて道教の「無為」をはじめとする無の哲学とでも呼べるものと結びついた。達摩の流れを引く人々の中には空の論理に引きづられて無のスローガンを掲げるものが多く、慧可以外の初期禅宗では、『無心論』の「無心」、『大乗正理決』(摩訶衍)の「不思不観」、『頓悟禅宗定是非論』(神会)の「無念」などと多用される。それに対して慧可が方便としてとった道は、『楞伽経』によって人間の「自心」を、妄想を現し出すものと指摘することだった。やがて禅宗は、無心というより、「心」の宗教となるのだが、その嚆矢は慧可にある。

 次の言葉はチベット本には「大師」の言葉とされているが、私には慧可の言葉のように思われる。

七「復た言わく、我は一切を見て無心なりと。難じて曰う。汝は心を見るや。心を心とせざるも、無心を心となすは、亦た是れ汝の心なり」。

 それは六で自らも引用した般 若の論理が「法身は無形、故に不見にして以て之を見る。法は音声無し、故に不聞にして以て之を聞く。波若は無知、故に不知を以って之を知る。・・・若し得を以て得と為せば、得ざるところ有るも、若し、無得を以て得と為せば得ざる所無し。若し是を以て是と為せば、是ならざるところ有るも、若し、無是を以て是と為せば是ならざる所無し」と、あまりに「無」や「不」を多用していることと無関係ではないだろう。七は、そういう否定辞をもって禅を語る人々に対して、慧可が突き付けた言葉ではなかろうか。

 坐禅をして無心になるというが、無心とか無相とかいう自意識は、まさに自意識という心であって、覚りではないのだ。しかし、これはとても誤りやすい。初期禅宗史書『伝法宝紀』でさえも慧可の得道を「乃ち方便をもて開示し、即時に其の心をして法界に直入せしむるに、四、五年にして精しく究め明らかに徹す」と描写 している。慧可ならば、どの「心」をもって、さらにどの「法界」に入るのか、と反論しよう。まさにどうにかすべき「心」が存在すると想うことが、妄想に過ぎないのである。有名な「達摩の安心問答」は、実は次のように慧可が弟子に示したものである。

 五八「又た問う、弟子をして安心せしめよ。答う、汝の心を将ち来れ、汝の為に安んぜん」。  続いて問答は繰り返される同じ問に、絹布を裁つには絹布が要るという喩えを用いて答えられ、「汝は既に心を将て我に与うること能わず。我、汝が与めに何物の心を安んずることを知らんや。我、実に虚空を安んずること能わず」と結ばれている。この「虚空」は、壁観において、そのまま「空寂」へと転じられることになる。

 とはいえ、慧可も「無心」を言わないわけではない。いや、根本的な言説に「無心」を使っている。  

二七「要を以て之を言えば、心に即して無心なるを、名づけて心道に通 達すると為す」。

 しかし必ず「即心」を付けていて、単純に「無心」を説いていないことに注目したい。その即心については4節で詳述した通 りであ。しかも、この「即心無心」の言説さえ、3節で見たように、後に三九でひっくり返される。これは「見」についても言えることである。

二九「菩薩は見に即して見無からしめて、見を離れて然る後に見無きことを労せず」。これは見ないのではなく、見てしかも統覚を働かせないのである。たんなる「無見」「不見」への強い批判である。

 空思想は「見る」「聞く」「触れる」などという五官とその働きを「無眼耳鼻・・・、無色声味識法」と否定辞を多く使って無化する傾きがあった。その超克を彼は、四七「菩薩は了了として空と不空とを照らす。小乗は空を照らすと雖も不空を照らさず。声聞は空を得ると雖も、不空(129)を得ず」と示す。

 「無心」に対して慧可はこのように応じたが、さらに彼は妄想を紡ぎ出す「自心」から、妄想の止んだ肯定的「仏心」へと新しい道をつけた。すでに3節で触れたが、再掲すれば次の通 りである。

 九「何をか仏心と名ずく。答う。心が異相無きを、名ずけて真如と作す。心が改む可からざるを、名ずけて法性と為す。心が属する所無きを、名ずけて解脱と為す。心性が無碍なるを、名ずけて菩提と為す。心性が寂滅するを、名ずけて涅槃と為す」。

 「仏心」は、それ自体、無心に対する批判の意義をもっていたのではあろうが、この言説は、一歩誤れば重大な誤解を引き起こしかねない。というのは、慧可が影響を受けた『楞伽経』は、アーラヤ識(蔵識)を常住不変とする如来蔵系の経典であり、北朝では菩提流支によって535年頃、十巻本が重訳された。如来蔵系の経典には同じく求那跋陀羅によって訳された『勝鬘経』があり、さらに546年に南海に来た真諦の訳した『仏性論』、『宝性論』、『摂大乗論』が典型的な如来蔵思想を展開している。

 また『勝鬘経』の影響を受けて成立したと思われる『涅槃経』では、逆説的に無常・苦・無我・不浄の四法印の逆である「常楽我浄」を説き、「如来蔵」を意味する言葉を「仏性」と訳した。おそらく梵本は、法顕本と並行する第五「一切大衆所問品」までであったと思われるが、その異端的傾向を、後半の付加増広によって緩和した曇無讖本の南北両本でさえも、仏法としては多くの問題を含む。しかし、「一切衆生悉有仏性」を説くこの経典は瞬く間に中国に広まって極めて高い評価を受け、坐禅を行じていた人々にも大きな影響を与えたと考えられる。

 たとえば「達摩の無功徳」話で有名な南の梁武帝の撰と伝えられる『四論玄義』は、『涅槃経』(大経)に言及してこういう。「心に不失の性有り。真神は正因の体為り。已に身内に在れば、則ち木石等の心性に非ざる物には異なれり。此の意は因中に已に真神の性有れば、故に能く真の仏果 を得る、となり。故に大経の如来性品の初に云く、我とは即ち是れ如来藏の義、一切衆生に仏性有るは、即ち是れ我の義なり」(130)

 ヒンドゥー教の我(アートマン)とほぼ等しいものが、「我」であり、「真神」であると説かれている。ここで「仏性」と言われているものは、弘忍によって「自性清浄」と用いられ、『大乗起信論』では「自性清浄心」が如来蔵とされるが、その「自性」は、達摩の弟子縁法師によって五一「自性は生滅せずというも亦自ら誑惑せらるるなり」と批判された概念である。

 『四論玄義』に顕われた初期禅宗思想の問題点を挙げると、第一に「真神」は、慧可の心とはまさに正反対に「木石等の心性に非ざる物には異なれり」といわれる。感覚知覚を持たない木石あるいは壁は、慧可にとっては、心がそうあるべき理想のあり方なのだ。第二に、「真神」あるいは「仏性」は人間の身中にあるものとして実体視されている。五祖弘忍の述とされる『最上乘論』には「衆生の身中に金剛の佛性有り」と引かれ、その同じ言葉が『楞伽師資記』の慧可章にも引かれて初期禅宗史書の基本思想となるが、実際に慧可が云ったことは、それとは対照的なことである。

四三「心界の体は是れ法界の体なり。此の法界は無体にして亦た畔斎無く、広大なること虚空の如くして見るべからず」。

 このような思想状況の中で、『大乗起信論』では、実体的な心が「心はすなわち常住」と説かれる(131)。だが同じ心でも『起信論』の説と慧可の「仏心」はまったく違う。『起信論』では「心真如」と「心生滅」という二つの概念を立て、その関係を非一非異であるとする。

 「一心法に依りて二種の門あるをいう。一には心真如門、二には心生滅門なり」。(132)

「心生滅とは如来藏に依るが故に生滅心あるをいう。謂う所は不生不滅と生滅と和合して、一にも非ず異にも非ず」(133)

 いっぽう慧可は、「仏心」と名付けても、そのあらゆる概念化を周到に拒んでいる。

三七「仏心は有を以て知る可からず、法身は像をもって見る可からず、斉知の解る所の者は、是れ妄想分別 なるのみ。従い汝が種々の解をなすも皆な是れ自心に計校し、自心に妄想するのみ。諸仏の知恵は人に説示すべからず。また蔵隠す可からず、亦た禅定を以て測量 す可からず。解を絶し知を絶するを、名づけて諸仏の境涯と為す。量度す可からずを、仏心と為す」。

 概念化を拒む反面、それが具体的に人間のどのようなあり方なのかについては、すでに見たように詳説されている。要をとっていえば、真実の心(真神)があるのではなく、いわゆる心の作用、すなわち分別 、心意識が止んだところが涅槃である。  

四六「涅槃真如は、その体見るべからず。戯論を起こさず、心意識を離れ、方便に住せざるを名づけて如如と為す」。

 また、『起信論』の「心真如」は、心生滅と対概念になることで実体的な趣きを持つ。「心真如とは即ち是れ一法界にして大総相、法門之体なり。謂う所は心性之不生不滅なり。」 (134) 

一方、慧可も「生ぜず、滅せず」という。

 十a「何をか名づけて法となす。答う、心は如法にして生ぜず、心は如法にして滅せず、故に名づけて法と為す」。だが、さらに十b「此の心は生ずる処無く、滅する処無し。妄想の生ぜる法なるが故に」と説明される。けっして永遠不変という意味の不生不滅なのではなく、『起信論』では「生滅心」とされる妄想であるからこそ、実際に生じたり、滅したりしない、という意味で不生不滅なのである。次はそのことを明らかにしている。

四十「見る所の生滅なる者は、幻生にして生に非ず、幻滅にして滅に非ず」。

 それでも『楞伽経』に引きづられて慧可が語った「仏心」は、誤解される恐れが充分あるので、「仏心」についての言説は、先に見たように、最後には四八「波浪心」すなわち妄想であると葬られている。

7)日常生活すべてである仏道

 慧可は覚りを得ること、仏になることを批判した。それは衆生とは別 な「仏」、日常意識とは違う「覚り」への批判であり(135)、究極的には、成仏したり天界(浄土)に往生して、永遠の生命を得ようとする宗教的欲望の否定である。また修行によって超能力を得たいという欲望も次のように否定されている。

二一「若し能く一切の賢聖が百千劫に神通 転変を作すを見て、願楽の心を生ぜざる者は、この人は他の誑惑を免れんとす」。

 ではいったい、何のために仏道はあるのか。いたずらに経論を学んで博学を誇り、高邁な思想を構築するためではなく、端的に諸々の煩悩、人生の苦しみから解放されるためである。煩悩や苦しみは、人が日々を生きている日常から立ち上る。その日常の外に解脱があるのではないから、日常こそが大切なのだ。

 達摩は壁観の安心だけでなく、そこから生まれる生き方を四行として説いた。慧可はさらに一歩すすめて、坐禅から出た日常生活の一切を菩提とする(136)

三六「何の処か是れ菩堤の処なるや、答う。行く処が是れ菩堤の処、臥す処が是れ菩堤の処、坐する処が是れ菩堤の処、立つ処が是れ菩堤の処にして、挙足下足、一切皆な是れ菩堤の処なり」。

 生きる現場にこそ生死の大事の解決が見い出される。唐代の禅が力強く発展したのも、この実生活に即した具体的問題として、仏法を参究したからにほかならない。経論の知的理解を離れ、日常の脚下の事実へと目を向ける事は、慧可から始まる。

 もちろん、ただの日常生活が涅槃であるわけではない。むしろ行住坐臥、挙足下足が閑かな落ち着き、不動へと聖化されなければならない。

二二「文字言説を巧偽と名づく。色非色等、行住坐臥、施為挙動、皆な是れ淳朴にして、乃至、一切の苦楽等の事に逢うも、其の心、不動なれば、始めて淳朴心と名づく。」

 人生の苦しみ、煩悩は、なにかそれを引き起こす実体があるのではなく、すべて心が描き出したものである。二見に堕し、心が動き、煩悩となる樣子は、非常に具体的に、僧の生き方の中で、次のような状態として描かれる。

 二一「ある人が百千万億の衆を領すると聞いて、即ち心動ずる時は、好く自家の心法が為た言説有りやと看よ」。僧侶にとって心を惑わすものは、貪欲や感覚的欲望というよりは、権力や名声であり、具体的にはどれだけの弟子がいるか、という類いのことである。そういうことに心が動かなくなってはじめて、「一切の苦楽等の事に逢うて心不動なるを得る」というあり方になる。したがって、そのような世間的配慮の中でこそ、不動が実践されるべきである。次の言葉はその点を述べたものであろう。

三三「若し菩薩を学ぶの時は、世法をとらず、世法を捨てざれ」。

 これは「直心是道場」という維摩経の観念的中観を、日常生活の中へと踏み超えるものである。

 ところで、心の働きの一つに過去・現在・未来という時の統覚がある。それを固定した時間軸とみなす為に、過去に執着したり、未来を心配して思い煩うということがある。しかし、時の統覚は、実は私たちが無意識のうちに構想した間主観性、共同幻想であるにすぎない。それが固定され言語による記憶や予見という分別 に結びつく時、煩悩となる。意識分別を介さない「目前の法」は、前際(過去)も後際(未來)もない「実際」である。「法の生住滅が無い」とはそのような実際であるが、それと心意識による煩いとの関連を慧可はこう指摘する。

三十「作すところの事は、過ぎて悔いる勿く、事の未だ至らざる者は、放ちて思う勿れ。是れ道を行ずる人なり」。  慧可が独特なのは、道を行ずるものが実際に遭遇するさまざまな悩み、艱難の一つ一つに対処の仕方を教えることである。  

二十a「道を修むる人は、数々賊に物を盗まれ、奪剥されんも、愛著の心無く、亦た、懊悩せず、数、人に罵辱せられ打謗せられんも、亦た懊悩せざれ」。

 達摩の弟子たちは、一寺に住することなく、遊行したのであろうから、さまざまな道中の難儀にも遭遇したに違いない。難儀に逢うのを避けるのではなく、その苦難をあたかも他人事のように受け流せばいいのだ。心の不動とは、喜んだり、愛着したり、怖じたり、怒ったりしないことである。それが、二十b「自然に一切の違順に於いて都べて無心ならん」といわれることである。

  あるいはこう言われる。

二五「己れなる者は、横に計校を生じて、すなわち生老病死・憂悲苦悩・寒熱風雨など、一切の不如意の事を感ぜんとするも、此れは並びに妄想が現ずるのみ」。

 ここに苦しみを離れる道があり、それは達摩が、報怨行(137)、随縁行(138)として教えたことと符号する。

8)善惡を超える思想の危険性

 空思想の「煩悩を断ぜずして涅槃を得る」「煩悩即菩提」は、文字面 を受け取れば、煩悩をそのまま涅槃とする悪い現実肯定となる。それを回避しようと、事に即して経験することを強調した慧可であるが、観念によって引き起こされるあらゆる感情を「自心現量 」として斬って捨て、時間的統覚を否定する時、それは因果の撥無になりかねず、さらに分別 による二見を超えることも、一歩を誤れば、善悪双方の肯定になり、全てが許される自由へとエスカレートしかねない。次の説示はそのような危惧を抱かせるのに充分である。

十九「燃し、法仏、法僧に依って行道する時は、善惡好醜・因果 是非・持戒破戒等の見有ることを得ざれ。・・・・若し、人、戒を破り殺を犯し、淫を犯し盗を犯して、地獄に堕することを畏れんとき、自ら己れの法王を見れば、即ち解脱を得ん」。

 たしかに罰を恐れて、戦々兢々としていた心も、壁観に凝住すれば鎮まって安楽となろう。しかし、それは悪を止める力になるだろうか。また、すでに犯した悪はそれで果 たして清算されるのだろうか。さらに殺・淫・盗・妄語には、それによって深く傷付く他者がいる。その他者の問題はどうなるのだろうか。

 達摩の思想には、「我が宿殃にして、悪業の果 の熟するのみ」というように、自分の過去の罪とそれに関わる因果の論理が貫徹されていた。しかし慧可の場合は、宿業や罪という観念は、きっぱり捨てられている。

四一「痴人は亦た言う、我は罪を作れりと。智者が言う、汝の罪は何物にか似たる、と。此れは皆な縁より生じて自性無し。生ずる時に既に我無きことを知れば、誰か罪を作り、誰か受けん。経に云う、凡夫は強いて分別 して、我は貪り、我は瞋恚すという、是の如き愚痴の人は、すなわち三悪道に堕つ、と。また経に、罪性は内に非ず外に非ず、両つの中間に非ず、というは、此れは罪の処所無きことを明かすなり。処所無しとは、即ち寂滅の処なり。人の地獄に堕つるは、心に我を計して憶想分別 し、我は悪を作して我が受け、我は善を作して亦た我が受くと謂うに由る。此れは是悪業なり」。

 罪業の呵責は、たしかに過去に為したことに囚われた心の作用であろうし、その果 である地獄の苦しみを思い描くことも想像に過ぎなかろう。しかし、この慧可のように二見を持つことの方が悪業であるとまで説けば、悪因悪果 ・善因善果は否定されてしまう。次の言葉はそのことを危惧させずにはおかない。

十六「若し禁戒を犯したる時は忙怕せんも、もし怕るる心の不可得なるを知れば亦た解脱を得る」。

 これは文字通りとれば、戒律を無視することにもなりかねない。時あたかも戦乱の時代で、戦いのため、他者を殺し、傷つけ、あるいは物を奪って生きていかざるを得なかった人々が大勢いたに違いない。彼等は慧可の説くところを行じて安楽を得たかもしれないが、果 たしてそれが真の解決であろうか。

 自己(我)を幻とすることは、他者をも幻とすることである。自他を含む仏法のリアリティが慧可には言表されていない。もし敬虔な綿密な仏道としての日常生活を欠落させた時、慧可の説く道は因果 を撥無した無戒非道のあり方に堕さないであろうか。慧可は七仏通戒をも妄想として斬る。

五九「又た経にいう、一切の悪を断ち、一切の善を修めて、成仏することを得、と。答う、此れは是れ妄想して自心に現ずるのみ」。  禅宗が武人の宗教という趣きを呈するとき、その危惧はさらに増す。

                     

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(102) 『禅仏教の研究』57頁(「柳田聖山集」第一巻所収、法蔵館、1999)

(103)『伝法宝紀』あとがき、柳田聖山『初期の禅史1』416頁

(104) たとえば『大品般 若経』四八

(105) T16p506c

(106) 『楞伽経』を重んじる禅師たちにしても、先に引用した「諸法を説いて心・意.意識を離れしむ」とあるようには、果 たして法を聞いただけで心・意・意識を離れることができるであろうか。

(107) 普通 は浄土と使われる所を、慧可は「天堂」という古い用語を用いる。この用語からも手紙1が慧可のものだと分かる。

(108) T16p487c

(109) T16p488b

(110) 私はかつて「定慧離れる以前の壁観を誰も理解しなかった」(「禅文化研究所紀要」第二四号、「達摩の坐禅」363頁)と書いたが、認識不足であり、ここに撤回する。

(111)  柳田聖山『達摩の語録』282頁

(112)  柳田聖山『達摩の語録』313頁

(113)  柳田聖山『達摩の語録』323頁

(115) このような表現は慧思、『大道融心頓悟真宗論』、神會『頓悟禅宗定是非論』『頓悟無生般 若頌』、『頓悟大乗正理訣』などに見られる。

(115) たとえば楞伽師資記道信章には「真に心を得たる者は、自ら識ること分明にして、久しき後に法眼は自ら開き、善く虚と偽を分かつ」という。(柳田聖山『初期の禅史氈x前引221頁)

(116) もっとも、雜録2の五二、五三の縁法師と志法師の問答は、場面 状況も組み込まれて、達摩の弟子の間に俗語の問答という参究のスタイルが確立しつつあったと思われる。

(117) T16p490c

(118) 『楞伽師資記』の道信章と神秀章(柳田聖山『初期の禅史氈x前引186、299頁)、『大乗起信論』第四段修行信心分、『天台摩訶止観』巻上二

(119) 『楞伽師資記』智敏禅師の言葉に、傅大士の説として挙げる。(柳田聖山『初期の禅史氈x前引225頁)

(120) 『楞伽師資記』の道信章(柳田聖山『初期の禅史氈x前引255頁)

(121) 『楞伽師資記』の弘忍章(柳田聖山『初期の禅史氈x前引274頁)

(122) 『続高僧伝』巻三十五法沖章 T50、666b

(123) 「達摩禅師論」のリフレイン

(124) 弘忍『觀心論』の主題

(125) これは心の始めて動くところを見よ、という『起信論』の始覚とは違う。

(126) 柳田聖山『達摩の語録』(文庫本)129頁の解説による。

(127) 慧可も維摩経を引いて二九「一切法は皆な是れ涅槃なり」というがそれは不動の説明として言われる。

(128) 縁禅師の言葉として五六「何をか、鬼魅の心と言うや。答う、目を閉じて定に入る」が伝えられている。

(129) 不空は『勝鬘経』に初出する如来蔵思想の用語であり、『楞伽経』にも「空句不空句」と一度言及される。ここでは如来蔵思想との関連なしに、無に傾く空を批判する言葉として用いられている。

(130) 『四論玄義』続藏74ー46左上下(『定本 中国仏教史。』任継愈 主編、柏書房、1994による)

(131) 弘忍の『最乗上論』では自性という用語が、永遠不変の実体を表すものとして使われている。「眞如佛性自性清淨。清淨者心之原也。眞如本有不從縁生。」(377b)

(132) 『大乗起信論』25頁

(133)『大乗起信論』29頁

(134) 同様のことを縁法師も次のようにいう。五一「愚人が仏を人中の勝なりと謂い、涅槃は法中の勝なりと謂うは、即ち人法に惑乱せらるるなり」

(135)岩波文庫本25頁

(136) このような坐禅を超える思想は次のように縁禅師にもある。91「若し、心起らずばなんぞ坐禅を用いん。巧偽、生ぜざればなんぞ正念を労せん」

(137) 「我れ往昔より、無数劫中に、本を捨てて末に従い、所有に流浪して、多く怨憎を起こし、違害すること限りなし。今は犯すこと無しと雖も、是れ我が宿殃にして、悪業の果 の熟するのみ。天非人の能く見与する所に非ず、甘心忍受して都べて怨訴する無しと。『経』に云わく、「苦に逢うも憂えず。何を以ての故に、識は本に達するが故に」と。此の心の生ずる時、理と相応し怨を体して道に進む、是の故に説いて報怨行と言うなり。」

(138) 「第二に隨縁行とは、衆生は無我にして、並びに縁業の転ずる所なれば、苦樂斉しく受くること、皆な縁より生ず。若し勝報・栄誉等の事を得るも、是れ我が過去の宿因が感ずる所にして、今方に之を得たるのみ、縁尽くれば還た無なり、何の喜びか之れ有らん。得失は縁に従って、心に増減無く、喜風にも動ぜず、冥に道に順う、是の故に説いて隨縁行と言うなり。」