第二章 慧可の思想的背景

  1)慧可と空思想

 以上の検討から、雜録1の三、五と六(経の引用を含む)、九〜四九、雑録2の五七〜六三、雜録3の八三を慧可の言葉とし、以下とりあえず「慧可語録」と仮称して引用の便としたい。

 『続高僧伝』僧可章によれば、慧可は40歳の時、達摩に邂逅し、六年間従学した。師の達摩は『四行論』と弟子たちの引用経典よる限り、『維摩経』を中心にした空思想に立ち、『楞伽経』とは無関係であるし(50)、その教授法からいっても、思想からいっても唯識系統の『楞伽経』を慧可に授けたとは思えない。

 慧可は46歳で達摩と別れたわけで、その後、ギョウ都で教化活動を展開し、僧可章、法沖章に見えるような多くの弟子を導いた(51)。推察するに、達摩と別 れた後に慧可は『楞伽経』に出会ったのだろう。その時期は「愍二見書」が書かれた頃ではなかろうか。なぜなら『楞伽経』が、愚痴の凡夫は「二見論を作す(52)」というのは、向居士への返書の「二見之徒輩を愍む」と呼応し、二見批判は慧可の思想の中核をなしていくものである。また『楞伽経』には、「摩尼の如し」(53)「金銀摩尼」(54)「摩尼妙宝珠」(55)「摩尼真珠等」(56)、などと摩尼宝珠の喩えが多用されるが、向居士への返書に「本摩尼に迷って瓦礫と謂うも、豁然と自覺せば是真珠」とあり、雑録1に三「明珠朗徹」といわれている(57)。

とはいえ五、六中の引用経典には『楞伽経』は一つもない。すでに柳田聖山によって詳細に明らかにされている(58)通 り、すべて般若空思想の経典であり、『続高僧伝』に、中観三論派の慧布が慧可と交遊して、慧可を「法師の述べるところは、我を破し見を除くこと、此れより過ぎるは莫し、と謂うべし」と評している。見を除くことも空思想の核心の一つである。

 そこで『楞伽経』との関係を見る前に、まず慧可の思想的背骨となった空思想を、柳田の成果 を追って見てみたい。

 最初に引用される五a「諸仏が空法を説くのは、諸見を破る為の故である。而るに復た空に著すれば、諸仏の(教)化せざる所なり」は、『中論』の有名な箇所である(59)が、「空」についての正しい言説にさえ固執しないという態度を、慧可は実際に自分の言葉に対してなしている。すなわち四九で「此の解を作す者も、亦た是れ妄想なるのみ」と、前に説いた自説とほぼ同様な言説を展開した後で、空無化してしまうのだ。

 続く五b「生ずる時は唯だ空が生ずるのみ。滅するときは唯空が滅するのみ。実に一法の生ずるなく、実に一法の滅するなし」も、中論第三観法品第十八の清目注である(60)が、この「空」は慧可では、三五「法界の体性中には凡聖有ること無く、天堂と地獄も亦た無し。是非苦楽等は、常に虚空の如し」という、妄想を虚空と見る独自な思想に結び付けられていく。

 五c「貪欲は、内無く亦た外無く、亦た中間に在らず。分別 はこれ空法なるに、凡夫は為に焼かる」は『諸法無行経』の引用であるが、それも鳩摩羅什訳の空思想の経であり、おそらく三論派でも釈義されたに違いない。慧可は十二にもこの経名を出して、一句を引用している。こういう表現は『維摩経』にもしばしば見られるが、慧可語録でも二四「痴愛なる者は、内外中間に就いて求覓するに、見る可からず」、四一「罪性は内に非ず外に非ず、両の中間に非ず」、四六「心は内外無し」などと用いられている。

 六は、「法身無形...波若無知、故不知以知之」と空を中国的思考で論ずる『涅槃無名論』などを引用しており、これも「般 若」を古訳の「波若」で記す三論宗の流れに直接影響されているのだろう。

 五cの「分別はこれ空法」の「分別 」は、空思想で否定的に用いられる語で、善惡、是非、邪正などの判断的思惟を指す。だが空思想の限界は「分別 有ること無し」といっても、そのことが観念に留まり、不善不悪、非無善悪などいくら四句百非を用いても、テトラレンマという論理でしかないことである。教義学の限界である。そういう三論宗の義解の人々へのいらだちが、次の警句的偈(61)になったのだろう。

 七「有る人言わく、一切の法は有ならず。難じて曰う。汝は有を見るや。有を有とせざるも、不有を有とするは、亦た是れ汝が有とするなり。有る人言わく、一切の法は生ぜずと。難じて曰う。汝は生を見るや。生を生とせざるも、不生を生とするは、亦た是れ汝が生とするなり。復た言わく、我は一切を見て無心なりと。難じて曰う。汝は心を見るや。心を心とせざるも、無心を心となすは、亦た是れ汝の心なり」。

 以上のように慧可が手紙に付して書き付けた経論が般 若空観の書であり、その思想が後に見るように慧可語録にも貫いていることから、慧可が達摩によって得た根本的な解放(覚り)は、『維摩経』をはじめとする般 若空思想の体得であり、けっして『楞伽経』によったわけではない。

 2)『楞伽経』の影響

 慧可の見た『楞伽経』は435年に広州に来た求那跋陀羅訳の四巻本だと『続高僧伝』は伝える。しかしながら、慧可は『楞伽経』の主題である蔵識すなわち如来蔵についても、そこに説かれる五法(三種)、自性、(八)識、二種無我(62)などの唯識思想にもまったく触れていない。まして、「意生身」(63)「自覚聖智」(64)「四種禅」(65)といった楞伽経特有な思想に言及することはない。

したがって、『楞伽経』の根本思想と慧可語録の思想は非常に異なるといってもよかろう。それでは、先の二見批判以外に、何が慧可と『楞伽経』を結び付けたのだろうか。

 すでに引いたが『楞伽経』冒頭の仏賛嘆偈には、「一切涅槃無く、涅槃仏有ること無し。仏の涅槃有ること無く、覚・所覚を遠離す。若しは有、若しは無有、是の二は悉く倶に離る」(66)と説かれる。これは達摩が説いた開悟・証果 を求めない無所求行とほぼ同じ思想だと思われる。これが慧可と『楞伽経』の重要な接点であろう。この『楞伽経』中の空思想を、慧可自身の言葉で表わしたものが、十三「若し如法に覚し真実に覚する時は、都て自ら覚せず、畢竟じて覚すること有る無し。三世諸仏の正覚なる者は並びに是れ衆生が憶想分別 なるのみ」であろう。

 今、四巻『楞伽経』と慧可語録を比べると、慧可語録にある『楞伽経』の用語は、すべて巻一に見い出されることが分かる。実は巻一と二・三・四巻の間には、若干、思想の違いが感じられる。というのも巻二の冒頭に、「如来蔵は自性清浄にして三十二相を転じて一切衆生の身中に入る。大価宝の垢衣を纏う所の如く、如来之蔵の常住不変なるも亦復是の如し」という問題の如来蔵思想の一文が出、それ以降の巻の特徴となるからである(67)。

 世親の『唯識三十頌』では、迷いの根源とされた第八アーラヤ識が、『楞伽経』では如来蔵として、しかも常住不変にして衆生の身中にあるという、まさに外道のアートマンと違わないもの(68)として説かれるのである。慧可がそのことを気付いていたかどうか分からないが、慧可はこれらをまったく依用していない。

 さらに問題になる思想が『楞伽経』にはある。『楞伽経』巻一には三種の識すなわち真識・現識・分別 事識が説かれている。後の二識は、世親の唯識(六識、末那識、アーラヤ識)とほぼ同じく、止滅すべき虚妄の識とされるが、真識については「若し彼の真識を覆う種々の不実虚妄が滅すれば、即ち一切根識滅す」(69)といわれている。一切根識(六識)は滅するが、では真識はどうなのか。それについてはすぐ後に「藏識」という用語と共にこういわれる。

「大慧よ、転識(70)と藏識の真相、若し異ならば藏識は因に非ず。若し異ならざれば転識滅し、藏識もまた滅す。而も自の真相は実には滅せず。是の故に大慧よ、自らの真相識は滅するに非ず、但だ業相滅す。若し自らの真相滅せば、藏識則ち滅す。大慧よ、藏識滅せば、外道の断見の論議と異ならず」(71)。

 つまり真相識(真識)や蔵識が滅するならば外道であって、真識は滅さないといわれる。『唯識三十頌』の第五頌に、「それ(アーラヤ識)は阿羅漢の位 において消滅する」と説かれるのに、まさにそれとは正反対の滅さない常住のものが藏識の説明となっている(72)。

 この不滅の藏識が、巻二の如来蔵になるのだが、巻一では「藏識海は常住」(73)とあっても、前に「諸々の善知識・仏子・眷属は、彼の心・意・意識、自心の所現の自性境界なる虚妄之想の生死有海、業と愛と無知、是等の如き因を、悉く以って超度す」(74)とあるから、その問題のある実体性は隠れてしまう。いずれにせよ、慧可は種々に分別 された『楞伽経』の識は、無視し、「心意識」のみを虚妄なものとして依用したと思われる。ちなみに雜録2、雜録3の他の禅師の言葉では「六識」にのみ言及されていて、『楞伽経』や唯識思想は達摩の弟子たちには無縁であったと思われる(75)。

 では『楞伽経』巻一と慧可語録は、どのような対応関係があるのだろうか。

 まず、第一に注目されるのは、慧可語録には「云何」ではじまる問答は14回(76)、「何名」ではじまる問答も9回(77)も見られ、、「何者」は3回(78)、「何処」は2回(79)見られる。

 このような問答は、『楞伽師資記』を見ると、求那跋陀羅が樹葉や水を指さし「是何物」と問うたこと(80)や、達摩の「但だ一物を指して喚ぶ、何物と作す」(81)に始まることになるが、それらはみな後の仮託である。

 「何」で始まる問は、実は『楞伽経』の主人公、大慧菩薩が発する百八の質問の形式なのである。「云何」ではじまる大慧の問は、実に七十四回に上る。「何因」は十一回、「幾種」も十一回、「誰」八回、「何故」は五回、「何処」三回、「幾・・」二回、「何等」二回、「何因縁」二回、「何時」「何法」「何生」各一回と非常に多い。教理問答はインドの論書の定番形式ではあるが、「何」という疑問詞を含む短文をこれほど列ねることは珍しい。

 第二に、『楞伽経』の「自心」という用語の導入である。

 『楞伽経』巻一にいう。「依とは、無始の妄想の薫ずるを謂う。縁とは自心見等識妄想を謂う」(82)。「若し、菩薩摩訶薩が自心現量 、攝受及び攝受者、妄想境界を知らんと欲せば、当に群聚、習俗、睡眠を離れて、初中後夜、常に自ら覚悟して方便を修行すべし」(83)

 ここに夜中の坐禅が示唆され、その参究において自心現量 は迷いであり、妄想としての心であると知ることが示されている。心については後にさらにに触れるが、ここで特筆すべきことは、『楞伽経』巻一では非常にしばしば言及される「自心」は、すべて妄想を生み出す虚妄としての心であることであり、それは慧可語録でも同じである。

十九「若し人、是の如き計校を作す者は、皆な、是れ迷惑し、自心現量 するのみにして、境界の自心より起こることを知らざるなり。・・・自心現量は、皆な是れ惑える心が是と作し非と作すのみ。・・自心が有を化作し無を化作して、還って惑わさるるなり」。

三七「自心に計校し、自心に妄想するのみ」。

四九「云何が自心、現ずるや。答う、一切の法の有なるを見るも有は自ら有ならずして、自心が計して有と作すのみ。・・・自心が計して無と作すのみ。・・並びに自心が計して有と作し、自心が計して無と作すのみ。・・此れは皆な自心が見を起こすが故に、自心が処所無きを計するのみなるを、是を妄想と名づく」。

 自心が妄想であるのは、そこに「計すること=はからい」が働くからにほかならない。「自心」は慧可にあっては「計」と密接不可分である。慧可が多用する「計校」という用語(85)は、『楞伽経』には見当たらないが、ほぼ同じ意味の「計著」は、「自心現妄想計著」(86)などと頻繁に使われる。慧可語録には十六「計著」も使われる他に、四一「計我」「計心」「計見」「計有」などがある。『楞伽経』巻一にも「計常(86)」などと使われる。

 「計」はおそらく『楞伽経』と慧可語録のみに特徴的な用語ではなかろうか(87)。なぜなら同じ事態を指すのに、たとえば縁禅師は五五「若し道を起こさんと欲せば、巧偽生ず。心が方便すること有れば、奸偽生ず」(88)と、「巧偽」という言葉が使われているのである。

 ところで、慧可は肯定的な意味でも「心」を使うが、そのような用法は『楞伽経』にはなく(89)、妄想に対立する概念としては「(自覚)聖智」(90)を使う。ところが、先にも触れたように、このような覚りを表わす用語を、慧可は注意して避けている。唯一、「仏心」を使う(91)が、『楞伽師資記』が、恵可章の中で言及する「仏性」は、慧可の語録にも『楞伽経』にもない。

 第三に、『楞伽経』の譬えと同じものが慧可語録に見られる。すでに述べた摩尼宝珠以外に次のように対応する。『楞伽経』にいう。 「譬えば、工画師及び画の弟子と布に彩り、衆形を図すが如し。我が説も亦是くの如し。彩 色すれど本、文なく、筆に非ず、亦た素に非ず。衆生を悦ばせんが為の故に綺錯して衆像を繪く」。(92)

 慧可はいう。

十八「心識の筆子もて刀山剣樹を画き作し、還って心識を以て之を畏るるなり。・・・意識の筆子もて色味声香触を画き作し、還って自ら之を見て、貪瞋痴を起こし、或いは見、或いは捨てて、還って心意識を以て分別 して種々の業を起こすのみ」。

六二「皆な是、汝が意識の筆子頭もて画いて是を作し、自ら忙て自ら怕るるも、石の中には実に罪福無し。汝の心が自ら是を作すのみ。人の夜叉・鬼形を画き作し、又た竜虎の形を作して、自ら画いて還って自ら見、即ち自ら恐懼するも、形色の中には、畢竟じて畏る可き処無し。皆な是れ汝家が意識の筆子もて分別 して是を作すのみ」。

 これを見ると、『楞伽経』が「我が説も亦是くの如し」と経典の説(言語)について言っていることを、慧可はそれを聞く側の意識に描かれる想像上の事柄へとずらしている。さらに、そこからあらゆる外界の認識を「意識の筆子頭もて」画くと拡張している。その例が、六の柱の譬えであり、「柱」という日常に目の当たりにするものに対して「柱を見て柱の解を作すは、是れ柱の相を見て柱の解を作すのみ」と心の分別 に過ぎないと断じられる。だから俄然、リアリティーが出る。

 また『楞伽経』は、像について種々に言及して、現識が境を現ずることを「明鏡、諸の色像を持するが如し」(93)という。慧可語録も三十「鏡中の面 像」などと言及する。同じ事態を『楞伽経』では空思想の伝統を受けて「一切法如幻」(94)とも表現する。慧可語録でも、十二「幻化の男、幻化の女」と、より具体的にいわれる。

 ただ、一般に『楞伽経』が「如幻夢」(95)「世間は恒に夢の如し」(96)と対象(世間)について言うことを、慧可語録はすべてを心意識の側に引き付けて、例えば十三「斉しく心識の滅せざるもの有るよりこのかた、皆な是れ夢ならくのみ」と断じる。

 またこれに関連して、『楞伽経』では、『唯識三十頌』の第四頌を踏まえて、七識の転識を次のように海の波浪に譬える。「海水に波浪起こる、七識も亦是の如し」(97)。「譬えば、海の波浪、鏡中の像の如し」。(98)

 慧可語録でも同じ波浪という言葉を用いていう。

四八「是れ、妄想顛倒して、自心が境界を現ずることを了ぜざれば、名づけて波浪心と為す」。

 第四に『楞伽経』の直接的な言及がある。いわゆる四種仏説で、雑録2の六一「幾種の仏の説法有りや。答う、楞伽経に四種の仏説有り。所謂、法仏は是体虚通 の法を説き、報仏は妄想不実の法を説き、智恵仏は離覚の法を説き、応化仏は六波羅蜜の法を説く」とある。

 『楞伽経』巻一には 実際には「仏は亦た幾種有るや」(99)「云何が化仏と為すや、云何が報生仏、云何が如如仏、云何が智恵仏なるや」(100)という質問があって、答も若干異なる。六一で経典にはない「報仏は妄想不実の法を説き」といわれるのは、慧可自身の思想に違いない。報(身)仏の代表は阿弥陀仏であり、阿弥陀仏は念仏往生を説くわけだが、手紙で「常に浄土を釿んで」いたことを後悔している慧可であるから、ここに彼の浄土教の批判が垣間見える。また「法仏」は『楞伽経』では「自覚聖所縁境界」(101)を建立した者に使われる用語であり、慧可によっても使われるが、十九「若し法仏に依って道を脩めば、涅槃を求めざれ」と『楞伽経』の主旨が転倒される。

 以上によって、慧可は『楞伽経』の用語を使ってはいるが、その内実は変化させられていることが明らかになったと思う。

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(50) 浄覚が「菩提師は又た坐禪衆の為に『楞伽』の要義を釋する一巻、一二、三紙なる有り、亦『達摩論』と名づく」というものは後代に達摩に仮託した注釈なのだろう。

(51) 注7参照

(52) T16p483b

(53) T16p484a

(54) T16p481c

(55) T16p492a

(56) T16p480c

(57) なお83にも「煩惱海中明浄宝珠」がある。

(58) 柳田聖山「菩提達摩二入四行論の資料的価値」(「印度学仏教学研究15ー1、1966)、

(59) 智ぎ『摩訶止観』吉蔵『三論玄義』にもとりあげられている。柳田聖山『達摩の語録』90頁

(60) 柳田聖山『達摩の語録』90頁の解説による。

(61) 8の一部「求において求とせざるも、不求を求とするは・・・」も、柳田聖山氏が指摘するように、本来ここにあるべきだろう。

62) 例えば巻四(Tp510、511,b)に六回言及される。

(63) T16p489c

(64) T16p490c

(65) T16p492a

(66) これは楞伽師資記で、求那跋陀羅の章に「楞伽経に云う」として引かれている。

(67) 「自性如来蔵心」も巻一に一度(T16p480b)言及される。

(68) 経典自身もこのことを自覚していて、「云何が世尊、外道の我を説くに同じく、如来蔵有りと云うや。世尊よ、外道も亦常作者有り、求那を離れて周遍し滅せずと説く。世尊よ、彼は我有りと説く。仏大慧に告げてたまわく、我れの説く如来蔵は外道の所説の我と同じからず」(Tp489b)と言い訳している。

(69) T16p483a

(70) 転識もまた世親の『三十頌』で説かれるが、そこでは、八識、七識、六識が互いに識転変するという意味で転識といわれる。ところが、ここでは転識は蔵識とは別 な識のように説かれる。

(71) T16p483b

(72) 藏識の業相、真相という両義性が『大乗起信論』で、心の二義性、つまり心真如と心生滅(衆生心)へと発展していく。

(73) T16p483b

(74) T16p483b

(75) 『達摩の語録』六四楞禅師の引用した経文「一切の法は無性なり」は、解説に『大乗入楞伽経』の第六の文の取意とあるが、六四の語はすべて空思想からきており、また経文もごく短い一般 的なものであって、あえて『楞伽経』に限定しなくてもいいと思われる。

(76) 12、14、15、18、25、27、28、31、33、34、40、43、44、49など

(77) 10、11、16、21、22、23、38、39、47など

(78) 24、26、42など

(79) 35、36など

(80) 柳田聖山『禅の語録2、初期の禅史1』(筑摩書房、1971)122頁

(81) 同右 140頁

(82) T16p483a

(83)  T16p485a

(84) 十九、二五、三七、五七、六十

(85) T16p484a

(86) T16p486c

(87)雜録3に計とある

(88) 91「縁法師曰く、一切経論は皆是れ起心の法なり。若し道心を起こせば、心は巧偽を生ずる」は、五五と同じ言葉が錯入したものと思われる。

(89)  「因と輿なる者は、是心、識の所依と為す。」(巻二Tp496、b)「心は境界に於いて縛して覚想智隨転す」(Tp496、c)など、否定的に使われる。

(90) T16p485a

(91) 雑録1の九、二一、三七

(92) T16p484c

(93) T16p483a  また「譬えば、明鏡頓に一切無相の色像を現ずるが如し」Tp486a

(94)  T16p480a など多数。

(95) T16p482a 

(96)  T16p480c

(97) T16p484b

(98)T16p484c、

(99) T16p481a

(100) T16p481b、また「云何が化仏と為すや、云何が報仏と為すや、云何が如如平等智恵仏なるや」Tp482bとも言われている。

(101) T16p486a