達摩の坐禅2
                                       

  三、仏道としての四行
 
 次に四行を検討したい。
 「行入とは請うところの四行にして、其の余の諸行は、悉く此の行中に入る。何等をか四と為すとならば、一つには報怨行、二つには随縁行、三つには無所求行、四つには称法行なり。何云が報怨行なる。道行を修する人は、若し苦を受くる時、当に自ら念じて言うべし、我れ往昔より、無数劫中に、本を捨てて末に従い、所有に流浪して、多く怨憎を起こし、違害すること限りなし。今は犯すこと無しと雖も、是れ我が宿殃にして、悪業の果 の熟するのみ。天非人の能く見与する所に非ず、甘心忍受して都べて怨訴する無しと。『経』に云わく、「苦に逢うも憂えず。何を以ての故に、識は本に達するが故に」と。此の心の生ずる時、理と相応し怨を体して道に進む、是の故に説いて報怨行と言うなり。第二に随縁行とは、衆生は無我にして、並びに縁業の転ずる所なれば、苦楽斉しく受くること、皆な縁より生ず。若し勝報・栄誉等の事を得るも、是れ我が過去の宿因が感ずる所にして、今方に之を得たるのみ、縁尽くれば還た無なり、何の喜びか之れ有らん。得失は縁に従って、心に増減無し。喜風にも動ぜず、冥に道に順う、是の故に説いて随縁行と言うなり。第三に無所求行とは、世の人は長に迷うて、処々に貪著するを、之を名づけて求と為す。智者は真を悟り、理として俗と反し、心を無為に安じ、形は運に随って転じ、万有斯に空じて、願楽する所無し。功徳と暗黒と、常に相い随逐す。三界の久居は、猶お火宅の如く、身有れば皆な苦なり、誰か安んずることを得ん。此の処に了達す、故に諸有に於て想を息めて求むる無し。『経』に云く、「求むること有れば皆な苦なり、求むること無くんば、則ち楽し」と。判かに知んぬ 、求むること無きは真に道行たることを。第四に称法行とは……法体は慳しむこと無ければ、身命財に於て、檀を行じて捨施し、心に■惜すること無く、三空に達解して、倚らず著せず。但だ垢を去らんが為に、衆生を摂化して、而も相を取らず。此を自利して復た能く利他し、亦た能く菩提の道を荘厳すと為す。檀施既に爾れば、余の五も亦た然かなり。妄想を除かんが為に、六度を修行し、而も行ずる所無きを、是を称法行と為す。」
 ここを読んで驚くのは、行が悟りを得るための修行ではなく、日常の生き方としての仏道であることだ<34>。禅は悟りを得ることを目的とする宗旨のように思われがちである。たしかに『二入四行論』長巻子の他の部分は、涅槃や解脱、見性について述べているが、ここにはそれがまったくない。そしてその自覚をきちんと論じているのだ。それが無所求行である。「求むること無くんば、則ち楽し」、「求むること無きは真に道行たることを」とあるように、求めることがないというそのことが安楽であり、壁観において心を安んじる道が、すなわち仏道である。それ以上に願うものはなにもない。安心、安楽が敢えて言えば行き着くところである。それは安易に煩悩即菩提といえるようなことではまったくない。「理として俗に反する」のだ。世俗と同じ生きかたをしている限り仏道ではない。
 もっとも「二種入」には「悟り」という言葉が出てくる。「教に籍りて宗を悟り」と「智者は真を悟り」である。前者は言葉による知的理解が含意されていようが<35>、宗(根本)を悟るのであって、悟りを開くとか無上覚を得るという意味ではない。後者は真実を覚ったというニュアンスを感じさせるが、「心を」以下の生き方の根本的変革をもたらすような洞察として、俗世が虚仮であり偽妄だと気がつくことで、「智者は」という言葉には経論などに触発されて知的に気がつくことが示唆され、「解る」と同じ意味で「悟る」が使われている。開悟、得道、証果 という終点がないということは、この論には「二入」しかなく、果が説かれないことでも示される<36>。仏道に入ってからはただ道が続くばかりである。『続高僧伝』は臨終がどうであったかを、特に意を注いで記しているが、達摩は「遊化して務めと為し、終を測らず」と伝えられ行方不明だ。彼は弟子に証果 を得させたのではなく、「誨うるに真の道を以てす」といわれ、「道に順う」「道行」「菩提の道を荘厳す」と繰り返されるように道を教えた。菩提が果 てにあるのではなく道が菩提なのだ。道は四聖諦の最後であり、八正道の道なのだ<37>。
 無所求行は空の思想が生きかたとして具現されたものだ。達摩の坐禅と法期、慧思、慧遠〔廬山〕、僧稠、僧実の坐禅との大きな違いの一つは、望むことがない無所求行だということだ。師子奮迅三昧<38>も法華三昧も西方浄土も滅尽定もない。むろん無上覚も涅槃もない。徹頭徹尾、空の思想を具現している。
 今一つ注目すべきことは、悪業悪果、善業善果が説かれていることだ。禅といえば善悪莫し、不落因果 が当然とされ、それは『二入四行論長巻子』にもはっきり書かれていて<39>、六道輪廻は心の所現と見なされる<40>。しかし達摩は明らかに異熟果 を説いている。注意したいのはそれが「若し勝報・栄誉等の事を得るも、是れ我が過去の宿因が感ずる所」「是れ我が宿殃にして、悪業の果 の熟するのみ」といわれるように過去世と現在についてのみ言及され、現在と未来世にはつながらないことだ。したがってこれを福徳(四行)との知慧(理入)との一致などと見たら的を外す。だから達摩は悪を止め、善を修せとはいわない。それはまだなんらかの果 を未来に望むことであり、たとえ浄土であろうと無上覚であろうと貪著であって無所求行ではない。
 なぜ未来世につながらないか。それは「業縁の転ずる所」の異熟果の主体と「衆生は無我」との矛盾にかかわる。人間は経験として怨が怨を呼ぶ果 てしない歴史を知っているし、生物学的にも過去の経験が遺伝子に記憶されている。しかしながら善悪ともにそのような業縁を終焉させる道が仏道である。それゆえ仏道においては未来まで続く業縁の輪廻はありえない。ではどのようにしてその業縁の転成を止めにできるか。「苦楽斉しく受くること、皆な縁より生ず」「得失は縁に従う」と洞察して、自ら「衆生無我」になることであり、「識は本に達する」ことだ。「万有斯に空じて、願楽する所無し」とあるが、「空じて」とは空だと理解することではなく、壁観において「心を虚寂に冥」すること、自ら空になることである。そこにはじめて具体的に「喜風にも動ぜず」「苦に逢うも憂えず」という在りかたが「理と相応して」可能になる。怨愛を超える思想は柳田氏も指摘されているように<41>中国にもある。ただそこにも指摘されているように、仏道にはそれを止滅させる具体的手だてが壁観としてあることが大きな違いである。
 報怨行が説かれるのは奇異な感じもするが、古今東西、卓越した人は一方で聖人と崇められるが、他方で宗教集団や権力から弾圧される。達摩は国家からの庇護がなかったばかりか、「譏謗を生ず」とあるように、主義主張を持つ宗教者から非難や迫害を蒙ったようだ。『続高僧伝』によれば慧可は道恒禅師から深く恨まれ謗悩され、曇林と共に賊に臂を切られている。そういう現実の状況において「甘心忍受して都べて怨訴する無し」はなんと具体的な教えであろうか。自ら怨を受けた曇林が「是の如くに物に順うとは、譏嫌を防御し<42>」と要約するところに達摩の教えが生きかたにおいて血肉化されているのを見る。寒山拾得のような飄々とした「物に順う」様ではなく、緊迫した社会状況での柔軟な対応としての順物を窺わせる。
 随縁行はともすれば人が陥る我慢と我愛から免れる道だ。勝報・栄誉も高徳の僧ほどついてまわる。実際に仏陀禅師は随帝によって嵩岳少室山に寺を作ってもらい僧実は国の三蔵(国師)となっている。人は「世の人長に迷て、処々に貪著する」といわれるように、現世での優れた生活(勝報)を願うからこそかえって苦しむ。そのような貪著をどう終息させていくのかが随縁行として説かれている。禍は過去世のせいにしても栄誉や成功は自分の力だと思い込みがちだが、実はたいてい生まれたその時、知慧・容貌・財産は決まり、宿縁としかいいようがないのだ。貪名利養は宗教者の大きな罠でもあるが、ここでも壁観において我を空ずることによって、自我中心的喜びを「著せざらしむ」ことが求められている。
 禅の問題性の一つは他者の問題が抜け落ちてしまうことにある。即心是仏にはなかなか他者が入りようがない。心が仏だといわれるところから、悟って随処に主となれば何をしてもよいという誤解も生まれる。それは『楞伽経』や『大乗起信論』による「心」の教説によるところが大きい。しかしながら達摩には、「安心」のほかに「心」の特別 な用法はない。心にも何度か言及されているが、「此の心の生ずる時」「心に増減なし」などで、普通 に心(チッタ=こころ)という用法を出ない。
 むしろ達摩にとって他者は大きな問題である。達摩は「法は衆生無し」と法と衆生をきっぱり区別 する。しかし道を行ずる主体と他者は切り離されない。ともに衆生だからである。そして称法行は衆生である自分が実際の生きかたにおいて法のようになることである。法には他者も自分もないから、それが衆生においては具体的に自己と他者の問題になる。どのようにか。たとえば布施行は、法が「法体は惜しむことなし」といわれるように、我とか他者とかの差別 を離れているから、無我の行として施される物、施す人、施される人の三つの執れを離れる(三空)ことが求められる。これは他者との関係性において到達されるよりほかない。私の如法の行が衆生を巻き込んでいくのである。それが「但だ垢を去らんが為に、衆生を摂化して、而も相を取らず。此を自利して復た能く利他とす」といわれるような社会的生きかたであり、六度が言及される所以である<43>。このような思想ゆえに武帝との「無功徳」の問答が創作されたのだろう。無功徳というのは拒絶や虚無ではなく、仏道を荘厳する在り方なのだ。人間にとって功徳がないからこそ、人間(衆生)の入らない「法」に称う道なのである。
 ところでこのような達摩の坐禅と仏道をだれが間違いなく受け取ったのだろうか。禅の伝灯は慧可だというが、『楞伽経』によっている慧可の思想はまったく違うように見える。道育は不明である。『楞伽師資記』は達摩を二祖とすることで的をはずし、『伝法宝紀』には「余伝を案ずるに、『壁観及び四行』を言う者有るは、蓋し是れ当時の権化一隅の説にして口迹の流いの或いは採■する所なれば、至論に非ざるなり」との書き入れがあって「二種入」を無視している。道宣は「(達)摩は虚宗を法とし、玄旨幽■」とはいうものの、その習禅の論をこう締めくくる。「考うるに夫れ定慧の務めは諒、観門に在り。諸論の陳ぶる所良く明証たり。斯に致を通 ずる也。則ち乱を離るるは定学の功、惑を見るは慧明の業。双輪の遠く渉る若く、真俗の同遊に等し。所以に(慧)思、(慧)遠は清風を振るい、(僧)稠、(僧)実は華望を標す」。要するに定慧離れる以前の達摩の壁観を何も理解しなかったのである。曇林だけが筆受として梵語に詳しかったために誠実に師の法の片鱗を伝え得たのかもしれない。

 


1柳田聖山、『禅の語録1 達摩の語録』筑摩書房、1969
2柳田聖山『人類の知的遺産 ダルマ』講談社、1981. (講談社学術文庫、1998)
3「二種入」は『少室六門』中の一文書の呼び名である。これは『続高僧伝』の達摩の説とほぼ一致し、二入四行論といいうる内容であるが、曇林の序には「大乗入道四行」とあり、朝鮮本は安心法門を含む語録を添えて「菩提達摩四行論」とし、柳田聖山氏の『達摩の語録』は朝鮮本より長い語録を含む敦煌本『二入四行論長巻子』を「二入四行論」としている。そこで混同を防ぐためここでは「二種入」とする。
4T5, 1000b
5松本文三郎氏はこれを同一人とするが(『達磨の研究』69頁)、きらびやかな建造物に嘆息して歌詠讃歎し、連日「南無」と唱えたのは浄土系の人であろう。年齢の一致は道宣が『洛陽伽藍記』と曇林の『四行論』という二つの資料を合わせて菩提達摩とした結果 と考えられる。なお柳田聖山氏も(『ダルマ』113頁)村上俊氏も同一と見ている(「訥弁の達磨」『禅文化』158号87頁以下)。
6T50, 550b
7『続高僧伝』巻第十六(T50, 550bc)
8もう一人『高僧伝』に「■賓に於いて達摩比丘従り禅要を諮受す」と伝えられる『達摩多羅禅経』と関係する達摩があり、これも道宣が達摩を一五〇余歳としたことに関わってくるかもしれない。なお『歴代法宝記』(八世紀末)では菩提達摩多羅となっており、チベットではすべてそれを受けている。また『伝法正宗記』(1061)には「初名菩提多羅、亦達摩多羅と号す」とある。
9『続高僧伝』では西域が取れて、婆羅門国王の第三子が婆羅門種に変わるなど若干の変更がある。
10序の本文は、序の内容からして「二種入」だけだと思われる。このことは『楞伽師資記』でも『続高僧伝』でも明らかである。
11『続高僧伝』巻第二十(T50, 596c)
12『金剛三昧経』の理入説は「二種入」にかなり近いが元暁の『論』は「理入者、順理信解、未得證行故、名理入位 在地前」とあって、理論という意味に誤解している。
13智遠(T50, 556a)
14僧達(T50, 552c)
15曇遷(T50, 571a)
16慧命 (T50, 561a)、曇遷(T50, 571a)、道昂 (T50, 588a)、曇栄(T50, )
17智金皆(T50, 570b)、智周(T50, 580b)
18慧思(T50, 563b)、智金皆(T50, 570b)
19慧命(T50, 561a)、灌頂(T50, 584b)
20『国訳一切経』第一巻85頁102=S22: 5−6 同様な教えが103−153まで続いている。参照雑阿含11911
21『国訳一切経』第二巻362頁11999=S.22 : 56 −2
22スッタニパータ4章5章は最も古い経であることが定説となっているのに対して、はじめの三つの章はそれよりも遅い成立とみられる。
23スッタニパータ723と724の間の長行(中村元『ブッダのことば』岩波書店130頁)
24ただ、初期のものには説かれない。雑阿含第三因縁誦12077には止観という語が見えるがパーリの並行経はない。中村元氏によれば止と観は別 々に原始経典においてもかなり遅れて成立したもので、仏教特有の要語であるという。(『止観の研究』36頁以下、1975, 岩汲書店)   
25『続高僧伝』巻第十六(T50, 557c) 
26唐代の智巌による『華厳孔目抄』で真如観・唯識観などとともに壁観が十八種の応病施薬の施設とされる(柳田聖山『達摩の語録』30頁)のは、すでに壁観が面 壁の意味で禅宗の伝統となっているのを踏まえた宗派的教相判釈ではなかろうか。
27小畠宏允、「チベットの禅宗と『歴代法宝記』(「禅文化研究所紀要」第6号、161頁)
28柳田聖山、『禅の語録1 達摩の語録』30頁
29柳田聖山 『ダルマ』(講談社学術文庫)104頁以下、170頁以下
30摩訶衍の「波羅蜜義」には「観察せぬ状態に入った時」、真に六波羅蜜が成就されると説く。(『大乗仏典・敦煌2』292頁)
31柳田聖山氏の『達摩の語録の「理入」の説明に『註維摩経』などが引かれて、これが中国の思想表現であると説かれる。
32『高僧伝』巻第三十六(T50, 343c)
33『二入四行論』58 (『達摩の語録』217頁)
34行入は「中下根の為に施設したもの」で「第二義門」だという解釈がすでに禅宗の片寄りである。(柴野恭堂、臨済禅叢書1『達摩』92頁、東方出版、1941)
35達摩の伝記で「聞きて皆暁悟す」とあるのもその意味である。
36三祖道信の書も「入道安心要方便法門」という。
37柳田氏は四行を「世間との妥協であり、壁観を完全なものとする条件であったとみてよい」(『ダルマ』182頁)とするが、私には、むしろ壁観からおのずと出てくる生き方だと思われる。
38釈法期は十住観門を修したが最後の第十師子奮迅三昧を得られなかったという。(T50, 399a)
39『二入四行論』19に「今、若し法の仏法僧に依って行道する時は、善悪好醜・因果是非・持戒破戒等の見有ることを得ざれ。若し人、是の如き計こうを作す者は、皆な是れ迷惑し、自心現量 するのみにして、境界の自心より起こることを知らざるなり。……若し人、戒を破り殺を犯し、淫を犯し盗を犯して、地獄に堕するを畏れんとき、自ら己の法王を見れば、即ち解脱を得ん」とある。(『達摩の語録』105頁)
40このことはすでに『二人四行論』の19にのべられている。
41柳田聖山氏の『達摩の語録』の報怨行の説明(41頁)「人間万事塞翁が馬」もそういう思想である。
42柳田聖山、『禅の語録1 達摩の語録』25, 26頁
43ここは新約聖書マタイによる福音書5章44, 45節を想起させる。

(禅文化研究所紀要 第24号掲載。1998年12月発行)