人々の海へ(90日間世界一周)
§1序
なぜ旅に
1990年春、私は鬱のまっただ中。山水庵で自炊する力もなく、京都のマンションに仮住まい。うつうつと3ヶ月、ちっともよくならない。午前中は床から起きれない。こりゃ、もはや入院せねばなるまいか、と悲痛な覚悟を固めていた時、「ピースボート世界一周!!」の広告を、いつもしんどい時にほっこりさせてくれるマスターのいる自然派レストラン「ウッドノート」で見つけたのであった。
90日も船に乗って、100万を切る?うーん、こりゃ、入院するよりずっと安い。決めた!!
なんと一晩でしっかり決心して翌日には申し込んでいた。即断即決のわたくし。
で、仕事は?他の用事は?なに、もし病院に入るとしたら、どのみち仕事もできない。ええい、休講を頼もう。入院したと思えばそれまでだ。そして10月のある日、仕事にいく途中、居眠り運転で自損事故。車は廃車に、私は無傷。
ああ、やはり、これはなんぞある。私はこんな生き方をしようと思っていたのではない。この生き方は間違っている。大学の非常勤講師という、いとも哀れな薄給の仕事の為に、遠いところを危険を犯してまで行くことなどない。この際、もう研究者なんてやめてしまおう。そして旅で新しい生き方を見つけよう。そう思って、もはや仕事は辞めますといって、 10月下旬出発の世界一周へと旅立ったのであった。
もっとも、ただで辞めたのではない。せっかく長年、研究をしてきて何も残さないで止めるのも少し淋しいではないか。そこで大急ぎで『古仏道元の思惟』をまとめ、出発前日にそれを恩師らに郵送して船に乗ったのだった。
この船に乗ってから12年目。ピースボートのはじめての世界一周だったから、湾岸戦争に遭遇したから、この航海についての書物はたくさん出ている。友だちも出したはずだ。だけど、私のところには何も一冊もない。本を溜めない主義の私はすぐ本を人にあげてしまうし、サイン本などはいつしか無くなっているので当然なのだ。私の中に他人の本の記憶はほとんどないから、12年目の航海記を書いてみてもいいのではなかろうか。
またもや湾岸戦争が始まろうとしているからだ。
ピースボートに乗るに際して、なんの準備も下調べもしなかった。そもそもこちらは海に飛び込んでも、下船して行方不明になっても良かろうと乗ったので、まことにピースボートにしてみれば心がけの悪い、危険な乗客だったのだ。そういうでたらめな向こう見ずな私ではあった。なんでも飛び込んでみるものである、どぼんと。気がつけば私の人生のキャンバスはフワ−ッと広がっていた。