九章ハルマゲドン

 矢をつがえてはピシッと射る。

佐弥可は怒っているのだ。ピシッ、ピシッと射られる矢を真己はじっと見ていた。

的に矢を抜きにいった佐弥可がやっと気が晴れたというように、真己に話かけた。

「この矢は鷹の羽根でできているんだ。ほらここに縞があるだろう。翼の模様だよ。こういうのを作る鷹が急に減っているんだ。この矢とお茶の時の羽箒とおんなじ鷹の羽根だよ。お茶の時引き杓というのがあるだろう。あれは弓を引くのと同じような感じの動作だよ。親指を回すとき弓を引き放つようにやるんだ。日本の弓はいいね。大きくて大好きだ。インディアンの弓は馬上から射れるように短い」

 真己は矢の羽根に触ってみた。それはきれいに整えられて滑らかな肌触りで、いかにも風と相性がよさそうだった。佐弥可の身の丈を越える弓は漆がぬ ってあり非常に精巧にできている。指で弾くと琴の弦のように鳴った。

「気分、収まった?」

「うん、やっとね。でも、どうしてみんなは犬や猫の身になってやらないのかなあ」

「きっと、それだけの余裕がないのでしょう。まだ」

「まだって、犬や猫は今現在生きているんだよ」

 佐弥可はむっとしながらいった。

彼女は神戸の地震救援ボランティアたちと犬のことで喧嘩して帰ってきてしまったのだ。緑は学校が始まるまで神戸に残るという。

 佐弥可の犬や猫も人間と平等に扱おうとする思いはみんなの人間優先の考えとはどうしても一致しない。佐弥可には人権思想というものが、そもそもわからないのだ。どうして人権か、犬や魚や石に権利はないのか、そう佐弥可は思う。人権なんて人が生きることだけを考える。だが、佐弥可にとって人間とは特別 な生きる権利をもっているのではなく、逆に崇高な目的のために命を賭けうる存在なのだ。

 自由に死ねる、それだけが動物と違う人間の特性ではないか。排他的に人間が生き延びることばかりを考える人権思想は佐弥可には微温湯のような我慢ならないものだった。人の権利のために、どれだけ動物たちや植物たちが犠牲になってきたことか。

 真己はこのごろやっと佐弥可の言うことが頷けるようになってきた。佐弥可は畑の草を抜かない。馬と共に生きてきた民族にとって草はいのちだ。馬のいのちだ。だからそれを殺すようなことはできない。草を抜かないと作物が育たないように思うがそうでもない。冬の枯草はマルチの役目を果 し、作物が発芽するのを助ける。夏は蒸散を防ぎ直射日光から守る。作物も草の中で負けまいと頑張る。だから小粒ではあるが、しっかり濃い味の作物ができる。自然のままですべてはうまくいくのである。

 早春の林の中に入れば、落ち葉と苔だけの清浄な世界で草一本生えていない。夏にはそれぞれの草が花をつけ蝶や虫を育て、秋には木の実が鳥を呼ぶ。

そのままですばらしい世界である。

 ふいに佐弥可が茶目っけのある笑顔でいった。

「今日は肥汲みやって、お風呂をたてよう」

「えっ、肥汲み?」

「そうだよ、真己さんにも手伝ってもらうよ。自分のものは自分で始末しなけりゃあ。うちの肥えは臭くないよ。EM菌を使っているからね」

 真己は正直いって、ああいやだと思った。他のことならともかく肥汲みは随分と抵抗がある。でも考えてみれば、下水やバキュームカーができるまでは、誰かが肥汲みをやっていたのだ。肥汲みがなくなってから五十年と経たない。えい、やってみるか、と観念した。

 北側の東司の横のマンホールの蓋が空けられた。うっすら白い膜のようなものが張っているが、汲み始めるとただの黄色い液体だけになった。固形物はないし、あんまり匂わない。バケツに汲み出す番とそれを畑の横の肥溜用の穴に入れる番と交替でやった。肥汲みは実際やってみるとなかなか面 白いといってもよかった。バケツを運んでいると汗が噴きでてきた。

 単純な労働は気持ちがいい。すっきりさせる仕事をしているのだからすっきりするはずである。こんなささいなことで真己の世界が少し開かれたような気がした。肥汲みをしながら、お風呂を焚いている。じゃんけんで勝ったので真己から先にお風呂にはいった。春の夕暮れにお風呂に入るのはなんと気持ちがいいことか。月がもう上りはじめた。少しかけた十六夜のお月さまだ。夜の明るさがだんだん変わることもここに来ての大発見であった。満月の夜の衝撃は今も忘れられない。煌々とした光を浴びてしばし東司に行くことも忘れた立ち尽くした。

 翌日、名古屋に帰って東京の地下鉄にサリンガスが撒かれ、十名死亡、千人以上が病院に担ぎこまれたというニュースを知った。次の日テレビをつけるとオウム真理教の施設が一斉に強制捜査をされ、毒ガスマスクをしてカナリアをもった捜査官が上九一色村の施設に入っていく様子が放映された。

 次の日曜坐禅会に行くと、この前やってきたオウムの男性がまた来ていた。床に生けてある水仙の横で神父はいつになく暗い顔をしている。

 水仙のすがすがしい薫りの中で午前中の坐禅は始まった。

 食事が終わった後で神父はいった。

「浅野君、今日はひとつ君からオウムのことを聞かせてくれないか。大変なことになったものだね。坐禅も大事だが、せっかく君がきてくれたのだから今日はゆっくりオウムのことをお聞きしたいね」

「僕も、話したいことがあるんです。今、世間では憶測で色々なことがいわれていますから、僕の知っている事実とオウムに対する気持ちを聞いて欲しいと思います」

 いろりの周りに皆が集まった。浅野はこう語り出した。

「僕がオウムに関わったのは八七年からです。ヨーガに興味があったんだけど、別 に超能力に引かれたわけではありません。ヒマラヤ・ヨーガということで興味をもったんです。精神世界というか宗教を求めていたわけで。オウムから出されている雑誌を見て、麻原もケイマ石井女史もいい顔していると思ったのです。奥さんだって柔和な感じだし彼の子供達もいい顔して載っていました。家庭的なあったかい雰囲気があった。

 それで道場にいって話をしたら、麻原はよく僕の気持ちを分かってくれました。一緒に修行しようと励ましてくれました。けっして威圧的ではなかったし、大きくて優しい人だなと思いました。特にその頃麻原が言っていたことは、仏教のいろいろな宗派はどこも本当に修行していない、経典や仏教学はあるけど、だれもそれを実践していない、実践しているのはここだけだ、ということです。僕もその通 りだと思いました。他の新宗教も教えはあるけど修行がないものが多い。僕は麻原は言行一致しているから本物だと思いました。

 入ってからもみっちり修行をしましたよ。修行の体系がきちっと整えられている。そういう意味ではやはりどの宗教よりも優れていると思いますよ。日本のどこに本式の修行をしている教団がありますか。禅宗の僧堂だって資格取りのお寺の子供ばかり行くでしょう。ここだって日曜だけ、みんなで坐るのは。生ぬ るいですよ」

「それは違うよ」と悠道がさえぎった。

「ここは禅寺ではなくあくまでカトリックの庵だよ。禅寺はちゃんとやるよ。僕達は接心の時は一日十四時間坐禅した。五日間連続だ。毎月五日間ちゃんとやっていた」

「本当ですか。知らなかったなあ。何人位でですか」

「二十人から三十人かな。出家した雲水だけではなく在家の人も参加してましたよ。もちろん僕達はどこにも広告は出しませんし、こんなことしているなんてまったく宣伝しませんからね」

「今でもその接心はやっているんですか」

「もちろん。ただ僕の庵では一日十時間だ。僕の主義としてあまり無理はしないんだ。仏教は苦行じゃないからね。それにオウムは若い人ばかりだろうが、僕はもう五十六だしね。でも友達の寺では十四時間坐禅するところもあるよ。剛君、この前きていた光道っているだろう。あいつはふらふらしているけど、やるときは一日十四時間の接心を一週間もやる。アメリカのミネソタに指導にいっている友達もそれくらいやっているだろう」

「私も毎日朝五時からの坐禅会にいっています」と、アレックスが口を挟んだ。

「外国人がたくさん行っている禅修行の道場は小浜にも岡山にもありますよ」

「へえ、そんなに修行する仏教徒もいるんですか。ふーん」

 浅野はちょっと言葉に詰まった。

「ええ、そういう所はあると思います。でもそういうとこの老師って威張っているじゃあないですか。威張っているのではないかも知れないけど、すぐ行って会ってくれるわけではない。僕は一度京都の禅寺にいったことがあるんですよ。そうしたら出てきた人にまずどういう知り合いかって聞かれました。初めてだ、といったら奥にいって聞いてきて、今日は用事があるから会えない。また電話して都合を聞いてから来てくれっていわれました。敷居が高いですよ。

 それに正式に坊さんになろうとしたら、大学にいくことが前提でしょう。大学出てないとすごく長期間修行させられるし、寺に入れば僕ら若い者は結局年よりの面 倒ばかりみなけりゃならない。本当の修行なんかできないでしょう。だいたいが寺の師弟が優先されて本当に自分の意志で出家した者はすごく居心地が悪い。そしてとにかく師匠や兄弟子のいうことには絶対服従だ。ものすごい権威主義ですよ。

 僕が麻原に好意をもったのは、かれは絶対に自分を特別なものだとしなかったことです。彼は自分は弱くて奥さんや子供を捨てられない、生活の為の仕事も捨てられない、その中で本当の解脱を求めたといっています。自分を弱い人間だ、とか劣等感のかたまりだとかいう。そしていろいろなことに苦しんでいたが、修行を成就するぞという気持ちだけでそこから抜け出たと、すごく正直にいう。彼には権威を誇ることも、奥義を秘め隠すこともなかった。横並びの感覚で、こんな弱い彰ちゃんでもここまで解脱できたのだから、みんなだってできるよと励ますわけです。

 じっさい僕も最初から彼を偉い人だとは思わなかった。ちょっと不潔な人ではないかと思ったら、彼自身、私は不潔な人間だったから我身は不浄だという教えがよく分かったというんです。彼は上から引っ張るのではなく、下から押し上げるような教え方でした。僕達、全然大人を信用していないんです。高校でも大学でも上の人たちは先輩風を吹かせなかった。むしろ教授たちなんか下らないんだというふうにいっていた。じっさい下らないと思いましたし。

 そういうのに比べると麻原は自分の体験から自分の言葉でものをいっている。しかも非常に正直に。どう修行したのか、どういう本を読んだのかみんなあっけらかんと書いている。そして道場に行きさえすれば一万円かそこらですぐ指導を受けられる。そんな便利なシステムって新宗教でなければ既成宗教にはないでしょう。

 なんだかこのごろの報道では麻原は絶対君主のようで、美女をたくさんはべらせているハーレムのように言われますがそんなことはないんです。むしろ、麻原自身は、弱いみなと同じ人間だといっていたのに、麻原のシャクティパットでクンダリニーを成就した連中が彼を偉大なグルに担ぎ挙げたのです。弟子たちのほうが先に麻原に絶対服従していったのです。それでだんだん彼もその気になっていったんでしょう。

 それと、オウムに引かれたのは、オウムは現世利益宗教ではないということです。麻原はオウムだけが日本で初めて現世利益でない宗教を説いたといっています。それに世間では消費文化とスポーツとセックスばかりじゃないですか。麻原はそれを批判します。そういう生き方が悪いカルマを積むのだというのは本当でしょう」

「おいおい、ちょっと待てよ。それは麻原や君達が宗教のことを何も知らないからだよ。鎌倉時代の祖師といわれる人はだれも現世利益なんか説いてないよ。僕達の老師だってまったく現世利益なんて説かない。現世も来世も自分の利益なんか説かないよ。それに比べたらオウムなんか在家にはこの世の幸福を説くじゃないか」と悠道が口を挟んだ。

「在家と出家に違うコースがあるのは当然で、サキャ神賢、いや仏陀も両方説かれているじゃないですか。ピンディカ長者は祇園精舎を布施して天界に生まれたというし、在家が幸せに暮らし来世に良い世界に生まれることを阿含経典はよく説くじゃないですか。

 それに僕は出家したんだ。出家するときはこの世の金銭やすべてを捨てる。そして修行に集中する。修行とワークですけどね。とにかく自分の現世的な利益の為には生きないようになる。それは麻原自身がそうだった。彼は自分だけが最終解脱をしても多くの苦しむ人がいるかぎり、幸せではない。自分の犠牲によって他の人を救うこと、それが自分の使命だといいました。そしてじっさいたくさんの信者にシャクティーパットをやっている時、彼は非常に苦しそうでした。はたで見ていても、彼の犠牲でたくさんの人が救われるのだと思いましたよ。

 人を救う、それにかける姿に引かれたんです。既成宗教は現世利益を説かないというけどキリスト教はどうですか。麻原が福音書の話しをするのは、終末予言ということもあるけどイエスが人々の病気を治した、それが自分の活動と同じだと思ったということです。そうでしょう。だけどいまやキリスト教は病気癒しの奇跡なんてしないじゃないですか」

「あ、まって。キリスト教は今だって人を癒していますよ。聖路加病院とかバプテスト病院とかいっぱい病院を経営しているし、浜松には日本で初めてのホスピスもあります。ただ、イエスがやったようなやり方は現代ではできないから、現代医学で人を治すわけです」

 思わず真己はキリスト教を擁護していた。

「現代ではできないって、キリスト教にはやれる人がいないんでしょう。ところが麻原はシャクティパットや他の修行法でじっさいに何人も治しているんです。そしてもちろん現代医学も使います。オウムにも病院がありますし、いろいろなところで現代科学の粋を使っていますよ。ただ現代医学だけに頼らないということです。あなただって現代医学の限界とか問題性はお判りになるでしょう」

 そういわれると真己は反論しようがなかった。実際彼女の常時の腹痛と時折の頭痛は病院で薬をもらってはいるがいっこう良くならない。

「それから彼の今の世の中に対する批判は一貫していました。あらゆることですよね。教育も政治も宗教もなにもかも腐敗していて金のことしか考えない。金まみれの日本だって。僕も実際そう思いましたよ。だからそういう悪いカルマを積んでしまう現世から出家したわけです」

  剛が懐かしそうな目をして言った。

「僕ね、オウムの雑誌に、学校と塾に通い大学で遊び結婚して三十で昇進し四十でマイホ−ムもって、あとの人生はその支払いの担保にとられて敷かれたレールを歩くだけ、これが人生か。これが普通 だと思うのはマスコミや教育でそうマインドコントロールされているだけだ、でもそれでは物足りない。

 退屈で仕方ないから酒やカラオケ、レジャー、買い物などを楽しんでいるのだがその渇きはけっしてなくならない、この渇きを癒すにはその根元を断ち切らないといけない、内面 の満足感があれば酒やカラオケなど不要だと書いてあるのを読んでその通りだと思いました。まったく僕の気持ちにぴったりだったんですよ。自分自身を変えることこそ人生の意義だと思ってオウムのヨーガに通 ったのです。この先輩も素晴らしい内面の満足感を話してくれましたしね」

 浅野はそれを引き取って言った。  

「そう、そういう教え自体は今でも間違いだとは思わない。僕にはいまさら金儲けとかマイホームとか考えられない。でも上田君がいったことは出家の原点ではあるけど、オウムにはさらに奥があるんだ。悠道さん、オウムは在家に現世利益を説くというけど、あなたは出家や修行できない一般 の人のためにいったい何をやっていますか」

「何って特にやっていないけど托鉢にいった時、おばあさんなんかに相談を受けたら話を聞いてあげたりしてますよ」と悠道はちょっとひるんで答えた。

「自分の修行だけに専念しているのはヒナヤーナですよ。麻原は解脱したら他の人の救いの為に働くべきだといった。そのことば通 りケイマ大師や奥さんである大師はシャクティパットを麻原に代わってやっています。それでも僕達は教団の人だけがよくなればいいとは思いませんでした。麻原は九〇年の衆議院総選挙に出たでしょう。それを宗教と政治は違うのではないか、といって批判してオウムを離れた人達があります。でも僕はそう思いませんでした。

 麻原は自分の教団のことだけ考えていたわけではない。現代世界の状況を非常に心配していました。ヨハネ黙示録を解説したのも、大きな世界の流れを彼が考えていたからです。彼は観念で生きてる人間ではない。有言実行の人です。だからオウムに入った人達だけではなく、多くの人を救うために本気で衆院選に出たのです。僕もたしかに具体的にこの世の人々を救う必要があると思いました。

 今の日本は教育がまるでなってなくてロボットみたいな人間をつくっているし、自衛隊があったりで政治は腐敗しているし、エゴ剥き出しの世の中でしょう。だからもっと精神的なことに重点をおき、人々の本当の幸福、障害者の福祉や老人に生きがいを与えたり、さらに現世だけじゃなくて次の世によい世界に生まれる徳を積むことができるような幸福な世界にしたいと共鳴しました。当時はそのためのワークを一生懸命することが僕の生きがいだったのです。雑誌の編集ですけどね。僕のワークの中心は。

 地下鉄サリン事件が起きてからマスコミは麻原について、東大を受験しようとしたのは政治家になろうという野望をもっていたので、その権力志向がああいう形で出たのだとか論評しています。でもね。実際に政治が腐敗しているとき、それを批判ばかりしていて何になりますか。具体的に実際に変えるとしたら、もっとも合法的なやり方が選挙に出ることじゃないですか。そう思いませんか。

 僕達は一方で世間のみんなを具体的にどう幸福にするかを考えていましたが、何もないところから急にはできません。だからそのひな型を僕達自身で作ろうとしました。シャンバラ化構想、つまり理想的なコンミューンですね。衣食住から修行、医療、研究施設の整ったオウム文化の村の建設です。そこに具体的な幸福な世界を築こうとしたのです。みんなお布施を一生懸命してワークをして本当に一生懸命でした。みな自分達でやったのです。僕達は若い者が多くて専門家ってほとんどいないから、ちょっと毎日が文化祭の準備やっているような雰囲気でした。

 それなのに『サンデー毎日』に「狂気の宗教」として報道されたんです。一方的な報道ですよ。麻原は社会はこうやってマスコミによってマインドコントロールされて一つの見方しかできなくなるって、本気で腹を立てていました。それから坂本弁護士事件があり、その頃から彼はグルである自分への帰依、自分への奉仕としてバクティ・ヨーガを強調するようになりました。

 バクティ・ヨーガって何かというと結局オウム真理教を広く紹介するためのビラ入れとか本やビデオの作成とか、まあ後輩の修行の指導もしますけど、中には医療だとかマハー・ポーシャというパソコン店などの仕事とか要するにオウムの仕事をすることですよ。自分の修行じゃない。特に選挙の時はすっごくワ−クをさせられました。みんなものの見事に落選しましたけど。

 選挙に負けましたよね。僕はそれをやっぱり僕らの思い込みというか、僕らが甘かったんだって思いました。世間の人は僕らが思っているようにはオウム真理教は素晴らしいなんてぜんぜん思っていないんだって。非常にくやしかったけども、僕は本当に良いものは、必ずしも多数の人に支持されるわけではないから、もう選挙とか考えないで地道に修行の宗教でやっていけばいいと思ったんです。

 ところが麻原は急に石垣島セミナーというので人を大勢集めた。今にして思えば麻原は選挙の時ものすごく傷ついた。日本国民いや少なくとも東京の一部の一般 住民に非常な怨嗟の念をもってしまったのだと思います。せっかくみんなの幸福を願っているのに俺達を否定したなって。

 彼は宗教の世界では成功してきたと思っている。いくらお金をばらまいたかわからないけど、ダライ・ラマと友人になりカール・リンポチェと面 識を得、ブータンの国王からも立派な修行者として認められている。スリランカから仏舎利をもらってロシアでは大宗教者の扱いで政府の要人とも話している。世界が認める偉大な宗教家・麻原の誇りが、日本の大衆によって打ちのめされたんです。冷静に考えれば、そういう時は少し身を引いて反省するはずですよ。どこがいけなかったのかなって。だけど麻原はそれをまったくしないで、自分の考えを最高として突っ走っていった」

「うん、それなんだがねえ」と神父が口をはさんだ。

「麻原氏はいったい何をしたかったんだろう。どうもわしには分からんのだ。マハーヤーナというのが出てきたのは、どうもヨーガや小乗の教義だけではものたりない、そういうところがあったのだと思う。

 しかし彼はまじめに大乗仏教をもとめていたわけでは全くないんだ。本当に一つの経典すら読んでいない。百巻近くある大正大蔵経の阿含部はわずか二巻だ。すこしでもまじめに大乗仏教を考えたなら何か読まんはずはない。それをしないというと、いったい麻原氏は何が物足らなかったのか。何がしたかったのかと不思議に思っていたのだ。

 わしは先日、彼が選挙に出た時の「マハーヤーナ」誌を読んでみてびっくりしたのだよ。彼は外国、アメリカ、フランス、チベットやインド、ロシアに行ってきて何を見たか。宗教家でなくともインドなどに行けば、日本は経済的に富んではいるが精神的に貧しいとまず思うものだ。わしもつくづくそう思うし、みんながそういう。

 ところが麻原氏はなんと日本は経済的に貧しい、国民総生産は高いけれど物価が異常に高いので主婦は大変だろうという。どこにも精神的に貧しいといっていない。だから選挙ではだれでも豊かで暮らしやすいそういう社会の建設をうたっている。

 だが彼はそういう現世を否定して出家をすすめたのではなかったか。いったい彼は何のために出家を勧めたのか、考え着くところは、宗教による神聖政治だ。

 もう一つ気になったのは彼がすごい民族主義者だということだ。なんと「太陽の末裔、神国日本」といっている。西洋の物質文明に汚されない精神の英知が日本にはあると。わしのように戦前の教育を受けた者にはピンとくる。大日本帝国という発想だ。

 今サリン事件で逮捕されたり、名前の上がっている連中はみな何々大臣という呼称がついている。彼は国家を目指したんだ。世界を制覇するような国家をね。パロディとして笑うべきではない、それがわしの結論だ。

 そういうもくろみをもって始めた運動が現実化を目指した時、手ひどく挫折した。浅野君がいうように冷静に客観的に判断すれば、そういう構想が間違っていたという結論になり、撤退するはずだ。

 だがね、これが日本帝国軍隊とそっくりなのだ。二次大戦で負けが見えた時、いやなに始める時から負けは見えていたのだけどもね、見える者には。まあ明らかに負けが見えた時日本軍は何を考えたと思う。徹底抗戦だ。勝ち目があり得ないのに自分達の構想を貫徹しようとした。それには絶対的名目がいる。天皇だよ。天皇のために死のうと。天皇がいないような日本は無い方がいいと。特攻隊という発想はここから出てきた。ついに原爆が落とされるところまで彼らは懲りなかったんだ。どんなに南洋で兵士たちが無残に死んでも。沖縄が徹底的にやられても、どんなに国民が焦土の中を逃げまわっても。

 わしはこの話しになると涙を抑え切れん。その天皇制を批判することができずして、戦争責任をうやむやにしている人達が、何がオウム真理教批判か」

 そういって神父は鼻水をすすりあげた。

 真己はふっと前のルベンを見た。

と、ルベンが優しく見詰め返した。静かなえまいがこぼれた。

 真己は慌ててうつむいた。フワッと体が上気してくる。

「ああ、なるほど、そういわれれば僕も少し分かるような気がします」と、ややあって浅野は続けた。

  「九〇年以降のオウムのあり方が。麻原は石垣島のセミナーでハルマゲドンが近いことを強調した。彼がいうにはハルマゲドンの後でアストラル界へ向かう魂と地獄に行く魂への分離が始まるだろうが、この状況において生き残ることは非常に難しい。オウムはまったく無力だけど自分たちを守らなければならない。オウムはこれからどういう守りの態勢に入るかというと核戦争や細菌攻撃、毒ガス攻撃から私達の身を守らなければならない、そのためには二千人位 収容できる施設、核や細菌、毒ガスを防護できるシェルターを作らなければならない。どうかみんなこのオウムに入って私達と一緒に生き残る道を確保してほしいって。

 だけどそれは選挙の時、言っていたこととかなり違います。私はオウムは社会との関係においてもう少し反省するべきだと言ったんですが、それに対して麻原は非常に怒りました。一般 の人達はマスコミなどから悪いデータばかり入れられており、こちらがよいデータをいくら出しても受け入れようとしない。そういう欲望にまみれた世界がハルマゲドンで滅亡の危機にあっても仕方ないのだ。よいカルマをもったものはオウムに来る。だからできるだけ多くの人をオウムに導くのだ。そして修行させて解脱させるんだといい、僕の意見を一蹴した。

 その怒り、それに僕は非常に恐ろしいものを感じたんです。それからです。僕が麻原に距離を置くようになったのは。

 麻原は、シヴァ神は破壊の神、ヴィシュヌは慈愛と創造、ブラフマンは維持だといわれるが、彼のシヴァ神は三位 一体だといっていた。僕は麻原自身もそうだと思う。信徒に向ける顔、あるいは家族に向ける顔は慈愛に満ちている。だから彼は優しい人です。じっさい色々信徒の悩みを聞いていましたし、幹部にも信徒たちの相談を快く聞けと指導していました。それは教団の維持のためでしょうか。そう彼は教団の維持にとても熱心です。でもその同じ顔が邪魔をする者に向けられた時、破壊者の顔になる、それを垣間見てしまったのです。

 それから教えの質が変わった。タントラ・ヴァジラヤーナということを強調しはじめ、みんなが救われるのではない、悪業も状況次第ではよいことがあるといい始める。そのあとハルマゲドンに関する書物を矢継ぎ早に出しました。『人類滅亡の真実』『ノストラダムス秘密の大予言』とか。

 九一年の秋に出た『キリスト宣言』には僕も呆れてしまいましたよ。それが『キリスト宣言・PART4』まで出ましたからね。ハルマゲドンと迫害される宗教、それが麻原が聖書に引き付けられた理由です。仏教とキリスト教はハルマゲドンを説くことにおいて一致するというんですから、いくら僕でもおかしいと思いますよ。またイニシエーションに薬物を使いはじめた時、解脱ってなんだろうと疑いはじめました。そして最近では神父がいわれた特攻隊と同じようなことをやっていたわけです。

 僕達はマントラで「人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。しかし、わたしたちはその死を超えることができる」って何万回もいうんですよ。で、一緒に死のう、というあの放送に行き着くんだ。そのころ逃げ出そうとする信者を閉じ込めるようなこともしていた。

 でも僕は出家していたし、帰るところがあるわけではない。それに今の社会はオウムよりも下らない社会だと思っています。方向がどっかで捩れてしまったけど、欲望を捨てて多くの人の魂の救済のために生きるというのはやはり最高の生き方だとやはり思います。どう考えたって欲望を追求するだけのような今の社会はおかしいし、他の宗教もある種の欲望追求だけでしょう。麻原は宗教にだまされるな、とよくいっていましたよ」

 神父はうなづきながら言った。

「それはそうだ。しかしねオウムだって、この世と同じシステムではないかね。たくさん布施したくさん修行した人がステージを上がっていく。そのステップ・アップをゆるすのは麻原氏だ。これが管理教育とどれほど違うかね。オウムはやはり幸福の科学と同じように教理を学んでテストがあって進級するわけだろう。とにかく頑張るようにといっているらしいね。頑張り病ということではこの社会と一緒だ。そのむちゃくちゃ頑張ることが善悪を考えずに教祖の言いなりになるということになっちゃたんじゃないのかな。

 これから裁判でいろいろ明らかになり裁かれるだろうが、特攻隊と同質の破滅に突っ走る思想そのものは裁かれない。その思想こそがわれわれ日本人の精神的体質として考えねばならぬ 問題なのにね。

 で、オウムと社会がひっくりかえった構図になったのが毒ガス攻撃ということだ。麻原氏は波野村などでオウムバッシングを受けて自分たちが国家権力から弾圧されているという思い込みから、さらに今の国家が粛清をおこなってもっと統治しやすい地球を作ろうとしているという妄想にまでいく。それを裏返してサリンを撒いたのだろうね。攻撃は最大の防御だと思って。で、君は麻原氏がいうハルマゲドンに対してどう思ったかな」

 夏木は浅野を見詰めていった。

「麻原の予言はわりあい当たっていました。だからまったく馬鹿げているとは思いませんでした。僕は生態系とくに人間の人口が増えることによる食物連鎖の行き詰まりや環境汚染とかエイズみたいな病気でやはり地球の人口の四分の一位 は死ぬようになると思っています。ただ麻原はそういう原因ではなくユダヤのフリーメーソンとかそれに操られたアメリカが核戦争を始めてそれで戦争のために皆が死ぬ といっていました。だけどそんなことソ連の崩壊で冷戦がなくなったから現実味がないでしょう。フリーメーソンの暗躍だなんて時代錯誤だと思いますよ」

「うん、そうか」といって神父は続けた。

「このごろ多くの宗教がハルマゲドンとか世の終わりの日が近いとかいうだろう。韓国でもそんな新宗教があって、その日に何も起きなかったから解散したね。エホバの証人も昔一九七五年がその年だと大々的にいっていたのだが、その年に何もなかったのでたくさん信者がやめたそうだ。

 サリン事件で世界の終末などということをいうのはこの頃はヤバイことになった。逆に世界はずっと続くから宗教なんて危険なものに近寄らないで気楽に楽しく生きたらいい、という風潮が起きてきているような気がするんだ。だがね、麻原氏のいってきたことは馬鹿なたわごとじゃないんだ。むしろ現代社会の正確な陰画だ。マスメディアによって全員がマインドコントロールされているというのはその通 りだし、麻原氏のゆうように現世利益をいう宗教に騙されるなというのもその通りだ。

 剛君がいっていたレールの敷かれた人生ということも本当だ。ところがオウムはそれを指摘してその上で同じことを自分もする。信者をマインドコントロールして、マニュアルで管理教育し、宗教で騙す。ハルマゲドンだけが自作自演だとはいえない。しかしね、彼は真理を語ってはいないが、三分の理はあるとわしは思うのだ。

 報道によるとオウムは信者に「外は毒ガスでいっぱい」と思わせていたそうだ。事実は自分達の作った毒ガスや毒物が漏れ出て内部の人にいろんな症状が出ていたらしいんだが、わしはむしろ「外は毒ガスでいっぱい」というのを笑う人の方がおかしいと思う。

 だってこの頃は赤ちゃんの半分以上がアトピーだというじゃないか。春になればたくさんの人が花粉症になる。花粉は本来は毒ではないけど生態系が狂ったから花粉がたくさん出たり、人がそれに敏感になったりする。それにオウムだけが毒ガスを撒くわけではない。われわれが毎日毒ガスを出しているんだ。暖房でガスや石油を燃やす。車を走らせる。それで温暖化を促進する二酸化炭素や酸性雨のもとになるNOxやSOxを撒き散らしているんだ。

 世界では今や五百基の原発が稼働している。事故以外でもどれだけ毎日放射能を出しているか。「外は毒ガスでいっぱい」という感覚はむしろ正しいのではないかな。それと核戦争だ。日本は戦争放棄をしているから戦争なんて起こりっこないとみんな思っているかもしれんが、現に核弾頭は何万発もあるし、その管理がロシアではひどく杜撰らしい。核兵器はどこに流れてどこで使われるかわからんという方が真実なのだ。

 ねえアレックス君、君の国では戦争についてどう思っているのかな」

「僕の国、スイスはご承知のように永世中立国です。国と国との同盟はいつ破られるかわからないというのが僕達の国が学んだ経験です。だからどことも安保条約を結ばない。だけどそれは僕達の国に戦争はないとか侵略されないとかを保証するものではない。人間は浅ましい。むしろいつ侵略されるか分からないと思っています。だから国民皆兵です。成人した時半年位 訓練を受けて、その後も何年かおきに二週間位兵役訓練を受けます。銃や飯盒、水嚢は各家庭にちゃんとあって有事の時はすぐ全員が戦える態勢です。

 僕達の国は小さくて他の国に囲まれている。だからスイスが狙われたのではなくても核戦争になったら被害が及ぶことが当然予想されます。だから僕達は核シェルターをもっていて国民全部が避難できる用意があります。もちろん侵略戦争は絶対しません。美しい山と湖、それにおいしいワインとパンがあれば外に何がいるでしょうか」

「それからチーズ」と佐弥可がいった。

みなどっと笑った。

「いや、笑いごとじゃないよ」と神父も笑いながらではあるがいった。

「スイスのような態勢こそ自衛隊なんだ。日本の自衛隊がこの前イラクに送られて、今はシリアのゴラン高原にいる。他国に出向く自衛隊なぞあるものか。

 いっぽうではいつ敵になるかわからないアメリカの核の傘にはいっているから安全だという。冗談じゃないよ。アメリカの基地が沖縄や日本各地にあるからこそ他の国々がアメリカと対立した時に真っ先にたたくのは日本の基地だ。中国だって韓国だってロシアだってはるか遠いアメリカは狙わないよ。それにいつアメリカが日本を狙うか分からない。いま経済摩擦でアメリカの対日感情は悪化している。そして戦争はいつでも経済破綻から起こるんだ。何が安全保障なものか。

 オウムのような信徒一万の小教団でさえ国家を威した。大国がたとえば宇宙ステーションから核爆弾で他の国全体を威すことなど簡単なことなんだ。いままで戦争をとめられなかった人類が軍備の撤廃などまったくできない状況で第三次世界大戦を避けられると思うほうがおかしい。軍備の費用だけみれば日本は世界一だ。

 自分の国にどれだけの兵力があるか若い人は何も知らずに平和だ平和だといっている。その一触即発の危険を各国の要人が知っていて、共同で人工衛星を打ち上げて地球外に生命を存続させることを本気で考えている。マンガだってみなこの世界終末戦争を描いている。終末戦争、ハルマゲドンのビジョンを見れない人のほうがおかしいんだ」

 ルベンがすぐにそれに応じた。

「私も文明がそういう危険な方向にいっていることを承知しています。けれども個人の力があまりに無力なことを私はイスラエルで思い知らされました。あそこはスイスとは違う意味で女性にも兵役がある国民皆兵国です。実際にパレスチナの人との紛争に直面 して何もできなかった。

 私も私の属する宗教も。どうしようもないんだ」

 彼は苦悩に顔を歪めた。

 みんな沈黙してしまった。重い空気が流れる。

「わしは麻原氏は世界没落体験をして、自分がメシアだという途方もない妄想を抱いてしまったと思うんだがな。フランスにノストラダムスの原本を調べに行ったというじゃないか。そんなこと酔狂でできるわけがない。麻原氏は本気で間近い終末戦争を信じていたのだと思うのだが。どうかな」

 神父は浅野に聞いた。

「さあ、両方じゃないですか。本気でもあるし、それを利用して皆の恐怖心を煽ってオウムに入信させようとしていた面 もあると思います。戦争になったら予言が当たったことになるし、戦争などなかったらオウムの力だ、自分にとってこんなに嬉しいことはない、とも言っていますからね。今年に入ってからは、潔く死のうなんてこと書いていますから集団自殺でオウムにだけ終末戦争が訪れる予定だったかもしれない。それくらいのことはやる人ですからね、麻原は」

「ふーむ、そうか。実はね、私も終末のビジョンに取り付かれているのかもしれない。戦争じゃないが、原発を若狭湾は十六基も抱えているだろう。もうじき、もんじゅが本格的に運転に入る。わしはその原発が事故で吹っ飛んで放射能がこの琵琶湖に入り、京阪神の人が水不足や放射能汚染で死んでいくことを本気で心配しているのだ。

 終末戦争ってみな未来に考えているかもしれないが、わしは十分にもう終末戦争を経験してきたような気がする。兵隊で南洋にいた時は食糧も水も尽きて本当に地獄だと思った。ユダヤ人にとってアウシュヴィッツなどの体験は、まさに終末じゃなかったかな。多くのカンボジア人にとってもね。

 まだ来るのかという感じなのだよ、わしは。まだ地獄を見ねばならぬ かと。原発の大事故が起こればわしたちの心配が本当だったということになるが、それでは困るのだ。なんとか起こらずに廃炉にしてほしい。反原発の運動をしているのも幼子たちが真っ先にやられていくビジョンを見てしまうからなんだ」

 夏木は火箸で炭を寄せながら、背を円くしていった。

「オウムは地獄の映像をバルド−の体験とかいって見せますよ。その死後の地獄の恐怖のためオウムをやめられない人がたくさんいる。僕はこの前ここに来させてもらったおかげで踏ん切りがつきました。マハー・ポ−シャの店長だったから簡単に雲隠れできたんですけど、辞めていて本当によかった。残っていたら他の人のことを考えて自分だけ抜けるということはやりにくかったと思います。それに僕は地獄とかをリアルに考えていたわけではないから、そういうことで苦しむことはなかった」と浅野が俯いていった。

 残してきたオウムのメンバーを案じていることがありありと見えた。

「そうか地獄ねえ。どうもわしは死後世界のこととは思えん。この世こそ地獄じゃないかなあ。その辺は若い人と意識のずれがあるのかもしれん」

 神父は首をふっていつになく暗い顔をした。

「虚無という地獄もあるんですよね」と真己がぽつりと言った。

「そうなんだ」

 ルベンは深い溜息をつきながら相槌を打った。

 浅野も無言でうなづいている。

 深い沈黙がみんなを訪れた。

 真己が慈光庵を辞そうとした時、助手席のルベンが声をかけた。

「この車に乗っていきませんか。アレックスのいる寺は京都駅の近くなんです」

「ありがとうございます」

 真己はどぎまぎしながらちらっと佐弥可の方を見た。彼女の目がキラリと光ったような気がした。

 ルベンの後ろに座っているだけで、真己は安らかな幸せな気持ちだった。彼の背中は大きくてあったかい。日本の男ってどこか母親に対するような姿勢を見せるけど、この人は全然違って大人の優しさ頼もしさがある。ふと真己はてをのばして彼の背中にすがりつきたい思いにかられた。

 三人はほとんど黙ったまま車を走らせた。

 大原の山々は薄緑にけむりポカリ、ポカリと夢のように白いこぶしの花が咲いていた。  車を降りるとルベンがいった。

「よろしかったらさ来週の土曜日もお送りしますよ。何時に着きますか」

「四時頃ですが」

「じゃあ、改札口で待っています」

「まあ、そうですか、じゃあお言葉に甘えて」

 ホームへ上る真己の足はとても軽かった。