八章 架け橋
日陰にはところどころに雪が残っている。薮椿が赤い花をたくさんつけている道をみんなはゆっくりゆっくり歩いた。夏木神父は、これはベトナム僧ティク・ナット・ハンから習った歩く瞑想だよといった。日差しはさすが暖かい。時折大きな枝が折れている。雪の重みに耐えかねたのだ。茶色の枯草の下からみずみずしい新芽が吹いている。横の渓流はさらさら、さらさら軽快な音を立てて雪解け水を流していた。
「本当に春の小川はさらさらいくのねえ」と真己は佐弥可に話しかけた。
「うん」と生返事をしながら佐弥可は何かに目を光らせている。
「あ、あった。ふきのとう」 あたたかい日だまりの崖にふきのとうが浅緑のかわいい顔を出していた。よく見ると枯草のあちこちにふきのとうはあった。くるっと捩ってとる。ぷーんと春の薫りがする。真己と佐弥可はそのかわいい春の使いを両手にいっぱい取った。
さらに登っていくと大きな杉の木があった。佐弥可はそっと近付いて自分よりよほど太いその木を抱きしめた。神父を見ると、その杉に向かって合掌しているではないか。
「えーっ」 真己は急に不快になった。禅はなにものをも拝まない、神としないからやっているのに、木を拝むとはあまりに行き過ぎだろう。それではアニミズムになってしまう。あるいは汎神論だ。それとも神道とも習合してしまったのかしら、神父さまは。これはついてはいけないわ。
真己は黙ってその場を離れ、一人で歩き始めた。悠道が後を追って来た。
「あんなこと、禅宗でもするのお」と真己は憮然としていった。
「いや、しない。『而今の山水は古仏の道現成なり』という言葉はあるけど、拝まないよ、僕は」
そうきっぱりいってから「でも光道はさっき合掌していたなあ」と付け足した。
光道は悠道より少し先輩の雲水で全国を放浪していて、時折慈光庵の坐禅会にも現れる。
「私はけっして物を拝んだりしないわ」
「うん。拝むのと合掌とはちょっと違うかもしれない」
「どこが」
「坐禅する時、合掌してからするだろ。食事の時だって合掌するじゃないか。あれは何を拝んでいるの」
「ああ、まあね。私は手を合わせているだけだわ」
手をぶらぶら振って真己は自分の気持ちをなだめた。
やがて、みなが追い付いてきた。
「ああ、あの松も枯れ始めた」と神父は前方を指さした。大きな松の葉先が茶色にかれている。
「あそこも」と佐弥可も左手の松の方へあごをしゃくった。
「おそろしい勢いで自然が破壊されていくなあ。この山でも去年は松茸は五本とれただけだ。毎年毎年目に見えて減っていく。これだけ松が大きくなるのに何年かかったか」
神父は大きな松の木をいとおしそうに見上げて慨嘆した。
小高いところに出ると点々と枯れた木が見える。葉をすっかり落としてまるで骸骨のように無残に立っている。よく見ると松だけでなく杉が枯れているのもある。
「この木があって私達のいのちがあるのだ。見てごらん。木のある回りに雪はないだろう。木が水を吸っているからだよ。木は大地の水を体に保ってそれを徐々に出していく。葉先から水蒸気が発生して雲ができる。木のない砂漠や大海にはほとんど雲がないし、雨がふらない。水を保っている根の回りにはたくさんの生き物が生きている。幹や枝は虫や鳥の住まいだ。木がなければ雨が降った時、表土が流れ去ってやがて砂漠のようになるのだよ」
神父がそう話しながら真己の方へ目をやると彼女はあらぬ方へ目を向けている。
「真己さん、わしはパウロが伝道した地中海のコリントスやエフェソスへ行ってみたが、完全な廃墟となっていた。壮麗な石作りの建物が崩れ落ちて残っていただけだ。なぜだと思う。周りの森は燃料や建築材としてみな切られてしまった。すると表土が流出して川に入り、やがてその土砂が港も埋めてしまったのだ。だから港湾都市として機能しなくなって滅んだんだ。
エフェソスなどはその川の水が疫病で汚染されてあっと言う間に廃墟になったという。パウロはそれらの都市でまもなく終末がくると説いたわけだが、その都市の住民にしてみれば実際まもなく終末が来たのだ。わしは世界規模の終末の始まりを今、目の前に見ているような気がするのだ。だから大きな木の前にいくと、思わず合掌してしまうのだ。ああ、よく生きていてくださったと」
「ゴルフ場をつくるって、そういう樹木を片っ端から切ってしまう。いっぱい命が生きている森を壊してしまう。狐たち、虫たちは言葉が話せない。だから私は木たちや動物や石たちに代わって、訴訟を起こしている。原告として私はそこの石を裁判所にもっていったよ」
佐弥可が興奮ぎみにいった。
「この世界でね。いちばん悪いのは人間だね。万物の最低だ。わたしは木にも済まない、蝶にも済まないと思ってね」
光道がゆっくり言ってまた合掌した。
そういうものかと真己は思った。そういえば真己の近くの家々に潅木はあっても、こんなに大きな杉や松はない。名古屋の街路樹は夏の間は茂っているが、秋になると落葉する前に、無残に裸にされてしまう。落ち葉で交通 に支障が出ないようにするためである。だから大樹は身近に感じられない。ふうんと思ったが、プロテスタントであった真己には木への合掌はなじめないものだった。
「いつか、こんなこともちゃんと話したいね。こういう思いは実は佐弥可から学んだんだ。佐弥可の生命力、直感には非常に深いものがある。生きられた直感であって観念ではないからね」 と真己をなだめるように神父がいった。
歩きながら剛が悠道にきっぱりいった。
「僕、もうオウムには行きません。この前連れて来た人もオウムを出ていきました」
悠道は何もいわず、何度もうなづいた。
母屋に帰ってくると入り口に沈丁花が馥郁と匂いたっていた。
午後の提唱がはじまった。
「今日は麻原氏のキリスト宣言やシャンバラ計画の話しをしようと思って用意していたのだが、さきほど悠道さんからもう上田君はオウムに行かないと聞いたから止めだ。上田君、オウムで修行していた分を存分に仏道修行でやってほしいね。
残念なことだが、日本の仏教は本式の修行をすることをほとんど忘れてしまっている。臨済宗ではまだ真面 目な修行の伝統が残っているらしいが、曹洞宗では本山に行く者はたいてい資格取りだ。お寺のぼんたちが半年位 行くのが大半だ。剛君はこれからはオウムのようには多くの人と一緒に修行できるわけではないから厳しいだろうが、一人が本当に目覚めるのは、すごいことなのだよ。無理して頑張ることはないが、前にいったように十年二十年と坐ることが大切だ。
さて、オウムの話はしないといったが、わし自身が気になっているので新宗教のことを少し話したい。わしは麻原氏が初めて福音書を読んで、そこに書かれているメシアは私のことだ、と認識するのに唖然とさせられた。『キリスト宣言PART2』というのでは「人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来る」をギリシャ語と英語で弟子たちに読ませて、無理やりに「人の子が神の権威を有する右手を所有しながら、天人の群衆の上に座って来る」と訳して、シャクティパットをする自分こそここに書かれているメシアだというんだ。
もちろんそれを誇大妄想だと片付けてもよいが、だけどもね、今問題になっている宗教は全部、教祖がメシアだと自認している。統一協会の文鮮明は自分こそメシアだというし、GLAの高橋信次は真のメシア、エル・ランティ−であり、それを継承した幸福の科学の大川隆法も自分を再臨の仏陀あるいはキリストだというし、エホバの証人ではキリストはすでに目に見えない形で再臨しているという。
いや日本だけではない。ブランチ・デビディアンでも教祖はメシアだと自称していたし、インドのサイババも過去世はキリストだったという。そして福音書に偽キリストのことが書いてあるのを皆彼らは承知しているんだ。読んでみよう。マタイによる福音書二四章二三節以下だが、
「そのとき、だれかあなたに『見よ、ここにキリストがいる』、また『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起こって、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。」と。
麻原氏は福音書のここを引用してこういう。
「これはたいへんおもしろい記載である。つまり、そのとき登場するキリストや預言者たちは、たとえそれが偽物であっても神通 力を有しているのである」
呆れ果てるね。それでお前は偽メシアだ、お前こそ偽メシアだと言い合っている。『キリスト宣言』の帯封は「幸福の科学、大川隆法氏をはじめとする偽キリストたちを粉砕する衝撃の書」となっている。エホバの証人は既成キリスト教に対して敵意を剥き出しにして、これこそ偽予言者といっている有り様だ。
それなのにどうしてみんながこんな奇妙な「再臨のメシア」にだまされるのか。それは仏教やキリスト教が力を失っているからだ。仏教徒は修行しない。キリスト教徒は伝道しない。エホバの証人がどんなに間違っていると言ったって、月に四〇時間以上も戸別 訪問伝道をして週に五回も集会をもっている。キリスト教徒のだれがそんなに伝道しているか、だれもしていないよ。新宗教がはやるのはまったく既成宗教が余りに無力だからだよ。
ほんとうに情けない。大宗教が世俗化してしまい、社会に埋没して社会そのものと区別 がつかない。理想郷というものを宗教は指し示していたのに、もはや既成宗教にはその渇望がない。現世に満足しているわけだ。だから新しい理想郷を掲げて新宗教が登場するのは当然といえば当然なんだ。だけど新しいものに本物を求めるのは至難だね。
理想郷が失われたというのは、共産主義でも同じだ。それがどんな恐怖政治を伴ったか、キリスト教と互角だよ。いや、スターリンの粛正で何百万人殺されたかわからんし、カンボジアではつい最近二百万以上ともいう同胞が殺された。自国内のことは、闇から闇に葬られることが多いから想像を絶するものがある。六〇年代の終わりに起こった世界的な学生運動の挫折以来、実践に足る理想というものが地を払っているから、幻想の理想を掲げる新宗教が生まれざるをえないともいえる。
そして今日歩く瞑想で見てきたように現実に地球の生態系は目に見える形で破壊されていっている。ノストラダムスの予言などなくても、だれしもうすうす地球の未来に終末を感じているんだ。世界の各地の研究所が二〇三〇年位 で人類は存亡の危機を迎えるといっている。ハルマゲドンはエホバの証人のお陰でだれでも知っている。日本でも教祖がメシアだという宗教はみな世の終わりが近いことをいい、そこの信者だけが救われると説く。他にも崇信真光教、阿含宗、モルモン教などがみな終末を強調する。西暦二〇〇〇年に向かってますますこういう傾向が強まるだろう。政治的、経済的な混迷もあって大変な時代だな。
それだけじゃない。既成宗教がこういう状態だから真剣にその宗教の救いを求める者が、かえってそれを失うのだ。真己君がキリスト教に愛想をつかせたというのも、私にはよくよく分かる。そういう時代なのだ。
真己君には、私がいろいろな宗教を混ぜこぜにしているように見えるかもしれないが、そうではないのだ。私はイエス・キリストを私の主であると信じているが、主イエスの外にも真実があり真実の生き方があることを身を以て知るようになったのだ。もちろん主への信仰があれば、他に何があろうと無関係に真実に生きれるだろう。信仰とはやはりその人にとっての信仰なのだから。その人にはキリスト教で十分だということは確かだ。
だがな、わしにはある友人がいた、親友だった。彼は熱心なクリスチャンだったが、やはりその当時の教会の在り方に疑問をもった。現代のクリスチャンといわれる人々はイエスが批判している宗教者の在り方そのものじゃないかとね。また彼は立派な仏教徒に出会って、どうして仏教よりキリスト教の方がいいといえるんだろうと疑問に思った。もちろん信仰は神からいただくもので自分で選んだものではないと、頭ではわかっていた。
ところがある神父の補佐をしていて、聖餐の葡萄酒を用意する時に間違えてグレープジュースを入れてしまったんだ。するとその神父は血相を変えて怒り、彼の顔を平手打ちしたんだ。キリストの血を汚したって。ばかな話だが。それがきっかけで彼は信仰を失った。
それからは虚無的になってとても苦しんでいたよ。結局、彼は自死したんだ。仏教の本をたくさん読んでいたことは、彼の部屋に膨大な仏教の本が残されていたことで分かった。論文も書いていたようだ。わしはそのことを知らないで、何とか彼を再び信仰に立ち戻らせようと祈っていたんだが、何もできなかった。
彼の遺品を整理していて、わしは信仰を失った者の苦しみに打ちのめされた。ユダの苦しみだ。一度はイエスに選ばれたユダなのに、ちょっとしたことで信仰につまづいたユダは自殺するしかなかったのだろうか。
ユダが救われる道はないのか。彼が思っていたように仏教はもうひとつの真実の道ではないだろうかと、わしは彼が残した宿題を負うはめになったのだ。彼は仏教を知的に求めたのだが、実践しようとはしなかったようだ。だが仏教は実践から出て来る知恵の宗教だ。修行がなくては学問だけではけっして仏教の真実に触れることはできない。
わしはその道を求めて禅宗の門をたたいた。もちろん彼の残して行った書物によって仏教の学問もかじった。広大なその思想に引かれていったし、坐禅も修行した。だが、これだという確信に到達しない。
そんな時に悠道さんの師匠にめぐりあったのだ。この出会いが決定的だった。仏道を生きている実物に会った。宿なし興道と呼ばれた方だが、寺をもたず妻子をもたず、移動式叢林といって全国を坐禅指導して歩いておられた。彼の生きざまに私心はなにもない。仏道のために仏道に生きている、その実物があった。その方にお会いしたとき、おのづと手が合わされた。生まれてはじめて、わしは人に対して合掌していたのだ。その方の教えによってそれまでの自分の仏道修行は間違っていたとわかったのだ。なんとか自分で納得のいく手ごたえを求めていたんだが、そういうものではないんだ。
わしはね。キリスト教でいけるものはキリスト教でいいと思う。それで十分なのだ。ただ、キリスト教につまづいた者には仏道というもうひとつ別 な道があることを示したいんだ。だからこの慈光庵ではキリスト教のことはいわない。わしは二重の人格を生きているようだと自分でも思うよ。東京にいったらカトリックの神父だ。キリスト者として説教し活動する。ここでは禅の提唱をやり坐禅をする。だからこの庵では仏道の話だけをする。わしは自己矛盾は承知だ
。仏教とキリスト教はまったく違う救済だ。その間には深い断絶がある。淵がある。容易には超えられない淵だ。わたしはその淵の上にあえて身を投げ出して、人に渡ってもらおうと思っているのだ。
でもな、今わしは大きなジレンマを感じている。カトリックでは一九六五年の第二バチカン公会議の時、諸宗教を認めて対話路線を敷いた。それはカトリックだけが真実だとするよりはよほど良いことではあったが、ミイラ取りがミイラになるような現象も起きている。特に仏教でも禅宗との接近で、坐禅に熱心な神父がたくさんあらわれた。カトリックにはもともと瞑想の習慣や、聖化という教えがある。つまりプロテスタントのように信仰だけというのではなく、行いにおいても完全な者になること、完徳を修道僧は目指す。だから修行し瞑想することは、修道院ではあまり抵抗なく受け入れられた。とりわけ禅の場合、仏や神を拝むわけではないからね。
日本は禅の深い伝統があるから、わしだけでなく、たくさんの神父が坐禅をしている。そしてまたプロテスタントの学者でバルトの下で学んだ人が、仏教とキリスト教は同じものとして成り立っていると言ったりする。そういうキリスト教界の状況だが、それに加えて日本にはもともと宗教混淆の伝統がある。日本というより東アジアといった方がいいな。日本では平安時代にはもう仏教と神道が本地垂跡説というのを立てて習合していったし、中国でも宋の時代には道教と儒教と仏教の三教一致が広く説かれた。
どの宗教でも結局は同じことを説いているという考えはかなり多くの日本人がもっている感覚だ。一番基盤にあるのは中国などと同じ祖先崇拝だが、その上になんでも簡単に受け入れてしまう。キリスト教は排他的一神教だから、なかなか日本人に馴染みにくかったが、いまや結婚式を中心に風俗の一つになりつつある。十字架なんてはやりのアクセサリーだ。
こういう中で神学者たちも対話を重視するようになった。これは良い面 もあるが、他面で世界的な宗教混淆の風土を作り出してしまったように思うのだ。日本だけでなく世界的に新宗教は混合宗教だ。奇妙なことだがオウムは「宗教に欺されるな」という特集で新宗教や霊能を批判するが、仏教やキリスト教は批判しない。幸福の科学も『間違いだらけの宗教選び』で批判しているのも新宗教だけだ。オウム真理教と幸福の科学はまるで昔の革マルと中革の対立みたいに、宿敵としてお互いを批判している。近親憎悪だな。その両方にキリスト教と仏教は受容されているんだ。またベトナムのカオダイ教とかインドのラジニーシやサイババなど世界の新宗教がほとんどキリスト教も仏教も取り入れた混合宗教なのも何かしらわしらに少しは責任があるような気がする。
だがな、はっきり言うが本当の宗教者、たとえばゴータマ・ブッダやイエス・キリストは伝統宗教の宗教批判者であり、決して宗教の融合を説いたのではない。それは日本でも道元や親鸞は三教一致を激しく批判したことでもわかる。反対に中近東のマニは四世紀頃仏教とキリスト教とゾロアスター教を混合したマニ教を創始し、一時はアウグスチヌスも信じたほど広範囲に広がったが、それはまもなく滅んでしまった。特に仏教とキリスト教は世界観も救済原理もまったく違うのだから一致するわけはない。だが正反対といってもいいほど対照的だから、逆に両方とも真実でありえるのだ。
歴史的に見ればキリスト教と仏教とイスラム教は世界的規模の大宗教ではあるが、実はどれも本当に救われる者は少ないのだ。どれも全ての人の救いを掲げて伝道したり布教したりするのだが、本当は容易ではない。イエスは「招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」といい、ブッダは覚った時、「この法は深く微妙であるから説いてもだれも理解できないだろう」と布教を諦めようとしたと伝えられる。
どうして難しいか。わしは思うんだが、かれらは同じような時代に生まれた。つまり貨幣ができて初期資本主義が始まり、都市文明が農村を侵食する形で広がって、腕力の強いものだけではなく貨幣を多く手に入れることのできる者が武器を調達することによって他国を征服するような時代に生まれたのだ。イエスとブッダの中間頃の時代に地中海から北インドまでを征服したアレキサンダー大王の軍隊は大部分傭兵だった。つまり金のために兵隊になった者たちの軍隊なのだ。近代はその帝国主義的侵略にキリスト教が加担したわけだからどうしようもないが、イエスやブッダははっきり貨幣と権力に否をいったのだ。だが現代は貨幣が第一でそれに権力が付随しているような世界だ。それが科学技術というメフィストフェレスと結託してしまった。貨幣と科学技術から離れる生き方はほとんど不可能だ。
だから現代にほんとうの仏教やキリスト教で生きるのはとても難しい。特にキリスト教は難しい。今の破滅に向かっているような文明を推し進めて来た一翼をキリスト教自身が担っているからだ。たとえばヒューマニズムだ。平等・博愛・平和といってもそれは人間だけの平等であり平和だ。もちろん科学の世界観と神という観念は相入れない場合が多い。天は神が在ますところではなく宇宙船で飛行できる空間になってしまった。もっとも少し前は奇跡と科学は相入れなかったが、最近は「気」というものが注目されてそうでもないようだね。
そして実はわし自身、キリスト者でありながらキリスト教の限界のようなものを感じているんだ。それは佐弥可に啓発されたことが多い。わしの中でも人間中心主義や文明への批判がどこかでキリスト教批判になっているんだ。わしはイエスのようにはラディカルに生きれないからなあ。だから自分がイエスに従っていないという自己批判なのだが、パウロの人間中心主義にも大いに反発を覚える。
ところが仏教とは人間主義の核である自我、それを放下することだし、一衣一鉢一処不住を理想とする徹底した文明批判の生き方がある。だから皆が一衣一鉢のような狩猟採集生活をしていた時代には仏教もキリスト教も必要なかったんだ。現代の先進国はこの都市文明が極限にきてしまっている。色々な意味で人間の危機なのだ。だから自分達が滅ぼしてきた土着の宗教を見直されなければならなくなっている。
わしは思うんだが、キリスト教は弱いもの、貧しいもの、素朴なものに易しい宗教だ。それに対して仏教はやはり修行できる力のあるもの、強いもの、賢いものの宗教という側面 を強くもっている。すると仏教を修行するのが大変な人々にはキリスト教がいいし、キリスト教を批判してしまうような強いものには仏教がいい。あるいは行動的な人はキリスト教が向くし、静思が好きな人には仏教が向く。もちろん行動的な仏教も日蓮宗のようにあるし、静思的なキリスト教も黙想型の修道会のようにあるけれどもね。ただわしには少なくともキリスト教の限界だけは切実に分かる。今、欧米では真面 目な若者でキリスト教に反発している連中がnたくさんいる。そして、その限界ゆえキリスト教を飛び出してしまったとしても、それでも本当のものに至る道は必ずあるのだ。欧米人も今、チベットやスリランカ、ベトナムの仏教を熱心に学んでいる。キリスト教から仏教への深淵はきっと渡れるのだよ。
真己君。君が求めているものは確かにあるのだよ。とにかく一緒に歩こう。今度からすこしづつ道元のものを読んでいこう。坐禅を行じることと、読んで思索すること両方が必要なのだからね。なにを読もうかね。道元のものは言葉がむずかしいね。そうだ『生死』を読もう。あれは比較的読みやすいからね。じゃあ、きょうはこれまでにしよう」
真己は夏木の言葉に確かな光りを見たように思った。少し前は神父は剛のことしか考えていないかと恨んだりしたが、私のこともほんとうに考えて下さっているのだ。
でもまるで不思議だ。私と同じような悩みをもって自殺した友達を夏木神父が持っていたなんて。千載一遇のこの光りを道しるべに歩いてみよう。
やわらかな春の光りの中で、久しぶりに真己の心にもひとすじの光明がさした。
午後の坐禅を真己は気を入れてすることができた。坐禅をしている時間は、ほんとうになんにもしていないのだが、一番充実している。坐ってよかったと思う。とにかく夏木神父がちゃんと真己を見ていてくれるということが嬉しかった。
坐禅が終わると佐弥可がにこにこしながら甘酒をよそっている。
「あら、佐弥可さんご機嫌なのね。何かあったの」と真己が聞いた。
「うん、ルベン兄さんが日本に来たんだ。今、京都の友達のところにいるんだって。あした、ここにくる」
「まあ、いいわね。随分久しぶりに会うんでしょう」
「うん、十年ぶり。すっごく嬉しいよ。真己さん泊まっていきな。紹介するよ」
「いいのかしら、わたしもいて」
「ああ、いいよ」と神父が向こうで答えた。
「悠道さんたちもよかったら泊まっていったらどうかな。ルベン君に合わせたいね」
「僕は、ちょっとやることがあるから帰ります」と剛が言った。
結局、真己と光道が残った。
翌日の昼過ぎ、佐弥可が飛び出していったら、遠くから車が上ってくる音が聞こえてきた。
真己たちが後から行って見ると車がやってきたところだった。助手席からがっちりした背の高い男が降りてきた。と、佐弥可は駆け寄って二人は抱き合った。
佐弥可は十七歳で別れた時からびっくりするほど変わった。髪を真ん中から分けお下げにしていることは昔のままだが、華奢なかもしかのようだった体は、引き締まってはいるがすっかり成熟した女になっていた。ルベンは何べんも佐弥可をまじまじと見ては抱きしめた。
「すっかり、大人になっただろう。ルベン君」
二人をにこにこ見ながら神父は握手を求めた。
「ええ、想像してはいましたが、ほんとうにすっかり大人になって落ち着いているのでびっくりしてしまいました」
「うん。佐弥可は驚くべき早さでなんでも良く学んだ。日本人以上に日本人だよ。
ところで、こちらは吉村真己さん。今坐禅会にきているのだが、大学でキリスト教を教える先生だ」
「はじめまして」真己がお辞儀をして目を上げると、ルベンが少し目を細めて真己を見詰め、にっこりほほえんだ。
「はじめまして。ルベンです。しばらく日本にいるつもりですのでよろしく」
流暢な日本語だ。やさしい実にいい笑顔の方なのだなあ、と真己は見詰め返した。青緑の目にふさふさした茶色の髪と口髭を蓄えている。
運転席から降りてきた男は繊細そうな白い透き通ったような肌をしており、アレックスといった。スイスから仏教の勉強に来ている留学生で、京都のお寺の離れに住んでいる。そこにルベンは居候しているのだった。アレックスと光道が紹介された。
佐弥可は嬉しそうにルベンを母屋に案内した。
里山の春はやや遅い。床には、開き始めた白梅の枝が挿してある。
佐弥可は今日は濃茶を点る。
今朝二人で作った白豆の茶巾包みのお菓子が出された。茶碗には五人分の茶が汲まれ、しゅんしゅんとかすかにたぎる湯が注がれて、茶が練られた。
正客は光道、そしてルベン、アレックス、真己、詰は夏木である
。静かな早春の午後、つくばいの水の音だけが聞こえる。
光道がまず飲んで、ルベンに渡した。渡しながら「全員で飲むのですから、三口ほど」とルベンにささやく。
ルベンはずっと驚いた様子で佐弥可を眺めていたが、ちょっと首を傾げてからお茶を飲んだ。彼は正座がちょっと苦しそうだがアレックスは平気だ。彼はお茶を習っていて、慣れた手つきで茶を飲み、真己に手渡した。真己には濃茶ははじめてだったが、まるで聖餐式そっくり、同じ入れ物で全員が飲むなんて、と思った。
どろっと濃いお茶をゆっくりいただき、夏木に送った。
こんな静かなひととき、いい方々と共にいる、これこそ安らぎではないだろうか。夏木やルベンたちの話しを聞きながら真己は思った。