赤く黄色くだんだらの錦を着た山々を眺めながら真己は森の庵に向かっていた。ウーワンと犬のほえる声がして茶色の犬と佐弥可が林から飛び出してきた。
「散歩してたよ。もう来ると思った」
「ここを歩くの、とても気持ちがいいですね」
上り坂ですこし上気した顔がにっこりする。
「こういう日暮れはすっごくいい」
佐弥可と並んで歩く。晩秋の夕暮れをのんびり歩くだけで真己はやってきた甲斐があったと思う。そらはだんだん茜色に染まり、やがて薄紫に変じた。浜松にだって夕暮れはあるのにまるで別世界のようだ。庵につくと、期待していた抹茶は出ないで、お番茶が出された。
「休んだら、お風呂に水いれるの、手伝ってくれる。そのもんぺはいて」と佐弥可がいう。慈光庵では4日と9日にお風呂を沸かすのである。井戸から水を汲みバケツで風呂場まで運ぶのは、かなり重労働だ。真己は一つのバケツをよろよろと運んだが、水が足にかかって靴下が濡れた。佐弥可は両手にバケツをもってうまくバランスをとってさっさと運んで行く。
「まきでお風呂焚けるかな」
「いえ、焚いたことないんです。やり方、見せてください」
佐弥可は松の枯落ち葉を風呂釜にくべ火をつけた。ぱちぱちと勢いよく炎が上がる。松の枝が投げ込まれ、そこに十分火が移ってから割った太いまきが二本交差するようにくべられた。
「これでつくと思うけど、十分くらいしたら見て、まきを入れたくれるかな−」
「やってみましょう」
風呂釜のあたりは暖かい。もう師走の風はかなり冷たかったので手をかざしながら真己はくれなづんでいく山を見ていた。まきを入れると火勢が落ちる。あわてて松の枯葉をほりこむとぱっと火勢がついた。炎は生き物のようにおどる。しばし見とれながら生きた火というものを忘れ去っている現代の日常生活が味気ないものだと改めて感じた。いろりといい風呂といい火を起こすのはいいなあ。
まきで焚いたお風呂はぬくい。おきが残っているからいつまでも少しづつ暖まってくる。旅と水汲みで疲れた身をゆったり風呂に沈めていると、なんといういい香り。薪の香りかしら、それとも風呂桶の香りかしら。なんだかとても贅沢をしているような気分で真己は満ち足りて風呂から上がった。
玄米と野菜の煮物だけの簡単な夕食が並べられたが、食べる前に佐弥可は小皿の水を前と左右に撒いた。
「それ、なんですか]
「大地の霊たちにお礼をしたんだ」
「へぇー、キリスト教でもそうやって水を撒いて清めることもありますよ。洗礼式の時なんか」
「うん、神父さまもやることあるけど、時々。私はいつもしてるよ。大地はお母さんだもの」
食事のあと、ほのぐらいランプの明かりだけの中にいると、夜の帳が降りるという言葉が実感された。物音ひとつしない。
「毎日、一人でこわくないですか」
「こわいって何が。こわいのは人間だよ。ここに人間こないから怖いもの何もないよ」
遠くを見詰めるように佐弥可は話はじめた。
「シャイアン人は大人になるとき、儀式があるんだ。わたし、そのイニシエーション十歳の時、受けたよ。馬にのって森の中深く長老たちといくんだ。少し開けたところに大きな木があった。その木のところでなにも持たないで服一枚きただけで、ほって置かれるのだ。まる一日。夜にいろんな動物の声きこえたよ。もし熊が出てきたって、私、なにも守る物もっていない。狼の声もしたな。狼は絶対に人間を襲わないよ。でも、やっぱりちょっと怖かったけど。最初にやってきた動物、私の守護神になるんだ。なにが来たとおもう。ワシだよ。すっごい大きなワシが朝やってきたんだ。おおきく私の上を飛んでいったよ。だから佐弥可はワシは絶対に殺さない。それからね、わたし、一人でいて狼と話したことあるよ。夕暮れに弓で兎を射てもって家に帰る途中で、狼に会った。狼と目があったらついておいでっていうんだ。それでついて行ったら洞穴に巣があって子供が二匹いたよ。入っておいでっていうから入ったんだ。子供に兎を分けてあげたよ。あとでもう一匹狼がきた。そして穴から出ていって鹿の捕り方教えてくれたんだ。ふんが落ちているの、つけていって見付けてそっと近寄って捕るんだ。狼はものすごく鼻がきくんだ」
真己はまるでおとぎ話のようだと思いながらわくわくして聞いた。狼と人間が話しができる、でも佐弥可なら本当にできるような気がした。
「狼はやさしいよ。だけどキリスト教のおかげで狼は悪いものにされて、アメリカではどんどん撃たれて殺されるんだ。聖書ではイエスが「わたしがあなたたちをつかわすのは、羊を狼の中におくるようなものだ」って書いてあるんだ。また偽予言者は羊の衣をきた欲張りな狼だって書いてあるよ。狼はインディアンやモンゴルの民では大切な神様なんだ。口数の少ないおじいちゃんがいっていた。狼のようになれって」
佐弥可は本当にキリスト教はいやなようで、それからは口をつぐんだ。真己はいつか見た映画を思い出して、いった。
「ダンス・ウィズ・ウルブスって映画にでていた狼は白いソックスをはいているようで、あの狼の目は距離をおきながらも親愛の情をたたえていてジーンときたわ」
「狼はいいけど、あの映画のインディアン、ただの落ち武者で情けないよ。本当のインディアン、あんなふうではない。敵に後ろを見せないで、潔く戦うよ。白人が作った映画だからあんなふうにインディアンを弱虫にしてるんだ」
たしかに真己が読んだ本でも、逃げるインディアンなどいなかった。相手が鉄砲をもっていても果敢に、最後まで戦って無念の死を遂げた者たちばっかりだ。
「キリスト教の白人は狼もインディアンも殺した」
そう佐弥可が吐き捨てるのを聞いて、真己も南米、北米、ハワイといたるところで原住民を殺し、その文化を抹殺してきたキリスト教はいやな宗教だと思わずにはいられなかった。重い沈黙が流れた。「キリスト教の人たちだけじゃない。今の日本人、ほんとうにたくさんの生き物殺している。ゴルフ場つくって農薬という毒まいて虫がそれを食べればその虫を食べる鳥もやられるんだ。その水、川に入って魚や蟹を殺す。そして海にいってまた魚や貝を殺す。原発だって五十基も作ってどうする気だろう。吉村さんはどう思う」
「ええ、私ももちろんゴルフ場建設にも原発にも反対ですけど」
「反対して何やってる」
「特に何も」
「だめだよ、それじゃ。仲間がやられているんだから勇気をもって戦わなくちゃ。私は戦う者、阿修羅だよ」
佐弥可はきっとなって言った。
「仲間」という言葉で佐弥可が魚や鳥を指していることは分かった。それらの生類をすっと「仲間」と呼べる佐弥可はすごくすてきな人だ。でも真己には「仲間」ではない。一人暮しで猫も犬も飼っていないのだ。植木鉢の花くらいがせいぜい真己の仲間だった。
「うん」真己はあいまいに笑ってうつむいた。こんな昔ながらの生活をみんながしたら電気も要らないし、ゴルフなんかしようと思わないのに。都市の人間である真己には、原発反対運動なんかするより、こうして現代文明に汚されない生活を学ぶほうがよほど意味があると思われた。チラチラとランプの火を揺らしながら夜が更けていった。
夕べは京都で学会があり、旧友と飲みに行ったので、真己が慈光庵に到着したとき、すでに坐禅は始まっていた。師走も半ばなので素足になるとさすがに堂内は寒い。そっと入って合掌して静かに足を組んだ。呼吸が整ってくると夕べ議論したことが、浮かんでくる。それを追っていると宝珠の形に置いていた手がくづれて親指が離れる。一度離れると自分の指なのにすぐにくっつかない。うろうろ親指をまわして探してやっとくっつける。まわりの静けさに心がやっと静まってきたらチンと終わりの鐘がなった。
立ち上がって部屋を出かかると、新しい人がいた。食事の後で剛が彼女を佐々木緑だと紹介し、ときどきやってくる女子学生だといった。涼やかな目をして髪を短く切った活発そうな女の子だ。食事のあとの作務は今日は水菜の植え替えだったが、緑はとても楽しそうに作業をしてる。母屋の方で拍子木が鳴らされた。いよいよ提唱である。道具を納屋に片付けて、本堂と呼んでいる奥の座敷に集まった。
夏木神父はたくさんの雑誌を横において提唱を始めた。
「まず、最初にオウム真理教のヨーガとここに坐禅の違いを説明しようね。剛君たちはきっと気がついていると思うのだが、ヨーガの坐法と仏教の坐法はまったく違うのだよ。仏教では例えば道元の『普勧坐禅儀』に「坐処には厚く坐物を敷き、上に蒲団を用う」とあるように必ず、座布団か柔らかい敷物の上で坐る。これは坐禅が決して苦行ではないから両膝が痛んだり腰が冷えたりしないためである。それより重要なのはいま坐蒲といっているクッションを使うことである。これは坐禅の姿勢に深く拘わってくる。原始仏典でも釈迦牟尼仏は必ず坐禅草を厚く敷いて坐っておられる。それが蓮花の形に造形化されて仏像ができたのだがね。これが出家修行者である比丘には必需品だったので、在家の布施物の中には草座(koccha)といって吉祥草があった。草を厚くしいてその上に坐具(asana)を敷いて座ったのだよ。インドではたいてい大樹の下にその草を敷いてみな坐禅したのだ。次に座り方だが、『普勧坐禅儀』に「あるいは結跏趺坐、あるいは半跏趺坐。いわく、結跏趺坐は、まず、右の足をもって左のももの上に安じ、左の足を右のももの上に安ず、半跏趺坐はただ左の足をもって、右のももを圧すなり」とある通り、できるだけ深く足を交差させる。すると体の重みはお尻の下の坐蒲と両膝の下の座布団にかかって、非常に楽に座れ、無理な重さがかからないで中心がまっすぐ決まる。お尻と両膝でできる三角形の真ん中に体の重心をすっと置くのだ。すると無理な力がどこにもかからない安楽な姿勢になるのだ。そして「舌、上のあぎとに掛けて唇歯相著け目は常に開くべし」。口をきちんと結んで目を開く。目を開くといってもかっと見開くのではなく、半眼だが、目を開いていることが大事だ。目を閉じるととたんに妄想、空想が働きだす。想いの世界にさまよい出すのだ。坐禅は空想に酔うのではない、どこまでも醒めるものなのだ。醒めるには目を開けていなければならない。
それに対してヨ−ガの坐法はまったく違う。まず下に何も敷かない。これはヨ−ガが苦行、体を操作する行であるからだ。ヨ−ガの基本的坐法は両膝を折り曲げて、踵と踵を重ねて、それを会陰にしっかりと引き付ける。局所を押すのだ。それは安楽ではなく、体に生理的肉体的変化を起こさせるための坐り方なのだ。また目を閉じる。目を閉じて積極的にものを思い浮かべる。マインド・コントロールをするのだ。心と身体を操作して特殊な心身状態を作り上げるのがヨ−ガだ。だからそれをやれば普通とは違う感覚を得る。超能力といっておるがな。
それでわたしは君達に聞きたいのだ。なぜ坐禅をするのかね。悟りたいからかね。超能力といわれるものを手に入れたいからかね。素晴らしい頭脳や素晴らしい肉体をつくりたいためかね。それともそういう人間の欲望をやめにするためかね」
真己はどきんとした。自分は決して超能力など得たいと思わない。そんな力があったからってそれでなんなのだろう。ユリ・ゲラーだって大金持になっただけじゃない。空中浮遊したってそれが何なのだろう。空を舞うことなんか鳥になればだれだって簡単にできるじゃない。でも、悟りたいっていうのは、そういうこととは違うわ。こんな真っ暗な自分を変えたいと思うの。毎日生きるのがつらいこのつまらない自分を止めにしたいの。本当の自分を見つけたいの。でも、それってやはり人間の欲望かしら。生理的肉体的に変わりたいというのは、なぜいけないのかしら。
夏木神父は皆の心を読んでいるように、しばらく沈黙してやっと話しを続けた。
「人間の体を坐法や呼吸法、さまざまな体位でコントロールして常人にはない能力をつける行はインドでゴータマ・ブッダが現れる前にいろいろ工夫されていたのだ。だが、ゴータマ・ブッダはそういう特殊能力を身につけようと坐禅されたのでも悟りを開かれたのでもない。一番大事なことは、自分が何を求めているか、はっきりさせることだ。それを発心という。ゴータマ・ブッダの発心についてはあとで話そう。今は仏教がどういうものとして受け取られてきたかという話をしたい。仏教はインドにおいては他の修行、おもにヒンドゥー教だがジャイナ教などもある、そういう修行とどう違うかということをいつも明確にしなければならなかった。だから思想の面でも行の面でもその違いを区別する学問が発達してきたし、普通の人が間違えないように服装や身なりがちゃんと区別されていた。ヒンドゥー教の行者はたいてい髪や髭を切らない。長髪のままであったり、それを髷にしたりしている。時には爪を切らないままだったりもするがね。そして白い腰巻(ドーテイ)ひとつであったり、オレンジ色のサリーをまとう。ジャイナ教は一糸まとわぬ裸行派か白いドーテイの白衣派だ。ヒンドゥー教でもシヴァ派が苦行を強調して顔に灰を塗ったりする。それに対して仏教は髪と髭を剃る。仏像に螺髪というチリチリの髪形があるが、あれは像をつくったギリシャ系の人が間違えたのだよ。仏典を見ればかならず「鬚髪を剃除し」というのが出家する時の定形句として出て来る。そして袈裟をつける。袈裟というのはケサーヤつまり濁った色という意味だ。目立たないように濁った汚い色にそめるのだ。オウム真理教では紫とかショッキング・ピンクとか紫、白そういう人目に立つ色をそれもつるつる光る布で作るが、まったく正反対なのだ。それも人が捨てたぼろ布をつなぎ合わせて、体を覆う最低限の大きさで作る。そうやって身なりを区別し、思想的な違いもその時代ごとにきっちり明らかにしていった。でも一番間違い安いのは、坐禅の行なのだ。これはゴータマ・ブッダが発明したというわけではない。ヒンドゥー教にもともとあったのだ。先程ヨ−ガの行法として紹介したのは一番よくおこなわれるシッダ・アーサナ(達人坐)だが、結跏趺坐も蓮華坐としてある。オウム真理教では蓮華座のほか達人座など五つあるがね。原始仏典を読むとヒンドゥー教、ゴータマ・ブッダの頃はまだバラモン教というべきだが、そのヒンドゥー教の修行をブッダもやって、それ以上の高い境地に達したという叙述があり、仏弟子もバラモン教のさまざまな境地を体験するように描かれているから混同は避けられなかったのかもしれないな。仏教修行者の中にも超能力を誇るような者もいたのだろう。だから仏教がはじめて中国に入った時、人々が目を見張って受け入れたものは神変・怪力の術だったようだ。超能力というのは民衆は大好きだからね。民衆だけではない、当時の支配者もその力に驚いたようだ。それから経典が翻訳されてそれが間違っていることがわかった。そしてきちんと経典に則った修行が行われたが、修行よりも教えに重心が移り、翻訳とか教義ばかりが精密になってしまい、教えによって宗派ができるようになった。日本でいえば奈良時代の南都六宗だな。それでゴータマ・ブッダが悟った菩提を実存的に悟る者がほとんどいなかった。六世紀ごろになって、やっと教義ではなく、それを実存的に修行する運動が起こった。それが禅宗の始まりなのだよ。達磨さん菩提達磨というのは伝説上の人だがね。
しかし、仏教とヨ−ガの混同は、実はインドでひどくなった。それはヒンドゥー教がとても盛んになってオームという聖音を唱えるヴィシュヌ派などの影響や、呪文による除災信仰の影響でマントラ(真言)が盛んになり、さらにヨ−ガからさまざまな姿勢、手の形(印契=ムドラー)が入って来た。もっとも大きな影響は性愛(シャクティ)信仰で生理的変化を起こすハタ・ヨーガがそれに組合わされる。ヒンドゥー教が基本的に性愛信仰であることはシヴァ神がリンガという男根であらわされ、寺院ではその男根を真ん中に女性性器をあらわすヨーニがかたどられてその中を水が流れていることでも分かる。そのシャクティ信仰が七・八世紀ごろ盛んになって仏教に入って金剛乗密教(タントラ・ヴァジラヤーナ)と言われる一派になった。そしてインドには十世紀ごろからイスラム教が侵入してきたのだが、仏教は不殺生という戒律があるから、武器をもって戦わず、比丘たちはチベットやスリランカなどに亡命して、とうとうインドでは仏教はヒンドゥー教の一派に組み込まれてしまった。どんなにヒンドゥー教の影響が強かったかわかるだろう。そのヒンドゥー教の影響を受けてインドで最後にできた教えがタントラ仏教、その一つを金剛乗と呼ぶ密教だが、その金剛とは金剛杵をもった菩薩からきている。金剛杵はじつはシヴァ神の持物なのだ。密教は中国にも八世紀に呪術と超能力を伴って伝わり、それを日本でも最澄と空海が学んで伝えている。しかし、その密教は『理趣経』を含む『金剛頂経』や『大日経』によっており、性的なイメージはあっても実践まではいかなかった。ところが、チベットに入った仏教の一部はヨーガや性的実践まで持ち込んだのだ。七八〇年頃サムイェー大寺院の建立式にインドから招かれたパドマサンバヴァは性瑜伽の成就者であり、妻帯もしていた。性瑜伽は勝楽(チャクラ・サンバラ)と呼ばれるがね。あとで話すようにそれはヒンドゥ−の修行法だったから変成意識状態を作り出す技術であり、民衆に超能力を示したんだ。だから性瑜伽や呪術は在家仏教の基本となって広く受容された。同じころ、厳格な戒律を守るシャーンタラクシタがやってきて正式な具足戒を授けるサンガを発足させた。その後、十一世紀始めにはインドのアティーシャが招かれてタントラ仏教に対する態度を改めさせた。だが、チベットでは十三世紀に僧侶の妻帯がサキャ派でゆるされ寺は父子で相続されるようになる。これもマンダラや究竟次第を説く新しいタントラ仏教だがね。ちょうど同じ頃に日本で浄土教が妻帯を許したことと平行するが、チベットでは念仏ではなく、性瑜伽が実践されたのだ。それが十四世紀になってパドマサンバヴァを派祖とする民衆仏教のニンマ派に受け継がれていった。それは中国の禅宗の影響を受けた大究竟(ゾクチェン)やを説くがきわどい性瑜伽の経典もある。今、チベットの仏像といえばたいていヤブニムという男女合体像なのはそのためだよ。だが、まあ日本の仏教が全部葬式仏教だとはいえんように、チベット仏教だからといって全部が性瑜伽だというわけではないがね。十四世紀後半には名僧ツォンカパが出て正統な中観仏教を起こしたし、唯識の教えも次々もたらされはしたのだ。
さてオウム真理教の行とは何かといえば、これはヨーガ、しかもチベット仏教にも入ったクンダリニーを覚醒させるハタ・ヨ−ガの一種なのだ。ここに麻原氏が行った1987年の丹沢セミナーの講義録があるがこう書いてある。「今日は、解脱までの、瞑想のプロセスについて、阿含教でも、ヨーガ・スートラでもない、現実的なプロセスの話をします。まず、私たちは、修行に入って、何を第一になさなければならないかというと、それは動的エネルギーを活性化しなければならない。動的エネルギーとは何かというと、要するにクンダリニーだ。いいですか。そしてクンダリニーには三つのステージがあります。その第一段階の熱。第二段階はヴァイブレーション。第三段階は光です。熱、ヴァイブレーション、そして光とまず三つのクンダリニーを覚醒させなければならない。そうするとどういうことが起きるかというとまず、チャクラが開き出す。そしてナーダ音が聞こえる。光が見える。この三つの現象が起きてくる」。つまり麻原氏は解説としては、ラージャ・ヨーガ、功徳のヨ−ガ、ジュニアーナ・ヨ−ガ、クンダリニー・ヨ−ガ、アストラル・ヨ−ガ、真解脱、最終解脱と七つ言っているが、要はクンダリニー・ヨ−ガなんだよ。だから生理的にいろんな現象が起きる。超能力というやつだな。
さて、もう一度みんなに聞きたいのだが、君達は何が目的でここに坐禅に来るのかな」
剛がすぐに答えた。
「僕はたしかに超能力を得たいと思ってやっています。やっぱリ麻原尊師のいうようにヨ−ガをやってみて、体が熱くなったり、光をみたりするのはすごいと思います。僕はまだ空中浮揚はできないけど本当に見たんです。空中浮揚するの。ヨ−ガをすると実際自分の体が変化していくんです。坐禅だってそういうことがあるのではないですか。神父は超能力は人間の欲望だっていいましたけど、人間の欲望だっていろいろあるでしょう。今のたいていの人間はお金、モノの欲望で生きているわけでしょう。僕たちはそういう世間の欲望を低級なものだと見ているのですよ。それに神父の話をきいていると、オウム真理教もセックスを取り入れた淫祀邪教のように聞こえるけど、僕たち、セックスは禁止されているんですよ。ヨ−ガをするからってヒンドゥー教の左道やチベットの一派と一緒にされたんじゃかなわないなあ。人間の欲望を一切なくすなんてことはできませんよ。欲望をなくしてどうなるんですか。自殺でもするしかないですよ。僕は超能力を得ることは、高次の欲望だと思います。神父だって坐禅で何も得るところがなかったら、こうして坐禅会を開くこともないでしょう」
「そうだな、欲望の種類か、なるほどね」と神父がうなづいた。真己は超能力には何の興味もなかったが、剛のいうことも半分わかる気がした。でもなぜ坐禅をするか、自分にはよく分からないのだから言えないなとうつむいた。すると女子学生が「はい」と手を挙げて話し始めた。
「わたしは、生きていることがなんだか空しいんです。別に困ったこともいやなこともあるわけじゃないんだけど。普通に高校を出て大学生やってます。でも普通って面白くないんです。毎日が同じで退屈なんです。これから普通に就職をして普通に奥さんになって子供を産んで。これは私でなくてもいいことでしょう。他のだれかが就職してもいい。たまたま私がどこかに就職することになるだけ。結婚だって私くらいの容姿、私くらいの能力、私くらいの家庭なら、だいたいほどほどの人としかできないでしょうし、それに結婚ということに別に期待もないから強い恋愛の気持ちももったことがないんです。男子の友達もたくさんいるけど別にって感じ。なんにも憧れるものがないんです。でもオウムの道場とかは何か違う。一度だけ行ったことがあるのだけど、みんな何か確かな目的をもって生きている、目が輝いている。しかもさっき剛君がいったような世俗的な欲望ではない目的をもって生きているようで、私には新鮮だったんです。それって、たぶん本当の自分を探すという目的かな。みんなと合わせているようなどうでもいい自分をどんどん捨てていって、本当の自己に到達したいんです。わたし、バレーボールの選手だけど、一生懸命練習しても試合に勝つだけでしょう。他人との試合に勝つということ以上のことにエネルギーを使いたいんです」
真己はちょっと驚いた。いかにも健康そうで明るいこのお嬢さんが、意外にニヒリズムに陥っているのだな、毎日が同じって、カミュの『シーシッポスの神話』だな。本当の自分か。同じような思いをもっているんだな。でもほんとういうと私はもうどんな自分もいやだな、と思った。
「空しい、ねえ、空しい。たいへんな問題だな。悠道さんはどうかな」と神父がいった。
「僕は、坐禅は人間の為には何にもならん、という老師の一言でこれだと思った。僕もお金や家庭や物に対する執着が人を醜くするし、争いの元だと思いましたよ。でももっと死という問題が大きかったなあ。死でなにもかもなくなるのかって。死を突き詰めたらたいていの問題は問題でなくなる。何かの為にやることは死でおしまいになる。でも坐禅は人間の為にならないことだから、死でもおしまいにはならないんだ」
「なるほど」神父はうなづいている。真己はなにもわからなかったが、なにか言わなければならないような気になって、「あの、私は、坐ると楽だから」とかろうじて言った。神父はなにも言わずほほ笑んだ。すると後ろにすわっていた佐弥可が、「楽だからなんて、麻薬みたいじゃないか。私は苦しくても坐るよ。いや苦しいことをちゃんとやるんだ。逃げないでビシっと自分に向かうんだ」と抗弁した。
「みんなの言うこともわかるがな。剛君がいった欲望の段階ということだが、超能力を得たいというのは、まあ欲望のひとつのステージだね。じゃあ、わしがこの前フィリピンのモスレムのところに行ったのは欲望かな。わしはみんなが危険だ、殺されるかもしれないと言ったが、何ももたず、だれにも案内されないでいつものように神父の服を着て行ったよ。これは欲望かな。ひとりのモスレムの男の人がそっと近付いて来て、危険だからわたしが案内しましょうといってイスラム教の指導者のところに連れて行ってくれたよ。そこでかれらとどうやったらお互いに争わなくてすむか、話し合ったよ。そこは紛争が激しくてもしかしたらわしも殺されていたかもしれん。それで、そこにいったのは、欲望かな。高次の欲望かな。わしはそれは祈り、あるいは願だと思うがな。自分は死ぬかもしれないんだ。うまくいったって何も自分の為になるわけじゃない。そういうことを欲望というかな。考えてごらん。
緑さんは空しいといった。その気持ちは大事だ。無常を観ずると昔の人は言ったがね。ゴータマ・ブッダは伝説によれば楽しいお城から出て民衆が生まれ、病気し、老い、死んでいくのを見て、すべてこの世のことははかないと気付いて、息子が生まれたばかりだというのに、美しい奥さんと息子、父王を残して家を出たのだよ。昔は悠道さんがいったように死が身近に感じられることが多かったから、死という問題に直面して出家した人が多い。禅の曹洞宗の開祖である道元さんも幼くして父を亡くし、七歳で母上が亡くなった時出家を決意している。死に直面したとき、普通の欲望ということは問題ではなくなるのではないかな。欲望よりもっと奥にある問題、自分は何のために生きているのかということが根本的に問題になるのじゃないかな。果たしてこれで死んでいいのかと。だが、現代は寿命がのびて死なんて間延びした問題だな。いま空しさを感じるのは、死というよりも、同じことが繰り返される日常そのものじゃないかな。昔は日常だって、ほらここの生活のように一日として同じことがない。佐弥可がよく知っているが日が出る時間も毎日違うし、回りの景色も毎日違う。昨日と同じ今日ではなく、今日はかけがえのない今日だった。今日しなければならないこと、明日に延ばせないことがいくらもあった。だが、今の都会の生活では機械のように毎日一緒だ。今日と同じことを明日もする。まわりの景色も温度さえ一緒だよ。東京の大学にいたら、この十二月に二十度以上で、わしはこんな綿入れなど着ておれん。緑さんがいったように今の若い人の人生はたいがい予想がつくな。それではかえってつまらないと感じられる。だからやはり普通の意味の欲望ではないものが問題になってくる。とくに敏感な若い人はな。欲望の追求ではない人生を考えるのは大事なことだ。普通の欲望ではないものといえば、たとえば永遠の命を得たいということや、悟りを開きたいということになるだろう。こういう思いは大切なのだよ。しかしそれも個人の為の願いだ。究極のエゴイズムだ。そこにどうしても個人の為以上のものが必要になってくる。この提唱のはじめに「一切衆生誓願度」というのを唱えただろう。あらゆる人を救いたいという願いだ。「たとえ自分は救われなくても一切のものが救われるように」というのが発菩提心というものだ。発心の方向が大事なんだよ。それを間違えて自分が超能力を得たいと思うのはどうかな」
剛がぼそぼそといった。
「僕は超能力を得たいとおもうけど、尊師はやはり神父のようなことをいいます。マハーヤーナのステージになったら人々を救済するために何度でもこの世界に生まれてくるのを願うようになるて。一切の人が救済されたら尊師の修行も終わるのだっていっています。そして普通に考えている幸せな生活を錯覚だといって、やはり無常を観じなさいって教えていますよ。だから生老病死という苦悩のこの世を脱却して苦悩のない世界へ至るのだといっています。似たようなものだと思うがな」
「そうか、そういっているかもしれんな。また今度教えとして仏教とオウム真理教がどう違うか話そう。今日はこれくらいにしておこう」
真己は永遠の命を得たいということが究極のエゴイズムだと言われたことに深いショックを受けた。