第十三章 朱夏

 暑い。

 今年の夏はやけに暑い。クーラーをかければ体が冷えるし、クーラーを切れば蒸し殺されそうだ。窓を開ければ熱風が吹き付ける。思い余って七月の終わり、二週間分ほどの衣類や食糧を海外旅行用のトランクに詰め、真己は慈光庵へと出発した。

 駅前には赤いカンナが太陽に挑戦するかのように咲いていた。たんぼの畦道は蓬が猛々しく茂り、怒ったようなあざみが濃い牡丹色で応じている。渓流沿いになると下草の間に所々ヒオウギが朱色の花をつけていた。舗装していない小道を真己は、がらごろがらごろカバンを押して汗だくになって登っていった。やっと母屋が見えて来たので、からからになった喉からやっと「こんにちわ−」と情けない声を出した。佐弥可がびっくりした顔をして飛び出てきた。

  「重いカバン持ってだれが来るのかと思ったら真己さん」

 佐弥可の耳はすばらしくいい。微かな足音でたいてい誰が来るか遠くからわかってしまう。 「真己さんもか−」としげしげとトランクを見て佐弥可はいった。

「もかって。誰が来てらっしゃるの」

 一瞬ルベンが来ているのかと嫉妬と期待で身がこわばった。

「緑。おーい、緑さん」

 佐弥可が大きな声で呼ぶと離れから緑が大義そうに出てきた。

「まあ、あがって。のど乾いただろう」

  佐弥可は井戸に向かって走って行った。

「緑さんか。びっくりしたわ。ちょっと元気ないじゃない」

 ゆっくり上がってくる緑の肩に真己は手をおいて覗き込んだ。

「うん」と緑はほほ笑むばかりだ。

 佐弥可が汲みたての井戸水をもって来た。

 ありがとう、と真己は一気に飲み干していった。

「いったい緑さん、どうしたの」と聞くと緑は頼りなげな視線を佐弥可の方に投げた。佐弥可は目を合わせてうなづいた。

「あのね、緑さん、赤ちゃんできたの」

「ええっ」

 真己は一瞬のけぞったが、すぐ「まあ、おめでとう」と緑の手を握った。湿っぽいやわらかな手だった。

「うん」とうなづきながら、緑は今にも泣き出しそうだ。

「赤ちゃん、藤井さんの子なの」

「そう、でも赤ちゃんができたって、すてきじゃない」

 真己は本心からそう思った。女にとって身ごもるということはどんなに幸せなことか。

 だが、みるみる緑の目からぼろぼろっと涙がこぼれた。

「ありがとう。でも、まだ彼と佐弥可にしか、打ち明けてないの」

 そうか、それでこんな顔しているんだ。真己は緑を抱えるようにして「何カ月目?」とほほ笑みかけた。

「今三カ月目に入ったの。つわりがきつくて」

 たぶん、いちばんつらい時なのだろう、力なく緑はうつむいている。

 聞いてみると、一週間前に緑は突然やってきたという。生理が来ないので医者にいったところ妊娠だとわかった。藤井は茨城に帰っていた。電話をすると少し驚いたようだったが、すぐ両親に話して籍だけでも早く入れようと提案したが、緑が待ってくれといったのだ。それからつわりと暑さでへばってしまって剛山に連絡して、彼の車で京都からここに送ってもらったという。

 真己の持って来た素麺と、とれとれのトマトと胡瓜のサラダで夕食を囲んだ。そのあと冷たい井戸水で抹茶を立てた。水ようかんがつるりとしておいしい。

「緑ったら子供はほしいけど、お寺の奥さんになるの、まだ決心がつかないのだって」と佐弥可が瓜をほおばりながらいった。

「私、藤井さん好きだから彼の子を産むのは嬉しいの。でもね、既成事実に流されて、こうしかなかったというような生き方はしたくないのよ。で、今いろいろ考えているの。考えがまとまってから両親にいおうと思うの」

 胡瓜とヨーグルトしか食べなかった緑がぼそぼそと話した。

「それはそれで大事なことね。自分の生き方をしっかり考えるって私は賛成よ。シングル・マザーだってすてきじゃない。いいわね、赤ちゃんできて。ところでどうやって産むの。普通 の病院で?それともラマール法とか?」と真己は心底羨ましそうに尋ねた。

「それで、さっき喧嘩してたんだ」と憮然として佐弥可が緑の顔を見た。

「私は楽な自由な姿勢で自然に産みたいから病院はいやなの。それに産むのも育てるのも彼と一緒にやりたいから、いまいい産院を探しているの」と、やっと安らかな顔になって緑がいう。

「病院で産まないっていうのは私も賛成だよ。だけど子供を産むのは女一人の仕事だよ。男と一緒にっていうのは不自然だよ。ライオンやたいていの動物は子供産む時群れを離れてひとりになるよ。あのゴロウだって、まだメスが子供産む時手伝ったことないよ。昔から出産は女たちだけでやってきたんだ。そこに男は入れなかったんだよ」と佐弥可がまくしたてた。

「佐弥可さんが赤ちゃん産むとき是非そうしたら」と真己は笑いながらいった。言ってしまってから、佐弥可はルベンの子を産むのかしらと思って急にせつなくなって押し黙ってしまった。

「わたしね、わたしのような灰色の狼の瞳をもった男の子欲しいな。その子に私のもっているもの、いっぱい仕込んで立派な男にしたいんだ。伝えていきたいこといっぱいあるよ。自分の民族の血、大切にしたい」

「佐弥可さんの民族ってモンゴルなのね」と真己が少しほっとしたように尋ねた。

「うん、おじいさんはモンゴル、モンゴルの王族だよ。でもおばあさんの一人はタタールつまり韃靼人」

「えっ。あの蝶が渡っていく韃靼海峡の韃靼?」

「そうだよ、よく知っている、真己さん。もう一人のおばあさんはカザフの人だよ」

「へえ、みんな遊牧民だった人たちね。先祖代々馬と一緒だったのね」

「うん、うちの家系は古いんだ。わたし、実家から印鑑貰って来ている。ちょっと待って」

 佐弥可は離れの方に走っていった。まもなく立派な箱を抱えて戻って来てそれを開けながら言った。

「ほら、この印鑑、呼衍ってある。これが実家の姓だよ。紀元二世紀頃から続いている王族だって」

「へえ」と二人は目をぱちくりさせながら大きな印鑑を眺めた。たしかにひっくり返せば呼衍と読める字が書いてあるかなり大きな印だ。夢のような話だ。真己は実は中国北方の遊牧民の歴史にとてもロマンを感じていた。とくに遊牧民と漢民族の渡り合いが面 白い。大月氏のところへ使いにいった張騫は、凶奴の捕虜になり妻を娶らされながら、そこを脱走してはるばる大月氏に辿り着き、帰りには凶奴の妻子を奪還して漢に帰った。その張騫には並々ならぬ 思い入れがある。  

「佐弥可さんの祖先は漢字を使っていらっしゃったの。だから佐弥可さんも和歌がお上手なのね」

「私の本名は呼衍佐瑠。サラって呼ばれていたけど」

「へえ、私ユダヤ人とか聞いた気がしたんだけど」と緑が口を挟んだ。

 真己は心臓がドクドクした。

「ユダヤ人だよ。実家はユダヤ教だもの」

「どうしてユダヤ教になったのかしら」

 不安そうな目付きで真己は尋ねてみた。

「カザフの人はユダヤ教やイスラム教の人がたくさんいるよ。中国人だってユダヤ教の人いるよ」

 緑が驚いたように「まあ、ユダヤ人って人種じゃないの」と言った。

「違う。実家はユダヤ教とラマ教だよ」

「ラマ教はチベット系の仏教ね」と真己がいった。

 佐弥可は仏教的歴史も背負っているのだ。何という人だろう、と真己は思った。

「ルベンはユダヤ教だったんでしょう。彼の人種は?」と真己は気になっていることを率直に聞いた。

「ルベンはドイツ系だっていっていた。ニューヨークのユダヤ人って本当に世界中の人種がいるから、あんまり気にしないけど」

 円い月が高く上がるまで三人は話していた。

 床に入ってから真己は四十を過ぎた自分は子供を作ることはないだろうなあと考え、無性にさみしくなった。

 慈光庵の生活はなかなか忙しい。

 朝、佐弥可より遅く六時に真己と緑は起きる。それから一ちゅう坐禅、畑にいってトマトや胡瓜や茄子をもいでくる。それから玄米粥の朝食だ。

 佐弥可は犬を散歩させながら1キロほど下に新聞を取りにいく。電信柱にビニール袋が取り付けられておりそこまで届けてくれるのである。真己は犬や猫たちにも食事をやって洗濯をする。たらいでゴシゴシするので結構時間がかかるのである。掃除は緑の役目である。

 畑の仕事もある。そばを蒔くため畝を起こさなければならない。食事は三回食べることもあるが、時には三時頃に食べて二食でおしまいにすることもある。夕方は畑と樹木への水やりで二時間かかる。とにかくちっとも雨が降らないから毎日必ずしなくてはならない。井戸から汲んで運ぶのだから大変だ。ひしゃくでかけるのは緑の役である。

 それからお風呂を特別に毎日焚く。緑に気を使ってのこともあるが、とにかく暑くて汗が出てたまらないからである。燃料を節約するために、日中にあらゆる入れ物に水を入れて日なたに置き、その温くなった水を風呂桶に入れて焚くのである。蒔き割りもしなくてはならない。緑はあんまりあてにならないから二人でしてもかなり重労働ではある。

 でも新鮮な野菜をたっぷり食べて、夕方お風呂に入るのは贅沢なことだ。時々下の農家に卵を買いにいく。都会ではめったにお目にかかれない生あたたかい産みたて卵、生でたべるとほんのり甘くてたまらない。夕方は坐禅を一ちゅうする。テレビも電話もないから、本を集中して読める。ただランプは暑いのが閉口する。

 真己はここに来て月光がどんなに明るいかを知った。満月に近くなれば皓々とした月明かりでランプ一つで結構本も読めるのである。

 夕方、神父が東京から帰ってきた。二人がいたことに格別驚きはしなかったが、緑の事情を知ったときは、さすがにたじろいだようだ。

「若い人の考えは昔と全然違ってきたね。でもまあ子供を堕そうなんて考えなくてよかったよ。親御さんにはできるだけ早く話したほうがいいのじゃないかな。わしが親だったら早く知りたいからね。でもまあよかった。またひとり孫が増えるな」微笑みながらそう言った。

 今日は坐禅会だ。

 たいてい八月が休みなのだが皆が来ているから略式でやろうということになった。

 朝はやくホタルブクロとツリフネソウ、月見草それにつゆくさを摘んできて水をたっぷり含ませて篭に生けた。夏の花はしぼみやすいからだ。

 悠道たちは旅行に行っていて来ない。アレックスはスイスに帰省しており、ルベンだけが車でやってきた。

 神父は朝に坐禅したので、午前中に『生死』巻の三回目の提唱をはじめた。

 「この前やったとこ、よくわかったかな。生死すなわち涅槃とは、涅槃や覚りといわれることが特殊な体験ではないということだ。だが自覚しないままの日常生活ではなく、日常生活を自覚的に深めていく、それが仏道だ。毎日の生き方のことだよ。では次を読むよ。

『 生より死にうつると心うるは、これあやまりなり。生はひとときのくらいにて、すでにさきあり、のちあり。かるがゆえに、仏法の中には、生すなわち不生という。滅もひとときのくらいにて、又さきあり、のちあり。これによりて、滅すなわち不滅という。生というときには、生よりほかにものなく、滅というとき、滅のほかにものなし。かるがゆえに、生きたらばただこれ生、滅きたらばこれ滅にむかいてつかうべし。いとうことなかれ、ねがうことなかれ。 』

 生死というのは、前にもいったように生老病死という私達の人生だといってよい。死というのは誰にとっても大問題だ。換言すれば人間は自分の死を事前に自覚するから、どう生きるか、どう死ぬ かが問題となり、宗教があるといってよい。そこでオウムやいろんな新宗教がいうようにどのような死後を迎えるか、あるいは自分の前世はどんなだっただろうか、と想像したりして死後に備える。若い子にもこんな考えがはやっているそうだね。

 死ぬとは、生より死に移ると思うのが普通だ。でも道元はそうはいわない。生から死に移るというのは、自我という実体と、時という直線的なものを考えるからだ。だが、昨日というのはあるかい。どこにある。昨日寿司を食べた。いや、それは記憶、君の頭にあるだけだ。いいかい、仏教の基本は実体的自我がないということだった。

 では何があるのか。われわれが生きているこの今だけがある。この今にすべてがある。この一瞬、一瞬だけだ。抽象的なことをいっているんじゃない。見てる、聞いてる、嗅いでいる、感じている、思っている、その全部の今だ。普通 、主体と客体というが、それが分かれる以前の全体だ。ひっくるめて全部だ。そこに限界などない。

 『生はひとときのくらい』というが、ひとときはちょっとという事ではない。それであらゆること全部を含んでいるという意味で絶対的なことだ。だからそれを超越するなんてことはできない。個人と環境とわけて考えれば環境を超越するという考えも出てこようが、実際はどちらも別 個にあるものではない。

 心の問題として考えれば、抽象的かもしれん。だが、たとえば水というものを考えてごらん、そして水よ、消えよという魔法を使ったとする。言ったとたん自分もさらさらと固形の三分の二ほどの固まりになるだけだよ。体と心もそうだ。水ということでいえば、あらゆるものが水で覆われている。天も大地も草木もそうだ。また体のほかに心はない。だから体に無理をかければ心がこわれて超常意識となるだけだ。なにも超えてはいない。肉体から出て行く霊魂という実体はないのだ。

 死というのが問題になるのは、死に際しての肉体的苦痛というよりは、死がなんだか分からないから恐ろしいのだ。その恐ろしさに究極的な答えを与えるのが宗教であるといってもいい。答えといっても、だれもまだ死んではいないのだ。考えれば妙なことだが今生きている人で死んだ人はいない。だからその答えというのは信じられるものなのだ。だれも立証や保証はできない。そういう意味で宗教とは信じるものなのだ。

 たとえばキリスト教はキリストの来臨の時人々が復活し、キリストを信じてその戒めを守った者は永遠の命を得ると答える。イスラム教も大体同じだが、審判はキリストとは関係なく終末に行われるとされる。インドでは輪廻転生が答えである。

 ところが仏教はそういう意味では何も信じないのである。ここがとても大事だことだ。仏教は信仰ではない。何も信じないというのは唯物論や虚無主義というのではぜんぜんない。唯物論も一種の信仰だ。死んだら元素にかえってそれで終わりだと説明しているに過ぎない。だれもわからないよ。死後のことは。そう憶測しているだけだ。だからといって仏教は不可知論でもない。それに大変近いけれども。むしろ孔子などが不可知論だといえる。『いまだ生を知らず、いづくんぞ死を知らんや』と、とても知的に誠実だね。

 だが仏教はそういうところにも止まらない。不可知論は虚無主義と踵を接している。偶然生まれてきてたまたま死んで、それからどうなるかわからないとなれば、どう生きたっていいじゃないか、ということになる。仏教はそんな中途半端な自覚ではなく、徹底的な自覚だ。今のような考えは、やはり直線的な時というもの、自分という固定したものを想定して出て来るのだ。

 その自分がそもそも無いということと、時という独立したものがあるのではないことをゴータマ・ブッダは覚った。時という別 なものがあるのではないが、物に大小があるように、存在するということには連続ということがある。秩序だったつながりで、それを道元は「時には経歴の功徳あり」といっているがな。それが『さきあり、のちあり』といわれていることだ。

 月が満ちる、欠ける、潮が満ちる、引く前後があるのだ。ただそれだけだ。だいたい時というけど時というものがどこにあるかな。満月とか上弦の月とかがあるばかりだ。空間と時間というけど、いったい空間ではない時間って考えられるかい。時計の針だって空間的物質の運動だ。存在が経過するという働きがあって、それに人為的に印つけたものが時である。時という別 ものがあるわけではない。世界全体がリズムをもって経過している。その経過が前とか後とかいわれるのだ。この生きるという全体にも前後がある。そういう全体としての生、生よりほかなにもないから、換言すれば生死、生滅といえるような相対的なものではないから不生ともいう。滅の時は滅だけだ。すべてが滅の世界だ。

 いいかい、これは死がどうであるという説明ではないんだ。『滅きたらばこれ滅にむかいてつかうべし』とあるから、どう自分自身の死に臨むかをいっているのだ。生も一瞬一瞬、死も一瞬だ。そういう仕方で生死を離れるのである。そういう仕方で生死を離れるのである。

 宗教とは死に対する答えだといったが、先にいったように実はだれも死を経験したことがない。そこで死の世界を空想して類似体験で超えようという傾向はいつの世でもある。砂漠とか奇岩とか月とかは死のような世界だ。滅のような世界だ。だからそういうとこに行って死を疑似体験することによって生を超越したいと思うのだが、なにそれも生の一部であることには変わりない。生は超えられない。いや、そういういいかたじゃ、まずいな。生とは私達が思っているようなものではない、広大なものだ。私の命、そんなちっぽけなものはどこにもない。錯覚だよ。

 あのね、道元さんはなにも哲学の講義をしたかったんじゃない。およそ宗教というものはどうにかして死を超えようとする。死んだらどうなるのか、その答えを得ようとする。それにたいしてゴータマ・ブッダはそういう問いを無視するのではなく、そういう問いがでてくる人間の無意識にまで思いをひそめて、その根源構造を見抜いたのだ。つまり環境世界と自我というものを立てることそのものが迷妄であると見抜いた。そういう仕方で死も生も超越したのだ。

 その基本的洞察を道元は『生というときには、生よりほかにものなく、滅というとき、滅のほかにものなし』と自分の言葉でいったのだ。これは死後についての現在の思い患いを一掃する。何の為に生きているか、という問いは、死んだらどうなるかという問いとひとつだ。みんな死後がなんとなく不安なんだ。それでさまざまな宗教という現象が起きる。死後どうなるかの答えを求めて。そして教祖というのは麻原さんに限らず、たいていは死後について見て来たような嘘をいう。

 だが道元はそういわない。ここが大事だ。死がないなんてばかなことはいわないが、死の時がきたら全部死。それは今はわからん。分かりようのないことだ。ただ死の時がきたら死。

 今わたしたちがあるというのはこれは全部生だね。広大無辺な生だ。そういうことに目覚めたらおのずと生き方が主体的になってくる。

『かるがゆえに、生きたらばただこれ生、滅きたらばこれ滅にむかいてつかうべし』というのはそういう明確な主体性のことだよ。主体性というと自分の勝手でいいのかと間違えたらいかん。逆だ。勝手をしてはいけないのだ。それが『いとうことなかれ、ねがうことなかれ』といわれている。

 千年でも万年でも生きたいわと願うのも、絶対死にたくないと死をいやがるのも、人間の勝手であり、仏道とはそういう勝手をやめる道だ。もちろん自分で死を願うのもいけない。どういったらいいか、生を無限大のまま生き、死を無限大のまま死ぬ といおうか」

 真己はこれはおよそキリスト教と接点のないすごい思想だなと思った。永遠の命とか、イエスから愛されるという関係性とかとは全く無縁なのだ。

 ミーンミーンと蝉しぐれが降り注ぐ。命いっぱいの響きだ。仏教はこの蝉を包摂して、おそろしくスケールの大きいとらえどころのないものだ。うーんと唸ってしまう。

 だけど『いとうことなかれ、ねがうことなかれ』というのは、言葉ではなるほどと分かっても、そんなことが可能なのかしら。わたしは好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌いだな。それは生理的ともいっていいことじゃないかしら。

 どうもなにやらすっきりしない気持ちであった。座っている足からも汗が流れる。頭はぼーとしてくる。

 午後は坐禅も作務もない自由時間、放参である。女性三人は離れに昼寝にいった。

 次の日両親に話をする決心のついた緑を、真己は名古屋まで付き添っていった。

 二人が帰った昼下がり、夏木神父は甚平姿になりルベンはシャツ一枚にショートパンツで木陰になっている広い濡れ縁に腰を下ろした。

「京都の暑さは大変だろう」

 神父はうちわを使いながら聞いた。

「ええ、でも大学に行くと冷房が入っていますし、お寺は案外涼しいですよ。天井が高くて何よりも緑に囲まれていますからね。ここと同じです」

「そうかね、光道さんのとこはどうだった?」

 神父はルベンに一度長野の光道の庵を尋ねることを勧め、先週ルベンは行って来たのだった。

「ええ、気持ちのいいところでしたよ。周りにもいい方たちがいますね。ただ光道さんはいないことが多いから、畑も荒れていましたし、周りの坐禅会にくる人達も定期的に坐禅会を持てないと残念がっていました。あの時も、次の日から東北地方に行くのだと大きなリュックに荷造りしてました。僕も光道さんは好きなのですが、よく庵にいないのは困ります。私はまだ一人で修行できるほど慣れていませんから。実は帰りに北陸線を使って永平寺まで行ってきました」

「そうか、どうだった。永平寺は」

 夏木は冷たい麦茶をいれながら聞いた。

「山はとてもいい場所だし、建物も古くていい感じですね。ただ若い雲水が多くてかれらの大半は半年で山を降りるということでした。しかし、どうもホテルみたいな宿泊所は気になりますね。参拝客といっても修行というより観光みたいで、その人たちの接待を雲水さんたちがやっているのはおかしく思いました。たまたま僕が話しを聞いた人はお父さんの遺骨を納めに来たといっていましたが、そんな習慣があるのにびっくりしました」

 麦茶のはいったガラスの茶碗を見詰めてあいまいな笑いをルべンは浮かべた。

「そう、日本人の仏教は祖先崇拝だからね。浄土教のお寺でもみな納骨にいくんだよ。仏教とは何の関係もないのにねえ。ところで君はアレックスの行く妙心寺の道場にも行っているんだろう。そこはどうかね」

「ええ、彼と一緒に通っています。でも外国人と普通の雲水とはやはり気持ちの持ち方が違うというか、修行するということの背景が違うような気がするんです。雲水さんたちはたいてい家が寺だから」

「そうだ、それは大問題だな。世襲の出家なんて矛盾しているからな。失礼、たばこを吸ってもいいかい」

 神父はポケットからたばこを取り出し、一本抜いて、マッチで火をつけた。神父はふだんあんまり吸わないが、空気がおいしい時と難しい考え事をするとき、ときどき吸う。

「僕も一本いただけますか」とルベンが遠慮がちに言った。

「なんだ、君も吸うのか。どうぞ」

 ルベンは紫の煙りを吸い込んでから、まるで溜息をついているように、それを長く吐いた。

「僕、韓国へ行って修行しようと思うのです」

「へえ、韓国へ。またどうしてかな」

「大学の研究所にとても姿勢のいいよい顔をした僧侶が二人来ているんです。作務衣とも違った灰色の服装をしているので、聞いてみたら韓国からの留学僧でした。かれらにいろいろ聞いたのですが、韓国ではちゃんと戒律が守られているそうです。二百五十戒のね。ところが日本には曹洞宗にも臨済宗にも戒律はないということです。奈良のどこかのお寺では守っている寺もあるそうですが。

 かれらが言うには仏教は戒律と禅定と知恵だから戒律がない日本の寺はちょっとおかしいし、それにみな平気で肉を食べ、家庭をもっている。老師たちでもたいてい家庭をもっている。それは経典から見てもおかしいという意見でした。いや、じっさいそれには僕も失望しましたから。

 また、日本では私達外国人は出家しても食べていくのが大変です。自分の寺がないですからね。でも韓国では出家すれば、どの寺に行っても部屋と食べ物は与えられるそうです。もちろん共同生活だから仕事もあるでしょうが、宋の時代の禅寺のようにきちんと夏安居と冬安居があって、三箇月みんなで籠って坐禅修行に集中し、その間の期間はどの寺に行くか師匠を求めて旅行できるそうです。あのよい顔と姿勢は戒律と坐禅によっているのだなあ、とつくづく思いました。僕はちゃんと出家して修行をしたいのです」  

 おおきな黒い揚羽蝶が飛んで来て、ひらひらとまた樹木の中に消えて行った。

 神父は黙って考えているようだった。

 「まあ、韓国でも問題がないわけじゃなかろうが、つまりあそこは鎖国をしていた日本よりもずっと長く中国の影響を受けているから、念仏と禅が双修されたり、オウム真理教がやっていたような五体投地を何万回もしたりする。それに教学という面 では道元のような人はいなかったからね。

 でもまあ、行ってくるのはいいと思う。一度は行っておいで。でもね、日本にもちゃんと修行している人がまだ十人位 いるよ。今君がその気なら韓国に行くのもよかろうが、また帰ってきたら彼らを紹介しよう」

 ふっと夏木の顔が寂しげに曇ったように見えた。

「はたはたと 灼くる日中を飛ぶ蝶の

    羽色は夢とうつつを映す  

 真己さま、暑さ大丈夫かな。

 ルベン兄さん、韓国に行ってしまう。むこうでお坊さんになるといった。

 緑は松本の家に帰ったかな。

 またフランスが太平洋で核実験する。魚たちが死ぬ、それわたし許さない。

  佐弥可、寂しいから真己さんまたおいで。  

                   八月二十五日  」

 達筆でこう書かれている葉書をもって、真己はマンションの階段に座り込んでしまった。

 ルベンが行ってしまうなんて考えられない。ルベンが韓国に行ってしまうなんていや。どうして韓国で出家するの。ルベンは日本が嫌いなの?ルベンは私が嫌いなの?いやいやいや。

 首を激しく振って真己はうつぶせた。

 その日から真己は寝込んでしまった。