第十二章  蛍     

 真己は妙安寺から帰って以来、人が変わったように熱心に坐禅するようになった。

 佐弥可に坐蒲の作り方を教えてもらい、黒いビロードで袋をつくり中にパンヤを詰めた。それを使って毎日朝夕坐禅するようになったのである。剛山がかつて言っていたように二週に一回の坐禅会ではいかにも間遠い。しかも夏木はこの前は東京に急用ができて来れなかった。

 佐弥可に甘えて週一回慈光庵に行くけれどもそこではルベンに会う。それが嬉しくもあり、煩わしくもあった。ルベンは佐弥可とも別 に恋人同士のようでもない。真己ともだ。ルベンはあれから決して二人の距離を縮めようとはしない。真己の申し出があるときだけ、最寄り駅まで車で迎え、送るだけだ。ルベンは自分の周りを透明なカプセルで包んでいるようだった。ただルべンのやさしいまなざしだけは、相変わらず真己に降り注がれていた。それだけでやはり真己は嬉しかった。

 今朝も列車を降りて、車の中で「やあ」と手を振るルベンを見てからなんとなく浮き浮きしていた。庵に向かう露地には小あじさいが清楚な花をつけている。

 今日は剛山が後輩の学生三人を連れてきている。湿り気を帯びた生暖かい空気が流れる中で宇宙を吸い、宇宙を吐き出す坐禅が行じられる。経行の時、床を見ると白いオカトラノオが一輪差してあり、そこだけさわやかな空気が流れているようだった。

 お昼は豆腐やにんじん、しいたけ、大根、油揚、コンニャクなどが入った冷たいのっぺい汁にえんどう豆の茶巾しぼり、それにアシタバとわかめのおみそ汁。もうじき夏である。若者が多いので再請の時はあっと言う間に大皿も鍋も空っぽになる。

 作務は畝の草引きとトマトと胡瓜の摘芯だった。草引きは佐弥可はしないが、今の時期はほっておくと野菜の方が負けそうになる。なすとカボチャの苗も元気に育っていた。やっとオクラの芽が出始めた。みんなでこんなことをしながら毎日暮らしたいなあ、と思いながら真己は剛山に尋ねた。

「お野菜をつくるほかに、どうやって生活しているの」

「托鉢ですよ。朽木では野菜や米の托鉢が主ですけど、京都に出稼ぎに行くんですよ。出稼ぎ托鉢、これがそうとう入るんだな。特に夕方の先斗町や祇園がけっこう多いんですよね」

「へえ、尼さんたちは、どうやって食べているのかしら」

「ああ、托鉢している人、出会いましたよ。いるんですよねえ。たくましいなあ。わらじはいてね。でもたいていは壇家もっててお経読んで食べているんじゃないですか。ねえ悠道さん、どうですかねえ」

「うん、興道老師の弟子でも尼僧さんは托鉢だけっていうのは、いないんじゃないかな。寺に入っているでしょう。寺に入ればけっこう経読みや葬式やあるんですよ。仲間の寺の付き合いもあるしね」

「ふーん」と真己は抜いた草をもてあそんだ。

「さあ、やめるか」と神父がいい、皆は溝で手を洗った。溝にそって幾本かの紫陽花が大輪の虹色の花を重たげにつけていた。

 今日の提唱は生死巻の二回目である。

さっぱりした藍染めの作務衣を着て神父は始めた。

「テキストを読むよ。

もし人、生死のほかにほとけをもとむれば、ながえをきたにして越にむかい、おもてをみなみにして北斗をみんとするがごとし。いよいよ生死の因をあつめて、さらに解脱のみちをうしなえり。ただ生死すなわち涅槃とこころえて、生死としていとうべきもなく涅槃としてねがうべきもなし。このときはじめて生死をはなるる分あり。

 

 ここのところがこの巻でいちばん大切なところだ。もし人が生死のほかに仏を求めれば、とあるが、実際これ以外の求めかたがあるかな。この前いったようにこの人生が空しい、苦しいということがあって初めて安楽な境地である仏をもとめるということがある。この生死、いったら日常生活を否定することなしに仏は求めようがない。そうだろう。君達もここに来るということ自体が日常生活の否定だ。音楽もない、コーヒーもない電気もない、こんな田舎のあばら家になぜ来るのか。今の生活に何か空しさを感じるからじゃないかな。あるいは世の中の事がすっきりわかる悟りを得たい、大きな安心や落ち着きを得たい。それがなくては毎日坐禅などできないよ。暇つぶしじゃないんだからね。

 ところがそのような態度を道元さんは「ながえ」つまり昔の牛車の前の棒、方向舵だ。それを北にして越に向かい、越というのは中国の南の方、呉は北の方の国だ。だから北を向いていけば越から遠ざかるばかりだ。面 を南にして北斗を見るとは顔を南に向けて北斗七星を見る。見えるわけはない。北極星の方向に北斗七星はあるからね。まるで正反対のことをしていることになる。坐禅はそれではいかんという。

 でもね、たいていの苦行型の宗教はこの日常生活を超えたところ、生死を超えたところを目指してがんばるのだよ。肉体も精神も頑張れるまで頑張る。これはスポーツのように一種爽快な体験なのだよ。思いっきりやるからね。人間はなんかおかしな生物だね。思いっきり力を出しきると気分がいい。苦しんで高い山に登るのも苦しむからいいんだ。この頃はスイスのモンブランでも日本の西穂高でもロープウェイがあってシューと三千メートルのところに一気に行っちゃう。でもシューといったんじゃ一万メートルの飛行機でもなんともない。あ、ちょっと眺めがいいね、くらいのとこだ。一歩一歩自分で苦労して頑張ると嬉しいんだね。これが。ものすごくさわやかな充実感があるし、空気もうまいし山が語りかける。まったく違うんだよ。シューといくのとは。ロープウェイで行ったって、温度差が激しいからおお寒いとガタガタふるえておしまいさ。

 さて、だから悟りを求めて一生懸命修行する。頑張るのはなにもオウム真理教だけじゃないよ。わしもやった。どうしても公案、無字の公案を通 ろうとした。公案が通れば初関を抜くといって、まあ悟りの第一段階だ。臘八接心にでもなれば、死んでも公案通 るぞって、そりゃあ力が入る。

 でもね涅槃とはそういうことで得られるものでは絶対ない。それなら競争だ。力のある者、努力した者、精進した者が得ることになる。老師は必ずしも弟子の見解を見て通 らせるのではない。その修行の努力を見て自分の見解にとらわれなくなって、対象と一つになりきったら通 すんだね。でもどのみちオリンピックやパリ・ダカとあまり変わらないな、それでは。

 ゴータマ・ブッダはそういう勝者じゃ決してない。そういう頑張りは『いよいよ生死の因をあつめて、さらに解脱のみちをうしなえり』だ。修行とは知恵比べでもスポーツ競技でもない。人間の感覚でスカッとしたり、日常を超えた異常体験をすることではない。異常体験など生死の因、つまりは苦しみ悩みの基である。それならまだマラソン・ハイや山登りの方がよほどましだ。異常体験をしたいと思ったら、こんな人が寄る里山ではいかんよ。人跡未踏のような場所が一番だ。あるいは洞穴に入って一人になる。そうすればたいてい異常になれる。

 これは何もヒマラヤなどに限ったことではない。人間はそういう異常体験を好むのだね。

 わしがギリシャに行った時、テッサロニキの帰りにメテオラという所に寄った。それは奇妙な場所だった。列車で駅に着くまではギリシャの普通 の景色だったな。ところがメテオラというのは平地に巨大な岩石の群れがニョキニョキと突っ立っているんだよ。いやあ実に奇妙な場所だ。高度差は七八百メ−トルかな。観光用にバスが出てはいるが、わしが行った時は冬の二月始め、一番寒い季節だった。バスなど一日二本位 だ。仕方がないから行きはタクシーを使った。メテオラは岩石の山の中になんと三十以上もの修道院があるのだよ。もちろんギリシャ正教のだ。

 タクシーを降りてから最初の修道院に行こうとしたが道がない。どこから回っても見ても石柱の上にポツンと修道院が建っていてこちらの岩との間は巾一メートル高さは百メートルくらいだったね。どうしても入れない。後で聞くと修道僧は釣り篭で出入りしている、しかもめったに出て来ないで食糧など必要なものを篭で釣り上げているということだった。

 それから冷たい風の吹きすさぶ中を次の修道院まで歩いたが寒いこと寒いこと、鼻水は流れるわ、手は手袋をはめても凍えるわでたまらんかった。やっと一つの修道院に入れてもらった。内部はステンドクラスできれいに装飾されていて美しいイコンがたくさんあったよ。昔はそこで五人くらい修道僧て祈りの生活をしていたというが、いまは堂守りの修道僧がひとりいただけだ。それでも運営が大変だとみえて献金箱が置いてあり、絵葉書やイコンを売っていたね。

 それから三つ目に回った。地面は凍っているんだ。だから注意せんと滑る。その修道院は五十センチ位 の道がついているがある部分は階段である部分はトンネルになっていて、また山側に出る。うっかり滑ったら谷底へ真っ逆さまだ。這うようにしてやっとたどり着いた。ベルを押してみたら女性の声でここは女子修道院だから男性は入れないといわれた。それなら最初にそういう看板を出しておくべきだよね。ほんとうにがっかりしたよ。またこわごわ細い細い道を辿って広い道に出たがね。

 一日でたった七つしか回れなかった。途中で修道僧以外には誰にも会わなかった。帰りはふもとまで歩いて、車が来たからヒッチハイクで駅前のホテルまでいったよ。そのときわしは思ったね。歩けばふもとに降りられるものをわざわざそのそそり立つ岩山に石で修道院を建ててそこに籠る。まあ岩石の山の上にいったら月世界のようなもんだ。ほとんど植物は生えてなかった。そんな所に人間は好んで宗教施設をつくるんだ。わしはまだいったことがないがトルコのカッパドキアも奇岩がいっぱいあり修道院だけではなく、地下都市もあるとのことだ。わしがいいたいのは人間はおそろしく変な場所で修行をしたがるということだ。チベットのカイラーサ山も直線的に平行して岩石が走っており、とてもこの世のものとは思えん奇妙さがあるから聖山になったのだろう。

 人間の自我なんて環境との間にあるもので、環境が普通でなければたやすく異常になれるのだ。でも覚えておいておくれよ。ゴータマ・ブッダは毎日歩いて托鉢に行ける、普通 の人間の住むところで一生を送ったのだ。どこの民族宗教にも聖山があるが、たとえば六祖慧能、中国の禅宗で第一の人だがね、彼はその近くに奇山名山があったにもかかわらず、里山で町の人々が気楽に訪ねられるところにお寺を建てた。

 いいかな、轅を北にするとは、ひとつは環境的に生死を離れよう、日常から離れようとすることだ。もうひとつは自分の心を生死つまりは日常的な感覚から離れさせようとすることだ。

 それは意図的な精神集中といってもいい。そういうことの為には頑張りの梃になるような公案をもらったほうがいい。漠然と坐るのではなく、無、無、無、無と意識集中をする。

 ギリシャのアトス山でもへそを見詰めたと悪口をいわるように何かに意識を集中させた。イエスの名を唱えるというのもあった。この坐禅だって一歩間違えばそうなる。公案は与えないが、自分でかってに思い詰めるということがある。目をつぶると必ず勝手な自分一人の世界にはまり込むんだ。それを瞑想という人もあるが瞑想じゃない妄想だ。目も耳も日常性の中にしっかり解き放されていないとだめだよ。

 また頑張るのではないから肉体的に本当に辛い時は無理して坐ることはないのだよ。寒さや暑さに耐えたからといって、それで命の問題が解決するわけではけっしてない。耐えるというならイヌイットの人や赤道直下の人の方がほよど耐えているよ。いいかね、坐禅は苦行じゃないし、何かの特殊体験を求めるものでは決してないということだ。臨済宗の師家の中にはあるいはそんな体験へ追い込む人もいる

 白隠なんかどうもそういう傾向がある。一種の神経症だよ。オウムの体験とあまり違わないね。

 わし自身がそういうむちゃな修行をしたのだ。親の敵を取るような必死の気持ちだった。必死の気持ちはある意味では必要だが、向きが間違ってはなんにもならん。もしみんなが頑張って坐禅して特殊な気持ちになったら、それは悟ったんじゃない。ちょっと脳のタガがはずれただけ。それを求めるのはもってのほかだよ。「解脱の道を失う」。場合によっては一生精神病になる人もいる。極度の緊張が精神のバランスを崩してしまうのだ。

 坐禅は緊張じゃない。リラックスするのだ。ピンと張り詰めたリラックス。なかなか言い表しにくいな。リラックスばかりだとラジニーシの行になってしまう。無理な緊張じゃないということは「坐禅箴」の巻に「冬暖夏涼をその術とせり」とあることからもはっきりしているだろう。冬暖たかで夏涼しかったら体も心もリラックスする、気持ちいい。そこで坐禅する。寒行や荒行は仏教とは無縁だ。

 ゴータマ・ブッダは村の娘から牛乳をもらって体力をつけてゆったり菩提樹の下で覚りを開いた。暑いインドで大樹の下は必ず涼しいものだ。

 ヒンドゥー教やジャイナ教の行者は、絶対に牛乳やヨーグルトを口にしない。厳格な菜食だ。ガンジーでさえ牛乳は決して飲んだことがなかった。彼は何度も断食して極度に体力が落ちた時、やっと山羊のミルクを飲んだという。だから彼らから見たらゴータマ・ブッダはとんでもない戒律破り、堕落だということになる。だからゴータマ・ブッダは苦行を否定したのだ。仏教徒は雑食だ。托鉢だから何を貰うかわからん。ここでは野菜を作っておるから、わざわざ肉を買ってまで使わんだけだ。

 だから悟ろう悟ろうと思って頑張るのは間違いだ。いいね。特に若い男性はこれを間違う。体力も気力もいっぱいあるからつい頑張り比べになる。だが坐禅は我慢大会ではない。

 次が実は大問題だ。

『ただ生死すなわち涅槃とこころえて、生死としていとうべきもなく涅槃としてねがうべきもなし』

 こう道元さんが説くだろう。だから曹洞宗の人達は間違える。この身がこのまま仏であると。生死の日常がそのままお悟り、涅槃であると。何も公案に取り組んで苦労することはないと。あるいは世の中のありようそのままで涅槃であると。日常生活それで結構と。これでは修行などどこからも出てきようがない。ただの現状肯定だ。こんな大間違いを提唱でやられるからたまらないね。

 だから曹洞宗には熱心な修行が欠落しておるんじゃ。興道老師の弟子以外で資格取りでなく修行しておる所は数えるほどしかない。嘆かわしいことだ。悠道さんたちも接心では一日十回坐るだろう、並たいていのことではない。アレックスさんも毎日五時に坐禅に行くのは大変なことだ。ゴータマ・ブッダも死の直前まで修行をやめなかった。日々の継続した坐禅修行のために出家ということがある。

 でもまあ、ここを文字どおり受け取れば、そういう間違いもありうる。そうだろう。たしかに生死が涅槃だといっているし、生死だからといって嫌うことはない、涅槃だからといって願うことはないというのだからね。これは道元さん自身がどれほど生死を嫌っていたか、涅槃を願っていたか、その病的なほどの熱意をもったことがなければ、どういってみても間違うな。一度も涅槃など願ったことのない人に『生死すなわち涅槃』といってみても、ああこれでいいのだ、と自己満足しておしまいだ。この身このままではなく、その身そのままなのだ。その身とは坐禅の身だ。

 実のところ資格取りではなくて、坐禅をしようというような人は、みな人生そのものに空しさ、問いを抱えているんだ。なにか具体的問題なら、技術的にそれを解決できる。一人で淋しい人は結婚したらいい、病気の人は医者にかかって薬を使えばいい、何か物が欲しい人は働いてそれを買ったらいい。そういうすべてが叶ったとしても空しい人、そういう極端に欲深な人が坐禅をするもんじゃ」

 真己は耳を疑った。えっ欲深!、わたし欲深かしら。永遠の命を求めることが究極のエゴイズムだ、と神父が言ったことが思い出された。

 もう神父が何をいっているか聞いてはいなかった。自分は欲深であるのか、そんなことはない、とは言い切れなかった。お金を積んでも、いい男を積んでも、すてきなドレスを積んでも、土地も家も宝石もあげるといっても、いやいやをする私がいる。「いやいや、それじゃいや」やっぱりそういっているのだ。

でもそれって、理に叶ってはいないか。百億円持ってても明日死んだら。ああ、そうだ。わたしはそういう変な思想に、もうすっかり浸されているのだ。それは私の理論ではない。イエスの理論なのだ。あの人が悪い。あの人がそういう思想を吹き込んだのだ。モノや性の欲望は満たされれば空しくなるか、それとも果 てしなく更に大きな欲望に溺れていくか、どちらかではないか。持ち物も美貌も遠からず滅びる。

 ああ、そのうえ、生きていくためにあくせくしなくていいと教えたのはあの男だ、イエスだ。子供も名声もなにもかもたいした事ない、捨てなさいと教えたのはイエスだ。そんなことを教えておいて、いなくなってしまうなんて。

 真己はうつむいた。ワーンと泣き出したかった。究極のエゴイズム・極端な欲深・究極のエゴイズム・極端な欲深・究極のエゴイズム・極端な欲深・究極のエゴイズム・極端な欲深、だったらどうすればいいの!

「ただ生死すなわち涅槃とこころえて、生死としていとうべきもなく涅槃としてねがうべきもなし、というのはそのことだ」と神父の声が聞こえた。

 はっと、真己は顔を挙げた。「生死としていとうべきもなく、涅槃としてねがうべきもなし」は、いま実に新鮮に響いてきた。だったらどうすればいいの?どうしなくてもいい。どうしなくてもいいのだ。

「坐禅は何かを嫌ったり、何かを願う、そういうみんながもっている葛藤、まあ人生の重荷だな。そういう重荷をすっかり仏さまに預けてしまって何もしないことだ。もはやどうにもならんからどうもせんでいいのだ。

 あのね、わしにも変な趣味があってね。きれいな石がすごく好きなんじゃ。きれいな石といっても宝石とは限らん。いや、わしは宝石が好きな人のこともよく分かるよ。自分の身に着けたいわけではない。あの神秘的輝きになんともいえず参るんだね。ああ、きれいだ、ほしいなあという思いがわしにもあるんじゃ。でもね。坐禅していたら、なんだなんともない。どうでもよかったと醒めるんじゃね」

 真己はその言葉にまたうつむいた。

「そうかしら、わたし、坐禅してもルベンのこと、どうでもよかったとは思えないけどな。でも坐禅しなくたって、ふっとルベンのこともどうでもいいと思う、これが問題だわ。浅き夢みじ、酔いもせずではなく、浅き夢みし、酔いもせずだから困るんだわ。酔いたいなあ。ルベンの事、できれば好きで好きで、外に何も考えられないほど好きになりたいなあ。佐弥可のこともイエスのこともみんな忘れてルベンが好きということだけになれたらなあ。

 私は醒める、それが問題なのよ。いっそ死ぬほどの恋愛ができたらいいのになあ」

 真己の思いはだんだんあらぬ方へさまよっていった。障子の影が斜めにさしている。そこに蝿がとんできた。蝿を目で追っていると神父の白髪まじりの顔に出会った。

「愛別離苦・怨憎会苦といってな。愛して大好きな人と別 れねばならんことがある。あるいはこちらが愛しているのに向こうはさっぱりというのもさみしいね。苦だ。また憎い奴に出会ってしまう。憎もうと思うわけでもないのに出会ってみると腹が立つ。人間の苦しみの中でも精神的なものはたいていは人間関係の悩みなのだよ。人間関係の悩みをもう一つの関係性で超える道もある。キリスト教はそういう道だ。でも仏教の救いはそういうところにはない。関係性ではない。

 苦しい時、坐ってごらん。一ちゅうか二ちゅう、たいていどうでもよくなりはせんかな。たいしたことなかったと。関係がほぐれて跡形がなくなるのだ。

 ただね、ここでもうっかりすると間違いが起こる。人生、なんてこともないとボーと坐ることが只管打坐じゃないんだ。只管打坐というのは曹洞宗の人はこれだけは知っているという一句ではあるが、これがいちばんくせ者だ。ただ坐ればいいのだとボーッと坐禅している。これがまた間違いじゃ。公案を坐禅中に考えるのはよくないからといって、日々これ安泰とばかり日常性、体制の中に坐りこむのがもっとも悪い。黙照邪禅といってね。なんともないのがいちばんいいとか、無事これ貴人という言葉だけわかったような顔をしてホケーと気の抜けた坐禅をする。これが大間違い。

 坐禅はなかなか難しいのだよ。ただ足を組み手を組み坐ればいいというものではない。道元も《坐禅箴》で『毫釐も差あれば天地遥かに隔たり』といっている。髪の毛一筋でも間違うと天地の開きができると。つまり悟りではなく迷いになると。やはり、ちゃんと覚りを目指すのだよ、坐禅は。

 それが『このときはじめて生死をはなるる分あり』と明言されている。生死を離れる、狙いはどこまでもそこだ。非常に厳しいものだ。虎が山にいるように、竜が蟠るように気迫をもって坐らねばならん。長いだけで気の抜けたような坐禅をするなら、半分の時間でいい、気を充実した坐禅をするように」

 真己は前に自分が楽だから坐禅するといったのを、佐弥可から咎められたことを思い出した。

 気を入れた坐禅か、難しいな、わたしには。ぼんやりそう思った。

それでも次の坐禅は 精一杯気を入れたつもりではあった。特別 の手ごたえなどなっかたが、これできっといいのだ。

 そのようにして、午後の坐禅は終わった。番茶とおせんべいが振る舞われた。

「あのね、真己さん、今日、蛍、見にいかないか。ルベン兄さんも行くって。私、蛍大好きだよ。それに昨日は、私の誕生日だったんだ」

「まあ、それはおめでとう。もっと早く言ってくださったらよかったのに。二八歳になったのね」

「うん、ありがとう。じぶんでもびっくりしちゃう。もう十一年も日本にいることになる」

「アメリカに帰りたい?」

「ううん。ルベン兄さんが来てくれたし、大丈夫だよ。でも・・」

「うん?」

「いや、なんでもない。真己さん、夕食作るの手伝ってよ。何人残る?」

 学生たちが言った。 「蛍、いるんですか、見たいなあ。おい、どうする」

「たくさんいるんですか」

「場所による。この辺ならそんなにいないけど、悠道さんの方へ行くと谷からワーっと光が涌くようにいっぱいいるよ」と佐弥可は湯飲みを片付けながらいった。

「わーすげえ、俺いっぱいの蛍みたいなあ」と学生たちはうわづった声ではしゃいでいる。

「僕達、今日中に帰らなきゃならないんです。だから悠道さんの寺まではちょっと行けません」とアレックスがすまなそうに言った。

「だったら、君達だけ俺の寺に来ないか。手打ちうどんを食わすよ」と悠道が遠くから声をかける。作務衣に着替えているのだ。

 真己は涌き出るように乱舞する蛍を想って、是非朽木について行きたいと思ったのだが、結局、車の都合で学生三人が剛山らと一緒に妙安寺に行くことになった。

 簡単な夕食を済ますとあたりはようやく更けていった。いま頃が一番日が長いのである

 。たんぼに行くので、草の露で靴が濡れるかもしれないと佐弥可が長靴をもってきた。

 長靴をはいて懐中電灯をもってみんなは闇の中を出発した。夜の生暖かい風にのってケロケロ、ゲロゲロとものすごい蛙の合唱が響いてくる。坐禅している時はそれほど気にならなかったが、世界は命たちのひしめき合いだ。

「ほら、いた」

 先頭を行く佐弥可が懐中電灯を振り上げた。暗闇に目を透かすとボー、ボー、と小さな明かりが点滅しながら空を泳いでいる。

「まあ、きれいねえ、あ、あそこにも、むこうにも」と真己はルベンを振り返った。

「ほんとうだ。ほら、ここにもいる」とルベンは足元の草の茂みに光っているものを指さした。

「あ、つかまえてもいいかしら」と言い終わらないうち、するすると白い手が伸びて光りを柔らかく覆った。 「ほら」と真己は包んだ両手をルベンの顔の前でそっと広げた。

 中指の付け根にファー、ファー、と光を放っている黒い点がある。

 またそーっと手を閉じた。子供のようにルベンが笑う。しあわせというものを抱きもっているような気がして真己もほほ笑んだ。