第十章 花ふぶき

 青磁の地に白いさくらのはなびらが散っている着物を真己は着ていた。さくらはもう終わったし、この着物は坐禅会には少し不似合いたっだが自分がさくらの木になったようで大好きなのだ。

 改札口に近付くと視線はルベンを探して人込みの中を泳いだ。柱の横に驚いたような笑顔をみせるルベンをとらえた。小走りに改札口を出ると、

「やあ、きれいだね」とルベンが寄ってきた。

 たしかに今日の真己は匂い立つように美しかった。真己自身胸の高鳴るのを押えかね、ハンカチで小鼻の汗を拭いた。

 ルベンは深いブルーのVネックのセーターを着ていた。その厚い背中を頼もしく見ながら歩いて車に行った。アレックスは来ておらず、 ルベンは運転席に座って助手席のドアを開けた。

「アレックスはちょっと用で東京にいっているんですよ」

真己は「じゃあ、二人だけ・・・」と、ちょっと恥ずかしそうに言った。

 川端通りを走りながら「桜はもう散ってしまいました」とルベンがいう。

 なるほど加茂川べりのさくらの木はもう若葉を芽吹きはじめおり柳が美しく風に吹かれていた。丸太町にさしかかったところで、右に折れた。ふたたび岡崎の突き当たりで左に曲がり白川通 りを走った。かつて真己が下宿していた浄土寺のあたりを通っている。

「私、昔このあたりに下宿していたんです」目を細めて真己は懐かしそうにいった。

「そうですか、ここはK大に近いでしょう。僕はその研究所に行って仏教の話を聞いています」

「まあ、そうですの。私も長いことこの辺りをうろうろして生きていましたわ」

「何を専攻されたのですか」

「哲学ですが、ニーチェとか・・・」

「へえ、ニーチェ。僕は最近ショウペンハウエルやニーチェに興味があるんです。でも真己さんはクリスチャンでしょう。また何でニーチェなんですか」

「私も神は死んだんです」

「えっ」

 二人の間に沈黙が広がった。

そっとルベンを見遣ると、長い睫の下で青い瞳が焦点を失ったようにさびしく曇っていた。

 車が銀閣寺を過ぎた時、「あ、山の中はまだ咲いているかもしれない」と急にルベンがいい、右折して登り坂にかかった。

 狭い道の両側はじきに民家が途切れて薫るような若葉の緑に変わった。その中に赤く燃え出ているのは紅葉の新芽であろう。一面 に花芥を散らしたさくらがところどころにあった。つづら折りの道を曲がるとき、互いの肩が触れる。

 ふーと真己は溜息をついた。

 ルベンがちらっと真己を見る。

 二人の孤児が見知らぬ土地で偶然出会ったような親密な意識に包まれてふたりは揺れていた。

 わたしたちには帰るべき故郷はもうないのだ。なにも言わなくてもどうしてルベンが日本に来たのか、よーくわかる。

 ちょっと真己の方を向いてルベンがたずねた。

「仏教は勉強してますか」

「はいすこし、でももっと本格的にしなければと思っています」

「聖書は一冊でいいけど、仏教経典はたくさんあるから大変ですね」

「ほんとうにそうですね。ことに外国の方にはそうでしょうね。経典までお読みになるんですか。日本語や漢字を勉強するの大変でしょう」

「いや、たいしたことありません。まだ始めたばかりだから」

「そいうえば佐弥可さんも外国人なのに私以上に日本の文化を身につけていらっしゃって、なんだか私は恥ずかしいわ」

 まっすぐ前を見ながらルベンは言った。

「ええ、サラには僕もびっくりしてしまいました。やっぱり夏木神父に預けてよかったです。神父は怪物みたいだけど、そんな人でなければ並の人ではとてもサラとはやっていけません。ものすごいエネルギーが彼女にはあるのですよ。素晴らしい子だ」

 サラのことを話し出すとルベンの目がきらきらするようだった。

 ふっと真己は自分がもう若くないことを思った。

 ルベンが急に話題を変えていった。

「京都のさくらは実にきれいですねえ。僕はいろいろなところのさくらを楽しみましたよ。御所や銀閣寺や加茂川に沿う道や高野川沿いの道・・・竜安寺のあたりにも行きました。いいときに来てよかった」

「本当に京都のさくらはいいですよね。水に散り込むように川ぞいにあったり、緑の山を背景にしていたり、それに紅いしだれざくらはいかにも京都らしいですよね。京都は加茂川に寝転がっているだけでしあわせになれますもの」

 真己は学生時代を思い出していた。

 今と同じように素寒貧で暮らしていたけど、なんだかとても豊かだったような気がする。

 春は文字どおり柳桜をこきまぜて、町中がなまめかしくなった。夏は五山の送り火をどこにいてもしんみりと楽しめた。秋も紅葉の色が他のところとは違ってひときわ鮮やか照り映えた。雪の舞う京都の風情もなんともいえない。民家の細い格子戸はそこを開ければ細い路地が続いて何かが秘められているようだった。歴史の中で淘汰され洗練された美の結晶を、みんなが大切に守っているようだった。町を歩いているだけですてきなのだ。クラシックをかける音楽喫茶があって、本をもっていっては一杯のコーヒーで二、三時間ねばったものである。

 急に辺りが開け広い道になった。

「この辺りに僕の仏教の先生が住んでいるのですが、奥比叡のさくらがきれいだっていっていましたから、そこへ寄ってみませんか」

「まあ、まださくらが見れるのかしら」

 真己は奥比叡には行ったことがなかった。ハイウェイが走っているがバスは通 っておらず、車でないと行かれないところだ。

 やがて二人の車はハイウェイに入った。眼下に琵琶湖が見えてきた。湖は春のおだやかな空の中にうつくしい淡いブルーの瞳を開いていた。宮沢賢治が「湖は夢の中なる青孔雀、真昼ながらにさびしかりけり」と詠んだのはこの辺りだろうか。

 しばらく行くと反対側に京都の町が一望できた。真ん中の緑の固まりは御所だろう。青春のほろ苦い思い出がその辺りにはある。

 周りの風景には不似合いな四階建ての白いホテルの前を過ぎると北山杉の深い林がつづき山の奥に入っていくようだ。

 と、前に緑の樹木に囲まれて淡い薄紅の巨大なぼんぼりが浮き出てきた。満開のさくらだ。

 まあ、と真己は声を上げた。

 それから次々に濃く淡くさまざまな種類のさくら、さくら、さくら。

「すてきだなあ」

 ルベンもすこし上ずった声でいった。

 はらはらと花びらが車に散りかかってきた。

 こんな美しいさくらをわたしたちだけで見ている、素晴らしい秘密を分ちあっているような気持ちだ。いままで車には一台も出会わなかった。

 町なかの青空に向かって同じような姿で咲くさくら並木とはちがって、濃い緑の樹木の木漏れ日の中に白や薄紅あるいは黄緑がかったさくらの木が果 てしなく続いていた。

「あー、やっぱりさくらはきれい」

 見とれているうち道は下りにかかった。

 と、視界が急に開け再びもやがかかったような眠たげな湖が眼下に広がった。

 あっと真己は声をのんだ。そこは辺り一面満開のさくらの林であった。

「ちょっと、降りましょう」

「ええ」と二人は脇道にはいって車を止めた。

 ドアを開けるとはらはらとはなびらが散ってきて着物の裾模様のはなびらと見分けがつかなくなった。

 二人はゆっくりさくらの林に入って行った。

 だあれもいない。

 ホワイトブルーの湖の際は薄墨の低い丘がつらなり、そのまま白を薄く引いたような空がひろがってその上は淡いむらさきに黄昏れはじめている。空色のグラデーションに染まった背景のなかで淡い鴇色にさくらが咲いている。

 微風にのったはなびらがまるで雪が舞うように舞い落ちる。

 並んで歩いていたルベンが大きく枝の伸びたさくらの木の下で立ち止まって真己を見詰めた。

 真己は吸い込まれるように半歩ルベンに近付いた。ルベンがそっと真己の肩を抱いた。真己はその胸に顔を埋めた。

 時が止まった。

 はらはら、はらはらはなびらだけが舞い降りる。満開のさくらの木の下で真己はこのまま死んでしまいたいと思った。一陣の風が吹いてきてルベンの胸に埋めている真己の額にもはなびらがかかった。顔を上げるとやさしいルベンの眼差しが注がれていた。ぎゅとルベンの腕に力が入った。抱きすくめられて熱い血が真己の全身を駆けめぐった。

 ルベンのほてった頬が近づく。真己は目を閉じ、うっすら唇を開いた。熱いルベンのくちびるが真己のくちびるに触れ、重なった。やわやかいルベンの舌が、真己の舌をまさぐる。真己はされるままに身をゆだねた。

 さくら吹雪の中で、なんとせつないなんと甘い抱擁。

 いつまでそうして抱き合っていたのか、わからない。

 急にうす寒くなってきた。じっとり全身が汗ばんでいたのだ。

 真己が見上げると、そうっとルベンが肩から腕を離した。

 柔らかい笑みが降り注がれている。

「行こうか」とゆっくりルベンがいった。「いや、もうどこにも行きたくない」といいたかったが言葉にならなかった。真己は半ば開いたくちびるに、さくらのはなびらが舞い降りた。

 だまって頷いて、真己はたもとからハンケチを出して自分のくちびるとルベンのセーターについたはなびらを落とした。

 真己はそのまま、立ち去りがたい思いで満開のさくらを、また見上げた。一陣の春風が吹き付けて真己の髪を乱し、着物の褄を翻した。

 今が、ここが、この世とは思われなかった。

 このままここで眠るように死ねたらどんなにいいだろう。ぼんやりさくらをみている真己をルベンは黙ってもういちど抱きしめた。

 車が走り始めてから真己はもう一度振り返ってみた。暮れ始めた薄緑の中にそこだけがぼおっと一面 さくら色に輝いている。真ん中の木の下に二人の姿が見えるような気がした。

 二人が慈光庵に着くころには夕闇が迫っていた。

 琵琶湖の対岸の明かりがちらちら灯り始めている。

 真己が車から降りると佐弥可がゴロウの綱をもって憮然とした表情で立っていた。

「二人できた。遅かったよ」

 それだけ言うとすたすたと母屋に歩いていった。

 彼女は今夜てんぷらを用意したのだ。たらの芽、豆科のあずきな、たんぽぽの若葉、白っぽく芽を吹いた場か理のよもぎ、つわぶきとカキの若芽、いたどりの新芽などが笊にいれていろりの縁においてあった。

「遅くなってごめんなさいね」といいながら真己はランプをつけた。

「えーと、何を手伝いましょうか」

「もうほとんど終わった。ごま油もってきて」と佐弥可は無愛想にメリケン粉を溶きだした。

 鉄の土鍋に一升瓶に入ったごま油がなみなみと注がれる。豪快な野草のてんぷらだ。

「これがここの名物料理だ」と神父はごきげんである。油が熱くなりだした。

 よもぎを二三枚つまんでは衣をつけて入れる。ジュといってちいさな泡が立ち、たちまち薄いきつね色になる。采箸で引き上げるのは真己の役目だ。揚げたてを和紙を敷いた竹ざらに入れる。

「このてんぷらつゆが又おいしいんだよ」神父は今日は言葉すくなに、もっぱら春の野の恵みを堪能している。

「今度は僕がやろう」とルベンが佐弥可の方に手を伸ばした。

「いいよ」とつっけんどんに佐弥可は言った。

じゃあ、と横の真己の采箸にルベンの手がいった。

「お願いします」と真己はすなおに箸をあづけた。

ぼんやりルベンの手を見ていると「真己さん、今日はどうかしてない」と佐弥可がとげのある声で言った。

 真己はハンケチを小鼻に押しあてた。

「てんぷらであつくなっちゃって」とはいったものの、なにかが体の中でゆらゆらと揺れているようだった。

 

 神父がいるときは真己は離れの佐弥可のところで寝る。

 懐中電灯で足元を照らして離れに向かった。佐弥可と何か話さなくてはならないかと思うと、気が重かった。だが、佐弥可は「もう寝ようね、おやすみなさい」といっただけで床にはいった。   真己は手早く着替えをすませると、薄いふとんに滑り込んだ。

 冷えた頬に、熱いルベンのくちづけが蘇る。なかなか寝付かれなかったが、寝返りを打つと沙也加になにか感づかれそうで、じっとしたまま、真己はさくらを、ルベンを思いつづけた。

 朝になると悠道と剛がきた。

遅れて緑も久しぶりにやってきた。緑ははつらつとして一回り大きくなったような感じだ。

剛はなんとくりくり坊主だった。

「どうしたの、お坊さんにでもなるの」

 半ば本気で半ば冗談で緑が尋ねた。

「うん、彼は出家するんだよ」と嬉しそうに悠道が代わって答えた。剛はつるつるになった頭を掻いていった。

「やっと卒業できたし、就職するよりよっぽどやりがいがあると思って」

「とうとう出家するのか。やれやれご両親にはお気の毒だね」と神父は神妙にいった。

 そう、両親にしてみれば、剛の選択はとんだ極道というものだ。せっかく育てたのにその実を泥棒されるようなものだ。

 真己は自分が出家したら両親はどう思うかな、とちらっと思った。もういいかげん諦めているから別 にどうってことないな、延々と大学に行き続け、嫁にもいかず、就職もせず、このままでもりっぱな極道娘なのだから。気楽なような寂しいような気がした。

 剛に向かって「わたしがお袈裟縫ってあげる。真己さんも手伝ってよ」と佐弥可がいった。

「お袈裟って?」

「これ」と佐弥可は悠道の身を覆っている茶色の四角い布を指さした。

 ルベンがやってきて珍しそうに、手で触っている。

 神父が真己に「この前きた浅野君ねえ、彼にアメリカの禅センターを紹介したよ。もう日本にいたくないって言っていたからねえ。来週にも出発するといっていたよ」といった。

「浅野さんも出家するのですか」と真己が聞くと、

「さあ、わからんが彼は一度出家したつもりだからね。あの人もこれから大変だ。心の整理が」と神父はつぶやいた。

 午後の作務はどんより花曇り空の下での、山菜取りだった。みんなで山の方に歩いて行く。うすむらさきの山つつじが燃えるように咲いている。

 真己はなんとなくルベンから距離をとって、佐弥可にくっつくように歩いていた。小道はいつしか小川に面 していた。その南斜面にはちいさな握りこぶしを振り上げたような蕨がたくさん出ていた。

「これは、白味噌でたたきにすると、すっごくうまい」と佐弥可はいい、みなは崖におりてきた。

 蕨を取りながら進むと棚田にでた。その畦道の両側につくしがいっぱいある。つくしの姿はいかにもかわいい。頭がほほけておらず袴が重なっていない太いものを選んで採る。

 両手に一杯採った真己が「これ、たまご綴じですか」と神父に聞いた。

「うん、それもいいが酒と醤油で煮ておくと長くもつよ。」

 しばらく行くと道端にいたどりが細い竹の子のような赤い茎をのばしている。佐弥可は目ざとくみつけてぽきっぽきっとと折って採っていく。

 ルベンが真己の方にやってきた。

「山には食糧がいっぱいなのですね。都会育ちの僕には驚きですよ」とほほ笑みながらいった。

 ルベンに声をかけられるとぼおっとほほが染まる。そんな様子を佐弥可に見られたくなかった。

「ええ、こんなに山菜を採るの、私もはじめてです」と答えて、五十センチほどのいたどりを摘んだ。

「これ、このまま食べられる」と佐弥可が割って入ってきた。

 赤いいたどりを折ってしがんでいる。真己も口にいれてみた。すっぱい青い味がした。佐弥可は残りの半分をルベンの口に入れている。真己はますます口がすっぱくなった。

 

 提唱は、今回から道元の生死巻だった。神父は部屋の中でもまだ綿入れのちゃんちゃんこを着ていた。テクストのプリントが配られ話が始まった。

「まず、テクストを読むよ。

  生死の中に仏あれば、生死なし。また云く、生死の中に仏なければ生死にまどわず。  こころはかつ山・定山といわれしふたりの禅師のことばなり。得道の人のことばなれば、さだめてむなしくもうけじ。生死をはなれんとおもわん人、まさにこのむねをあきらむべし。

 

 まず生死ということが何を意味しているかが問題だ。仏教で生死といえば、生きることと死ぬ ことを意味するだけではない。生老病死を縮めていったもので、私の人生全体だ。生老病死は四苦といわれるもので、前にも話したようにブッダの人生に対する根本姿勢は生まれては老い病気になり死ぬ 苦しみと捉えることだ。

 人生がつらい、苦しいという自覚があってはじめて仏教に出会うことができるといってもいい。生きることがつらいといってもいろいろな辛さがある。犬や馬にもつらいことがあろう。それは外界の影響によって生理的に被る辛さである。水や食べ物がなかったり、ひどく寒かったりしたら生物はみんなつらい。

 四苦に老病があるからそういう苦しみを含むと思われるかもしれないが、実は違うのだ。ブッダは自分が老人の苦しみを味わったのではない。病気になったのでも死に瀕したのでもない。ブッダは他の人間の苦しみを見たのだ。そして自分もそういう道を歩むのかと思った。死んでそしてまた生まれる。すごい想像力だ。人生を一瞬にして見抜いてしまったのだ。

 当時のインドでは輪廻転生は常識だった。死んでまた生まれる、その繰り返しが彼にはたまらなかったのだ。なんの為に生まれてきたのか、これが生死の問いの根本にある。彼はもう二十九だった。人生というものを何も知らない少年ではない。学問や武芸を身につけ、妻を娶り子供を設けている。その時、はた目から見れば彼は老病死とは無関係な幸せの絶頂にあったといってもいい。

 だが、人は何の為に生きているのか。鋭敏なゴータマ・ブッダには他人の苦しみを見て、この問いがいやがおうでも沸き起こってきてしまったのだ。

 こういう問いを問うということは動物や植物にはない。これは直接的な死の恐怖とはまったく違う。何の為に生きているのかを知らないまま生まれまた死ぬ 、その繰り返しを空しいと思ってしまったのだ。永劫の繰り返しが空しいということ、これは自らを自覚する者だけが抱く思いだ。なんだ、ばからしい、そう思ってしまう人がいるんだ。

 人間はおかしなもので、生きるために必死の努力をしている時はあんがい苦しくても、なんだばからしいとは思わない。若いゴータマのように生活が満たされると逆説的に起きてくる思いなんだ。緑さんが前にいっていたように、今の若い人はある程度のことは満たされているな。ハングリー精神なんてこのごろはお目にかからない。だから若い人がかえって空しいと感じてしまうのだろう。

 ブッダは生・老・病・死と一生を総括したが、今の人はサラリーマンに就職し、ローン返済・年金生活・死とまあお金を媒介にして人生を総括できてしまうんじゃないかな。総括してしまうと、なんだ、ばからしいという思いが沸いてくるのは当然だ。そこで、生死が、私は何の為に生まれ何の為に死ぬ のかが問題となる。

 さっき、この人生を苦しみと捉えることから仏教は始まるといった。それは自覚の事柄としての苦しみであって、生理的生命的なものではなかった。ここですでにキリスト教と仏教の道は別 れるのだ。キリスト教は端的に病いの苦悩、貧しさの苦悩、弱者の苦悩そのものを救うのだ。

 他人の病や貧しさを見て観ずるのではない。自分自身がその苦しみにさいなまれている者をイエスは直に救った。後代のキリスト教はまあ具体的に救うというより救いの宣言をするわけだ。そこをマルクス主義が現実と理念の転倒だと非難するのだがね。

 それに対して仏教は苦の自覚から始まり、自覚の根本を変化させ苦を滅しようとする。テクストを見てみよう。

「生死の中に仏あれば、生死なし。また云く、生死の中に仏なければ生死にまどわず。」  道元さんはこのようにいわれているし、それでいいんだが、まあ文献学的なことをいえば、これはもともと「生死の中に仏無ければ、すなわち生死無し」というかっ山の言葉と「生死の中に仏有れば生死に迷わず」という定山の言葉だ。「なければ」と「あれば」では正反対の意味だということになるが、言葉はそれが使われた状況、文脈やあるいはその人の解釈でいろいろな意味になる。仏教の話は論理ではないから、論理ではどちらでもいいんだ。

 論理で分かることは頭の問題だ。頭で考えて疑問に思うことを仏教が答えるわけではない。私のまるごとの問題、つまりさっき言ったどうしても考え込んでしまわざるを得ない問題、人生の根本問題を相手にしているのだ。だから解釈というのも決まった模範解答があるわけではない。それぞれが自分の問題を仏教の言葉の中にどれだけ深く拘わらせるかが問題なのだ。

 自分の問題なのだから自分に答えが出ればそれでいいんだ。今の学校でやっているような自分に関係ない暗記と資料の収集、方法論によって解ける問題とはまったく質がちがうんだ。どう主体的に問うか、問い方の方が問題なのだ。

 そこで「生死の中に仏あれば、生死なし」を、道元さんはかっ山禅師が言った言葉であり、さだめて意味がある言葉に違いないと受け取ったんだ。さあ、どんな意味か。これは道元の問題であると共に私達の問題、いや、わしの問題だ。

 わしはね、ここを宗教の肯定と取りたいのだ。以前チベットに行ったとき、連れのものがテントで暮らしている遊牧民のおじさんに、あなたは生涯でいついちばん嬉しかったか、と聞いたんだ。まあ馬鹿なことを聞くもんだとは思ったが、その答えが素晴らしい。ヒツジの世話をしている時というんだ。聞いた者の方はラサに行った時とかダライ・ラマに会った時とか結婚式とかという答えを期待していたんだろうね。だから、追っかけて「毎日毎日同じことをしていてですか」と質問した。するとうんうんうなづくんだ。澄んだ瞳をしていい顔をしていたね。深くしわが刻まれたその顔から生きる苦労には事欠かなかったことが伺われる。なんせ四千メートルの高度だ。風の冷たかったこと。

 そこでは水も毎日川まで汲みにいかなきゃならん。だけどもヒツジの世話をしている時が一番幸せだと。彼もきっと仏教の信者ではあろうが、いいんだ、こういう人は。生死なしだ。人生の大いなる肯定だ。

 『苦海浄土』で水俣病になる前の天草の漁師が、おかみさんと一緒に海に出て魚をたくさんとってそれを無塩つまり刺身で食べる、こんな浄土がどこにあるか、といっていた。あれと同じだ。そういう人はちゃんと何かを信じている。それでいいんだ。まあ、反論はあるだろうがこんな気持ちになったのはわしだって最近のことだ。若い神父たちを教育するのに、めしばっかり食ってぼーとしていたらいかん、それでは南洋の島で食うための心配がないからと踊っている人達といっしょだ、命懸けの気持ちをもたなきゃならん、なんて説教してたんだよ。わしがね。

 だがね、神様が与えてくれる今日一日の糧で満足して暮らす、これは最上の幸福だよ。そういう人たちこそ「生死の中に仏あれば、生死なし」だと思う。都市文明などなければ、キリスト教も仏教もいらないんだ。支配する者がいなくて貧富の差がなく、物や金の蓄積など無ければ仏教もキリスト教もいらん。いま、わしはそう思う。わしがそうやっと気付いた頃、残念ながら地上のすべての地域に貨幣経済と都市文明が浸透してしまった。腰蓑ひとつの人々でもいまやお金がいるんだ。子供を都市にやるんじゃ。自分もラジオが欲しい、時計が欲しいということになった。

 道元さんはそういうことをいいたかったのではないかもしれん。むしろ、仏があれば生死なし。仏があれば生死の苦しみがないといってもいい。そんな意味でいったのだろう。人生に仏という絶対者があったらと取ってもいいし、自分が悟ったらと取ってもよかろう。 

 テキストは続いて「生死の中に仏なければ生死にまどわず」といっている。これはね、道元さん一流の逆説で、この人生に仏などなければ、それを求めて迷うこともないといっているのだろう。

 あのね、恋愛って不思議なものじゃないかな。恋愛で苦しむということがあるだろう。恋の辛させつなさというものがある。場合によっては一緒に死んだり人を殺したりもする。恋などしないほうが楽かもしれない。それをどうも似たところがあるな、宗教は。宗教なんかないほうが迷わないということがある。なまじ宗教を生きようとするから間違うということがある。イエスが痛烈な宗教批判をしたようにね。だからこれは読みようによっては宗教の闇を示す言葉とも受け取れる。宗教を求めるというのは決していいことばかりではない。非常に危ないものでもある。一生を棒に振ることだってある。

 わしはいまね、麻原さんが死を克服しようということをあまりに言ったから、かえってみんなが迷って臨死体験のような修行をやったのだと思えて仕方ないんだ。ここ数年彼は死ということをやたらに強調している。

 たしかに死を漠然と考えてなんとなく恐ろしいと不安に思っているよりも、しっかり死を見詰めることは大事だ。それはゴータマ・ブッダ、麻原さんはサキャ賢神というが、彼が繰り返し説いたことだ。うん、サキャ賢神、これはどうしたって間違いだよ。ゴータマ・ブッダは神ではない。ブッダというのは覚者、悟った者という意味だ。賢というが、そんな称号は彼にはない。釈迦牟尼仏というのは釈迦族の釈迦であり、それはサキャと訳してもいいが牟尼は聖人という意味だ。賢人ではない。聖人はだいたい愚者だがな。とにかく賢いという形容詞はつかないよ。世尊、善逝、調御丈夫、世間解、天人師、など十の称号があるが絶対に賢神はない。呼び名を間違えるというのは非常に失礼だよ。イエスに哲人イエスなんていったらおかしいだろう。まあ仏教の人達がオウム真理教は仏教じゃないっていうのも分らんではないが、宗教ではないなんていってはいかんな。わたしたちはうっかりするとオウム真理教と同じになるんだ。

 つい脇道にそれたが、それで、「生死の中に仏なければ生死にまどわず」。

 仏とは死を超克したものであるといえよう。だがうっかりすると文字通 り死が超えられると思ってしまう。麻原さんもあの死のマントラで「人は死ぬ。必ず死ぬ 。絶対死ぬ。死は避けられない。しかし、しかし、わたしたちはその死を超えることができる」といっている。だがこれは非常に危ない。死に対して無感覚になったり、勝手な妄想をしたりして、ついには自殺を積極的にする結果 にさえなる。

 今度のオウムの事件で麻原さんは、さあ一緒に死にましょうというようなことを放送していたそうだが、集団自殺に至らなくてほんとうによかった。二次大戦が終わったとき死を超える訓練を受けていた者の中には、負けるよりは死んだ方がいいといって自殺した者たちもいる。あるいはイエスが批判したファリサイ派の人々は非常に宗教熱心だったし、ゴータマ・ブッダのころ一緒に修行していた苦行者も大変熱心だったに違いない。だからもし、仏がなければ、換言すれば解脱や悟りや救いというものがなければ、この人生、生死に迷うということもないだろう。だが、また生死に迷うということがなければ宗教を求めることもない。

 ところが恋に落ちるということが、好むと好まざるとにかかわらずあるように、生死に迷う、いったい何の為に生きているのだろうという疑問も、好むと好まざるとにかかわらず、ふっと起きてしまうんだ。生死を問うとは、突き詰めて行ったら死ぬ か生きるかの問題だ。

 そう、自殺ということも人間だけがすることだ。死を恐れることと自殺、これは正反対のようだが人間だけが成し得ることとして隣接した問題だ。ガンを告知された人が死が怖くて自殺する場合もある。こういうことはちいさな子供にさえあるねえ。幼くても生死に迷うんだ。そういう意味でもただ死を超えるのではなく生死を超えるということでなくてはならない。

 テキストに「生死をはなれんとおもわん人」とあるように、生死をはなれる、あるいは超えるということがなければ、真の宗教にはならん。祖先をお祭りしていれば宗教だということではいかん。だがそれをどうはなれるかが問題であり、道元はこの巻でそれを説いているのだ」

 

 そう、恋はするものではなく落ちるものだわ、と真己は思った。それも選りに選って佐弥可さんのいい人と。今の私には宗教よりも恋の方が大きいのじゃないかしら。自殺か。わたしも、もう死んでいい。あのさくらの木の下で死ねたら、もう、なにも思い残すことはない。

   真己は目を閉じた。目の奥でさくらのはなびらが乱舞する。