「生死の中 雪ふりしきる」

 一章 露地

 竹の生け垣が母屋に向かって大きく曲がったところで、日本人とは見えないスモ−クブルーの目をした大柄な娘に出会い、真己は思い詰めたまなざしで声をかけた。

「夏木神父さまはこちらでしょうか」

鋭い真っすぐなまなざしがかえってきた。

「神父さま、今いない。あんた、どこから来た」

ぶっきらぼうだけど、なんてきれいな目をしている人だろう。真己はその瞳に吸い込まれそうになっていった。

「名古屋からですが、神父さまはいつお帰りになるのですか」

「いつか、まだ手紙こないからわからない。疲れただろ。入っていいよ」

 その一言にふっと肩の力が抜けた。「お邪魔します。吉村真己と申します」

「こっちだよ、待ってて。犬たちにご飯あげてくるから」

 草がぼうぼうと生い茂る露地を歩きながら、「もう、どこにも帰りたくない」と真己は思った。駅からたずねたずね一時間も歩いてきたのだ。どうしても神父さまにお会いしたい、そのほかの事は考えていなかった。あの人はだれかしら。日本人ではないみたいだけど作務衣なんか着て。でも、あんな目、私もほしい。赤とんぼが、ついと杭にとまり透明な風が吹いた。真己は古い茅ぶきの母屋の前にたたずんで彼女を待った。母屋はあまり大きくないが太い柱には塗られたべんがらが黒ずんで、長い時を耐えてきたおだやかな風格があった。まわりには山茶花が植えられて、ピンクのつぼみを蓄えていた。その向こうのつくばいに、竹のといから水がしたたり落ちるのに真己はぼんやり目をやっていた。もうほほけた赤茶色のわれもこうが風にゆれている。

 半時間もしてから彼女はひょろっとした大根と土がついた菊菜をもって戻っててきた。

「上がっていたらよかったのに。疲れただろ」

土間に入ると上がりかまちの向こうの部屋には炉が切ってあった。

「わたし、佐弥可。神父さまの留守番よ、よろしく」

「どうぞよろしくお願いします。神父さまいらっしゃらないのに、よろしいですか」

「よろしいって、今から帰れないだろ。名古屋まで」

佐弥可はあきれたように、しかし笑みを含んでいった。

「はい、考えていなかったものですから」

「神父さまはよくいないよ。手紙、書かなかったの」

「とにかくお目にかかりたかったものですから」

 真っすぐに思い詰めた口調で答える真己に、佐弥可は、この女ちょっとガキみたいだけど話は分かりそうだと思った。

「ランプの付け方わかるかなー」

「知りません」「こうやって回すと芯がでるだろ。ここに火を点ける。もうひとつ、これもつけて」

 大小二つのの石油ランプに灯った火のぬくもりで、真己はやっと自分の無謀さを知った。電話も電気もない、駅から歩いて一時間もかかるこの草庵を突然訪ねて、もしだれもいなかったら、今夜はどうするつもりだったのだろう。

「大根切るの、手伝って。台所はこっち。はっぱも全部入れるからもってきて」

 ああ、この娘はいい人だ。本当にいい人だ、腰をあげて台所に向かうと安堵が胸の中に広がっていく。流し台は一応あるが、蛇口はない。横に大きな瓷があり杓がおいてある。大根を切っていると「鉄鍋に水いれてもってきて」と佐弥可の声がした。戻って来ると、炉には火が起こしてあり、自在鉤が揺れていた。

「これでお食事つくるのですか」

「コンロも時々使うけど。流しの横にごぼうがある。それも切って。あと笊の中に菜っ葉」

 鍋が煮えてくると佐弥可は昆布とじゃこをほり込み、野菜を入れた。 居炉裏に直接薪を入れるので煙い。だが最近、身も心も疲れて外食がちになっている真己には、湯気と出しの香りだけでもあったかなごちそうに感じた。佐弥可はくろっぽい粉をと水で溶いている。

「それはなんですか」「そば、うちの畑で作った。製粉したばっかりだよ」

覗くとぷーんと良い香りがする。味噌を溶き、練ったそば粉を鍋に落としていく。

「そばがきって知ってるかな。むこうに椀と箸があるからもってきて」

台所にはわずかな陶器の皿と椋の大きめ椀があり、箸立てには竹で作った箸があった。高さを違う箸を二組み揃えながら、やはりなんともいえない温もりを感じた。佐弥可がたくあんを樽から出して切っている。鉄鍋には味噌とそばの香りが立っていた。木の杓子でそれをよそってもらう。

「じゃ食べよう」「はい。いただきます」

 一口すすると暖かさがお腹にしみとおる。懐かしいものが一気に溢れだし、真己はぼろぼろと涙をこぼした。「どうした」「・・・」涙は止めようもなかった。こんなに甘い大根、こんなに香りの高い、そばがきと菊菜、こんなおいしいもの食べたことがあったろうか。外食は洋食も和食も決まりきったメニューで最近おいしいと思ったことはない。自分で作っても一人の食事は冷蔵庫でねている材料が半分は使われるし、どうせ自分一人の食事だから力も入らない。あったかいそばがきを食べながら、涙と鼻がどうしようもなく流れる。「そのままでいいよ」という佐弥可の声はぶっきらぼうだかやさしかった。

 食事を終えて食器を片付けたあと、鉄鍋をおろして、瓶掛けを掛け佐弥可は「お茶を点てよう」といった。「お茶・・・」不思議そうな真己にかまわず佐弥可は茶箱をもってきた。茶だんすから黒い塊を一つまみ、懐紙の上に載せておいた。少し茶色の髪を束ねて後ろに結んでいる佐弥可の面が、きりりと引き締る。静かに茶箭を出し、茶杓をその上にそっと置き、丁寧に茶器を出して床においた。茶碗を重々しく取りだして前に置き、茶巾を畳んで箱の蓋の上においた。息をつめて真己は見ている。袱が美しくさばかれて茶杓や茶器が拭かれ、瓶掛けの蓋がとられて杓で湯が汲まれた。すっと美しい手が伸びて茶箭が静かに持ち上げられ宙を舞うように茶碗の中にことっと音を立てて置かれ、さあっと上に上げられくるりと回ってことん、とくるりと回ってことんさらさらっと引き上げられた。「それ、沖縄の黒砂糖、どうぞ食べて」 真己はもじもじしながら手を伸ばして懐紙を引き寄せ、黒い土塊のような黒砂糖を口に含んだ。素朴な力強い味だ。茶が茶碗に汲まれ、杓で湯が注がれた。茶箭が振られて緑色の液体は細かな薄みどりの泡に包まれた。ゆっくり茶箭が引き上げられ、佐弥可の手のなかで二度回されると、どうぞ、と真己の方に置かれた。片手ではとどかない距離だ。

「あの・・どうしたらいいのですか」

「ここに来てとって飲んだらいい」

「はい」真己は立って一歩前に出て茶碗の前に座った。こんなふうに抹茶を飲むのは、初めてだ。高校生の時、京都の寺院をたずね、みんなといっしょに抹茶を飲んだが、それはお菓子と一緒にお盆に乗せられて出てきたのだった。そのときは抹茶より大徳寺納豆の入ったお菓子の方に気が行き、どうやってお茶を飲んだか覚えていない。日本人の私がお茶の飲み方も知らない。なんだか体がほてるような気がしたが、それよりこんもりとした緑の液体の美しさにすっと手が伸びた。かぐわしい香りに顔を埋め、ゆっくり口に含んでみるとほんのり甘い。喉をなにか静々しいものが流れて、静寂の余韻が下腹にしみわたっていく。「おいしい」真己はしみじみそのお茶を飲み干した。「もういっぱい?」おもわず「ええ、とても」といっていた。佐弥可はまた凛とした仕草でお茶を点てた。二つのランプに照らされたその姿は、静かな美しさそのものだった。時がここでは止まっている。ゆっくり二服目を飲み切ろうと顔を持ち上げたとき、ああ、おミサみたい、と真己は思った。真己はかつてキリスト教の牧師になろうと思っていたほど熱心なクリスチャンだった。牧師の話しを聞くよりも黙ってミサにあづかり、薄いウエハースの「主の体」と赤ワインの「主の血」をいただくことの方が好きだった。ひざまずいて顔を上げ、ワインをいただいた。体で受け止める確かさがあった。けれど聖餐を受けなくなってもう何年になるだろう。ぼんやり頭を傾げていると、「今度は私も飲むから、お茶椀」と佐弥可が手を伸ばした。彼女はまた静かに茶を点て、手に載せてからゆっくり二三度回してしゃんと背を伸ばしたまま、茶を飲んだ。まるで静かで、真己は口を開くのが憚られる思いがした。まだずいぶん緊張しているのだけど、心の底のほうは、ゆっくりくつろいでいるようだ。夜の暗さが心を静める。茶の道具を仕舞はじめた佐弥可にやっとこう聞いた。

「神父さまはいま、どちらですか」

「フィリピンの小さな島。イスラム教の人たちのところへ行くっていったよ。カトリックとイスラム教の人がうまくいっていないんだって。でもきっともうじき帰ってくるよ」

「なんだかどうしても神父さまにお会いしたかったものですから」「帰ってきたら神父さまに伝えるから、住所ここに書いて」

「はい、お願いします。あの、佐弥可さん、あなたはどちらからいらしたの。長くここにいらっしゃるのですか」

「わたし、アメリカから連れて来られたけど、アメリカ人じゃないよ。インディアンのところで育ったんだ。おじいちゃん、モンゴルから亡命してアメリカインディアンと一緒に暮らしていたんだ。わたしも東洋人だよ」

「とても日本語が上手で、作務衣を着ているのでびっくりしました。お茶を点てられるので、またびっくりしました」

「びっくりって日本人でしょ。なぜ日本人は自分の文化、大事にしない」

「そうですね。なんだか考えてもいませんでした」

「こんなにいいものがあるのに、もったいないな−」

「どれくらい日本におられるのですか」

「もう十年になるかな−、十七の時、来たんだから」

「どうして神父さまと知り合われたのですか」

「わたし、ニューヨークの少年院に入っていた。ニューヨークに親がいるんだけど、うまくいかなかったんだ。そしてインディアンの私の恋人、白人に殺された。インディアンの友達と一緒になって白人に復讐してやろうと思って暴れていたんだ。神父さまが少年院にきたとき、気が合ってここに連れて来てくれたんだ」

「十七の時から一人でここに」

「一人じゃない。神父さまと一緒だよ。九歳でおじいちゃんが死んだときは、ずっとひとりぼっちだった。十六歳でニューヨークに引き取られるまでね」

「たったひとりでどうして暮らしていたの」

「前はおじいちゃんと馬五百頭も飼っていた。だからその馬飼っていた。まわりのインディアンみんな助けてくれたよ」

「学校は」

「馬でいったよ。だけど英語を無理に使わせて私達の言葉、禁止したから、学校大嫌いだった」「えっ。馬で。長靴下のピッピみたい。でも、アメリカで英語を話してなかったのですか」

真己の目が輝いた。馬が好きで学校が大嫌いなんで私にそっくりだ、と思ったからだ。真己はまだ登校拒否という言葉などないころ、高校に行こうとすると、腹痛が起こり、毎年三分の一は休んでいたのだ。実は学校をさぼったため英語も苦手だった。

「自分の仲間の言葉、話してた。シャイアンの言葉。アメリカは、英語だけでないよ。インディアンの言葉たくさんある。スペイン語の人もいっぱいいるよ。その長靴下のピッピってだれ」

「童話の主人公なんですけど。馬で学校に行っていて、わたし憧れていました」

「馬、好きか。私、自分の馬六歳の時もらったよ。その馬、岩につまづいて足折った。怪我した馬、生きていけないんだ。泣きながらおじいちゃん馬殺した。そしてその場でその馬の血を飲ませたよ。馬、私といっしょに生きているんだ。それから私、強くなったよ」真己ははるか草原を髪をたなびかせて馬を馳せる少女を思ってふーと溜息をもらした。なんて不思議なすてきな娘なのだろう。こんな娘が現代の日本にいるなんて。ランプの火がちらちら揺れた。

「真己さん何しているの」

「まあ、先生かな」

「先生って幼稚園の」

「いえ、大学の非常勤講師です」

なにか申し訳なさそうに真己は答えた。「へぇ」佐弥可はきょとんと真己を見た。髪をおかっぱにした童顔のこの女は、少し頭が弱いのではないかと思ったんだけど。どう見たって大学の先生はおかしいよな、こんなとこに、ちゃんと連絡もしないで突然来るだもの。「何、教えている」

「ええ、あの・・・キリスト教学」

「キリスト教・・・」佐弥可の目が暗く光った。

「わたし、大嫌いだよ、キリスト教」

「でも神父さまはカトリックの・・・」

「神父さまは別だよ。私、学校でキリスト教、プロテスタントのキリスト教を無理やり教えられた。プロテスタントの学校、インディアンの子供、無理に寄宿者に入れてインディアンの言葉、文化忘れさせるんだ。真己さん、どのくらいのインディアンが白人に殺されたか知っている。四百年間に九十九パーセント。どうしてキリスト教好きになれる」

 佐弥可の顔がゆがんだ。真己は声が詰まった。たくさんの白人がインディアンを不当に殺したことは知っているけど、まさか九十九パーセントということはないだろう。でもこの娘が怒るのはよくわかる。

「もう、寝よう。明日は五時に起きる」

「えっ。早いですね。起こしてくださいますか」

「うん、私は五時に起きるけど、疲れたなら寝ていてもいいよ」

 まだ十時にはなっていなかった。薄い布団にくるまって、静かな闇の中に、何度も佐弥可の「大嫌いだよ、キリスト教」という言葉がこだました。わたしだって嫌いだ、キリスト教は大嫌いだ、でもイエスは違うんだ。さまざまなキリスト教批判が真己の頭の中を駆け巡り、いつまでも眠れなかった。

 チチチッという小鳥の鳴き声に目を覚ますと、もう佐弥可はいなかった。障子のあたりはほんのり明るくなっている。こんなに早く起きるのは珍しい。そそくさと服を着替えて外に出てみると、湖の向こうの山から朝日が昇ろうとしているところだった。みるみる雲が茜に染まっていく。すがすがしい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。さーと金色の光がさし真っ赤な太陽が昇ってきた。松の小枝の露が虹色に輝く。草の葉も輝いている。シュッと鋭い音が空気を伝わってきた。そちらの方へ歩いていくと、佐弥可が稽古着を着て弓を射ている。弓は身の丈より高い。大地にすっくと立ってきりりと弓を引き絞る。その真ん中から髪を分け後ろに束ねたその横顔は犯しがたい威厳が備わっていた。円い標的に狙いを定め、ひょうと放つ。プスッと的に当たる。また矢をつがえ、静かに力強くきりっと弓を引き絞る。ああ、この構えお茶を点てていたときとそっくりだな。朝靄の中で真己は弓の稽古に見とれて時の経つのを忘れた。

 名古屋に帰って、真己は学校の図書館で『アメリカ・インディアン悲史』を借りて来た。読みはじめると、まず最初のイギリスからの移民が冬を越した時、インディアンからとうもろこしやその他の食糧をもらったと書いてあった。えっ、前に見たインディアンの映画では、暴れ者のインディアンの青年が、インディアンの娘といっしょについに畑を耕し、とうもろこしを育て定住して子供が生まれるところで白人に捕まったというストーリーだったのに、あれは嘘だったのだなと思った。実はインディアンは耕作を行っており、とうもろこし、たばこなどを栽培していた。それを白人が見習ったのみならず、次々のその農地を奪っていったのである。読み進むうち、たくさんのインディアンの民族が白人の奸計や一方的な攻撃で皆殺しの目に会い記事が続き、胸がきりきりする。それに必死で戦い、あるいは必死で生き残る術を考えるインディアン。ショーニーインディアンのテクセムはインディアンの大同団結をこう呼びかけた。「いまペクォートはどこにいるか。ナラガンセット、モヒカン、ポカネット、そしてわが民族の、他の強力な部族のかずかずはどこにいるか。かれらは、白人の貪欲と抑圧のまえに、あたかも夏の日をうけた雪のように消えてしまった。我々は、我々の民族にふさわしい努力をなすこともなく、こんどは自分たちの番だとして、破滅させられるままになろうとするのか。偉大なる精霊によって我々に贈られた我々の家、我々の山河を、闘うこともなく放棄しようというのか。我々の祖先の墓も、我々にとって大切な、聖なる、すべてのものを・・・諸君は私とともに叫ぶにちがいない。いや、断じて、断じて、そうはさせぬ」

 しかしそのセクテムも壮絶な戦死で果てた。

チェロキー族のセコイアは何年もかかって民族の言葉を表す文字を考案し、それは他の民族にも及んだ。その言葉はたちまちひろがり数年の内にチェロキーの文盲率ゼロになり、七年後にはなんとチェロキー語と英語を併載する週間新聞を発行するにいたっていた。そして白人と友好関係を結んで、譲歩できることはどこまでも譲歩して争さを避けようとした。それらの多くの人がキリスト教を受け入れた。しかしキリスト教徒も多数いるクリーク、チェロキーの一万六千人が全員土地を取り上げられ、何次にもわたって移動せねばならなかった。厳しい冬にもえんえん千三百キロの道を、乳飲み子も老人も歩いて荒涼とした代地へと涙の旅をした。「涙のふみわけ道」というその道中で死亡した人は約四千名、いのちからがらたどり着いた地は緑のない荒れ地であった。

「なんというひどいことを」真己は途中で何度も涙がとまらなかった。後書きには「四百年の間に殺されたインディアンは九十九パ−セント」と記されてあった。まさか九十九パーセントも、と思ったのは自分の無知に過ぎなかった。今、多くの動植物の種が絶滅しているが、その前にペコート族を筆頭にたくさんのインディアンの種族を白人は殺してきたのだ。その著者は二五年前の大学闘争の時、考えることがあって大学を辞めた教師であり、この書は「『大学問題』に対する、わたしなりの『答案』」と書いてあった。そう、これが現代文明がやってきたことの一例で、このようなインディアンの絶滅によってキリスト教国アメリカができていったのだし、日本はアジアにそういうひどいことをし、人間みんなが動物、植物にこういうひどいことをしてトウキョウなどの都市文明があるのだと思うと佐弥可の言葉がひりひりと真己の心に反芻された。そのアメリカ人が宣教した学校で私はキリスト教を受け入れて育ったんだと思うと、自分の過去もべたっと血の染みがついているような気がした。

 それから一週間ほど経って夏木神父からアムネスティの絵葉書が来た。そこには短く、昨日帰庵したこと、次の日曜に坐禅会があり翌月曜には上京するので、急ぎの用ならそれまでに来庵してほしいと書かれてあった。

 真己は土曜日に再び神父の草庵を訪ねた。やはり空は晴れわったっており、道端にはほほけたすすきが波打ち、蕭々と風が吹いていた。落ち葉が舞い降りてかさこそ足元で音を立てる小道を登っていく。竹の生け垣が見えてくると、佐弥可が飛び出してきそうな気がして、わくわくしたがだれも来なかった。

「ごめんください」と土間で声をかけると、「やあ、吉村さんか。おいで」と老人の声がして、作務衣を来た小柄な神父がにこにこしながら出てきた。

「この前は失礼したな。まあお上がり」

「はい」

 藍の作務衣をきた神父を真己はまっすぐ見た。この神父さまは本当のものをもっていらっしゃる。本当の道を歩かれている方がここにいる。その方にやっとめぐり会えた、思わず涙があふれてきて、深く頭をさげた。この方がこうしてクリスチャンでありながら坐禅をしている。クリスチャンであり坐禅をしている人。それは真っ暗な真己の心にたった一つの見付けられた灯であった。見失った「本当のもの」に通じるか細い道のように思われた。やっとのことで涙を拭い「上がらせていただきます」と靴をぬいだ。

 いろりにはこの度は炭火がおこっていた。

「とおいのによく来たね」

神父がにこにこして真己をみつめても、真己はなんといっていいか分からなかった。また涙が伝わった。

「まあ、お茶をのむかな」

 だまっている真己に神父も茶箱をもってきた。ゆっくり茶碗などを出して、馨しい抹茶を点てた。真己は今度もどぎまぎしながら、やっとのことでお茶をいただいた。緑の液体はさわやかに身体を通っていき、ふしぎな安らぎを感じた。茶碗を受け取りながら、神父は口を開いた。

「あんたもクリスチャンだそうな」

「佐弥可さんがそういわれたのですね。ええ、前は」

 神父はつと、顔を挙げて目を細くして真己を見た。

「前は、か。何があったんじゃな」

「神父さま、神父さまはどうして坐禅をなさっていらっしゃるのですか」

 神父はなにも答えず「あなたも坐禅をしたいのかな」と聞いた。

「はい、是非教えていただきたいのです」「キリスト教はどうした」「いろいろなことがありまして今は、信じていないのです。いえ、今でも信じたいのですが、もう信じられないのです」

「ふうん、わしも実はそんなことがあったな。づっと昔のことだがな。苦しかったな」

「私はイエス様を信じておりました。ずっと、中学に入ってからずっと熱心に。それで牧師になろうとさえ思ったのです。イエス様に従って行く道だけが本当の道のように思えたのです。もちろん、どういう生き方をしてもクリスチャンであることはできますが、私はイエス様が私に従ってきなさい、といっているように聞こえたのです。というか、いちばん生きがいのある生き方は、主イエスに従う道だと思いました。私、もしかしたらいちばんいい生き方、けっして悔いのない生きがいのある生き方をしたかったみたいです。」

「わからんではないが、いちばんいいってどういうことかな。あなたはどう生きてもあなたのかけがえのない生き方になるがな」

「どう生きても? よくわかりません。私は女学校だったので、高校の友達はたいていいい奥さんになろうとしていましたし、私だって結婚して子供を育てたいと思ったのです。いまはそういう道もあったかもしれないと思いますが、その時は二者択一で、牧師になることがイエスに従う道だと思って選んだのです。それで大学は神学部に行きました」

「人生のことをあまり知らずに牧師になるのは考えものだな。プロテスタントでは修行をしないだろうからね。それでどうなったんだね」

「そこで三回生に編入してきた女の人と友達になりました。親友だと思っていたのですが、すこしレズみたいな気持ちがあったのかもしれません。私は神学生と結婚して牧師婦人になるなんてまったく考えなかったので、無理に男子学生と距離をおいていたのかもしれません。ただ本当に彼女といると嬉しかったのです。でも私達があまり仲がよいので、回りの学生たちからいじめを受けました。ただの友達なのにレズだってうわさが立って。回りの人は牧師になろうとしているクリスチャンなのに、陰に陽に意地悪をされました。陰口をいわれたり、仲間外れにされたり、先生方もみななにか変な目で私達を見ていました。わたしは、それでもみんなを愛さなければいけない、許さなければいけないと思ったのです。イエスの言葉がとても重荷になりました。そのうちに彼女がだんだん私から離れていって同じ神学部の人と恋仲になったのです。そのとき、私はほんとうに彼女が好きだったのだと分かりました。だからとてもつらかったのです。その彼女のボーイフレンド、その人ががまんならない敵のように思えたのですが、やはり彼も愛さなければと思いました。いっしょうけんめいみんなを愛そうと努力していたのですけで、いつかそれがすべて偽善のような気がして、もっと自分に素直になりたい、どうしてこんなに無理して愛しなければならないのかと思いはじめました。イエス様に何度も愛する力をお与え下さいと祈りました。彼女も彼女のボーイフレンドも意地悪な学友をも愛する愛を下さいと。でもみんなからのいじめはもっと強くなったようでした。それも外面的にひどいことをするのではなく、陰で色々悪口をいわれるのです。でもいっしょうけんめいみんなに笑顔で接して、祈り続けました。でも祈りながら、だんだんつらくなってきたのです。つらくてつらくて、ふと本当に神様はいるのだろうか、と思いました。すると本当に神様はいるのかという疑いが私の中でどんどん広がっていき心が凍りついてしまいました。そのときフォイエルバッハの『』を読んだのです。そこに神は自己が自分の心の中に自分を投影しているものに過ぎない、祈りとは投影した自分に、自分が語りかけているのだ」と書いてありました。そういわれればそんな気がしてきました。結局祈りといっても自分の思いだけじゃないか、自分がもう一つの内なる自分と対話しているだけで存在するのは自分だけじゃないか、自分の外に本当に神様がいる証拠があるのかって疑いました。神学部の教授たちに「神が確かに存在する、あるいイエスが今リアルに存在する」ということを断言してほしくて、そのことを色々聞いたのですが、「何をばかなことをいっているのだ」という顔をされました。だれも「ほら、こういうふうに絶対確実にイエスが神がいるのだ」と確言してくださる方はいませんでした。彼女を失ったこと、友達のいじめそれもとてもつらかったけど、まだ耐えたり紛らわすことができました。でもこの疑念ほど私を苦しめたものはありません。だって私、ずっとイエス様に従って行こうと、高校でもYWCAの活動ばかりしていましたし、神学部に入ったのもそのためです。もし神の存在を否定するとしたら、私の過去を全部否定することになります。いえ、私の過去以上のものです。「ほんとうのこと」の否定なのですもの。でも、もし神を否定できたら、私は神学部なんかやめて、だれかと結婚して子供をたくさん産んで普通の幸せな生活ができるなとも思いました。とっても子供が欲しかったのです。でも私、イエス様のことを否定したくありませんでした。それなのにだんだんイエスの言葉は私には重荷になってしまったのです。「あなたの敵を愛しなさい」とか「七十を七十倍するまで許しなさい」とか重くって重くって担げない。あんまりつらくて、もう死んだほうが楽だと思いました。だれか、だれかが本当に神さまはいるって誓ってくれたら、絶対本当だっていってくれたら、まだ信仰に踏み止どまることができたと思います。でも神学部の先生のだれもそういってくれなかったのです。疑ってみれば私自信も偽善者だけど、神学生みんな偽善者じゃないか、先生方だって私を誰も本当に愛してはくれない、そう思ったら、なんだか空しくなって。でもイエスを否定することはできない、それくらいなら自分が死んだほうがいい。私はイエスを否定するより、自分を否定するほうを選びました。とうとう睡眠薬を大量に飲んだんです。だけど友達に発見されて病院で胃洗浄の手当を受けて・・・死にそこなったんです。病院に彼女、見舞いに来てくれました。とてもすまなそうだったけど、私、そのとき、彼女を失ったのではなく、イエスと神を失ったこと感じていました。私が死んだのではなく、神が死んだって。こころにぽっかり穴があいたようでした。心が軽くなったといえば言えるのですが、どこにでもいってしまいそうな、どうでもいいような、ただただうつろな気持ちでした。軽くなったというのは、もう神がいないのだから、私は何をしてもいいのだ、私の生きたいように生きたらいいのだという解放感でしょうか。それでも、じゃ何をしたいか、といえば虚ろで何もありませんでした。それから休学して、家に帰ってぶらぶらしていました。何もする気持ちになれなかったのです。教会にもいって見ました。でももう何も信じられなし、祈れないのです。ただ信じられないだけではない、以前はうすうす感じていたキリスト教の偽善や間違いが妙にギラギラわかるのです。そんな時ニーチェの『ツァラツストラはかく語りき』を読んだのです。「神は死んだ」「ああ、きみら兄弟たちよ、わたしが創造したこの神は、すべての神々のように人間のなせるわざであり、その狂気の沙汰であったのだ。この神は人間であった。しかも、人間と自我の、貧弱な一断片にすぎなかった。」あそこを読んだ衝撃はまだ忘れられません。ああ、私と同じ思いをもった人がいるって。神なんて私の自我の投影に過ぎないのだって。それからニーチェを勉強するためにまた学校に戻りました。大学院でもニーチェやカミュ、カフカなどを専門に研究したのです。虚無の闇ニヒリズムを共有する人として私は彼らを愛しました。でもだれもながく虚無の深淵にとどまることはできない。なんとかそこから光を求めるのだと思います。ニーチェにとっての光、すなわち「幼子」、「神聖な肯定」はギリシャから射してきました。永劫回帰の思想って、ギリシャ的な永遠の思想なんですね。もちろんそれだけでは永遠の苦しみともなるから、どうしても「今」を肯定する神聖な確かさが欲しかった、でも彼はそれを得ることが、きっとできなくて気が狂ったのではないでしょうか。カフカもこの世の不条理を徹底的に見詰め続け、でもやはりその答えをもとめ続けたのではないでしょうか。もはや明確な目標も明確な善もない徒労のようなこの生、カミュの事故死は羨ましいくらいでした。私もなんだか、このままでは気が狂いそうなのです。西洋のニーチェにはギリシャの伝統しかなかったかもしれませんが、私には東洋の伝統があります。永劫回帰は見方によっては輪廻とも考えられますでしょう。その輪廻を超えて大肯定を見付けた、超人を教えた人がブッダであり、禅の祖師ではないでしょうか」

 真己は一気加勢に話してしまった。こんなことを言える人はいままでいなかったのだ。信仰の話、まして信仰を失った話などこの神父のほかにだれが聞いてくれよう。

「あなた、大変でしたな」

 神父はちょっと表情を厳しくしてぽつりといった。そのあと容易に言葉が続かず、静かな沈黙が流れた。やっと真己がつづけた

「仏教の祖師たちを知って、神がいなくても「ほんとうのもの」に触れ、ほんとうの道を歩くことが可能ではないかと思いました。でも禅寺へはなかなか行けませんでした。わたし仏教徒になるのは厭なのです。ただ本当のもの確かなものに触れたいだけです。仏教徒になれば、やはりイエスを裏切ることになるのだと思って。もうこれ以上イエスを裏切ることはしたくないのです。それなら狂うか死んだほうがましです。それで神父さまのご本をたまたま見付けて読ませていただきました。そこでこの草庵でも坐禅をなさっていらっしゃると聞いて、藁をもすがる気持ちで参りました」

「容易ならん道な。まあ、いっしょに坐っていきましょう。あしたは坐禅会だ、参加なさらんか」

「はい、お願いします。まだ坐り方もよくわからないのですが」

「佐弥可が教えるじゃろ。いま畑をしておる。手伝っておいで。そこの長靴をはいて行きなさい」

 草庵の裏の畑にいくと佐弥可が草が生い茂る中で畝を起こして何かの種を蒔いていた。真己は胸に溜まっていたものを吐き出して気が軽くなった。しゃがんで黒々とした土の香りをかぎながら種を蒔いていると、自分の心にも何かが蒔かれたように感じた。

 次の朝はやく頭を丸めて黒い衣を着た五十歳くらいの修行僧、禅宗では「雲水」と呼ぶ悠道が歩いてやって来た。坐禅会の常連の一人らしく、勝手に上がり紺で奥の広間でてきぱきと用意を整え始める。木像が真ん中に置かれその回りに壁に向かって坐布団の上に円い坐蒲が敷かれた。須弥壇の前に警策、線香立てと線香、そして大きな手でもつ鈴が一番手前の席に置かれた。

 やがて自動車のエンジンの音が遠くから響き、やがて若い青年が現れた。精悍で鋭い目をした青年の方に、「やあ、剛君かね」と神父が声をかけた。やせて背の高いその青年は一年ほど前からやってくる京都のO大学の上田剛だった。

「吉村真己です。よろしくお願いします」と真己は青年に挨拶した。そろそろ定刻の九時である。剛は紺の着物に袴をはいた。真己は黒い長いスカートをはいていたが、靴下を取るようにいわれた。悠道は焦げ茶色の袈裟を頭上にのせ口で何か唱えてからそれを着けた。さっとすがすがしい香りがたちこめる。

「悠道さん、真己さんに坐禅の仕方を教えておあげ」と神父に指示されて悠道は真己を奥の間に連れていった。三面が壁と襖に囲まれている部屋には障子からの薄い光がさしていた。ここにも線香の幽玄な香りが漂っている。「左足から部屋に入る。そして真ん中の聖僧に向かって合掌。」

言われるとおり真己は合掌した。悠道は真己を並んでいる座布団の一つの前に立たせてから言った。「壁に向いて合掌低頭、これは両横の人への挨拶。右にまわって正面向いて合掌低頭、これは前の人への挨拶。そしてこのクッションのような坐蒲の上にそっとお尻のせる。坐蒲の前半分のところに」悠道の真似をして真己は腰を坐蒲に降ろした。

「そして右の足を左の股に深くかける。できたら、左の足を右の股にかける。できるだけ深く」

 真己はちょっと足がつっぱるようで痛かったが、なんとかその姿勢をとった。未知夫はらくらくと坐ったように見えた。 「腰をできるだけ引いて両膝頭と尾底骨で正三角形になるように。左右前後にゆっくりゆすってその真ん中に背骨をのせる。」

真己はそんなことかなり無理だわと思った。

「右の手の平を上にして足の上に置き、右手に重ねて左手を置き、卵を抱いているような気持ちで親指をそっと付けてる。背骨をまっすぐに中空の竹のようにして肩の力を抜き、頭のてっぺんを糸でつるされているように外の力をみんな抜く。鼻とおへそと真っすぐになるように、耳と肩とが真っすぐになるように」

 耳と肩を真っすぐにするにはよほどあごを引かねばならない。悠道は左右を見渡して、「真己さん、もう少し胃の力を抜いて、あごを引いて」と注意した。「口はしっかり結んで鼻で自然に息をするように。目は自然に半メートルほど下に落とす。そう、その形。普通は左右前後に体をふって位置が決まったら手を膝の上で開いて大きく息を吐いてから合掌してその形にはいります」

 力を抜いてといわれてもその形を保つにはどうしても力が入ってしまうと真己は思った。

 やがて神父と佐弥可、それに袴をはいた剛が静かに入って来てそれぞれ壁に向かって坐禅の姿勢を整えた。悠道は斜め後ろの剛を見遣って、「もう少し足を深く組んで」と注意した。あたりが静まるとチーンと鐘がなり、沈黙がすべてを覆った。真己ははじめ呼吸が不自然だったがやがれ静かに意識しないようになった。すると、なんだかその姿勢はとても楽なような気がした。どーんと座り込んでいる。なんにもしなくていい。なんにも考えなくていい。どう生きたらいいのか、どうあればいいのか、あらゆるものにギラギラする批判を内に秘めて、「ほんとうのこと」を追い続けてきた真己には、久方ぶりの休息である。

もうどこにも行かなくてもいい。真己の目から自然に涙あふれてきた。そのあふれる涙ももうそのままでいい。ここ、ここだけ、もう何も悩まなくていい。静寂な時が流れた。だが、しばらくすると足がしびれてきた。困ったな、と真己は少し足をづらした。するとよけい足は痛くなった。痛みをこらえようとすると肩に力が入ってしまう。なんだか目も痛くなり、涙がにじんできた。やっぱり、きついなあと思うと腕にまで力が入ってしまう。心は安らかだけど、からだはちょっとつらいなあ−、と嘆息した時、チーンチーンと鐘がなった。「次は経行といってゆっくり歩くから立って」と悠道はささやいたが、真己はしびれて立ち上がれない。無理にやっとたつとジーンと痺れが足全体にはしった。

「手は胸の前で左手で拳を作ってその上に右手をかぶせる。息を吸うとき足を少しあげて息を吐くとき半歩進める。反対の足を息を吸うとき上げ吐くとき半歩。坐禅の時と同じ頭の位置で目は軽く落として。まっすぐ象が歩くように大地に足をのめり込ませるように着ける。まがり角にきたら直角に曲がる」と悠道が指示した。足を上げるとバランスが崩れてよろめきそうになったので、あわてて足を半歩前に出す。着けた足がジーンとしびれる。次の足がなかなか挙げられない。やっと挙げて半歩進めた。ふと目をあげて見ると佐弥可と神父がほとんど姿勢を変えないで移動していく。どうどうと厳かに体が移動していく。その後姿は後光が射しているようだった。おもわずあごを引いて真己も懸命に足を運ぶ。十分ほどすると又、チ−ンと鐘がなった。

 皆はその場で頭を下げ、ゆっくり歩いて自分の坐布団のところに行く。壁に向かって合掌、正面を向いて合掌してまた足を組み始める。

「しんどいなあ」思わず真己はつぶやいた。

「足が辛抱できないほど痛かったら左の足を右の腿にかけるだけでもいい。深くかけて右の足はしっかりひいて」と悠道がいった。 

片足だけにしると少し楽である。坐りこむと、やはり心が静まり、しずかな秋の気配につくばいに水の落ちる音が響く。遠くで「かあ−」、とカラスが鳴く。忘れていた足の痛さが戻ってきた。こらえようとするとどうしてもしびれて肩に力が入ってくる。まだ鐘はならないのかな、といささか気になってくる。息が少し荒くなってきたとき、やっとチーンと鐘がなった。悠道を見ると合掌しておもむろに足を解いている。

 真己はつらかったが嬉しかった。やっと、なにか自分のところへ帰ってきたような安らかな気分である。この坐禅から私はもう離れないだろうと思いながら真己は奥の間から出た。

 いろりの回りにすわって熱い番茶をいただく。

 次は提唱といって、講義だそうである。中の間に机が並べられ、神父は薄い冊子を配った。『身心学道』と書いてある。道元という鎌倉時代の禅僧の著書『正法眼蔵』の中の一巻である。

 その講義の最初も唱え事で始まった。「一切衆生誓願度」それが聞き取れた時、真己ははっとした。私は、もう行くところがなくて、ここに救いを求めてきた。いま私の心にあるのは、なんとか私が救われたい、なんとか私がこの虚無から出たい、死んでも解けないこの自我の呪縛から解きは放たれたい、要するに私の救いだけだった。だが、「一切衆生誓願度」とは他者の、それも無数一切の他者の救済を祈り求めているのだ。なんて広い宗教なのだろう。この誓願だけでキリスト教は色あせて見える。

 だが、いよいよ講義がはじまって見ると、夏木神父が何をいっているかよくついていけない。とりあえずテキストを追ってみた。

「去来は尽十方界を両翼三翼として飛去飛来す、尽十方界を三足五足として進歩退歩するなり。生死を頭尾として尽十方界真実人体はよく翻身回脳するなり。」

 えーっ、この文、日本語だろうか。何のことやら。禅問答ってわけがわからないと聞いてはいたけれど、これはなんのこっちゃ。「去来」が主語になるってどういうこと。「両翼三翼として飛去飛来す」とか「三足五足として進歩退歩する」なんて怪物みたいだな。「生死を頭尾とす」って何のことやら。神父は時と坐禅と身体のことをいっているようなのだが、とにかくなんだかわからない。神父の顔を真己は呆然とみていた。

 と、台所から玄米のたけるおいしい匂いがしてくる。佐弥可が昼ご飯を作っているのだ。途方に暮れてテキストをながめているうち講義は終わった。

 ふわ−と味噌汁の香りがする。テキストを片付けているとチャーンチャーンチャンチャンチャン・・・チャンと拍子木がなった。食事の用意ができた合図である。

 真己と剛の前には三つに重ねられた黒塗りの食器と箸がおかれたが、他の人は布で包んだ円い食器である。悠道の手にもった鐘の音と共にわけの分からない唱え事がありその布包みを開いて食器を並べ、また唱え事をしてやっとご飯などよそおい始めた。大きな取り鉢に野菜の煮物が形よく盛られている。それを向かい合っている相手の椀によそうのである。たくわんとすりごまもそうして相手につけられた。箸をみそ汁の椀に斜めにおき、また唱え事をしてやっと食物が口に運ばれた。食べるというごく日常的なことが厳かな行となっている。だれもひとこともしゃべらない。そそうをしないように音を立てないようにという気遣いで、ゆっくり味わう暇はなかったが、これこそ日常性の聖化であろうと深い印象を受けた。

 食事の後は作務である。佐弥可は、みんなにまだ取り残しているさつまいもを掘るように指示した。神父ももんぺに着替えてみな畑にいく。さつまいもを掘るのは簡単だ。茎を手繰っていき少し掘って引っ張れば次々に肥えたいもが顔を出す。中には四つくらいくっついたようなおばけさつまいももある。いもを堀りながら剛はつぶやいた。

「夏木神父の話、難しくてわかんないんだよな。テキストが難しいんだよ」

わが意を得たりとばかり、真己は聞き耳を立る。

「オウムの方がづっとわかりやすいなあ」

「お前、まだオウム真理教にかかわっているのか」

悠道が聞き咎めていった。

「ここは月二回だけでしょう。あそこは毎日修行だからなあ」

「ここで坐禅会がなくても自分で坐ればいいじゃないか。どうしてあんな修行とここの坐禅と一緒にできるんだ」

「あんな修行って、あれだって仏教でしょう。ここではカトリックの神父が坐禅するのだから、まだ僕のほうが矛盾がないですよ」

「オウム真理教は仏教なんかじゃない。仏教は自己を究明するものだ」

「尊師もそういっていますよ。自己を究明し、自己が悟りを得るって。でも尊師はそれが究極じゃない、それは小乗で他人の救いを求める大乗が次にあり。最後に金剛乗があるというんですよ。」

 そのとき、少し離れて作業をしていた夏木神父が寄ってきてゆっくり口を開いた。

「あの講義、難しすぎるかな」

「ええ、僕には難しいです。言葉がむちゃ難しくて分からない」

「そうか、それは考えなければならないな。どうです、真己さん、難しかったですか」

 神父はじっと耳をそばだてている真己の方を振り向いていった。「は、はい。初めて『正法眼蔵』というものを読んだものですから。テキストは私にもさっぱり分かりませんでした」

「そうか。大学の先生の君がわからんでは、やり方を変えんといかんな。それに上田君にとってはオウム真理教と仏教がどう違うかということは緊急な課題だな。まずそれをとりあげてみねばならぬが、真己さん、わたしはカトリックと仏教を混合しているのではないんだ。そういうこともちゃんと話していかなきゃなあ。みんなの考えも聞いてみたいなあ。真己さんにもいつか話してもらおう」

 一時間ほどの作務の後、また二ちゅう坐禅して会は終わった。

 淡い夕闇がひろがっている。みな帰り支度をはじめた。神父は明日東京へ立つのだから、真己も帰らなければならないと思ったが、立ち去りがたい思いがする。剛がいうように、坐禅会が月二回ではあまりに少なすぎる。そう思うと、あの尊師は好きにはなれなかったし、漫画のような修行スタイルはまったくなじめなかったが、少なくとも毎日修行すること、平易な言葉で語っているという点ではオウム真理教に共鳴できるような気がした。真己はなんだかずっとここにいたかった。もう、行くところなんかないんだもの。大学に教えに行くのは、今の真己には、ただ食うためでしかない。なんとなくぐずぐずしていると、佐弥可がにやっと目の端からながめて言った。「私は毎日曜日、坐禅するから来ていいよ。土曜から泊まってもいいよ。でも家でも毎日坐るといいね」

「まあ、よかった。ここに来るとほっとするんです。じゃあ来週も土曜にお願いします。」

 慈光庵を出るとしばらくは黄色や赤に染まった林が続いていたが、やがて刈田がはろばろと広がる道になった。懐かしいような藁の匂いの中で満ち足りた気持ちで真己は駅に向かった。