十二段  世界を荘厳する道

 麻浴山宝徹禅師、あふぎをつかふちなみに、僧きたりてとふ、

 風性常住、無処不 周なり。なにをもてかさらに和尚あふぎをつかふ。

 師いはく、なんぢただ風性常住をしれりとも、

 いまだところとしていたらずといふ ことなき道理をしらずと。

 僧いはく、いかならむかこれ無処不周底の道理。

 ときに、師あふぎをつかふのみなり。 僧、礼拝す。

 仏法の証験、正伝の活路、それかくのごとし。常住なればあふぎをつかふべからず、

 つかはぬおりもかぜをきくべきといふは、常住をもしらず、風性をもしらぬ なり。

 風性は常住なるがゆへに、仏家の風は、大地の黄金なるを現成せしめ、長河の蘇酪を参熟せり。

 

 この問答の意味は明白であるうえ、さらに道元自らが解説をつけているのであるから、誤認しようもない筈であるのに、だが、諸解釈はバラバラであって、この巻の主旨がいかに多様に受け取られているかを、如実にあらわしている。

 さて、宝徹禅師が扇を使っていた折、僧が「風性は常住で、無処不周です。どうしてさらに和尚は扇を使うのですか」と問う。ここで「風性常住、無処不周」は風に関する正しい言説、道理である。これは仏道においては、法が偏く常にあることを示す。だが、それは正しい道理ではあっても、この私の現実ではない。あるいは、言説諦である古則公案でもあろうが、それは私のさとりとは関わりがない。

 僧の次の問いは、もし風が常にどこにでもあれば、論理的には扇の使用いかんにかかわらず、風はあるのだから、いまさら使う必要はないのではないかという問いであり、仏道の問題としていえば、法がいつもあるなら、あえて私が修行する必要はないのではないか、という問いである。仏性顕在論なら修行はいらないという議論も似たようなものである。

 それに対して宝徹禅師は、「お前はただ風性常住は知っているが、至らないところがないという道理を知らない」という。僧は「いったいどういうことですか、その無処不周底の道理とは」と尋ねる。ときに、師は扇を使うだけである。僧は礼拝した。

 これは 師の先の言葉を理解せず、さらに道理を尋ねる僧に対し、宝徹禅師はその論理・言語の立場を奪って、「わしが扇を使う今ここが風である。道理ではなく無処不周底そのものだ」と黙って突き出している。〈あふぎをつかふ〉とは、仏道でいえば、説かれ得ない「打坐の思惟」を自ら行ずることである。このような言詮が及ばないところ、それは二段・三段で、迷という否定的な形で裏から照らし出された兀々地の思量 である。〈のみなり〉は、さとりは、説かれることではなく、実際に行ずるのみである、ということだ。初段Dの、言説における葛藤の〈のみなり〉と、対比的に呼応する。

 そして〈仏法の証験、正伝の活路、それかくのごとし〉と結ばれる。〈仏法の証験〉とは、扇によって風がおこっているように、打坐を行じるその今、さとりが成っている確かさをいう。〈正伝の活路〉とは、如浄が道元に為したように、言葉の及ばないところを、互いの只管打坐という行において、行のまま伝えていく、活きた道である。さとりは論ずるものではなく、行ずるものである。

 次が道元独自の参究となる。〈常住なればあふぎをつかふべからず〉というのは、どのような立場なのだろう。「風性常住」というのは、正しい道理であるから、「正しい仏教論理」すなわち知恵だけで事が足り、実践は必要ないという教学者の立場だ、ということも含まれようが、〈つかわぬ おりもかぜをきく〉というのは、むしろ、坐禅の意味付け、質にかかわる。扇を使わなくても風はある、それは仏道でいえば、すでに万物がさとりの世界なのであるから、坐禅しなくても、さとりはあらわになっている、という中古天台的本覚思想であり、さらに、それに基づいた坐禅だ。非思量 やその言語化がない坐禅は、あたかも扇を手にしているだけで、扇がないようなものだろう。

 それゆえ、ここで批判されているあり方は、いままで二段・五段・六段と見てきた仏道を行ずる時についてまわる錯誤とは異質な過誤である。これまで論じられた迷は、おそらく当時盛んになりつつあった見性禅を意識した批判であった。それに対し、ここは道元の門下において、彼の説くところが一歩間違われた場合に生じる誤りが指摘されているのだ。

 たとえば魚が水を行くとき、すでに水はあるのだから(証上の修)、どちらにどう転んでもけっきょく水を出ることはないのだから、あえて打坐の功夫を努めなくてもいいという見方にもなりうる。実際、ほとんどの伝統的曹洞宗学の解釈はそういうものである。そこでの坐禅は、証上にあぐらをかいた気の抜けた無悟禅となって、竜の蟠るような精気あふれる打坐の功夫とはならない。まして言語化していく仏向上の道が歩まれることは少ない。

 〈常住をもしらず、風性をもしらぬ なり〉は、扇ぐという行為があるとき始めて、知るという内実があることを示す。仏道でいえば、さとりは只管打坐の実践と同時にのみあるということだ。聞いた僧はそのことをおさえていないから、道元は〈風性をもしらず、常住をもしらぬ なり〉と、元の問答では肯定されている「風性常住を知っている」ということをも、全面 的に斥けている。扇を使うという行のないところには、そもそも道理を知っていることさえない、と断じているのである。只管打坐がないところでは、仏法は常にある(月の常照)という道理も、知っているとはいえないのだ。

 微妙なところで道元の法が間違われるのは、初段のAとCのかかわりである。Aの証があるから、Cの修行が成り立つという解釈になりやすい。あるいは仏法の論理があって、それに基づいて実践があると考えられやすい。たしかに本覚思想は、すでにもともとある法、という表現で、真如や仏性の「常住」をいうが、道元においては十段で〈このみち、さきよりあるにあらず〉といわれたように、只管打坐より以前に仏法も仏性もない。かといって〈いま現ずるにあらず〉で、只管打坐のとき、始めて仏法が現じるのでもない。〈風性常住〉に比せられる「道もと円通 」『普勧坐禅儀』は、打坐への前提ではない。打坐からの同時的道得なのである。換言すれば前段の〈しることの、仏法の究尽と同生し、同参する〉ということである。これは、風性と仏性の響き合いからも、《仏性》の次の言葉をも思い起こさせる。

 〈仏性は成仏よりさきに具足せるにあらず、成仏よりのちに具足するなり。仏性かならず成仏と同参するなり。この道理、よくよく参究すべし。三二十年も功夫参学すべし。〉

 このように解釈すると、初段Bの意味がよくわかる気がする。もしAとCだけなら、どうしても「証上の修」『弁道話』のみになってしまい、「修の証」『弁道話』の必然が出てこない。修の証となるためには、どうしても修のない、生死に無自覚な人間の「無仏性」がなければなるまい。この世は一切無常であって、仏も衆生もありはしないという虚無の自覚、我と万法とがかかわりないという孤存の自覚がなかったら、どうして必死の求道がなされようか。仏の悟り(A)と、人間の無常ということ(B)があって、はじめて命懸けで仏道(C)が歩まれるのだ。

 このBは、発心以前であるから、事の道理として、仏道の迷悟を論じた二段以下には立ち入って展開されてはいないが、初段にこれが置かれた意味は重い。

 公案現成である只管打坐は、「ただ坐る」のではなく「打坐の功夫」が要請される。不思量 が思量されるところ、そこにおのずから見成公案としての思量が同参する。その必ずしも現成そのものではない見成(見取会取)のあり様は八段・九段・十一段で説かれた。

 だから、その「打坐からの思惟」は、どこまでいっても完全ではない。道元においてさえそのとき見えた限りのことなのだ。それゆえ道元は死にいたるまで、『正法眼蔵』を書き続けることを止めなかったし、それは未完に終わったのみならず、すべて書き改めようとさえ意図されたのである。新草と旧草の違いについて、ある人は新草のみが道元の真髄だといい、ある人は旧草のみが真骨頂であるといい、ある人は新草も旧草も一貫した同じものだという。どの人も〈得一法、通 一法〉を理解していない。

 次の〈風性は常住なるがゆえに〉とは、私たちの行や感覚・認識を離れたところで、万物は、常に仏法を修行し、証しており、そういう意味で仏性は万物に悉有であるとは、絶対に解してはならない。そうするならその〈道理〉さえ知らないことになる。この私が行じてはじめて万法のさとりがある。その私の打坐にかかわる万法が〈尽十方界、沙門の一隻眼〉《三界唯心》といわれるのだ。打坐を行ずるときに、仏性は悉有なのであり、悉く賀さとりとなる。

 したがって〈仏家の風〉とは、仏のあり方である只管打坐を行ずるところに現成しているさとりである。扇を使うことを止めれば、風は跡形も残らないように、悟跡は常に休歇である。鳥の足跡、魚の行く跡は残らない。けれども魚が泳ぎ続け、鳥が飛び続けることによってしか生きられないように、打坐なる仏道修行はどこまでも行じ続けられるほかない。そして、さらに〈休歇なる悟跡を長々出〉させねばならない。それは只管打坐に留まらず、仏祖の言句を参究して自ら言語化していくことであり、ありのままの世界を、日常生活においても私のあり方として行じていくことにほかなるまい。

 そのさとりの働きは、あるがままへの沈潜ではなく、むしろ最高の存在の荘厳であることを、道元は〈大地の黄金なるを現成せしめ、長河の蘇酪を参熟せり〉と結する。蘇酪とは上質のヨーグルトのことで、もっとも美味なことの喩えである。

 この結びが、いかなる人間のありさまでもなく、大地・長河のありさまであることに、深くこころを揺すぶられる。仏道の只管打坐(仏家の風)というものは、人心をただすというより、究極的には人間を含んで、山河大地国土を荘厳する、浄土たらしめるのである。打坐は世界を荘厳する道である。

 ところで、これまで辿ってきたような日月星辰・山河大地などとかかわる坐禅の言語化は、インド仏教にもチベット仏教にもあまり見られない。これは中国や日本などの「依正」つまり環境世界と人の心情に関わっている。インドの風土は、たとえ林に住んだとしても、厳しい風土ゆえ、〈美言奇句の実相なる〉《諸法実相》と形容されるほど美しいものではなかっただろうし、また市街に毎日托鉢に出る生活で、修行者が日々目にするものは、生きるのに苦しむ人々であった。それゆえ、原始仏典には、人がいかにこの苦しみの人生から解脱することができるか、ということがもっぱら説かれ、日月山水・草木魚鳥に言及されることはまずない。

 それゆえインドから来た禅宗初祖の達摩は、『四行論』で、坐禅である壁観に住する理入と、六波羅蜜を含め、いかに他者の怨み、自分の高ぶりや欲望に対処して生きるかという実践倫理(四行)を示した。やがて、中国の禅修行者は深山幽谷に隠れたり、自給自足の農耕を取り入れた叢林を営んで、町中の喧噪や人々の苦しみの生活を目にすることが少なくなった。そういう環境で自分達の日常生活や山川をめぐってさとりを言語化し、公案としていったのである。同じように、日本の洛中とはいえ緑深い深草の生活、やがてはるか越前の霊峰の中で、人々の日常の苦しみを目にし難い状況で、道元は坐禅辨道し、『正法眼蔵』を道取していった。その是非は別 に論じねばならないが、現代においては、このように説かれた『正法眼蔵』がもっている意味は甚だ深い。

 思えば人類は様々なユートピアを描いて、創造力と技術を駆使して、その実現に努力してきた。その行き着いた果 てが現代の大都市である。その理想郷は、だが、おのれの吐き出す有毒ガスで汚れ、その大気に排出された汚染物質のため、酸性雨が降り、また温暖化現象を生じさせ、オゾン層破壊を引き起こしている。また科学技術の最先端の原子力は核兵器の実験や原発事故によって、生類の遺伝子を破壊し続けており、さらに合成化学物質が性ホルモン撹乱物質などを融出して限りない海・空をも、残らず汚している。そのような合成物質は、微量 であってもあらゆる生類の生殖機能を破壊していき、オゾンホールからの有害紫外線は微生物を殺傷しつづける。さらに人類の欲望はヒトの生命の設計図にまで恣意を及ぼそうとしている。深々微妙の法が綻びかけ、いま生類はいのちの危機に瀕している。

 それはいつに人類の「進歩」が原因であるが、その「進歩」とは〈自己を運びて万法を修証する〉という根本的態度に支えられているのであり、それこそ道元が迷と見定めたものである。

 今、しなくてはならないのは、環境保護でも新技術の開発でもない。人間が変わらなければならない。この現代に自分自身のあり方を省みて、「回向返照の退歩を学す」『普勧坐禅儀』打坐により、実存の転をなし、すなわち人間をやめて仏になり、そこからでてくる生き方に変わることだけが、山河大地を浄化して仏の道現成とする唯一の回路であるまいか。仏のみが世界を回復させる。

 仏法とは、私の救いというよりも、人類の救いというよりも、人間の迷をやめたところに〈大地の黄金なるを現成せしめ、長河の蘇酪を参熟〉させるものなのだ。一人の坐禅でも、一切の人間とあらゆる存在を、きよらかな存在とする。只管打坐は人間が見聞きする一切そのままではなく、ありのままの一切を仏光明で荘厳し、私の全生活を荘厳するものだ。

  自らの欲望に振り回されて悩み苦しみ、山河大地を破壊し、動植物を死滅させ、人間自身を家畜化し、人間・生類の大量 殺戮もする人間、このどうしようもない人間が、打坐においてのみ仏として荘厳される。