六、打坐の思惟と道取・説取
すでに述べたように「さとり」はどこまでも知覚に交わらない。そのことが、たとえば〈法華のいまし法華なる、不覚不知なれども、不識不会なり〉《法華転法華》といわれる。その事態をを敢えて言語化すれば「唯仏与仏」であり「仏知見」であるが、それではなにも伝わらない。それを伝えうるような言語表現はいかに可能か。
只管打坐は〈心意識に非ず、念想觀に非〉《坐禅儀》ざるものではあるが、 明々たる意識の開けであり、分別ではない幽すいな思惟の働きでもある。
坐禅と思惟の関係は、《坐禅箴》での藥山の話につぎのように挙されている。
〈まことに不思量底たとひふることも、さらにこれ如何思量 なり。兀兀地に思量なからんや。兀兀地の向上なにによりてか通ぜざる。賎近の愚にあらずは兀兀地を問著する力量 あるべし、思量あるべし。大師いはく、非思量。〉《坐禅箴》
まさに兀兀地である只管打坐を思量 せよといわれているのである。換言すれば「さとり」を思量せよ、ということである。覚知でない「さとり」と言語表現を関係させるものは、只管打坐にある思量 であり、それは普通の思慮分別とは違う「非思量」である。つまり只管打坐ではまったく考えや意識がないわけではないが、けっして何かを考え、意識したわけではない。いわば明晰な精神そのものの働きだ。それが〈これ正思量 正思惟なり、破蒲団、これ正思惟なり〉《坐禅箴》といわれる。
例えば只管打坐しているとき、何かを聞いているわけではない、だが何も聞いていないのではない。聴覚が外界にただ開かれてある。もし、坐禅中に何を聞きましたか、といわれて答えられたら、それを聞いていたのであって、只管打坐していたのではない。逆に坐禅中なにも聞こえなかったら、居眠りかなにかをしていたのであり、只管打坐していたわけではない。〈目をかろくすることなかれ、目をおもくすることなかれ。耳をかろくすることなかれ、耳をおもくすることなかれ。耳目をして聡明ならしむべし〉《坐禅箴》とはこのことである。あるいは風鈴の頌で〈東西南北の風を問わず、一等他の為に般 若を談ず〉《摩訶般若波羅蜜》といわれるようなあり方で、「東西の風に東西する」のとは、逆のあり方だ。「人が法を逐う」のではなく「法が人を逐う(23)」のである。そこに慣れで見聞分別 していたのとは違った、さまざまな気付きが生まれるのは当然である。思量の要請こそ、道元の「さとり」の特筆すべき特徴である。「修せざるにはあらわれず」で完結せずに、「証せざるには得ることなし」が、厳然としてあるのだ。
その思惟と言語との関わりは、《現成公案》の八段の終わりに、〈ふかきことはたかき分量 なるべし。時節の長短は、大水小水を検点し、天月の広狭を辨取すべし〉といわれていることに窺うことができる。ここで天月とは仏知見、あるいは涅槃妙心であり、水に映った月は個人の打坐の思惟であり、承当であり、また、それが言語化されたものである。
天月が水に映る、それはまったく平等に同じ一つのものが映るのである。「さとり」が覚知ではない、ということは、例えば月に水が触れるということではない、〈月ぬ れず、水やぶれず〉と表象される。人間がぱっと全部了解したり、感覚的に実存転換したりするものではない。だが、水の入っているものによって、広狭、高低の差ができるように、修行の長さや深さに応じて、映る月すなわち人の会取道取には違いができる。そのありさまについて、〈辨取すべし〉といわれる。弁ずるというのは何らかの思惟であり、言語表現である。言語なくして思惟することはできない。思惟を通 じてはじめて気づくということがある。肯い、領悟し、一生参学の大事が終わる(A悟)ということもある。そしてそれが言語表現(道得)されることがある。
大水小水広狭というのであるから、さまざまな水月の点検が要請されている。さまざまな水月とは、自分の道得、釈迦の道得をふくむ諸仏祖の言句である。天月と水月の関係は、〈仏量 を拈来して大道を測量し度量すべからず。仏量は一隅なり、たとへば「花開」のごとし。心量 を挙来して威儀を模索すべからず、擬議すべからず。心量は一面なり、たとえば「世界」のごとし。一茎草量 、あきらかに仏祖心量なり。これ行仏の蹤跡を認ぜる一片なり。一心量たとひ無量仏量 を包含せりと見徹すとも、行仏の容止動静を量ぜんと擬するには過量の面目あり〉《行仏威儀》といわれる。行仏であるさとりが天月で、仏祖の言句たる仏量 心量は、水月である。
それゆえ、〈人もし仏道を修証するに、得一法、通 一法なり、遇一行、修一行なり〉《現成公案》といわれる。自らの只管打坐が省みられて、得一法、通 一法の言語表現になる。その都度、その都度の坐禅の開けが、思惟を通じて言語へともたらされる。具体的には問答、示衆、法語となる。この言語表現されたさとりを、今、D悟と呼ぼう。
言葉にされたものは、只管打坐の内実そのものではありえない。〈得処かならず自己の知見となりて、慮知にしられむずるとならふことなかれ〉である。思量 や言語表現においては「一法通ずれば万法通ずる」ということはない。〈法もし身心に充足すれば、ひとかたはたらずとおぼゆるなり。・・・ただわが、まなこのをよぶところしばらくまろにみゆるのみなり。かれがごとく万法もしかあり。塵中格外おほく様子を帯せりといへども参学眼力のをよぶばかりを見取会取するなり。〉《現成公案》
「一法通ずれば万法通ず」といえるのは、ただ只管打坐だけである。これだけが「さとり」であるから、自分に覚知されなくても万法に通 じているのである。〈嫡々相承せるはこの坐禅の宗旨のみなり。・・・この一法あきらめざれば、万法あきらめざるなり〉《坐禅箴》、「弁道には修行有り、功夫あり。一朝に打徹せば万法円成す。」(『永平広録』15)
坐禅において見取会取(A悟)したところが、説得され道取(D悟)される。だから説かれたもの、たとえば『正法眼蔵』は「さとり」ではない。第一義諦ではない。これが只管打坐としてのさとり(C悟)と道取(D悟)の違いである。
このように理解するとき、道元の言語表現、すなわちD悟がいろいろ変化することはまったく妥当だと思われる。道元の言説のこれだけが正しいというのは、仏縛にほかならない。『正法眼蔵』各巻は、いってみればその時々の道元の遇一行、説一法である。
道元のD悟の変化を示せば、たとえば、『随聞記』で「当世の人、多、造像起塔の事を仏法興隆と思へり。又非也」(巻三)といったことが、《発菩提心》では〈而今の造像造仏等は、まさしくこれ発菩提心なり〉と逆になっている。
あるいは《辨道話》では「一天の股肱たりし、坐禅辨道して仏祖の大道に証入す。ただこれこころざしのありなしによるべし、身の在家出家にはかかはらじ」と書いた。只管打坐が「さとり」であるという一点に立っていたこの時期の言葉としてまことにうなづける。それから十五年経って《出家》巻では〈あきらかにしるべし、諸仏諸祖の成道、ただこれ出家受戒のみなり。・・・・おほよそ無上菩提は、出家受戒のとき満足するなり〉という。この時期の言語表現は、無上菩提が只管打坐であることすらも、おぼつかなくなっているので、在家出家に関しても、初期とはまるで違っている。
いったい、道元はこの頃どんな水月を見て見取したのか。少なくとも、成道は出家者だけができるという言表は、『禅苑清規』をそのまま踏襲しているだけで、道元自身の点検、弁取のあとはまったく見られない。その『禅苑清規』の「坐禅儀」は、宋から帰朝した頃の道元には、欠陥が多くてとてもそのまま踏襲できるものではなかいと述懐されていたし、〈参禅問道は戒律為先なり〉《出家》という立場とは、およそ異なっていたのである。この変化の浅深、広狭を弁取するのは、われわれのつとめである。
ところで、非思量を言語表現にもたらすのは、釋尊すらたじろぎ躊躇した至難の業である。竜樹や般 若経典は否定辞を連ねるという功夫をし、大乗経典は壮麗な虚構のイメージで仏世界を描いてみせた。それが法華経であり、無量 寿経であり、華厳経である。禅宗の伝統では機智を用いた問答や身体言語、あるいは偈が功夫され積み重ねられた。そしてそれは般 若経典や中観論書と同じく、言語を否定的に使う遮詮という方向をとる。南嶽は六祖の「恁麼物、恁麼来」に「説似一物即不中」と答えている。何か言ったら外れます、ということだ。薬山は、坐禅をしている時、石頭との数番応酬の後、「この什麼をか為さざる」と聞かれて「千聖もまた知らず」と答える。そういう具合に、不知・不会・不識・不可得など否定辞がつく遮詮である。それが極まれば不立文字ということになる。
ところが道元の特徴は、言語を遮詮ではなく、表詮として肯定的に使うことである。
最初の示衆《摩訶般若波羅蜜》で、大乗経典をテキストとした扱いにその典型が窺われる。『般 若心経』は、『少室六門』の一つに『心経頌』があることからも、すでに早くから禅宗ゆかりの経典として知識人には知られていたものだろう。これはいわゆる空思想の経典であり、原始仏教で分別 された理法や概念を、無という否定辞をつけて非実体化するもので、『心経頌』もそういう遮詮の方向でなされている。 だが道元は「無眼耳鼻舌身意」の無を、「また四枚の般若あり、眼耳鼻舌身意、色声香味触法、および眼耳鼻舌身意識等なり」と逆に取ってしまった。その無をとって原始仏教の理法を、ふたたび弁証法的に般 若(知慧)としたのである。それは道元の只管打坐が知慧、つまり言語や思惟と深くかかわるという自覚以上に、五蘊・四諦・六根・十二入などの原始仏教の基本を、無我を論証するための理法としてではなく、また迷を作り出す六塵(色声・・)等ととしてでもなく、打坐において現に成じている仏法として肯定するという意図からくる。六塵をそのまま仏法と認める現実肯定(本覚思想)でも、「仏性顕在論」(24)でもない。その意図はこう言語化される。
〈この正当敬礼時、ちなみに施設可得の般 若現成せり。いはゆる戒定慧乃至、度有情類等なり。これを無といふ。無の施設、かくのごとく可得なり。これ甚深微妙難測の般 若波羅蜜なり。〉
施設可得とは説き得るということで、言語の肯定、表詮である。しかし、説く対象に限定されるような実体があるわけではない。だから無なのだ。知では把捉できないものであるから、「虚空」とも表現される。
〈しかあれば学般若、これ虚空なり、虚空は学般 若なり。〉
しかもその知慧と坐禅が「虚空」を接点に、如淨の頌においてものの見事に結ばれている。〈渾身口に似て虚空に掛り〉とは、手も足も出さず一塊になっている兀坐のことである。〈東西南北の風を問わず〉とは、兀坐において六官がそのままに開かれてあり、どんな音も色も香りもそのまま受用されていく様を示していよう。〈一等他の為に般 若を談ず〉とは、けっして自分に知覚されないさとりであるにもかかわらず、「十方法界三途六道の群類、みなともに一時に身心明浄にして、大解脱地を証し・・・究竟無為の深般 若を開演す」《辨道話》といわれるように、他の一切を悟らせることをいうのであろうし、それは打坐の思惟である非思量 をも意味しよう。
このように道元における言語表現の天才的功夫は、漢語経典を脱構築して和語の思惟の中に自在に取り込む独特のスタイルを創造したのだ。つまり、一応ふつうに理解できる(たとえばおとぎ話が論理的ではなく事実と反していても、理解はできるという意味で)経論を文脈を無視して寸断して、それを自在にアクロバット的に用いて、坐禅において成り立っている覚知できないことがら(非思量 )を説き示すという前代未聞のことをしたのだ。
その『正法眼蔵』(D悟)などは、「さとり」としての正法眼蔵(C悟)ではないのは当然だが、映された水月として、間違いなく月である。月でないものではない。仏法であり、第一義諦は世諦(言説諦)を離れてはないのだから、諦として、一応の真理なのである。道元は「さとり」とその言語表現の関係を、《夢中説夢》《空華》《画餅》《葛藤》などで省察している。たとえば知覚できない「さとり」を道元は「夢」と示す。ふつうは悟りとは夢のような現実から覚醒することであるとされ、あるいは覚醒してみたら現実と思っていたものが夢であったとわかると考える。ところが道元はこの夢のみが真実であり実相なのだという。
〈これを夢中説夢す、証中見証なるがゆへに夢中説夢なり。〉《夢中説夢》 道元一流の逆説である。〈この夢すなはち明々なる百草なり〉とは、夢といっても現実と別 の世界ではなく、目前にある具体的事物以外ではない、ということだ。それを人間が見れば歪みや迷を生じるが、普通 はそれを現実といっているのだ。また「夢」は、さとりを言葉で思念して掴もうとすることへの警告でもある。さとりはただ行じられるところにあり、説く時は、ただ夢を説いているのであって、それが普遍的不変の真実だなどと誤解されてはならない。D悟は、いわば重層する夢であるから、道元のいうこと、道得底、説得底は変わる。道元の言葉に騙されてはならないのだ。
そうはいうものの、その言葉を使って「さとり」を示さねばならない。伝統的に禅宗は言語表現、とりわけ経論を、飢えを充たすに足らない画餅だといって揶揄してきた。ところが道元はいう。〈画餅にあらざれば充飢の薬なし〉、〈画餅にあらざれば不得なり、不道なるなり〉《画餅》。画餅である言語表現が、ぜったい必要だというのである。また仏教で空華というのは、迷っている人の妄想の例えとして、目の悪い人が網膜に映る眼球自身の傷を華と見るようなものだとしてきた。ところが道元はいう。〈仏世界および諸仏法、すなはちこれ空華なり〉《空華》。真実の世界の言表を「空華」というのである。
普通は、経典の言葉を仏法だとみなし、たとえば法華経に書かれていることが真実だと思う。しかし、道元の言葉でいえば、それは空華であり、夢であり、画餅である。たぶん道元は、たとえゴータマが実際に説いたと科学的に証明される言葉があっても、それをさとりとか涅槃とか真実とかいうまい。なぜならゴータマでさえ見聞覚知しえないことを語るのである。その言表がどうして絶対的真実でありえようか。道元ほど言語表現が世諦であること、第二義諦であることを自覚している人はまれである。
以上によって道元における覚知しえないことを語るというC悟とD悟をめぐる事態が明らかになったと思う。
さて、では何のため、だれのために言語表現が必要なのか。換言すれば〈大水小水を検点し、天月の広狭を辨取〉するのは、何のためか。見方によっては誰の為、何の為でもなく、打坐の思惟がおのずからに自覚の言葉、たとえば証契の偈、感興語(ウダーナ)になるともいえる。だが、まずは道元自身のためである。
水月の大小を点検しなければ、道元自身がどのくらいの水月なのか、どちらの方向に行李すべきか、見当を間違う。たえず釈迦牟尼仏の言という広大深々な水月を見比べ、古仏や新仏たちの大小の水月である言語表現を較校してはじめて、道元の水月の量 が明らかになる。逆にいえば実存をかけて参究し、弁肯しない言葉など、たとえ釈迦の言葉であっても生きて働くことはできない。「自家の鼻孔、自家牽く。且つ道え、如何が二千年前の旧公案今日挙揚せん」(『永平広録』238) といわれるとおりである。
しかしながら道元の道得は、どこまでも道元の道得であり、それは「さとり」(C悟)としての真理でも悟りの標準でもない。むしろ道元という水月を、人は今、自らの水月を量 るために、点検し、弁取すべきなのである。身心脱落が「さとり」だ、と筆者がいうこともすでに道元が次のように警告している通 りのものである。
「身心脱落也、人の認めて本源と為すを妨げず。法は断常を離るる也、猶、自ら錯って虚実を説くことあり。所以に道う、塵塵仏を見て仏を誹らず、刹刹経を聞けども経を離れず。雪山の親授記を得んと要さば石頭の大小を点頭し来れ。良久して云わく、三十年後、錯って挙することを得ざれ。」(『永平広録』295)
(23) 『二入四行論』(『達磨の語録』101頁、柳田聖山,ちくま学芸文庫)
(24) 松本史朗氏が「道元と批判宗学」(「禅学研究所年報」第9号、駒沢大学禅学研究所、1998)などで唱えている説。