四、『辧道話』の危うさ
只管打坐のさとり(C悟)とその承当(A悟)という道元の捉え方は、中国禅の主流であった本覚に目覚める(始覚=B悟)ということとはまったく異なる。ちなみに原田祖岳門下の「本分上の宗旨と修証辺の宗旨」というのは、この本覚と始覚に対応するのである。
『普勧坐禅儀』や広く仏法宣揚のため書かれた《辨道話》では、未だ中国禅の伝統に引きづられて、本覚と始覚の関係を思わせる表現を用いている。本覚と見誤れる表現は『普勧坐禅儀』では「道本円通 いかでか修証を仮らん」とあり、『辨道話』では「われらは無上菩提かけたるにあらず」や「仏法の中に心性大総相と云は・・・」などがあり、『学道用心集』でも「自己本道中にあって迷惑せず、妄想せず、転倒せず、増減なく誤謬なきことを信ずべし」(9)と本覚と思えるものを内容とする信が要請されている。たしかに、この表現と体験的悟りの前提になっている本覚思想を区別 することは、難しい。
道元の主眼はいうまでもなくC悟にあるが、それを承当させること(A悟)は、非常に難しい。そこに『辧道話』では、「承当」ではなく「信」を持ち出す理由が存する。
『辨道話』では、坐禅こそが仏法の正門であると宣言しても、なぜ正門なのか13、ということについては、釈迦をはじめすべての如来と祖師が坐禅によって得道しているからだということしか言っていない。
草案本《辨道話》には「悟りを開く」という表現が、頻繁に現われるが、それは修行者への要請ではなく、坐禅への信を保証する他者の経験としていわれている。
「端坐するを以て開悟の直道とせり。西天東地、悟をえし人、此の清規に随へり」、「深き迷を掃蕩し、近き悟を獲得して、小節に拘わらず」、「坐禅より得道せり」、「修行し、開悟するなり」、「得道證契の哲匠を敬いて」、「坐の外に開悟せしも、皆曾て坐の力有るなり」、「猟者樵翁、悟を開く」、「袈裟を偸みかけて、悟を開きし」、「設斎の信女悟りを開きし」。14
たしかに皆が坐禅によって覚りを開いたというのは、事実であろう。いまでもテーラ・ヴァーダ仏教でもチベット仏教でも、行の基本は坐禅である。
だが、道元は坐禅にそれ以上の意味、つまり戒定慧の三学のなかの定でも、大乗の六度のなかの禅波羅蜜でもなく、「仏法の全道」だという意味を持たせる。これは如淨の「さらに燒香、礼拝、念仏、修懺、看経をもちゐず、ただし打坐して身心脱落することおえよ」という教示に遡るものであり、当時の天台宗の影響下にあった僧侶たちに対しては、強烈な衝撃を与える宣言ではあったが、いかんせん、当時は道元自身にそのさとりを言語化する「道得」が熟していなかった。もちろん聴衆の未熟にもよる。だから、信が押し付けられたのである。
「およそ諸仏の境界は不可思議なり。心識のおよぶべきにあらず。いはむや不信劣智のしることおえむや。ただ正信の大機のみ、よくいることをうるなり。不信の人は、たとえおしふとも、うくべきことかたし。」
その信の内容が、坐禅の功徳として次のように壮麗に叙述される。
「もし人、一時なりといふとも、三業に仏印を標し、三昧に端坐するとき、遍法界みな仏印となり、尽虚空ことごとくさとりとなる。ゆえに、諸仏如来をしては本地の法楽をまし、覚道の荘厳をあらたにす。および十方法界、三途六道の群類、みなともに一時に身心明浄にして、大解脱地を証し、本来面 目現ずるとき、諸法みな正覚を証会し、万物ともに仏身を使用して、すみやか証会の辺際を一超して、覚樹王に端坐し、一時に無等々の大法輪を転じ、究竟無為の般 若を開演す。」
坐禅は、《辨道話》では、まさに仏法の全道と信じられるべきものであって、経典や公案などの言語表現への思惟は、一切要らないものとされる。
「経書をひらくことは、ほとけ頓漸修行の儀則をおしへおけるをあきらめしり、教のごとく修行すれば、かならず証をとらしめむとなり。いたづらに思量 念度をつゐやして、菩提をうる功徳に擬せんとにはあらぬなり。」
「文字法師のしりおよぶべきにあらず。」
「この知見によりて、空花まちまちなり。あるいは十二輪転、二十五有の境界とおもひ、三乗五乗、有仏無仏の見つくる事なし。この知見をならふて、仏法修行の正道とおもふべからず。しかあるを、いまはまさしく仏印によりて万事を放下し、一向に坐禅するとき、迷悟情量 のほとりをこゑて、凡聖のみちにかかはらず、すみやかに格外に逍遥し、大菩提を受用するなり。」
「ただまさに、はじめ知識をみむより、修行の儀則を咨問して、一向に坐禅辨道して、一知半解を心にとむることなかれ。」
「また癡老の比丘黙坐せしをみて、設斎の信女さとりおひらきし、これ智によらず、文によらず、ことばおまたず、かたりおまたず、ただこれ正信にたすけられたり。」
このように《辨道話》で弟子に要請されることは、ただ「修証これ一等なり」などの道元の言葉を信じて坐禅辨道すること、「証(C悟)を覚(A悟)前に得」ることであって、自発的な疑問を抱くことや、覚りへの知的求道は無用だとされている。
しかし、人々が禅宗に期待したのは、浄土教でももっぱら強調される「信」ではない。むしろ、師匠にも釈迦にも瞞ぜられることのない、自己自身による確証である。七十五巻本『正法眼蔵』には、もはや信は主題的にはまったく説かれない15。信では仏法は伝わらないからだ。その最初の指導法の転換が『学道用心集』だといえよう。
注
j ここでは坐禅は門であり証の標準は自受用三昧となっているが、実際には《辨道話》『正法眼蔵』では自受用三昧はほとんど展開されないから、いまその点は無視したい。
k草案本のみならず、流布本《辨道話》にも坐禅修行と開悟、証会・得道・証契とは直ちにひとつではないという同じような表現が、しばしば見られる。 「自受用三昧に端坐依行するを、その開悟のまさしきみちとせり。」、「ただし打坐して身心脱落することをえよ」、「西天東地の諸祖、みな坐禅より得道せるなり」、「教のごとく修行すれば、かならず証をとらしめむ、となり」、「坐禅辨道して、諸仏自受用三昧を証得すべし」。
l 『正法眼蔵要語索引』上によれば、《三十七品菩提分法》の一つ、正信として論じられるほかは、経典の引用と〈信法頓漸の論におよばざる畜類〉《行仏威儀》という用法だけである。