二、身心脱落の承当  

 道元は最初に如浄に相見した時、〈仏仏祖祖面 授の法門、現成せり。これすなわち、霊山の拈華なり、嵩山の得髓なり・・〉《面授》という破格の言葉をかけられる。それは後に〈一言いまだ領覽せず、半句いまだ不会せずといふとも、師、すでに裏頭より弟子をみ、弟子すでに頂寧より師を拝しきたれるは、正伝の面 授なり〉《面授》と述懐されるように、師との初相見の時、道は八、九分成ったことを意味する。真実に求道している弟子が、正師に出会うことこそ、修行ということの眼目であろう。

 そして、如淨の許で「(汝が)只管に打坐して功夫を作し、身心脱落しきたる」(『宝慶記』29)といわれたことをきっかけに、問答を重ねて生死の問いの決着を見た。詳細は別 稿dに譲るが、ただそれが「身心脱落」という、あたかも特殊体験をあらわすような言葉と結びついているため、一部にはまだ相変わらず、道元の「さとり」を何か体験(B悟)と捉えて、その悟り体験がいつであったか、ということが論じられている。

 それについては鈴木格禅氏が、身心脱落は「いつ」という問題ではなく、「いかに」という問題こそが大切であるとし、その「いかに」を只管打坐の内実として明らかにした。すなわち「自己存在の無常の事実に、無条件に随順するのみの行である」「その実践は、どこまでも『己を放つ』行証である。これを『只管打坐』といい、そのありようを『身心脱落』といったのである。かくて『身心脱落』は、心性的回心としての『証悟』ではなく、宗教的行証としての内容である。人は生きている限り、たえず『まこと』を行じつづけなければ、たちまち、元の自己中心的な『ものほしい』自己に、立ち帰ってしまう根本的傾向の真っ只中にある」eといわれる。一回的回心ではなく、反復的な、古い自我の転としての身心脱落であり、この説明で十分であると思われる。

 道元において「さとり」とは、鈴木氏のいう意味での「身心脱落」であり、只管打坐のところに不覚不知に現成しているものである。それは原始仏教に説かれる状態としての覚りと同一の事態であり、事実、如浄は「直指単伝して五蓋六蓋を離れ、、五欲等を呵したまえり」(『宝慶記』29)と表現している。これを今、C悟といおう。そのさとりのありようは《現成公案》にも丁寧に説かれている。  

 また、身心脱落が 只管打坐そのことであって、只管打坐して得る体験ではないことを、道元は《仏性》でも竜樹円月相としてこう示す。

 〈(竜樹)尊者、また坐上に自在身を現ずること、満月輪の如し。一切衆会、唯法音のみを聞いて、師相を観ず。・・・・愚者おもはく、尊者かりに化身を現ぜるを円月相といふとおもふは、仏道を相承せざる党類の邪念なり。いづれのところのいづれのときか、非身の他現ならん。まさにしるべし、このとき尊者は高座せるのみなり。身現の儀は、いまのたれ人も坐せるがごとくありしなり。この身、これ円月相現なり。〉

 坐禅している姿が、人間を透脱して円月相となっているのである。円相は、姿が消えた様ではなく、坐禅の姿そのものである。これこそが唯一道元が「さとり」といっていることである。これはA悟でもなければ、B悟でもない。無上菩提・正法眼蔵涅槃妙心であり、C悟である。

 〈結跏趺坐、これ三昧王三昧なり〉《三昧王三昧》、〈無上菩提正法眼蔵、これを寂靜といひ、無為といひ、三昧といひ、陀羅尼といふ。〉《恁麼》

 《大悟》巻は、体験ではないこのさとりのありようを、こう説いている。

 〈いまの「還仮悟否」の道取は、さとりなしといはず、ありといはず、きたるといはず、「かるやいなや」といふ。「今時人のさとりはいかにしてさとれるぞ」と道取せんがごとし。たとへば「さとりをう」といはば、ひごろはなかりつるかとおぼゆ。「さとりきたれり」といはば、ひごろはそのさとり、いづれのところにありけるぞとおぼゆ、「さとりになれり」といはば、さとり、はじめありとおぼゆ。かくのごとくいはず、かくのごとくならずといへども、さとりのありようをいふときに、「さとりをかるや」とはいふなり。〉

 ここには道元の強靭な思索によって「さとり」とは、成ることでも得ることでもないと明言される。そして鈴木氏がいわれるように、それはたえず行証し続けなければならない。〈しかあれば、たとひ第二頭なりとも、たとひ百千頭なりとも、さとりなるべし〉《大悟》、〈しかあればすなわち、一生万生、把尾収頭、不離叢林、昼夜祇管跏趺坐して餘務あらざる、三昧王三昧なり〉《三昧王三昧》といわれるとおりである。

 それはただ修証だけでなく、発心・修行・菩提・涅槃の同時道環として示される。いつ道元が悟ったか、などという問は、ここからは起こりようがない。

 如浄の許での生死の決着は、心理的覚り体験ではなく、言葉による覚醒(A悟)である。そのことを、道元は一度も「さとり」、あるいは「開悟」という言葉を使って表現してはいない。むしろ「弁肯」あるいは「承当」という。  

 如浄は、一連の問答の最後で、「仏々祖々の身心脱落を弁肯するが、乃ち柔軟心なり」(『宝慶記』29)といっている。「弁肯」とは分かって頷くことであり、解悟(A悟)であり、道元も〈脱落を弁肯す〉《道得》などと使っている。だが、事態をよりぴったり言い当てている用語は「承当」であろう。たとえば、《辨道話》には、「しるべし、われらはもとより無上菩提かけたるにあらず。とこしなへに受用すといへども、承当することをえざるゆゑに、みだりに知見をおこすことをならひとして」とあり、「いはんや人みな般 若の正種ゆたかなり。ただ承当することまれに、受用することいまだしきならし」とある。

 一般の人と道元の違いは、悟っているかどうかではなく、「承当」しているかどうか、「受用」すなわち行じているかどうかである。承当とは、したがって、一生参学の大事が畢ることである。

 修行者においては、無上菩提はすでに只管打坐において受用(C悟)されていて、欠けているのはそれが根本的に分かること、承当(A悟)である。次の承当の用法もおなじことを示している。〈すでに恁麼保任するに、諸法、諸身、諸行、諸仏、これ親切なり。この行法身仏、おのおの承当にT礙あるのみなり。承当にT礙あるゆえに承当に脱落あるのみなり。〉《行仏威儀》

 この承当によって何かが変わったわけではない。宋から帰国した道元が「空手にして郷に還る」fという由縁である。承当が特殊な体験ではないということは、次のような『学道用心集』の用法からもあきらかである。 「この身心をもって直に仏を証する、これ承当なり。所謂従来の身を廻転せず、但、他の説に随い去るを直下と名づけて承当と名づくるなり。」(10)

 仏に成るgというより、仏を証することが承当であり、A悟である。これは證悟ともいえようし、證契、證会、得道ともいえる。

  しかしながら、『建撕記』などによる身心脱落体験説は、現在でも根深く何度もくり返されるh。どうしてなおも悟り体験(B悟)を問題にするのだろうか。それは心身を疲労困憊に追い詰める無理な坐禅をした場合、異常な意識状態(魔境)を誘因するからだろう。淨土宗にさえ三昧発得と称して幻視幻聴がいわれるほど、人間の意識はもろく、何かの拍子で異常現象を起こす。いや、そういう異常な体験(B悟)を期待するから、難行苦行してそういう「悟り」を現じるのである。臨死を含め一般 的に神秘的体験は、強烈な印象を実存の根底に残して、人生観すら替え得るから人はそれを求めるのだ。だが道元はそれを戒めて「学道の人未だ通 塞を弁ぜず、強いて見験あらんことを好む。錯らざるは阿誰ぞ」(『学道用心集』9)といっている。

 ところが面倒なことに、道元自身の初期の著作の中には、悟りを開くことを促す表現が多くあり、そこに日本曹洞宗の中でも悟り体験を主張する天桂伝尊や原田祖岳一門のような人々がある。  この問題は、道元の説き方の変遷という視点から考えることができる。覚知できない「さとり」の言語化は、道元において様々に変化していくからである。もっとも無上菩提正法眼蔵としての「さとり」と、『正法眼蔵』などの言語表現との関連iは、後に節を改めて論じたい。

d 筆者はそれを「道元の身心脱落承当の時」という題で論じた。(「宗学研究」37号、81頁以下、1995、曹洞宗宗学研究所) より詳しくは拙書『研究報告』第三冊、300頁以下参照(花園大学国際禅学研究所、1995)

e 「身心脱落考」、(『ブッダから道元へ』所収220〜222頁、奈良康明編、東京書籍、1992)

f 『永平広録』48

g  道元は自分が仏だ、などと自称したことはない。寺田透は道元には大仏と衆生の分裂があるという(「道元における分裂」『道元』下、日本思想体系、岩波書店1972)が、大仏という自称は、そのとき大仏寺に住持していたから、寺号をとって言ったまでであり、「永平」と自称するのと同じで、仏であるという意味はない。

h 竹村牧男氏は「証悟」といわれるような覚体験があるはずだという。(『ブッダから道元へ』222頁)

i 鈴木大拙は「祇管打坐の道元と『正法眼蔵』の道元とは、明らかに悟りの両面 性を象徴して居ると云ってよい」というが、 前者はC悟に、後者は後述するD悟に相応しよう。  『随聞記』は、この版の他に巻の順が六、一〜五となっている面山版本がある。