「 滝沢克己のインマヌエル論」批判     

                                         松岡 由香子

           (1990年「宗教研究」発表 )

 滝沢克己は、仏教とキリスト教を全く異なったものであるとする久松真一(禅仏教)や二十世紀の代表的神学者カール・バルト(プロテスタント)に対して、それが同一の救済根拠に立つと主張している。

 もしそうであるなら、仏教、キリスト教という区別 は少なくとも原理的には無用となり、彼の提唱するように「唯一普遍 の宗教」(1)が出現するであろう。

 しかし、はたして彼のインマヌエル論はそもそもキリスト教あるいは仏教の理論として適切だろうか。本論ではキリスト教として妥当か否かということを主題的に問い(2)、さらに宗教比較論のはらむ問題にも言及したい。

  一 「イエス・キリストの御名」をめぐる相違

 カール・バルトは『教会教義学』の註において親鸞に言及しているが、それをめぐって滝沢は『浄土真宗とキリスト教』を著して対話を試みている。まずそれに拠って問題点を明らかにしておこう。  バルトはキリスト教との類似性が指摘されている親鸞の思想に対して、根源的な違いを次のように述べている。

 「真理と虚言にかんして決定的なものは実際、ただ一つだけ (nur Eines)である。この一つのものとはイエス・キリストというみ名(der Name Jesus Christus)である。まことにキリスト教の真理は、ただそれのみがわれわれの宗教の真理を成す神の啓示の現実の総体としてのこのみ名の、まったく形式的な単純さのnakなかにだけ秘められている!いいかえるとそれは、多かれ少なかれ新鮮な・恵みの宗教としての・その構造のなかに、すなわち、原罪や、すべての罪人にかわって果 たされた贖罪のみ業や、ただ信仰によってのみ現成する義認(Rechtfertigung)や、聖霊の賜物や、感謝などについての宗教改革者たちの教説のなかに、含まれているわけではないのである。  すべてこれらのことは、ここに明らかに示されたとおり、異教徒たちもまた教えることができる、のみならずかれらなりにこれを生き、教会としてこれを表示することさえもできる。しかし、そのばあいにも、異教徒が異教徒であること、憐れな・まったく失われた・異教徒であることには、いささかの変わりもないのである」。(3)

 この発言は極めて独善的だと感じられるが、実はバルトは浄土真宗の中に世界のどの宗教よりも鋭くプロテスタントとの類似を見抜いているのである。それゆえ、かれはただ一点「イエス・キリストの御名」のみを、真宗(仏教)とキリスト教を峻別 する指標としている。。この「イエス・キリストの御名」こそ、またバルトの神学を他の神学や人間のあらゆる宗教性と絶対的に区別 するものである。

 バルトの見解に対して、滝沢はつぎのような自分の解釈を述べている。  

(一) 「イエス・キリスト」という名を口にするときバルトのひたすら見つめているものは、私たち人間のいっさいの思い・あらゆる働きからまったく独立に、真にそれ自身で在りかつ活きている〈何ものか〉である。……それはいかなる意味においても肉の目に見ること、耳に聞くことのできないもの、いな、それらすべての「神聖な」すがたや動きと同じ意味では、それについて考えるということさえ、全然不可能な〈何ものか〉なのである(イエス・キリストの名の両義性)

 (二) その「不可見」「不可思議」な〈何ものか〉は、……いやしくも私たち人間の事実実在する処には、かならずそれとして実在する。……のみならず、その〈何ものか〉じたいもまた、私たち実在の人間各自・全人類から掛け離れて、それだけで存在するということはできない(不可分不可同)

 (三) その根源的な関係(点)は、実存の人にとって、……揺らぐことさえ不可能な支え、しんじつ確かな人生そのものの基点、全人類に共通 な生命の基盤として、ただ単純に絶対無償の恵みを意味する(人間の原点)

 (四) 『イエス・キリスト』という名の指し示す当体=耳に聞こえるその名がそれの名であるその根源的関係と、実存の人間的主体ないし人間的諸関係のあいだは、まず〈存在〉のうえからいって、右のような、絶対に逆にすべからざる先後・上下の順序がある」(不可逆)

 (五) 全人生・全歴史の根底に臨在するこの独一無二の関係=ロゴスに眼ざめるとき、私たちは、自分がこれまで、自分自身よりも自分に近いこの関係・ロゴスに対して、まったく盲であり聾であったことを、大いなる驚きと畏れをもって告白せざるをえない」(4)(自覚)

 そして、バルトにこう問い掛けている。  

 「(バルトにおいては)『イエス・キリストのみ名』という語 に、けっしてそのままに見過ごされてはならない重大な曖昧(二重義性)が含まれているのだ。すなわちかれが『イエス・キリストのみ名』と呼ぶとき、実質的に意味しているのは、耳に聞こえる響き、眼に見える限りではない神人の根源的な関係(インマヌエルの原事実)そのものであるのに、かれはこの原事実そのものと、その一表現(歴史的世界内部の一事象)としての『イエス・キリストのみ名』とを、十分にはっきりと区別 していない、両者の関係を明らかにしていないのだ」。(5)

 この問題こそバルトと滝沢の違いの根本であり、かつ彼のインマヌエル論の核心でもあるから、滝沢のキリスト教理解の本質に触れるものであり、それがキリスト教として妥当か否かもこの検討に懸かってくる。

 さて、バルトの「イエス・キリスト」理解のユニークな点は、実際にイエスがどう生きたのか、具体的に何を語り、どう活動したのかという問題を一切捨象したことにある。  彼は当時の神学界が、実証的文献批判・歴史的合理的解釈を取り入れたいわゆる自由主義神学の全盛時代であり、なかんずく歴史的イエスについては百家争鳴の観を呈しており、その結果 いかんで信仰そのものが左右されかねない情勢だったので、歴史批判的方法よりも霊感説をとると宣言し、自覚的にそのような方法・表現を用いたのである。例えば彼の画期的な一書『ロlマ書』(注解)において次のように表現されている。

 「キリストとしてのイエスはわれわれにとって既知の平面 を上から垂直に切断するわれわれにとって未知の平面である。キリストであるイエスは歴史的可視性の範囲内ではただ問題としてのみ、ただ神話としてのみ理解されうる」。(6)

  このような叙述からも滝沢の解釈(一)が生まれてこよう。

 これは当時の神学界に対してはきわめて刺激的効果 的な戦略であったろうが、そのきわどい表現が文字通りのものではないことは、後の『教会教義学』に こういわれていることにも窺える。

「われわれが神の言葉を聞き、神と人間と一切事物の根底を本質を理解するためには、イエス・キリストの歴史上の現実存在の言葉を、単純に聞けばよいのである」(筆者下線)。(7)

 バルトが「歴史的可視性の範囲内」といったのは、実証的歴史学の立場すなわち内実的には信仰者ではない立場ということであり、信仰者には不可聞でも不可思議でもない。  したがって、バルト解釈として滝沢の(一)「キリストの名の第一義」は 不適切であり、滝沢のいうようにはバルトが厳密さを欠くのではない。

 これは借越な批評だろうか。いや、これに関するバルト自身の批判が滝沢の証言として存する。

 滝沢はバルトのもとで勉学していた時、『ローマ書』の 「イエス・キリストのみ名」をめぐって友人ヴィースと激論し、その裁決をバルトに求めた。するとバルトは滝沢の説をこう評した。

 「それは全く一つの汎神論もしくは理想主義哲学に過ぎない、私の『ローマ書』はそういう意味で書かれたのではない。そういう誤解をさけるためには『ローマ書』よりもむしろ最近の『教義学』を読むことを望みたい……」。 (8)

 この直接の批判にもかかわらず滝沢はそれから六年余経た後も、こう頑固に言い張る。

 「何故なら、私をしてそう主張せしめたかの事実そのものが、その[違う]ことを、私がそのように彼の『ローマ書』を読み違えはしなかったことを、はっきりと告げていたから」。 (9)

 バルト本人より優位にあって滝沢をして「読み違えない」と確信させている「かの事実そのもの」とは何か。滝沢はこう述べる。

 「彼が唯そこからのみ語り、それをのみ指し示そうとするキリストの事実(インマヌエル)は、かつてヴィースと共に彼を煩わした時にもまた私がこれを見誤ってはいなかったこと、私をしてはじめてはっきりとこの事実に目覚めさせたもの、私にとってバルトの意味に於ける、哲学的思考より神学的思考への転回の機縁となったものが、西田先生の最近の諸論文にほかならなかったことをありのままに告白した。この最後の言葉を聞くとバルトは答えて言った。ムム人間が聖書によらずして正しく神を信じることは、原理的には可能であるが、事実的には不可能である。(10)もしも君が聖書を読む前に同じ神を信じていたと言うならは、君は私とよりもむしろ、ルードルフ・ブルトマンと一層よく理解しあうことが出米るであろう」。 (11)

 滝沢の「かの事実そのもの」とは、西田哲学によって目覚めさせられたものである、ということをまず押さえておきたい。(12)

 バルトの滝沢への批判は理論的不整合や概念の曖昧さに対してではなく、そもそも滝沢の解釈が「信仰において」ではなく、「観念主義的(理想主義的=edealistisch)哲学」としてなされているという点にある。だが滝沢はまったき自信をもって自分の正しさを主張し、それでも露呈してくる両者の異質さを、『バルト神学になお残るただひとつの疑問』(13)で再燃させたりして、幾度もそれをバルト神学の不明瞭さとした。 このような事情から滝沢が受洗するときでさえ、バルトは「なお完全に透明になったとはいいがたいが」(14)と危惧を隠さなかったのであろう。

 さて、このような滝沢の求道の経緯には、仏教とキリスト教の比較にかかわる問題の急所が窺われる。滝沢にバルトの許で学ぶことを薦めたのは西田である。仏数的哲学者西田が、バルトの「イエス・キリスト」に深く響きあうものを聴いたという その実存的事実は何を語るのか。もちろん、そのことは必ずしも仏教とキリスト教が同じ真理に根差すことを告げてはいまい。西田は聖書を読み、「我々がキリストの神性を信じるのは、その一生が最深なる人生の真理を含むが故である」(15)といったが、具体的な手ごたえをもって仏教者をもつきうごかすイエスの実際の生き様こそ、哲学を超えた宗教間の比較・対話の核になるのではあるまいか。

 いっぽう滝沢はバルトの神学に触れる以前に聖書のイエス・キリストに揺り動かされたわけではなかったようである。そこにひとつ問題がある。

 第二は、宗教は神学とはことなり、それが頷ければ従来の価値観が根底から転倒し、具体的生き方の変革をもたらす『ただ一つのこと』を示す。滝沢は難解な西田哲学の根底にあるそれを洞察し得、さらにその点のみを鋭く指摘したバルト神学に出会った。そのため彼は西田哲学の源泉をなす坐禅と、バルトを神学に駆るキリストヘの聴従をぬ かして、言葉に結晶した限りの『ただ一つのこと』に着目した。いずれもそのことだけが人生の根本問題だと押えた直感はさすがであるが、人間の直感はしばしば両刃の剣である。その『ただ一つのこと』を彼が「理解」してしまったとき、すなわち彼に「原事実の構造」が明らかになったとき、すでに西田哲学もバルト神学もねじれてしまったのであろう。

 第三に『ただ一つのこと』はなにか生きているものであり、言葉や論理に固定化されえないと共に、人間の多様な発語を超えた一致が多数の人々の間で仏教・キリスト教としてあり得るはずである。

 だが滝沢の論理は四〇年変わらず、その論理を超えた一致ではなく、その論理への一致を終生求めたように思われる。したがって滝沢の哲学的営みは仏教とキリスト教の問題というよりは、もろもろの宗教論理と滝沢の論理の構造の比較であるといえよう。(16)  

  ニ バルトの「インマヌエル」と滝沢インマヌエル原点論の違い

 ここでさらに立ち入って、バルト神学の中心概念「インマヌエル」と、その用語を使った滝沢の原点論の違いを明らかにしたい。  滝沢は解釈(一)(二)でバルトの「イエス・キリストの御名」を、〈何ものか〉という曖昧な言葉に置き換え、それを人間の実在するところに必ず実在するもの、と存在論的に解釈し、後にそれを「インマヌエルの原事実」とした。ここにすでに決定的ずれがあると思われる。

 バルトはそもそも「イエス・キリストの御名」を、インマヌエルと同定してはいない。「『神われらと共に』という言葉は、……イエスという名において『成就』した、あのインマヌエルという注目すべき名の翻訳なのである」(17)と註記されるとおり、「神われらと共に」 (インマヌエル)は、普遍妥当的な存在事実ではなく、まさに歴史的出来事によってはじめて成り立った神と人との関係性なのである。むしろ旧約聖書の創造論から引き出しうるような根源的な神と人の関係性を前提しないところにバルトの特色かある。先に見たようにバルトの「イエス・キリストの御名には滝沢がいうような「原事実とその一表現の区別 」など存在しない(18)。また、バルトではイエス・キリストがあってはじめてインマヌエルがあるのであり、滝沢とは逆の意味で前後の関係がある。

 だからバルトの「インマヌエル」はすでにだれも元にも存在するのではなく、、又告げ知らされずして目覚めることのできるようなものではない。それはすべての人に宣べ伝えられるべき「キリスト教団の共同の決定的表白」(19)つまり信仰告白なのである。彼はいう。

「『神われらと共に』という言葉は、その事実を知り、しかも自らたえずそれを新しく学ぶことを許されているわれら人間と共に、ということであると同時に、それは、すべての他の人々に対するわれわれの告知の言葉、そしてその事実をまだ知らぬ ゆえに新しく学ばねばならぬが、しかもやはり知ることを許されている『われら』他の人々と共に、ということでもある」。 (20) 

 したがって滝沢の解釈(三)「人間の原点」(『仏教徒キリスト教』では、「第一の接触」)はバルト神学には存在しない。ゆえに解釈(四)の原点とイエス・キリストの不可逆もあり得ない。

 とはいえ、滝沢の解釈(二)「人間における神との不可分不可同」については誤解を生むような表現がバルトの著作にないわけではない。たとえば『教会教義学』でこういわれている。

 「彼ら(キリスト者以外の人々=筆者)にもイエス・キリストが欠けているのではない。またイエス・キリストにおいては、神との和解を与えられた人間の存在も、欠けてはいない。ただしかし、イエス・キリストの聖霊に対する従順な生活が彼らにはないのである」。(21)

 これは一見、滝沢の論の正しさを立証しているかのように見える。だが注意してほしい。しバルトは「イエス・キリストにおいて」といっている。つまり、神との和解における人間の新しい存在は万人に対してただちに、無条件的・無前提的に妥当するわけではない。バルト神学にとってこの「イエス・キリスト において」という限定は決定的に重要なのである。それに応じてまた、「彼らにもイエス・キリストが欠けているのではない」という言葉、すなわちイエス・キリストの万人における臨在性も、実は同じ「イエス・キリスト」においてという限定によって制約されている。このことは直前の次の言葉によって明らか である。

「神はその存在(新しい存在=筆者)を、イエス・キリストにおいてすべての人々に与えたもうた」。 (22)

「彼ら(キリスト教徒でない人々=筆者)にもこれと同じ存在がイエス・キリストにおいて与えられている」。(23)

 「イエス・キリストにおいて」とは、復活されたキリストに属する事柄としてということであり、これはとりもなおさず「信仰によれば」ということである。イエス・キリストを離れたところ、信仰のないところで、人間存在これじたいにおいて神との和解であるインマヌエルが存在するのではない。

 このバルトの言表は、混乱と誤解を恐れずにいうならば、道元が「現成公案」巻で風性常住に関し「(扇を)つかわぬ おりも風をきくべしといふは、常住もしらず、風性をもしらぬなり」(24)というのに似ている。「イエス・キリストにおいて」がないところでは、神との和解はないといわれはならない。  

 もっとも、イエス・キリストの歴史的事実自体が、すでに神の和解であると反論されるかもしれない。このような解釈は、パウロの次の言葉に見い出せよう。 「わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、かれのいのちによって牧われるであろう」(ローマ5・10)。  ここで二重の和解が語られているが、前者の「和解」がすべての人々に与えられているもの(神の義)であり、後者の「和解」がキリスト者に与えられるもの(信仰による神からの義)である。この点に関し、バルトも『教会教義学』の中で(25)神の義すなわち神の判決を語るとき、二重の否定を同時に語っている。

 「神は人間を背反者・罪人・契約破壊者として見い出し、また人間は自らそのような者であることを告白せざるをえないけれども、人間はもはやそのような者ではない。人間は、そのような者としてはすでに死に、従って片づけられてしまっており、この世から取り除かれている」。(26)

 二重否定はすなわち肯定であり、あたかもすでにすべての人間は罪人ではないと宣言しているかに見える。ここからすると、キリスト者と他の人々との違いは、すでに万人に与えられている和解を信仰において自己化し、個的実存のうえに現実化するか否かにある。神の義に基づく新しい人間存在はキリスト者には現実態であるが他の人々には可能態である、と一応そう思われる。バルトが、「イエス・キリストにおいて和解を与えられた人間の存在は彼ら(他の人々=筆者)のうちに反映していない」(27)というのもそういう意味で言われているように見える。これは滝沢の存在論を傍証することになるのだろうか。             

 いな、決定的な違いがある。バルトが指摘しているのは、むしろこのようなパウロ神学から帰結されるキリスト教の安易な常識を覆す洞察である。すなわち、「イエス・キリストにおいて」がないところ、人間自身の存在においてはキリスト者も他の人々も新しい存在をもっていない、ということである。

 「イエス・キリストの明るい光りに照らされる時、自分自身の存在において古い人間はいまだ決して死んでおらず、新しい人間はいまだ決して創られていないということを見い出す。彼は、自分自身の存在においては、(神の判決に反して)依然として、そしていつもくりかえし、契約違反者・罪人・背反者として存在せざるを得ないであろう」(筆者下線)(28)

 だからして人間の新しい存在の反映とは、すでに人間のもとにある原事実の反映であるのではなく、人間におけるイエス・キリストの反映なのである。                              

 「そのような人々(キリスト者=筆者注)こそ、〈イエス・キリスト〉における新しい入間の存在はただイエス・キリストの中に隠されたものとしてだけ知らされており、彼の中に秘められたものとしてだけあらわであり、彼の中に保存されたものとしてだけ告知されているということを知っているであろう。また、その事実に厳しく固着するであろう」。(29)

 このバルトの固執は決して軽く見られてよいものではない。だからこそ浄土真宗に対するあのラディカルな批判がなされるのである。

 イエス・キリストを離れて神を、神と人の関係を語ることは、神学が人間の思弁・観念的哲学に陥ることを免れない。いや、イエス・キリストに即しても、それが既に信仰者の完全な理解のなかに存在するかのごとく語ることをバルトは峻拒する。人間が何を語りうるのか、その限界をバルトは深く心に留めているのである。    

 三 「上への超越」から「下への超越」ヘ

 バルトがイエス・キリストに固着して、超越論的な神論を展開しなかったこと(キリスト中心主義)こそ、滝沢がその神学を首肯した所以であろう。滝沢はその点は継承しているものの「インマヌエルの原事実」を「人の成り立ちの根底に実在する」ものとしてイエス・キリストを離れて語る。いわば、下への超越である。

 ところで不可分不可同という論理は伝統神学でも説かれているから、それと滝沢の論を並べて見ることによってキリスト教として見た場合の滝沢の特異性を明らかにしたい。

 伝統神学は次のように教義を展開していった。 (図は表示できなかった) 

 1 父と子の同質〈ニケア信条〉(神の不可分不可同)

 2 神は父と子と聖霊という三つのペルソナとひとつの実体において存在する〈アタナシウス信条〉(神の不可分不可同)

 3 イエス・キリストは人性と神性の二つが一つの本質一つの実体において不可分不可同である〈カルケドン信条〉(神と人との不可分不可同)。

   神       父              ◎父と子と聖霊の不可分不可同  

           聖霊   子(イエス)    ◎イエス・キリストのみが神との接点

   人            イエス          人間      

 ここでは徹頭徹尾、神について不可分不可同が論じられており、具体的な人間にかかわる事柄では全くなく、上への超越である創造神・父なる神とキリストの関係である(神中心主義)

 いっぽう滝沢の論を筆者なりに図示すれば左図のようになる。   (図は表示できなかった)                 

     永遠の原事実                   歴史的現実    

    A第一の接触(人間の根底)      ◎模範例       B第二の接触(イエス・キリスト)  まことの神・まことの人

     神・神の肖像           ◎Bを契機とする自覚    C第二の接触(キリスト者)    神の座 ・人の座         インマヌエルの原事実       ◎無自覚          D第二の接触の欠如(他の人々)  罪人の座

                                                              

 この図はすべての人にかかわるものである点で、前者とまったく異なる。さらにバルトとも異なりキリストを離れた超越の次元が第一の接触(インマヌエルの原事実)として導入されている(原点中心主義)。不可分不可同は第一義的には、この次元(A)と具体的な人間(B・C・D)の関係であり、第二義的にはAにおける神(創造者)とその肖像(被造者)、Bにおけるまことの神まことの人、Dにおける神の座と人の座の関係である。いずれも人間と神の不可分不可同のみである。

 不可逆はAにおける神と肖像の関係よりもむしろAとB・C・Dの間の絶対的な不可逆として強調される。一方伝統神学やバルトが不可逆をいわないのは、神と人との関係には絶対的断絶が前提されており、併存あるいは不可分ということがそもそも考えられないゆえに、あえて不可逆とも言わないのである。それゆえイエス・キリストにおける神と人との不可分不可同は絶対的逆説たらざるを得ない。

 不可逆をいう滝沢にはこの絶対的断絶が実質的にはまったく欠落している。言葉としては例えば「絶対的虚無を隔てて」(30)と言われるが、それが直ちに「直接に絶対的の有と相対する」(31)と続けられ、結局は不可分不可同の枠の中での不可逆をいうためのレトリックになっている。そして予想されるBとC・Dの不可逆はむしろ否定され、B・C・Dは相対的区別 であり、Bは「基準的一であるといわれる。不可逆に関してはさらに後で触れよう。  ところで滝沢が人間の構造のみを論ずるのは、彼の少年時代からの根源的問いが「人が人であるとはいったいどういうことか」(32)であったことと関連しよう。  たしかに人間こそどの宗教・思想にとっても等しく問題の中心なのだから、滝沢が人間をイエス・キリストと並べて(第二の接触)論じたのは、伝統神学のみならずバルト神学をさえ越えて他宗教との豊かな対話を開き得たかもしれない。だが彼はふたたびメタの次元(第一の接触)を立て、それのみを絶対の事実としてしまったのである。

   四 異なる接点、復活信仰と原点の自覚

 宗教の構造においてもっとも鋭く問題になるのは、人と絶対(神)の関係性であろう。ところで滝沢は第一の接触・第二の接触と表現するが、考えてみれば接しているからには、この図は重なっていてまずい。いや接しているものには、二次元の接線であれ、三次元の接面 であれ、「異なる」か「全く同一」があるだけである。逆にもし不可分不可同であれば、なにほどか重なる部分があるはずである。滝沢が後に第一の接触を「原点」といいかえるように、接触しつつ不可分不可同であろうとすれば、まさにそれは〈接〉、〈原〉、になる命運を持つ。

 「接触」という言葉もバルトの用語の影響であろうが、そのことについ て、バルトはこう言っている。

「復活において、聖霊の新しい世界が肉の古い世界に接触する。しかしそれはまさに、接線が円に接するように、接触することなしに接する。まさに接触しないことによって、その限界として、新しい世界として接する」。(33)

 人間が人間自身としてはどこまでも罪人であり、ただ「イエス・キリストにおいて」という一点(接点)においてのみ新しい存在であるということがこれでよく理解できる。ゆえにこう言われる。  

「歴史的規定としての『イエス』とは、われわれにとって既知の世界と未知の世界との間にある断絶点を意味する」。(34)

 先の伝統神学の図式の四角い枠を円にすれば、ほぼバルトの言表にあてはまろう。接点はまさにプラス(神)とマイナス(人間)の接するゼロ点(原点)であり、「神と人間の関係の死点」(35)に重ね合わされる新生点であって、人間はどこまでもマイナスなのである。

 バルトと滝沢の決定的乖離は、この接点の異質さにおいて全貌を顕す。バルトにとって神の世界と人間の世界が接触するのはイエスの「死人からの復活」という信仰の事態においてである。先に引用した『ローマ書』のキリスト不可知論とも思えるような叙述には次の言葉が続いている。

 「しかし死人からの復活は、…回転点であり、それと対応した下からの洞察である。復活は啓示であり、キリストとしてのイエスの発見であり、神の認識であり、……復活において、聖霊の新しい世界が肉の古い世界と接触する」。 (36) 

 復活によってはじめて、イエスがまことの神にしてまことの人であるということが言い得、そこから復活以前もすでにそうであったことが人間にあきらかになる。ところが、滝沢のバルト神学理解、あるいはそもそもキリスト教理解には復活信仰が見事に欠落している。そのことは『浄土真宗とキリスト教』に まぎれもなく表れている。

 「ただ、かれが十字架につけられ殺され、墓に埋められてしまったのち、しばらくして、真っ暗な闇のただなかで、弟子たちの幾人かは、不意に眼が開けて、イエスのすがた・ふるまいの隠れた出所=帰趨を、始めてはっきりと見たのであった。しかもそれは、かれらから掛け離れたどこか遠い処ではなく、実 にかれら各自の現に立つ其処であった。人の基盤と目的=救済と創造の威力は、他のどこでもなく、まさにかれらの脚下にあった」。 (37)

 バルトがそこにおいてインマヌエルが開示されたとする復活の「歴史的出来事」の証言が、滝沢にとっては、弟子たちの目覚め、すなわち「人間の基盤(インマヌエル)と目的」の自覚と解釈されてしまうのである。滝沢における「接点」は、イエス・キリストでなく、人であるかぎり常に存する原事実なのだ。

 ここで解釈(五)が問題となる。キリスト教と仏教の決定的相違の一つである信仰と自覚は滝沢においていかに同一視されるか。信仰が自覚と一つになるためには、信仰の内実と自覚の内実が同一であることが要請される。先に見たように滝沢は信仰の内実たるイエス・キリストの復活を、次のように、イエスだけでなくあらゆる人の脚下にある神人の不可分・不可同の事実の自覚と読み換える。

 「『信仰』とはただ、他の人々がこの躍動の刺激を受けて、すでに、かれら自身のもとに待っているその同じ事実を受け容れること」。(38)  

 滝沢の信仰理解の奇技さはここに極まる。さすがに滝沢もそのことに気付いて、それを述べる時はかならずキリスト教の神学用語での言い換えを併記しているが、滝沢の所論の核心は所詮この事実に目覚めることにあり、木に竹を継ぐぎこちなさは否めない。  

 「イエスの刺激によってイエスの霊を受け容れる時、いいかえると神と人との第一義、絶対の唯一の接触点に目覚める時」(筆者下線)(39)   

「聖書を介して、これ自身神そのものである永遠の神の子が、今ここでこのわたくし自身を受け入れていることを信じるのである。いいかえると、罪人なるわたくしの座がすなわち聖なる神の座であること、絶対に決定されたこの今がすなわち絶対に創造的な永遠(者)であることに目覚めるのである」(筆者下線)(40)

 では復活信仰を欠く滝沢にとって、ナザレのイエスと「まことの神にしてまことの人」との同定はいかにしてなされるのか。彼はいう。

  「たしかにバルトのいうとおり、その行がすなわち神そのものの行であるイエスという人が生まれたということは、ただこれを認めるほかない事実である。のみならず、このような事実の起こりうる可能根拠は、イエス自身を離れてこれを求めることはでぎない」。(41)

 ほんとうにバルトはそんなことを言っているのか。否。

「復活という救済の音ずれは、『神の力』である。……神の力、すなわちイエスをキリストと定めるということは(1・4)もっとも厳密な意味において前=提であり、把握できるどのような内容をももたない・それは霊において生起し、霊において認識されることをもとめる。それは自己充足するものであり、無制約的なものであり、それ自身において真である」。 (42)

 バルトにおいて、復活こそイエスとキリストの回定を意味し、霊においてのみ生起する信仰の内実である。この復活の有無こそが、イエスを他の聖人・予言者・覚者から絶対的に区別 させるものである。だが滝沢には、イエスの復活は特別な意味をもたない。彼によればイエスは処女降誕の時から神であり人であった。「永遠の神の子がキリスト・イエスとして処女マリアから生まれた」(43) という表現は彼の多くの著作に見出せる。

 滝沢の「接点」は第一も第二も不可逆のいう静的な存在構造である。だがバルトの接点であるイエス・キリストは十字架の死と復活という実にダイナミックな「働き」なのである。バルトはいう。

 「この(イエスの=筆者)死は、すべての生の価値の徹底的な廃棄であると同時に、その総体であり基礎づけでもある。われわれに対する神の絶対的な(たんに相対的でない)他者性であると同時に、神とわれわれとの、断ち切ることのできない交わりでもある。……ここにインマヌエルが、神われらとともにが、ある」。 (44)

 このダイナミズムは「聖霊の働き」と言い換えられるが、その聖霊が滝沢の哲学には、用語としてこそあれ、内実的に見当たらない。 (45)

 以上みてきたように、インマヌエルとはバルトにおいてイエス・キリストの十字架と復活によってあらわになった神と人との、絶対の断絶と切り結びなのである。このもっとも肝要な点について誤解するということは、たとえそのほかのいかなる点においてバルト神学を正確に深く理解していようとも、総じて まったく誤解していることになる。十字架と復活を欠落させた滝沢のキリスト教ははたしてキリスト教といいうるであろうか。

 五 インマヌエル原点論の由来  

 滝沢は「インマヌエルの原事実」を聖書やバルト神学ではなく、「西田の著作を読みかつ考えることを通 して逢着した唯一の事実」であるという。バルトの場合とは違い、滝沢がいかに的確に西田哲学の根本を把握したかは、西田自身の滝沢に対する極めて高い評価から窺うことができる。

 「私はこれまでこれ位よく私の考えをつかんでくれた人がないので大なる喜を感じました。はじめて一知己を得た様におもひました」。(46)

 なるほど西田の著作の中には滝沢の所論の手掛かりになったと思われる 表現をいくらも拾うことが出来る。

 「我々の自己の底には何処までも自己をこえたものがある。而もそれは単に自己に他なるものではない、自己の外にあるのではない。ここに我々の自己矛盾がある」。(47)  

「我々の自己がある生命を脱して不生不滅の世界に入ると云うのではない。最初から不生不滅であるのである。即今即永遠であるのである」。 (48)

 だが、ここでも違いは看取される。(49) それについてバルトのもとから帰った滝沢自身が西田哲学へ疑問を提出しているから、それを見ることが両者の相違を知る近道だろう。

 「ここにおいて私は一つの重大な疑問を禁ずることがでぎない。創造主と被造物との間の侵すべからざる秩序を表す絶対の非連続の連続は、はたして『絶対の死即生』という言葉を以て適切に言い表されることが出来るであろうか。……しかして我々が現実に於いて常に神に背くものなるが故に、これがいつも我々にとって避くべからざる絶対の死であるのである。西田博士にとってはただかかる現実が問題なるが故に、神と我々とを隔てる深淵はただ絶対の死の面 と呼ばれ、それと我々の、一般に被造物の存在の消極的条件としての虚無それ自身との区別 は、厳密に言い表されるに至らないのであろう」。 (50)

 つまり、「神と被造物の間の秩序としての虚無」(51)は第一の接触Aであり、神に背くのは第二の接触(の欠如)Dであって、西田にはAとDとの区別 がないということであろう。この批判は久松などの仏教思想の不十分さとして滝沢がしばしば指摘する点でもある(52)。さらに滝沢はいう。

 「ここに於いて私は前の疑問と関連して、もう一つの重大な疑問に逢着せざるを得ない。……絶対の死の面 と絶対の生の面とが単に同等と考えられてはならない。絶対の死の淵はただ、人間が神に背く時、自ら招くところの神の刑罰として存在するのである。……しかし永遠の生は永遠の死に比すべくもなく強いのである。……それゆえ私はこの事態を絶対の死即生の面 として、単に弁証法的一般者の自己限定の契機と考えることは許されないと思うのである」。(53)

 絶対矛盾的自己同一における不可逆とは、滝沢に即していえは原事実Aにおける神とこの肖像の不可逆であり、それが西田ではあきらかにされていないという。

 しかし、そもそも西田は聖書の創造神を問題にしているのではない。滝沢はバルトの「絶対的質的断絶」の影響を受けたとはいえ、それを西田哲学に読み込むのはおかしい。

 もっとも西田に上のような誤解を生む表現がないわけではない。彼は『善の研究』において、「神は如何なる形において存在するか」と問い、「実在成立の根底には歴々としてうごかすべからざる統一作用が働いて居る。実在は実にこれに由って成立するのである」(54)と述べている。しかしその真実在はさらに「われわれの意識現象」(55)とりわけその最も深い形である「知的直観」といわれる。

 滝沢の場合は自覚される内容が、本来すでにある神と被造物との関係(第一の接触)であるが、西田の場合、知的直観によって見られる内容がことさらあるわけではない。つまり自己の根底にある絶対的否定とは。「なにものか」として見られなくなったところ、無の場所であり、不可逆のなりたつ二つの「もの」などない。この働き、換言すれは絶対無の場所も、対象論理的に自己とその根底として分析されるものではない。それが発語される場は「未だ主も客もない、知識とその対象がまったく合一している」(56)純粋経験の場であり、具体的に西田が行じた坐禅において開かれた「この身体を通 し、厳密なる思索と真摯なる行為とによってのみみられゆく場」なのである。

   六 宗教比較論の陥穿

 滝沢インマヌエル論は宗教比較における二つの問題点を浮かび上がらせる。  第一に、二つあるいはそれ以上の宗教に共に当てはまるような論理的構造を以て両教の一致をいう疑似学問性である。滝沢は「インマヌエルの原事実」の論理をもって、バルトよりも、西田・久松よりも自分の見解を正しいとするが、その根拠は自分の自覚以外のどこに存在するのだろうか。 仏教徒は「事物の精密な科学的研究」(57)に欠けているという彼自身は、一度でも仏教学を精密に学んで自らの見解を検証しようとしただろうか。

 もう一つは、二つの宗教を同一だと見なす感性の問題である(両者に真性を感ずることとは別 である)。シンクレティズムの母胎をなすこの宗数的感性は、アジアの宗教性ことに日本教といわれる我々の感性をめぐる大問題である。滝沢も例外ではない。彼はいう。

 「私たちの遠い祖先は古いインド人のように……省察の労苦を積みはしなかった。また中国古代の人々のように唯一の道を……組織立てて表現することもなかった。しかし、インドの哲学や中国の道徳の芯をなす、真に絶対的なかの一点は、私たちの祖先自身の生活と深いかかわりをもたなかったわけではない。かれらはそれを格別 にそれと意識して、はっきりと決まった名で呼ぶというようなことはしなかったとしても、たしかにそのような、名づけがたい何かの在ること、活きていることを、感じていたのだ。だからこそかれらは、この世界の内部に、絶対的に神聖な、唯一の中心を立てようとはしなかった。……天皇さえも、ただそのような仲間の中心であって、けっしてそれの外ではなかった。西洋で『神』というとき、ひとびとがすぐに想像するような、『絶対的』中心ではなかった。その即位 の宣命には罪責の告白をともなうのがつねだった。……そこにはどこか、人間の神聖を信じることが、同時にそれだけあきらかに人間の罪を告白することでもあるキリスト教本来の信仰に通 じる、不思議な知恵さえ示されていないであろうか」(下線筆者)(58)

 滝沢の「なにものか」とは、信仰も行も要せず、つまずきも挫折もなく、素朴に日本人のこころに感じられる「事実そのもの」ではある。それは神・人の区別 ではなく、ひととほとけのあわいを尊び、「人間の事実在る座はすなわち神そのものの座である」(59)。天皇制および祖先崇拝にすっぽりとはまりこんでいく、 しかもあらゆる宗教を換骨奪胎して呑み込んでいく宗教性なのだ。

 一九四一年(昭和一六年)とはいえ「天皇の神聖を信ずる点に於いて古来全国民が一致して来たという類いなき事実」(60)と書いて何の反省もないまま再び一九六九年にこう書き記して、なお歴史性や科学性を自負しつづけた滝沢に、その良き人柄とは 別に日本人の宗数的知の危険を私は感じる。    


   注  

(1)『浄土真宗とキリスト教』(石田充之・滝沢克己編、法蔵館、一 九七四)四二八頁。  

(2) 仏教に関して滝沢は『仏教とキリスト教』で久松真一の論文との対話を試みている。久松および滝沢の仏教理解の妥当性について   は、西村恵信「禅と超越の問題」(西谷啓治監修『禅と哲学』一九 八八)で論じられている。  

(3)前引書三八八、三八九頁。  

(4)前引書二九二〜三九五から技き出して引用した。なお(六)は省いた。  

(5)前引書三九八頁。  

(6) カール・バルト『ローマ書講解』(小川主治・岩波哲男共訳、「世界の大思想」第三十三巻所収、河出書房新社一九六九)三三頁。   滝沢もバルトが「史的イエスについて私に何も知らない」とはいったことを強調している。(『自由の原点・インマヌエル』六九頁。「最近ドイツ の神学と哲学」、『仏教とキリスト教』所収、四〇四頁)。

(7)『教会教義学・和解論一の一(井上良雄訳、新教出版社、一九五九)八二頁。

(8)『滝沢克己著作集』第二巻所収、五頁。

(9)同上、五頁。

(10) ところでバルトの「原理的にに可能であるが、事実的には不可能である」という言明は議論の余地がある。滝沢もそこを衝いて詭弁  であるといっている。(『仏教とキリスト教』、前引書、ニ八三頁)  「原理的には可能」という言い方は、自然啓示を認めるプロテスタ  ント神学者エミール・ブルンナーに対し「否!」を言ったバルトには考えられないことのようであるが、実はまさにその論争でいわれたことである。「創造よりする真の神の現実的認識の、自然的人間 における可能性は、カルヴィンにしたがえは、なるほど原理的な可能性ではあるが、事実的な、すなわち我々からこれを実現し得べき可能性ではない」。(『滝沢克己著作集』第二巻、一五九頁以下)ここでは滝沢はバルトの真意を堕落後のわれわれ自然的人間における不可能性と受け取っている。

(11) 同上、七頁。

(12) それは滝沢自身によって次のように回顧されている。「果 てしない暗中模索ののち、そのころずっと読み続けていた西田博士の導  きのおかげである日突然、『真に絶対的なものがわたくしに出あう処は、此処であって他のどこでもない』ということがわたくしに明らかになった。」(『滝沢克己著作集』第二巻、四五〇頁)

(13)同上、四三三頁以下、

(14)同上、四九三頁 注の文、

(15)『善の研究』(西田幾多郎全集、第1巻所収、岩波書店、一九七八)一七六頁。

(16)滝沢克己・八木誠一共編『神はどこでみいだされるか』(三一書 房、一九七七)や『仏教とキリスト教−滝沢克己との対話を求めて』  (八木誠一、阿部正雄編著、三一書房、一九八一)には、八木誠一、阿部正雄、秋月龍みんが論文を寄せているが、神(超越)と人の関係  の構造をめぐる議論になっている。

(17)『教会教義学』、七頁。

(18)もし、「イエス・キリストの御名」に二義性があるとすれは、歴史的人間としてのイエス・キリストと、信仰者の内の霊なるイエス・キリストの区別 であろう。その場合も歴史的存在とその復活があってはじめて霊が神から与えられるのであり、原事実というようなものではない。

(19)『教会教義学』、六頁。

(20)同上、六頁。

(21)同上、一五九頁。

(22)同上、一五八頁。

(23)同上、一五八頁。

(24)『道元』(岩波思想大系、十二巻所収、一九七〇)三九頁。

(25)『教会教義学』は後期に教会内部の神学書として書かれたもので、本来は教会の告知内容であるものを一般 的事実のように叙述している。

(26)『教会教義学』、一五九頁。

(27)同上、一六七頁。

(28)同上、一六〇頁。

(29)同上、一六〇頁。

(30)『西田哲学の根本問題』(『滝沢克己著作集』、第一巻所収)三〇頁。

(31)同上、三〇頁。この区別は特に西田が仏と衆生の相互依存的関係をのべるところで、神と神の肖像である人間の不可逆として強調されている。

(32) 星野元豊の解説による。『滝沢克己著作集』、第七巻、四五三頁

(33)『ローマ書』、三三頁。

(34)同上、三三頁。

(35)『教会教義学』、一七頁

(36)『ローマ書』三三頁。

(37)前引書、四○二頁。同様の叙述は『仏教とキリスト教』三〇一頁にも見られる。

(38)『仏教とキリスト教』前引書、二七四頁。

(39)同上、三〇六頁。

(40)同上、二七五頁。

(41)同上、二九四頁。

(42)『教会教義学』、三八、三九頁。

(43)『仏教とキリスト教』前引書、二七四頁。その他「処女マリアの受胎」(『滝沢克己著作集』第二巻所収)など。もっともバルトもし

ばしばまことの神tpまことの人をイエスの処女降誕と結びつける。

(44)『ローマ書』一五三、一五四頁。

(45) それははっきりこういわれる。「『聖霊による信仰』というのは  本来、真実の救いが人のあらゆるはたらきに先立ってすでに来ているという驚くべき事実への覚醒」(「現代日本における禅仏教とキリスト教」『滝沢克己著作集』、第七巻所収)三八一頁。

(46)『仏教とキリスト教』前引書、四五一頁。

(47)「場所的論理と宗敦的世界観(『西田幾多郎集』、筑摩書房、一九七四)三六六頁。

(48)同上、三六八頁。

(49)滝沢の西田哲学理解の当否に関しては西村恵信「禅体験の神学的理解」(『禅学私記』、春秋社、一九七八、所収)で論じられてい  る。

(50)『西田哲学の根本問題』三五頁。

(51)同上、三六頁。

(52) この滝沢の批判は仏教の本覚始覚、仏性の本有今無などの概念 を想起させ、妥当な批判のようにも見える。この反証は、覚りとはな  にか、仏性とはなにかという問題に発展するのでここでは割愛する。

(53)『西田哲学の根本問題』三七頁。

(54)『善の研究』、前引書、九一頁。

(55)同上、五二頁。

( 56)同上、九頁。

(57)『仏教とキリスト教』、三二五頁。

(58)『自由の原点インマヌエル』(新教出版社、一九六九)九十、九一頁。

(59)『仏教とキリスト教』二八二頁。

(60)『カール・バルト研究』前引書、一三頁。