原始仏典の天界往生  

 一、

 「法(に従って得た)財をもって母と父とを養え。正しい商売を行え。つとめ励んでこのように暮らしている在家者は、死後に『みずから光を放つ』という名の神々のもとに生まれる」(スッタニパータ・ダンミカ品1)

 一般に仏教の救いは、死後に天界に生まれることではなく、そのような再生を含んだ輪廻転生の止滅をこそ説くはずである。

  では、右のダンミカ品のような生天話は、何故、いつごろ、だれによって、だれに対して説かれたのであろうか。それは仏教の主調音とどう関係するのだろうか。

  1期経典では、その対告衆(説教の相手)はすべて出家者となっており、生天話はひとつも存在しない。 2期経典にはじめて生天話が現れる(二百余経のうち二十二経)が、そのほぼすべてが在家者に向かって説かれている。

 すなわち雑阿含の偈頌、諸天相応品では布施による生天話が四経で、例えばこう説かれている。

 「与え難きを与え、為し難きをなす人に、不善の人は慣い難し。善き人の法は従い難ければなり。この故に、善人と悪人の、後の世の趣所異なる。悪人は地獄に行き、善人は天界に趣く」

 また旅人の為に「園を植え、林を植える者」の生天話が一経ある。

 天子相応品では、給孤独長者と陶師(共に在家)の生天話がある。拘薩羅相応品の七つの生天話はすべて波斯匿王に関するものである

 帝釈相応品は帝釈天への往生話を三つ載せているが、一経は在家七禁足戒による往生、一経は布施による往生、もう一経は貧窮の在家者の信・戒・聞・施・慧による往生を説いている

 婆羅門相応品では、孝養をつくしたバラモンの生天話が一経ある他、「誰にても仏に帰命する人は・・・天の集いを満たすべし」というような人一般 を対象に説かれた生天話がある。

 以上のように対告衆は王、バラモン、長者、貧者、工業者など多様であるがいずれも在家なのである。この傾向はずっと続き、多くの経で在家者に対してはゴータマは「施論・戒論・生天論」を語ったと定型化されていく10

 晩期経典11の『天宮事経』12は生天話のみを集めたものであるが、その八十五経はすべて在家者の生天を説いている13

 一方、2期経典の雑阿含・偈頌・比丘相応品と比丘尼相応品には生天話は一経もない。

 初期経典は、比丘ら出家に対しては、たんに生天話を説かないばかりでなく、それを鋭く批判してさえいる。

 例えば、来世を願うことは、貪りと同様に欲望によって引き起こされるものとして全く否定的に説かれている。

 「世の中で愛し好むもの、及び世の中にはびこる貪りは、欲望を縁として起こる。また人が来世に関していだく希望とその成就とは、それを縁として起こる」14

 それゆえにたとえ出家して苦行したとしても、天界に往生しようとすること自体が欲望に支配されていることであり、それは魔の誘惑として描かれている。

 「時に悪魔波旬は吠担婆利天子に付け入りて、世尊の御許にこの偈を歌えり。『苦行と厭離とに従い、遠離の生活を守り、物質に心を入れ、天界を喜ぶ人々を他界に導かんため、彼ら(六外道)は正しく教誨す』と。 時に世尊はこれは悪魔波旬なりと知りて、悪魔波旬に偈にて答え給えり。『この世かの世のいかなる色も、中空に輝く光顕も、これら総ては実にナムチ(悪魔の名)の讃うる所、魚に対する餌の如く、殺さんがため投げられしものなり』と。」15 

「悪魔波旬は優波遮羅比丘尼にかくいえり。『比丘尼よ、汝は何所に生まれんと欲するや』と。(比丘尼)『友よ、我は何所にも生まれんと欲せず。』(魔)『三十三天、炎摩天、あるいは兜率天、または化楽天、または他化自在天それらに心を向けて願えよ。楽しみを受くるを得べし』と。(比丘尼)『三十三天、炎摩天、あるいは兜率天、または化楽天、または他化自在天、これらは愛欲の縛に縛られ、再び魔の領域に行くなり。』16

 またある経は諸行無常・寂滅為楽という根本的教えから批判を加えている。

 「一天神、歓喜園において天女の群に侍づかれ、天の五欲を与えられ、具え取り巻かれて、その時この偈を歌えり。『誉れある三十三天の天神の住家なる歓喜園を見ざる人は、楽しみを知らず』と。比丘等よ、かく言われて或る天神、その天神に偈にて答えぬ 。『愚かなる者よ。汝は応供者(ブッダ)の語の如く知ることなし。所行は実に無常なり。生滅を性とするものなり。生じては滅ぶ。それらの静まれるこそ楽しみなれ」17

 それに対して欲望を断ち切った出家者の目指す所は、いかなる彼岸性も跡をとどめていない。

「人間のきずなを捨て、天界のきずなを超え、すべてのきずなを離れた人」18

 「前世の生涯を知り、また天国と地獄とを見、生存を滅しつくすに至った人」19

 死後の彼岸(天界)ではなく「現世において涅槃に入る」20ことのみが要請されるのである。

 そのことはスッタニパータ、一章冒頭に「この世とかの世をともに捨てる」22と繰り返されるほか、原始経典の結びの編集定型句にも端的に示されている。

「生已に尽き、梵行已に立ち、所作已に弁じ、自ら後有を受けざるを知る」23

 ところで、これほど批判されている生天は、在家者に対してとはいえ、果 たして本当にゴータマ・ブッダによって説かれたのであろうか。 

 2期経典の生天話の半ばは、その告示者をゴータマではなく、諸天子としている。この部分については弟子や民間の伝承である余地は大きい。とはいえ拘薩羅相応品の七経はじめいくつかは、ゴータマを告示者としており、そこになにほどかの歴史的事実の反映を見るのは自然であろう24

 ではゴータマは何ゆえ天界往生話を説いたのであろうか。

 その一つの理由は、ゴータマが積極的に説くというよりは、相手の関心や質問に応じたためだと思われる。例えば次のようなマーガ婆羅門との問答がある。

 「『・・・光輝ある人よ。どうしたならば梵天界に生まれるのでしょうか?』

 師(ゴータマ)はこたえた、『マーガよ、三種より成る完全な祭祀を実行するそのような人は、施与を受けるべき人々を喜ばしめる。施しの求めに応ずる人がこのように正しく祭祀を行うならば、梵天界にうまれる、とわたくしは説く』と」25

 この例からもわかるように、天界往生は、もともと当時のバラモン教や他の宗教指導者によって、すでに説かれていたものであり、そもそも天界という概念自体が、その由来を『ヴェーダ』26に持っている。

 すなわち三十三天とは『ヴェーダ』の神々の総数の三十三神(Tavatimsa、音訳してとう利天)を指し、そこには天女がいて愛欲に満ちた歓喜園があるとされる。ブラーフマナ文献27には「そこには、青蓮、白蓮の花に満ち、蜜の流れをたたえた五本の河が流れ、その中には歌舞の声、ヴィナーの音、アプサラス(水精女)の群れ、かぐわしい香、大きな響きのある世界、それこそヴァルナ自身の世界28と描かれる。炎摩天は死王ヤマの世界であり、「消えざる光明輝き、天の光輝発するところ、その永劫変わらざる場所」29と描写 されている。

兜率はtusitaの音訳で、「満足」あるいは「妙足」の意味を持つ30。詳細は不明だが化楽、他化自在と共にやはり楽園的にとらえられた天界であろう。梵天界(Brahma−loka)は、バラモン教では、ヴァルナの世界や祖霊界を超えた最高の世界と考えられていた。

 これら天界に生まれることのできるものは、バラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャの上位 三階級の者に限られ、祭儀(供犠)・布施に励んだものである。とりわけ布施は重視され、後のマヌ法典には次のように明文化されている。

 「人はその能力に応じて、『ヴェーダ』を知り且つ独り住めるバラモンに富を与うべし、(かくて)人は死後天界の福祉を獲得す」31

 ここで布施を受けるのは、貧しい人々ではなく、バラモンの生活法に則って、家住期を終え、家庭を離れて遍歴修行する遊行者、あるいは祭祀を行うバラモンのことである。  ところで、ゴータマとその弟子たちもまた、住居と生業をもたない遍歴の修行者であった。 かれらも生存していくためにやはり在家から食を乞わねばならない。 そのとき、布施の功徳を問われれば、先のマーガとの問答にあるように、祭祀さえも認めることがあったのだろう32。 後の経典は、動物供犠を除けば邪盛会でさえ、肯定されているのである33

 このような事情のためか、生天話は多くの場合布施と結び付き、ヒンドゥー教のそれとほどんど同工異曲である。

  もっとも、托鉢に赴いたゴータマ・ブッダとブラフマンの次のようなエピソードも伝えられている。

 「三度目に優陀耶婆羅門は世尊の鉢に白飯を盛り奉りて、『煩わしき沙門瞿曇の、幾度も幾度も来ることかな』といえり。(世尊)『しばしば種子を蒔き、しばしば天王、雨を降らし、しばしば農夫、田を耕し、・・・しばしば施主、布施をなし、しばしば天界に行く・・・・しばしば生まれてはしばしば死し、しばしば墓所に送らる。再び生死なきの道を得て、大智の人はしばしば生まるることなし」34

 布施を煩わしく思う実感を逆手にとって、その功徳としての生天さえ果 てしない徒労であるとして、それを超える道が示唆されているのである。それでもここにはゴータマでさえ、毎日食を乞いに歩かねばならぬ ゆえの一抹の哀感が漂う。まして弟子たちの代になれば、他の宗教者と競合していくなかで、布施による生天の話は、天子に仮託されて多く語られていったのであろう。

  そして中期経典に至れば、こう説かれてさえいる。

 「世尊の弟子の僧伽は、そは供養せらるべき、接待せらるべき、礼拝せらるべき合掌せらるべき世の無上の福田なり」36

 原始経典の中からは布施その他の善行について、梁の武帝にたいして達磨が「無功徳」と言い放ったような小気味いい批判は聞こえてこない。  ・・・六師外道のひとり、アジタは「布施なく、供犠なく、祭祀なし」37、と説き、もうひとりのプーラナは「布施し、また布施せしめ、祭祀し、また祭祀せしむとも、これに因りて功徳の生ずることなく、又功徳の果 報あることなし」38と述べているのに。

 

 二、

 しかし、このような生天話には、どうしても疑問が残る。

 バラモン教における救済は、カースト上位 者に限られ、また布施の果報は布施の量に比例した。

 マヌ法典には「布施の少なき供犠は(感覚及び行動の)諸器官、名誉、天(における福祉)、長寿、名声、子孫、及び家畜を滅ぼす」39と説かれている。するとこの世でカーストが高く、富を持つ者が、次の生でも楽で豊かな善い生活を送ることになる。こういう生天話を仏教は超えていないのである。

 たとえば、在家者が、眼耳鼻舌身の五欲の楽しみのため生天を願うことは、次のように疑念もなく肯定されている。

 「愛念可意を施せば、生天して所欲に随わん」40

 「善趣・天上に生じて、長夜、安楽を受けん」41

 つまり楽欲を捨て得ない在家者は、この世でもかの世でもその楽欲をあるがまま認められているのである。

 「莫大の富を得て、自己を楽しませ、喜ばしめ、父母を楽しましめ、喜ばしめ、沙門婆羅門に対し、上界に昇らしめ天界に導き、楽果 あり天界に転生せしむる施をなし・・・」42

 したがって、布施を行ずるのは決して富を悪きものと見なしたり、無用なものとみなすがためではない。だからといって富をそれじたい価値あるものとしているわけでもない。

 富も身体も「盗に依り、王者に依りて奪われ、火に焼かれて滅ぶ。かくて富と共にこの身体を死の時には捨てざるべからず。賢者よ、これを知りて富を受用し、かつ施せよかし。力に従って受用し、かつ施し、非難なく天界に行くべし」43と説かれている。

 富は無常であるから捨てよ、というのではなく、無常であるからこそ充全に活用し、それによって地上で楽しみ、死後も安楽の保証を得よ、というのである。

 一般に布施に限らず在家者の様々な行は、この世と来世の安楽のためなされる。

「生命と無病と美徳と天界に生るると高貴の家に生るると、引き続き高きを願い望むに於いて、賢者は功徳の行における不放逸を讃う。賢者は不放逸にして現法の利と未来の利と二つの利を得ればなり。」44(不放逸)

「信仰は人の伴なり、もし人不信に停らざれば、この世に名誉と称賛とあり、身を捨てて死後天界に行く」45

 ところで死後に天界(天国)に行くことを、救済の究極とする宗教は多い。キリスト教がそうであり、イスラム教がそうである。だがこれらの宗教では、地上での欲望の充足と天国の報いは逆対応する。

 福音書にはこう説かれる。

「おおよそ、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の生命を受けつぐであろう。」(マタイ19:29)

「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。・・・しかしあなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ。慰めを受けてしまっている。・・あなたがた今笑っている人はわざわいだ。悲しみ泣くようになるからである。」46(ルカ6:20〓26) 

 コーランにはこう記される。「現世の生活とその装いを欲する者には、われらは現世においてその行いに十分な報いを与えるだろう。決してそこでは損害をこうむることはない。だがこういう人々が来世で得られるのは業火のほかなにもない。」(11:15、16)

 「人によっては、『主よ、現世でわれわれに与えたまえ』という者があるが、そんな者には来世でいかなる分け前もあるはずがない」47。(2:200)

 この逆対応ということが、一面 でこの世での現実の苦しみからの解放を阻止してきたということはあるが、少なくとも、貧しい者、薄幸の者に希望を与え、現体制を批判する力を与えてきたといえよう。

  だが、仏教の生天話が現世来世の安楽の肯定であるということは、そのような現世を支える体制を認めることになり、またその体制を補完している宗教を容認し、それと共存しうる論理を持つことを意味する。

 実際に仏教はどんな歴史をたどったのであろうか。

 仏教の偉大な外護者といわれるアショカ王(BC271〜235在位 )は、実は仏教ばかりでなく他の諸宗教も保護していたのであり48、彼が仏教に期していたのは、涅槃ではなく天界往生なのである。 彼の建てた石柱法勅には至るところにこう刻まれている。

 「現世並びに後世の利益安穏を得るに至らん」。「現世において安楽ならしめ、後世において天に達せしめん」49 。 

 もちろん体制もそれを支える宗教も流動的である。 バラモンとその主宰する供犠を絶対視するバラモン教は、絶対者への信仰を重視し、貧者や女性、低カーストも開かれたバーガヴァタ派などの土着宗教を吸収していわゆるヒンドゥー教を形成していった。

 ヒンドゥー教では、とりわけヴィシュヌ神(=バガヴァット)あるいは梵天(ブラフマン)に対する絶対的信仰(バクティ)が天界往生の重要な因とされた。

 原始経典においては、増谷氏が指摘するように50、「信」は教えや人格の正しさを信ずる解信が根本となっている。すなわち三宝(仏・法・僧)への信仰である。 だがその信はヒンドゥー教の影響を受けて、やがて仏陀その人への信仰へと結晶していき、やがて大乗仏教を生み出すのである。 いや、すでに初期経典にこう説かれている。

「だれにても仏に帰命する人は、悪趣に赴くこと無し。この人身を捨てる時、天の集いを満たすべし」51。  

 信仰(sadda)は清らかな心(pasada)と結び付けられる。4期経典では三宝への堅固な浄信(prasada)が生天の因となっている。

  「仏を信じ喜び、法と僧伽を深く尊ぶこの人々は、天界を輝かし・・・」52

「我れ仏(法僧)に於いて不壊浄成就せり。此の功徳によりて身壊命終して今天上に生ぜり」53

 さらに三宝に五戒が加わって次のような定型句も形成された。

「仏と法と僧と聖戒とに不壊の浄心を有する者は命終して人天に生じ・・・」54

 ヒンドゥー教のもっとも大きな影響は、中期以降の四梵住(慈悲喜捨)を修行して梵天界に生まれるという教説に見ることができるが、それを厳しく批判する経もまた作られたのである。51  以上のように仏教は、在家者に対しては他宗教の救済論を許容包摂した。しかしそこに真の仏教の救済が存在しないことは明らかである。生命を持たない説法は、たとえアショカ王の絶大な帰依を受けてことがあっても所詮は空しい。ヒンドゥー教を寛容に許容した筈の仏教は、実はヒンドゥー教に巧みに吸収されていったのである。

 紀元後にできた『バガヴァット・プラーナ』には、ヴィシュヌ神の十の化身が説かれているが、その第九番目は「ゴータマ」となっている56

 インドの仏教僧がイスラム教によって駆逐された後、民衆の間に残ったのはヒンドゥー教のヴィシュヌ神の化身としてのゴータマへの信仰だけであった。それゆえ、今日でもインドの民衆・ヒンドゥー教徒は、日本人仏教徒に、「私達も仏陀を信じている」と親愛の情を示すのである。

 セイロン島に残り、ビルマ、タイに伝播した上座部仏教では、生天話は経典の中に残ってはいるが、民衆の生きた宗教思想とは成りえなかった。在家者の布施・持戒は、ふたたび人身を受け、いつの日か出家成道することに向けてなされるのであり、もはや天の欲楽を楽しむためではないようである。

 

 三、

 さて、仏教が生天話を説いたのは、今見たような消極的理由からだけなのであろうか。ゴータマはもっと深く人間の実存を見詰めていたのではあるまいか。

  このような問いをもって再び経典をひもとくと原始経典全体を通 じてかなり多く善行一般が生天の因として説かれていることに気づく。初期経典でゴータマは波斯匿王にこう諭している。

 「穀物も富も金銀も、はたいかなる所有も、奴隷、下男、雇人及びその他の隷属者も、すべて従いて行くべからず、すべてを捨てて行くなり。身にて行い、口または意によりて行うこと、これぞ彼自身のものにて、これに従いて行くなり。影の形に従うが如く、その業に従うなり。されば善き事をなして、未来のために積めよかし」57

 ここには一切の外装が取り除かれた、何にもよる所のない裸の人間が見据えられている。

 「自らを洲とし、自らに依れ」と言い切ったゴータマにおいては、救いも滅びも、ただ自己の行為のみをその依り所とする。神の恩寵ではなく、我が身の身口意の業だけが問題とされるのである。自業自得果 という冷厳な事実のみが天界往生という神話的表現の底を流れている58

  波斯匿王という、現に権力・富・栄華を享受していて出家しえない人に対し、どうしてゴータマは彼自身の得た解脱の道を説き得ようか。ゴータマが語ろうとしたのは、観念的な客観的真理などではなく、現に様々な限界の中にある生きた人間の具体的に生きうる道であったはずだ。解脱の道は所有と諸欲の放棄として出家が前提されている。所有を捨て得ないという個人の限界に対し、ゴータマは何も為し得ない。解脱は徹頭徹尾自己の所行の果 である。

  「自らの所行において、一切諸の受覚を観察し、皆已に滅せり。もしまた婆羅門、自らの法もて彼岸に渡れば、一切諸の因縁、皆悉く已に滅尽せり」59

  自らの所行において滅度を得ることのできない者は、覚者であるゴータマも、彼を救うことはできない。

 この峻厳な事実を踏まえて、冒頭のダンミカ品を見るとき、決して妥協ではないゴータマの深い配慮が見えてくる。  在家信者ダンミカは出家者たちと在家信者を前にゴータマに問う。「教えを聞いて、人は家から出家するのと、また在家の信徒であるのと、どちらを行うほうがよいのですか」60

  これに対しゴータマは出家の方がいい、とは答えない。出家者に向かっては托鉢と説法と所持品についての訓戒が、在家者には殺・盗・淫・妄・飲酒・装飾の禁止および食事時間と寝所についての戒め、いわゆる八斎戒が語られるのみである。在家と出家の優劣については何も触れられていない。目の前にいる限界をもったその一人一人に、今、具体的にどう生きたらよいか、という静慮に満ちた指示が為されているのである。

 在家者の善業は中期経典では、「殺・不与取・邪淫・妄語ないし邪見を離れん、これ離れ護り已りて、身壊れ命終わりて善処天中に生ず」61と五戒に整えられた。

 さらに教団的色彩が加わった経もできる。

「身妙行・口意妙行を成就し、聖人を誹謗せず、正見にして正見業を成就せば彼これに因縁して、身壊れ命終わりて、必ず善処に昇りすなわち天上に生ず」62

 そして後期経典63では八斎戒や十善業へとまとめられていくのである。

 ところでその業の果は、現生に限るとは説かれない。ゴータマは輪廻を積極的に説いたわけではないが、そういう当時の一般 の考えかたをあえて否定もしなかった。従って、善業の果として善処へ往生するというヒンドゥー教の教えが自然に仏教にも入ってきたのであろう。

 しかし、ひとたび輪廻を認めれば、悪業の果 として悪趣、とりわけ人間の中の悲惨な状態に生まれることが含意されてくる。それは現にある差別 にさらに耐え難い偏見を加えることになる。

 そして4期経典に、悪業によって闇に赴く人はこう説明されているのである。

 「旋陀羅の家、竹篭作りの家、猟夫の家、皮作りの家、掃除人の家に生まる。貧しく飲食乏しく生計困難にして衣食を得ること難く、醜く、怪躯にして駝背多病、片目、曲手、跛足、半身不随なり」64

 このことはいわゆる四カーストにも入らない不可触民や貧困者、身体障害者が、前世の報いとされることによって、その悲惨な情況を正当視されることを意味する。逆に善行の果 によって光に赴く人は、こう説かれた。

 「大富ある刹帝利の家、大富ある婆羅門の家、大富ある家主の家、富みて大財あり大産あり、金銀多く、資財多く、財穀多き家に生まる。彼は美しく、見好く、見て楽しく、蓮の葉に似たる最上の美しき皮膚の色を具う」65

 これでは皮膚の色(ヴァルナ)による四カーストを認め、権力者、金持ちを擁護することにしかならない。 ゴータマは善果 として生天を説きこそすれ、決して人間の中の優越者として再び生まれるとは説かなかったはずである。生天論がその一歩を誤った為、仏教が広まった所にいかに多くの差別 が生み出され、再生産されていったことか。!

 体制に都合のいいこの論理は、たとえ一部の信徒に励みを与えたことがあったとしても、歴史におけるその計り知れない罪は覆うべくもないのである。 

 

 四、

 だが、問題は依然として残る。

 なるほど天界往生話は在家者の現実に即した説法ではある。だがそこで説かれている救いは、仏教の究極帰処からは批判されるべきもの、そもそも求める方向の異なるものである。したがってその方向でいかに努力しても解脱を得ることは絶対にできない。つまり在家者は在家者という在りかたであるがゆえ、究極の救い(涅槃)を獲得できないということになる。

 実際、2期経典までには在家者の涅槃が語られる経はない。わずかに漢訳本において商人の解脱の可能性がこう説かれるばかりだ。

「仏法僧に帰依し、仏において疑を離れ、法僧において疑を離れ、苦集滅道において疑を離れ、四聖諦を見て第一無間等の果 を得たるあり」66

 だが無間等果は「間をおかぬ 心の安定」67であって、涅槃にはほど遠い。  この越えがたい淵は、目を凝らせば更に奥まったところにも広がっている。

 究極帰処に達しないのは在家者だけであろうか。出家さえすれば解脱する、というわけではない以上、出家者で涅槃を得ることのできない人々がいたはずである68

 かれらはすでにゴータマの教えを聴聞していたのであるから、いわゆる天界往生に救いを見いだすこともできない。ゴータマの透徹した自帰依自燈明は、涅槃に至らぬ 出家者には出口のない網となるのではなかろうか。これは次第に出家者の脚下を揺るがすような重い問いとなって彼らにのしかかっていったのであろう。

 中期経典以降にはかってなかった出家者の生天話が説かれ始める。 

「たとえ、放逸なるも諸の聖弟子は皆ことごとく決定して三菩提に向い、七たび天人に往生することありて苦の後辺を作さん」69

 解脱を得ることのできない僧でも七回人間や天人に生まれて、ついには涅槃を得るに至るとされているのである。しかし天上の生活は菩提を求めることとは相入れないのではなかろうか。

 この矛盾の解決が、例えばこう示されている。

「とう利天に生じ長夜に快楽を受く、寿を尽くすまで常に徳を修し・・・」70

 ここでは天界はたんに欲楽を楽しむところではなく、修行の場でもある。天界での修行という、おそらくゴータマが思いもつかなかった思想が生まれたのである。

 2期経典のB群までは「天上の妙楽は無常・苦・空・変壊の法なり」71といった歯切れのよい生天批判が見られるがそれ以降は批判はふっつり切れる。そして天界は必ずしも欲楽の世界ではなくなるのである。

 たとえば初期経典に例外的に一経解かれている比丘の生天話にはこうある。

 「七人の比丘解脱して無煩天に生まれぬ 」72

 この「無煩天」はいわゆる欲楽の満ちた六道の「天」ではない。なぜならかれらは、「人身を捨て、天の軛(dibbayoga=天上の束縛)を離れたる人々」73と言われているからである。つまりすでに「解脱」のランク付けが始まり、その果 の中にある種の「天」も配されるようになったのであり、生天話の大きな展開を示している。

 このような修行の場としての仏教固有の天界は、解脱の境位 を表す新しい名が付けられていく。

 後期経典には、「如来は至冷の有なり」74という記述があるが、そこから「無煩天」「無熱天」の呼称が生まれたのだろう。他の経でこれらはこのように天界に位 置ずけられている。

「地・水・火・風・神・天・生主・梵天・無煩天・無熱天」75

 ヒンドゥー教でも天と光明とは結び付けられているが、仏道修行の境位 として「心、光明想を為す」76とも説かれ、そういうところから中期で「光音天」「浄光天」「遍光浄天」などが出現するのであろう。それがずっと後に欲界(六欲天)・色界(四禅天)・無色界(四無辺処)に配されるのである。すなわち、ヒンドゥー教に由来するほぼすべての天、三十三(地水火風神天生主)、炎摩、兜率、化楽、他化自在は欲楽の世界として欲界に配される。もはや再生しない梵天だけが初禅天に入り、仏教固有の天はすべて四禅天(色界)の中に配される。無色界は解脱の境涯で、天とはいえ空間的表象を越えている。しかもなお涅槃とは区別 された三界の境遇なのである。

 初期経典には修行者のランクづけはない。ただ、「この世には真理を究め明らめた人々もあり、学びつつある人々もあり、凡夫もあります」77といわれるだけである。中期経典にいたって四段階の区別 すなわち預流(須陀含)、一来(斯陀含)、不還(阿那含)、阿羅漢が次第に説き始められるが、最初から四段階であったのではない。

 中期のある一経は出家者は涅槃を得、在家者は不還(阿那含)を得たことを説く。「彼の難屠比丘・難陀比丘尼は諸の漏已に尽きて漏なく、心解脱し慧解脱し、現法に自ら証を作せるを知り、我が生已に尽き梵行已に立ち、所作已に作し、自ら後有を受けざるを知れり。善生優婆塞・善生優婆夷は五下分結尽きて阿那含を得、天上に生じて般 涅槃し、また還ってこの世に生ぜず」78

  ここで在家者は五下分結すなわち身見・戒取・疑・貪欲・瞋恚を断じたのであるから、天上の姫が持つ有身の見も、天上の楽への欲望ももはやないことになる。したがって天界はもっぱら涅槃を証する場となっているのだ。また比丘らが解脱し、後有を受けなくなっても、それが涅槃とはいわれていないことが注目される。

 在家である利阿茶居士と摩那提那居士が四念処を修し、五下分結が尽きて不還を得たことも説かれている79。とにかく在家の修行者は六道輪廻の天(色界)ではなく、もはや地上に再生することのない境涯を得るとされる。その生まれる天が何と名づけられようとも、布施による生天とはあきらかに異なる事態を指しているのである。

 預流の定義も様々である。もっとも多いのは、三宝への浄信(不壊浄)と戒律遵守を全うした人の果 とするものであるが、必ずしも在家や天界と結び付いているわけではない。中期経典にはこう説かれる。  「地上を統治するよりも、また天に往くよりも、一切世界の王位よりも預流の果を勝れたりとす」80。ここで天界往生と預流果 とは明らかに区別されている。

 「八支聖道を成就せる者を名付けて預流者と為す。某甲名、某甲姓の具寿なり」81

 ここで「具寿」とは出家の長老のことであるから出家者もふくまれるのである。同様に、「此の五根の味と過患と出離とを如実に知れるが故に、諸比丘よ、此の聖弟子を名づけて預流なり、不堕法あり、決定して等覚に赴くと為す」82。と出家のことが説かれている。この場合は、「決定して等覚に赴く」のであるから正定聚の位 といってもよかろう。  一般に預流とは、七回人天の往生を繰り返すが、必ず涅槃を得るに定まった位 であり、そこにおける天は、六道輪廻の天ではなく、解脱の途上の天、仏教固有の天なのである。

 一来は預流や不還ほど多くは説かれない。恐らく四分法を好むインド人が、預流と不還の間に、一度だけこの地上に生を受ける位 を考案したのであろう83。   阿羅漢については、例えば中期経典でこういわれる。  「この五根の味と過患と出離とを如実に知り、取なくして解脱せるがゆえに、諸比丘よ、この比丘を名づけて阿羅漢なり、漏尽なり、(梵行)已に立し、所作已に弁じ、重担を棄て、己利を逮得し、有結を尽くし、正知解脱せり、と名づく」84。 このころには、もはや涅槃を得た覚者はゴータマだけとされたのであり、阿羅漢の果 は無色界とされた。

 こうして整理された四段階の帰処はさらにそれぞれ向と果 に分けられ八段階となり85、 あるいは涅槃に五段階が区別されて十段階86となったりするが、 それは涅槃がいよいよ難しいものになっていることを明らかにするだけである。

 以上のように原始経典はヒンドゥー教の欲楽の天を克服し、出家者の天界往生という、ゴータマの説かなかった教えを誦出するに至った。それは自帰依自燈明の厳しさから落ちこぼれた出家者の苦悩からにじみ出たものではなかったであろうか。

 この情念こそがやがて新たに書かれる大乗経典の他仏土往生話に華麗に転回されていくのであるまいか。

 思えば大乗の往生思想の花形である弥勒信仰・阿弥陀信仰を鼓吹した中国の慧遠も、阿弥陀信仰の完成者といえる善導も厳格な出家修行者なのである。

 それはゴータマの示した透徹した解脱の道の、ある限界を示しているのではなかろうか。

 「聖道と慈悲といふは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもふがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし」(『歎異抄』四条)   

 註

1) スッタニパータ2:14 (中村 元訳『ブッダのことば』71頁、岩波文庫、1958)

2) 1期経典をスッタニパータ4章5章とする。なお原始経典の新古層については別 に論じた。

3 ) 2期経典を雑阿含偈誦品でパーリ本相応部(SN)有偈品に並行するものとする。

4) SN1・4・2

5)SN1・5・7

6) SN2・2・10、SN2・3・4

7) SN3・1・4、 3・2・7、 3・2・9、 3・2・10、 3・3・1、 3・3・2、 3・3・5、

8) SN11・2・1、 11・2・4 11・2・6

9) SN7・2・9

11)SN1・4・7 、SN1・4・6、1・4・9

12) パーリ本小部(KN)の大部分を含む。セイロンのヴァッタマーガニーU(B C50)のころにまとめられたと考える。

13) KNの中の1経。65%が布施による往生を説く。

14) SN4・11

15)SN2・3・10

16) SN5・7

17) SN1・2・1

18) スッタニパータ3・9 前引書116頁

19) スッタニパータ3・9 前引書117頁

20) ダンマパダ 89

21) 天界往生と涅槃のベクトルの違いを無視する見解もある。たとえば中村 元氏はこう書いている。「だから初期の仏教哲学に於いては『天の世界』なるものが『この世界』と対立的並列的なものとして、どこか空間的に位 置しているとかんがえたのではないであろう。たとい一般信徒はそのように考えていたとしても、また教団の指導者がそのように信じさせていたとしても、教義の根本においては特殊な領域として『天』なるものを考えていたのではなかった。そうではなくて絶対の境地を『天』という観念を借りて表明しているのである。」(『原始仏教の思想』上巻、春秋社、1970、386頁)

22) スッタニパータ1・1

23) 雑阿含1(国訳一切経一巻)1頁以下多数。婆羅門相応の定型句。

24) この点について増谷 文雄氏はこう書いている。「ブッダの説いたことのなかには、そのような教え(生天もしくは往生を説く思想)はまったくなかった。」『仏教概論』(『現代の仏教』第12巻所収、筑摩書房、1965、17頁) しかしその論拠は明らかにされていない。

25) スッタニパータ3・5 前引書88頁

26) バラモン教の根本聖典 4つのヴェーダよりなり、最古のリグ・ヴェーダは前1200年頃成立。

27) ヴェーダ本文の祭式規定と釈義であり前800年を中心とする数 百年間の所産。

28) ジャイミニーヤ・ブラーフマナ1・42ー43(辻 直四郎『インド文 明の曙』岩波新書、1967)156頁

29) リグ・ヴェーダ11・113 (Herrmann Grassmann "Rig Veda"、187 7、S.287)

30) 「仏教語大辞典」中村 元編集、東京書籍

31) マヌ法典11・6(岩波文庫、327頁)

32) もっとも祭祀批判も少なくない。例えばSN7・1・8、スッタニ パータ2・7、5・3、

33) 例えばDN5(南伝大蔵経6巻27頁)SN3・1・9

34) 雑阿含の残りの部分、及びMNと並行する中阿含などでBC200年ごろまで。

35) SN7・2・2

36) SN 12・41

37) DN2(南伝大蔵経6巻 84頁)

38) 同右 81頁

39) 11・40 前引書332頁

40) 雑阿含1284

41) 雑阿含1274

42) SN3・2・9

43) SN1・5・1

44) SN3・2・7

45) SN1・4・6

46) 日本聖書協会訳

47) 『世界の名著』(中央公論社、1979)

48) 甲十四章法勅12章(宇井伯寿『インド 哲学研究』四巻、甲 子社書房、1925、)283頁など多数

49) 乙別刻法勅 第2章及び甲十四章法勅6章、前引書294頁、275頁 など多数。

50) 『仏教とキリスト教の比較研究』(筑摩書房、1968) 111頁以下。

51) SN1・4・7

52) SN1・5・9

53) 雑阿含1135

54) 雑阿含833

55) 拙論「弥勒伝承の起源」(『出会い』8巻2号、1986)3頁以下参照

56) 『マハーバーラタ』190 v.13101

57) SN3・2・10

58) もっとも自業自得を説くのは仏教だけでなく、ヒンドゥー教やジャイナ教でも説かれる。

59) 雑阿含1320

60) スッタニパータ2・14

61) 中阿含171=MN136

62) 中阿含64=37の4=MN130

63) 主としてDNと長阿含、中阿含の並行箇所、及びANと増一阿含 の並行箇所。BC150年ごろまでに成立したと考える。

64)SN3・3・1

65) 同右

66) 雑阿含590

67) スッタニパータ2・1、漢訳では「無間心定」。後期経典にしばしば説かれる。

68) 例えばスッタニパータ2・6には出家にふさわしからぬ行をなす 比丘が描かれる。

69) 雑阿含135

70) 雑阿含622

71) 雑阿含1122 ただしItiv.95には、天界批 判が見られる。あるいは天女の五衰という思想も批判かもしれな い。

72) SN1・5・9。

73) 同右

74) 中阿含137

75) 中阿含78(中期経典)

76) 中阿含79

77) スッタニパータ5・3前引書182頁

78) 雑阿含853(中期経典))

79) SN47・29、

80)SN47・30(中期経典)

ダンマパダ178(初期経典)

81) SN55・5(中期経典)

82) SN48・2(中期経典)

83) 後にはこの境涯に対応する天として兜率天が比定され、弥勒菩 薩など、次生に仏になる人の位 、一生補処とされた。

84) SN48・4(中期経典)

85) すでに初期経典の終り頃(SN大篇48・18など)で四双八輩が説かれ ている。

86) 阿羅漢の涅槃、中般涅槃、損害般涅槃、有行般涅槃、無行般涅槃の五つで、その下に上流、一来、預流、随法、随信がきて十段階になる。(SN48・15)