三節 仏教とキリスト教における文献のもつ意味の違い

 仏教とキリスト教の聖典・教義は、その概念規定が非常に異なっていて、両方の宗教に妥当する範疇が見当たらない。そのことを玉 城康四郎氏の論文「仏教とキリスト教」4の検討によって明らかにしてみたい。

 氏はこの問題を四項目にまとめ、その第一として次のように言う。

「1、仏教の聖典は原始経典と大乗経典を含むのに対して、キリスト教では『旧約聖書』と『新約聖書』である。」

 これは当たり前なことを述べているようで、実はそれぞれの聖典の概念規定への反省が全く欠落している。キリスト教で挙げられているのは、古カトリック教団が四世紀に正典(カノン)として選定した実定文書であり、仏教で挙げられているのは、原始仏典の一部(このほか戒律書と論書を含む)と大乗運動の文献の総称である。仏教における実定経典とは、『大正新修大蔵経』がそうであるように、歴史的にそのつど収集された仏教文書の全体であり、パーリ語、チベット語、漢語の『大蔵経』があり、漢語でも中国、朝鮮、日本の様々な版の『大蔵経』がある。この聖典の概念規定が無視されることによって、次のような内容に関わる誤解が生まれる。

「2、仏教では原始経典が出発点であって、ゴータマ以前の宗教的権威は無視されている。キリスト教では、イエスの説教は『新約聖書』にあるが、それ以前の宗教的権威である『旧約聖書』に密接につながっている」

 宗教的権威とは、文書のことを言うのだろうか。インドの『ヴェーダ』などは口伝承されてきたのであり、一方、仏教教団には正典(カノン)という概念はなく、部派ごとに教えが口伝承された。だから、現存する文献としての『ヴェーダ』『ウパニシャッド』等を聖典としないことは、必ずしもそれ以前の宗教的権威とつながっていない事にはならない。ゴータマは自らを「真のバラモン」と呼び「ヴェーダに通 暁している」と形容していること、仏教の基本概念である苦、輪廻、解脱、涅槃等は当時の宗教一般 と共通しており、その修行形態も共通であることからも、それ以前の宗教と密接な関わりを持っているといってよい。さらに、新しく書かれる経論にはインドであれ中国であれチベットであれ、たえず周辺の宗教の教えが紛れ込む余地がある。キリスト教ではイエスはユダヤ教の宗教的権威によって死刑と断じられたのであり、パウロは旧約聖書の律法による救済を明確に批判している。必ず什麼旧約聖書と密接なつながりがあるわけではない。

 聖典概念を考慮しないことによる矛盾は、ゴータマとイエスの資料という点で次のようにより明らかにされる。

「3、ゴータマとイエスの直接資料を比較しようとすれば、経蔵と福音書であるが、仏教では経典と論書は区別されているのに対し、キリスト教では福音書だけでなく、パウロその他の文書を含む『新約聖書』はそれ自体一体的であると考えられている。」

この前半については、厳密にいえば直接資料はどちらにもない。間接資料はイエスでは福音書(トマスも含めて)の中に集中しているが、ゴータマでは経蔵だけとは限らず、律蔵も重要な資料である。しかも福音書に相当するようなゴータマの生涯をまとめたものは五百年以上も後に「佛所行讃』などとして作られている。また経蔵はゴータマだけの教えではなく、弟子や神話的存在(天や夜叉など)に仮託された言行を含むのである。後半については何をもって、経典と論書の区別は福音書と書簡などとの区別と異なるというのだろうか。福音書と書簡などはジャンルが異なるだけではなく、儀礼における扱いで(カトリックや聖公会では)明白に区別されている。一方、経・律・論が一まとめで仏教の伝承であることは、三蔵(tripitaka)という呼称がバルフートやサンチー(紀元前三〜二世紀)の銘文に確認できる。仏教もキリスト教も聖典が異なるものの集大成であるということでは変わらない。また、一巻ずつ羊皮紙や貝葉に書かれた写本の全体を『パーリ聖典』や『新約聖書』とすることも、仏教とキリスト教では同じである。

 玉城氏は、教祖の教えについての文献を聖典として確定したいと思って、こう結論する。

「4、仏教では原始経典から大乗経典にかけて数限りなく編纂されているが、それに相当する福音書は四種類に限られている。しかも経典は編纂者の名が明らかでなく、福音書はこの名が明記されている」

このまとめは「原始経典から大乗経典へとゴータマの説法は果てしなく続いており」5という学問的水準とは別な氏の信仰に由来する。実際は大乗経典は紀元前後から八世紀にかけて創り続けられたのであるから、ゴータマの説法であるはずはない。実存的留保無しで、しかも外在的対象を絶対化すれば、このような誤謬に導かれるほかない。もっとも福音書が四種に限られるということも、編纂者の名が明らかだということも学的水準以前のことで、実際は何十種類もの福音書があり、今の福音書の名前は後にそう呼ばれるようになっただけで歴史的人物を比定することはできない。

 ここで明らかになったのは、聖典と教義、あるいは聖典と神学や論を区別 するような仏教・キリスト教の共通の基準は存在しないということである。キリスト教の神学に対応するのは原始仏典の論書だけでなく、後代の思想家の著作としてすべての大乗仏典であるし、仏教のパーリ経蔵は弟子や神話的存在の問答を多く含み、福音書とは厳密には対応しない。

 したがって両方に妥当する言い方としては、何々に関する文献という最も広い概念を用いなくてはならない。しかもゴータマとイエスに関してはどちらにも著作など直接の文献がないのであるから、文献とそれが指示する事柄には、一般 の文献よりはるかに多く解釈者が介入せざるを得ない。

 このことに関して八木誠一氏が『仏教とキリスト教の接点』6で方法論として展開しているので、次にそれを検討してこの問題を考えたい。

 八木氏によれば事柄(S)と文献(L)と解釈者(I)との関係は、解釈者は文献に対して相対的であり、また事柄に対して文献は相対的であるが、事柄は文献に対しても解釈者に対しても「宗教的実存を成り立たせる根底」7として絶対的固定的なものが暗示されている。

これは氏が専攻している新約聖書学の場合、たとえば事柄をイエス、文献を福音書、八木氏を解釈者と仮定すれば一見説得力を持つかに見える。そしてS・L・I間の外在化、対象化を図のように矢印1・2・3とし、実存化、解釈を矢印4・5・6とすれば、4・5は福音記者の解釈、解釈者の主観が入って相対的であるが、解釈者と事柄の間には文献を経由しない事柄との直接的関係性3・6が成り立ち、解釈者は事柄と文献とを相互的に解釈する(5・6)ことによって、その相対性を克服し得るかに見える。(図1)

 だが、この場合でさえ事柄(イエス)に関する文献は四つ以上存在して、事柄から文献に至る過程(1)で編集記者の解釈が介入しており、そこで開示される事柄とは、例えば『ヨハネによる福音書』からはヨハネにとっての「宗教的実存を成り立たせる根底」(S1)であるほかない。それゆえ少なくとも四つのSが存在する。文献(新約聖書をはじめイエスを解釈する諸文献)を読むことによって宗教的実存(答え)が成り立つことはあろうが、その際には厳密にいえばそれぞれの人の内なるイエスがあり、Sは無数にあることになる。したがって、文献の解釈者は自らの文献に対する解釈と、文献が含む解釈という二重の解釈を通 した多様な事柄を描き出しうるにすぎない。

 このように八木氏の図式は福音書だけに限っても、問題を含むものである。また近世以前は民衆が直接文献を読むという機会は少なかったから、伝承や福音書を読むことができる人の説教や絵解きが契機となって宗教的実存が成立したと思われる。したがってますます「事柄」が普遍的な絶対性というような固定的なものである可能性は少ない。そしてこの図式がすでにキリスト教徒である八木氏の偏向を反映している。

 なぜなら仏教では、「事柄」と文献と解釈者(あるいは実存主体)との相互関連を離れて、行において宗教的実存が成り立つという事があるからである。ここで、八木氏の「事柄」が「宗教的実存を成り立たせる根底」であるという前提を取り払って、宗教的実存という意味を、さらに仏教とキリスト教に即して厳密に述べておこう。

 一節で、「宗教は〈わたし〉のあり方、生き方に根本的にかかわるもの」と規定したが、それは、キリスト教・仏教に即して展開すればこうなる。

キリスト教徒の実存とは、〈わたし〉とイエス・キリストとの関係性である。

仏教徒の実存とは〈わたし〉がゴータマ・ブッダと同じあり方になることである。

 換言すれば、実存的にキリスト教とは〈わたし〉がイエスをキリスト(救い主)と認め、その生き方教えに従うことであり、仏教とはゴータマと同じように正しいあり方(ダルマ)を行じてブッダ(覚者)になる道である。

 「事柄」は「宗教的実存を成り立たせる根底」という言い方が暗に含意するような神、絶対無、存在の根底、神と人との接点などではなく、その実存者において生きているイエス(Sn=nは任意の数)であり、その実存者において現成しているゴータマのあり方、覚り(Sn)である。

 それゆえ、キリスト教においては、初代教会の人以外は間接的にであってもイエスに関わる文献を離れては、事柄は存在しない。それがキリスト教が正典(カノン)を必要とする理由である。キリスト教のいのちは聖書によって触発された個人のイエスとの関係の中にあり、それは歴史を超える。

 仏教においては、ゴータマの教えの下にゴータマと同じ実践によって正しいあり方(ダルマ=真理)を現成させる(覚る)のであり、そのための必然的契機は実践であってゴータマの言行ではない。もちろん、その正しいあり方の実践はゴータマによってはじめてあきらかにされたのであるから、ダルマ=真理を明らかにしたゴータマの言行は伝承され、初期の経典に保存されている。ところが覚りにおいて現われているダルマ=真理は、それを言語化することによってかえってそれを隠してしまうという性格を持つ。この言語化の根本的困難に加えて、ゴータマは四十五年の長きに亘って説法し、また能力の異なる一人一人に相応した説き方をしたので、歴史的なゴータマの教えそのものが多様性に富んでいる。したがって経典はダルマ=真理を理解するためというよりは、それと同じあり方をなさしめるため、補助的契機として正しいあり方の自覚的理解とその実践方法として伝承されたのである。

 しかもゴータマによって明らかにされたダルマ=真理は、「ゴータマによって」という所に力点が置かれるのではなく、「ダルマ=真理」に置かれるのであるから、ダルマ=真理の自覚であれば、それを誰が語るかは問題とされないから、ごく初期の伝承にも弟子たちの言行がゴータマのそれと同じ重さで存在する。さらには、ゴータマ滅後の弟子の伝承も経典として伝承された。ところが紀元前一世紀頃スリランカに伝わった上座部(テーラ・ヴァーダ)では、それまでの伝承をパーリ語で記録して正典(カノン)とし、それ以後の増広は認めなくなった。主にそのことや独善的出家者を批判して大乗運動が起こり、当時のダルマ=真理に目覚めた人の教えは、新たにゴータマの仏説という体裁をとった大乗仏典としておびただしく創出され続けた。

 仏教における事柄・文献・解釈者の関係は、事柄が文献になり、それを解釈者が解釈するということは成り立っても、解釈者が文献を通 じて事柄に行き着くという関係にはならない。解釈者ではなく、実践者が文献を補助として実践を通 して事柄に行き着き、新たな文献を創出するのである。「実践者(P)=事柄」から文献、そして文献から解釈者という外在化はあっても、それを逆にたどって事柄に行き着くのではない。事柄、文献、解釈者の三者の関係はキリスト教の第一図のように閉じられてはいず、文献とその解釈(S→LヒI)という関係と実践者と文献創出(PヒS→L)の関係は別 の図であらわされるほかない。解釈者が同時に実践者でもあるという場合もあるが、そのときは解釈した文献と創出した文献は別 のものになる。そして実践者Pの多様性にしたがって文献Lの多様性が存在する。仏教の文献が夥しい数にのぼる所以である。仏教のいのちはゴータマと同じ正しいあり方になるということにある。キリスト教においては、その思惟がなんらかの聖書解釈であるから、聖書を読むということが必ず要求されるのに対し、仏教では、ゴータマと同じ実践がその思惟に必ず要求される。

 さて、宗教を生きるということは、組織神学や論とはまったく異なる。たとえば組織神学とは内なるイエスとの関係という特殊な実存的全体的な事柄を、文献の解釈によって知的に反省し、〈わたし〉の外に対象として普遍妥当的、客観的、論理的に表現し、組織的に明らかにすることである。もちろんそこではキリスト教が他の宗教の世界観・救済観に対していかなる立場であるかという弁証も含まれる。ここで文献とは『聖書』であって、福音書を含むがそれに限られない。最初の神学者といわれるパウロが組織神学的に展開しているのは旧約聖書のまったく新しい解釈であるが、それがまた新約聖書の一部となっている。近年の代表的組織神学者バルトはその主著『ローマ書』で「われわれが自分自身を正しく理解しているならば、われわれの問いはパウロの問いである。またパウロの答えの光がわれわれの行く手を照らすならば、それはパウロの答えはわれわれの答えでなければならない」9と、その序文で語っている。たとえ神秘主義の神学であっても、アレゴリー的解釈なり何なり、なんらかの聖書解釈という形をとらないものはない。

 一方、仏教でも経師・論師は経(スッタ)や論の解釈者であり、中国や日本の宗学となるとその宗派にとっての特定の文献の解釈を含む。それは先の事柄、文献、解釈者をめぐる多様性の問題にかえる。

 ところでこの比較論では、たとえ聖書や仏教文献の解釈を含んでも、神学や宗学のような答えである立場には立たず、あくまで問いとして遂行される。いっぽう宗教哲学は組織神学や仏教の宗学とは異なり、特定の宗教の文献解釈に依らずに、事柄を直接的に思惟し、そこから普遍的なものとしての宗教を帰納する立場であろう。キリスト教では宗教哲学が由来する地盤は様々あろうが、その一つとしてギリシャ哲学の底流にある個々の在るものを問うのではなく、在るものの背景にあるいは根底に在るものをあらしめるもの、つまり第一原理(アルケー)、あるいは本質を問うものであり、プラトンのイデア、アリストテレスの不動の動者をめぐる思惟もそのようなものとして宗教哲学である。このギリシャの宗教哲学は、ネオ・プラトニズムなどを通 じ、古代教父の神学においてキリスト教神学に合流した。つまり、ロゴス・一者・無制約者などが聖書の神と同一視され、それ以後の西洋哲学は「神学のはしため」といわれるように神の存在証明などとしてキリスト教思想を補佐してその成就主義に資してきたとも言える。そのような哲学は神秘思想の中にも強く流れている。

 ところで仏教における事柄ヒ自己は宗教哲学と言い得るだろうか。これは微妙な問題を含む。仏教の思惟は基本的には文献の解釈としてなされるのではなく、実践において事柄を直接に思惟するのであるから哲学と同質の側面 を持つ。しかし、哲学はほとんど言語によって論理的に叙述されるものであるが、仏教の思惟は本来的に言語的論理的なものではない。しかし、それを言語化しなければ、他の宗教との違いが分からず、それがいかなるものかを人に知らせることもできないので、必ずそれを言語表出していく。法をとくことは仏教者の基本的実践の一つである。ただ、その説き方は哲学として言語化することも、物語、賛歌、戯曲、対話などさまざまな言語表現を用いることもある。それゆえ大蔵経の中には経典や論書、諸宗派文書としてあらゆるジャンルの表現が含まれることになる。そしてこれがもっとも特徴的なことであるが、たとえ仏教文献の厳密な哲学と思われるものでさえ、在るものの背後にあるいは根底に在るものをあらしめるもの、絶対や本質を立てないということがある。そのことは「無我」「空」などと否定的に表現されることもあるが、無我や空を原理として立てることは徹底的に批判されている。言語と思惟の関係が仏教とキリスト教では異なるのである。

 さて、滝沢克己や八木誠一あるいはジョン・ヒックら哲学的キリスト教学者は神やキリストを特定の宗教の事柄ではなく、宗教一般 さらには存在一般に普遍的に妥当する論理たらしめようとする。あるいはR・オットーやM・エリアデらがなしたように、特定の宗教の立場に立たずさまざまな宗教文献によってそれらの宗教現象の背後に普遍的な原理を見いだそうとするものもある。あるいは人間の文化として諸宗教に共通 性を求める試みもある。

これら宗教哲学の共通点は論理的客観的普遍妥当的であることとともに、それが特定の宗教において成り立つのではなく、およそ宗教という現象に普遍妥当することを結論としていることである。しかし、そのような思惟の根本には、宗教の事柄あるいは宗教的実存を成立させている根底が、客観的に存在し、しかもそれを諸宗教を成り立たせる唯一の絶対であるという前提が存在する。そして、じっさいにはいわゆる哲学と同様に、その普遍的な絶対は個々の宗教哲学の答えとして、無名の神、無制約者、究極的実存、絶対無、空、梵(ブラーフマン)など多様に構築されている。それゆえにそのような宗教哲学として比較を遂行することは、たとえ『キリスト教の絶対性を超えて』10と名づけられるような研究であっても、自らの理解する規範あるいは「絶対」の基準によって、実定諸宗教を計ることを免れない。もちろん、どんな宗教にもなんらかの共通性は人間の文化の常として認められるが、それを認めることと、〈わたし〉の救いとは一応、無関係である。宗教における答えとは、〈わたし〉が生死を賭けうるもの、そのために生き得るものであり、儀礼や感情、習俗、社会的所属ではない。

 ところでこの論はあくまで学問的厳密性中立性に立つのであるから、言語化されない事柄を扱うことはできない。仏教においてその思惟が言語化されたものとは多くの言語による膨大な「大蔵経」といわれるもののすべてである。これが仏教の文献なのである。キリスト教の文献をそれに対応させようとすれば聖書だけでなく、各時代の神学書、教団の歴史書など膨大なものとなる。

 仏教を基準とした文献の膨大な幅はいやでも歴史的社会的考察へと問題を広げさせる。歴史神学者のトレルチは、「ものを歴史的に考えることと、いろいろな真理や価値を規範として確立することと、この二つのことは相衝突することなのだ」11といっているがそうだろうか。むしろ〈わたし〉の事柄としての宗教は、〈わたし〉が歴史的社会的現実として存在している以上、歴史的社会的事柄であらざるを得ない。それはその宗教に関わる者が自覚して社会的歴史的であろうとしたり、そこからの離脱を志向したりすることとかかわりなく、そうなのである。

 〈わたし〉の現実はわたしの意志や行為の及び得ない計り知れない人々の意志と行為の上に成り立っているが、宗教的実存はその所与の歴史的社会的現実に対し、まったく新たなあり方・生き方を切り開き得る。ゴータマやイエスをはじめとする宗教的実存に立った人々が、所与性として自らをとりまく文化的状況、とりわけ宗教的状況やそれを支える歴史的社会的現実に対し、いかに対応していったかということこそ、その宗教の価値に関わる最も具体的な検証となる。

 この比較論が〈わたし〉を場としてキリスト教・仏教を問うことは、また〈わたし〉を所与の歴史的社会的現実から、いかなる歴史的社会的現実へとあらしめるのかという問いでなければならない。また具体的な文献解釈においては、歴史的社会的関連をたんなる予備知識や背景にとどめず、むしろ文献に表現された〈わたし〉の事柄が歴史的社会的にどういうことであるのかを検証していくことにより、その現実的意味を明確にしなくてはならない。

 仏教とキリスト教において歴史的社会的な現実を考慮しようと思えば二千年以上の歴史と、ほぼ東西を二分する地球規模の広がりを視野に入れなければならないことになる。トレルチは「もしそういう大宗教をその価値について互いに比較しようとする場合には、それらの宗教だけを単純に比較することはできないのでありまして、常にただ宗教が必ず不可分の一要素としてふくまれている『文化の全体系』そのものを互いに比較することが出来るだけであります。ですから、ここで本当に決定的な価値比較をあえてやろうとする人が在るでしょうか。そんなことが出来るのは、もちろん『文化の全体系』の差異を自らの中から生み出した神自身だけでありましょう。」12と、絶望の吐息を洩らしている。だが、宗教は〈わたし〉の事柄である、ということに深くうなずくならば、必ずしも「文化の全体系」に目眩みし断念する必要はなかろう。以上のことを考慮した上で、具体的な「仏教とキリスト教の比較」の方法論が構築されねばならない。

4 講座『東洋思想』(東京大学出版局、1967)121ー154頁

5 玉城康四郎 前掲書、125頁

6 法蔵館、1975

7 八木誠一、前掲書、20頁

9 バルト、『ローマ書講解』、世界の大思想33、河出書房新社、1969、第1版序言5頁

10 原題"The Myth of Christian Uniqueness" 、ジョン・ヒック編、春秋社、1993

11 トレルチ「歴史主義とその克服」109頁