酒井抱一(さかいほういつ)の時代

「姫路城の秘密」に新しい項目も次々と浮かぶがアップロードできない状態です。しかし、大好きな太田南畝(蜀山人、江戸の下級武士。19歳という若さで「寝惚先生文集」を著すと狂歌のブームとなった・・・。後、天保の改革で華美を廃する政策で、なんと武士として生きる決心をする【武士名は太田直次郎】。幕府の「学問吟味」に合格、出世の道を歩み出すのですが、果たして「幸福」だったのでしょうか。)や、山東京伝(黄表紙、洒落本で有名、江戸の「意気」と「穿ち」を実践した。)などと、一緒に遊郭などに遊んだ※「酒井抱一」を、史実だけではなく、フィクションを交えて書いてみたい。
酒井抱一(忠因(ただなお))は、狂歌を太田南畝に学び、尻焼猿人(しりやきのさるんど)と名乗った。画家としては尾形光琳派に学び・・・・大成した。

大好きな「彼らの時代」を夢想するだに楽しい。
※酒井抱一(さかいほういつ)、本名忠因(ただなお)。姫路藩主酒井忠以(ただざね)の実弟、譜代大名家の次男ゆえに他家に養子(大名として)の道もあったが、若い頃より俳諧や狂歌に浮世絵に才能を発揮し、上記の二人と遊んだ。37歳で出家、画業に励む。姫路市立美術館に「雲雀に春草図」や「集外三十六歌仙」や「播州室明神神事 棹歌之遊女行列図」がある。皇居にも収蔵品あり。

ただ今構想中です。しばらくお待ち下さい!

朗報です。 念願だった「酒井抱一」の掛軸を手にいれました。
某オークションサイトで、大いに奮発した金額で入札したのですが、・・・・・思っていたよりも
少ない金額で落札に成功しました。来歴や真筆かどうかなんて気にしていられません。

眺めているだけで、彼らの時代を夢想できるんですから・・・・・。
安いものです。うれしいです。

また、今は「五島耕畝」の絵(掛軸)も集めています。こちらは、絵の風情が大好きです。