姫路城の石垣や石段に刻印があるんでしょうか。

姫路城には刻印がたくさんあります。それらは「石を寄進した豪族、名主が刻んだものだろう」と
言うのが定説です。姫路城は秀吉築城の時にも石が集まり難いということで「姥ヶ石」の伝説が
できました。輝政築城は城域が広くなり、大きくなりましたので、石はもっと必要になりました。
大阪城は秀吉天下城でしたから、広範囲の大名がこぞって石を大阪に運びました。「室津の泊り」
のページには運ぶ途中に港に落とした巨大な石があります。
姫路城は石を城下(今宿とか別所など)と岡山備前に限られていましたので、なにがなんでもと集
めましたので、転用石が多いのも特徴です。
刻印も石を寄進した者が手柄的に刻んだと言われていますが、説明の付かない刻印もあります。
次のページで刻印の種類と場所を不親切にガイドしています。見つけてくださいね。
一段目は大手門の左最上段の石垣の「オノ」です。
二段目は埋め門の石段ですが、ここには他にもあります。
三段目はぬの門の櫓に登る石段です。
本当に同じような模様が多いですが、まだまだ探せばあるはずです。