狭間はいくつあるんでしょう。また、狭間のない白壁塀があるのはなぜでしょう。

狭間(さま)は矢狭間(やざま)とも言われますが、池田輝政築城時にはもちろん鉄砲は広く
普及していましたので、狭間でいいと思います。
形は丸、三角、四角、長方形なんですが、大きさはさまざまです。狭間を覗いてみますと、そ
の見える範囲はかなり狭いです。弓は距離によって見込み角度が違いますから、長方形が
いいし、鉄砲は小さい狭間でいいでしょう。
輝政築城時には狭間はなんと2522ヶ所と記録されています。現在はわずか287ヶ所しか
残っていません。

右の写真の白壁塀は狭間がありません。どうしてでしょう。
この場所は本来隅櫓(すみやぐら、折れ曲がっている所)とそれに繋がる渡り櫓があった所
です。明治時代、廃藩置県によって管理が疎かになった時期に、傷みが激しく取り壊されて
しまいました。(城は売られたのページに写真があります)後年になって、あまりにも殺風景
なので、現在のようなものが建てられましたが、復元工事ではありませんでしたから、この
ような形になったようです。