姫路城には転用石がなぜ多いのでしょう。

非常に有名な転用石は説明銘板が設けられています。最初の写真は六角灯篭の一部です。
二番目の写真は「姥ヶ石」と言われる石臼の一枚の半分です。この石は秀吉築城の乾天守
閣の石垣なんですが、近隣に石山が少ないことや、石の寄進なども少ないことから、困ってい
るときに、「老婆が使っていた大事な石臼を寄進したことから、それを聞いた藩民も我も我もと
寄進して石集めに大いに役立った」との伝説が残されています。しかし、考えるまでもないん
ですが、石臼は上下二枚の構成ですし、そのまた半分しかないのでは伝説は信用できません
。作られた話にしてもお粗末です。三枚目は坩堝(るつぼ)のようです。もちろん医師が正式に
使う種類のものではなく、農民が軒下で薬草や薬石を粉にするのに使ったものにも見えます。
また、「盃状穴」(はいじょうけつ)と言われて、鎌倉期〜江戸時代には、「魔よけ」の意味が、
あったようです。ただ、入り口とか天守閣に近いものではないので・・・・・。
4番目と6番目の写真は石棺です。播州地方は至る所に古墳が散在しています。そのために
なんと軒下や便所の手水鉢としても利用していたくらいです。そんな石棺も沢山集められまし
た。姫路城の転用石はこの石棺が一番おおいです。五番目の写真は四角灯篭の一部ですが
目立たない所にあることから、銘板などもなく、姥ヶ石のように観光客の視線はありません。