白い漆喰塀に取り囲まれた姫路城ですが、油壁はなぜ残ったのでしょう。

油壁は白い漆喰が塗られていません。姫路城は秀吉築城で三層の天守閣を持っていました。
輝政築城は、勿論秀吉築城の基礎石や石垣など多くの部分を利用しています。この油壁部分
も秀吉築城の部分です。この油壁は名前とは違って、砂利と赤土粘土、などを米のとぎ汁など
で固めたものと言われています。勿論油などで固めている訳ではありません。その色から油を
使用したように見えるという事で油壁となったようです。

左の写真は向かって天守閣です。油壁は高さの違う塀と塀に挟まれる形で板張りの側面をこ
ちらに向けています。外部から見ると違和感のない形です。右の写真は天守閣側から見た写
真です。構造はそのまま見えています。右側の石垣はこれも秀吉築城の石垣です。そこには
「姥ヶ石」があります。この塀がそのまま残されたのは大変しっかりした構造であるのと、外部
から見えないからだったようです。漆喰は防火のために塗られたんですが、その為、上部の
屋根の裏側まで丁寧に塗られています。
備前丸や千姫の西の丸は火災によって消失していますが、そこに近いここの塀なども類焼を
免れています。