腹切り丸は切腹が行われたでしょうか。(本来の名称は「帯郭櫓」おびくるわやぐら)

腹切り丸は崩れ門を降りた所にあります。大きさは丸というより櫓程度のおおきさです。
写真で解りますように、時代劇のお白州の雰囲気があります。明治時代には木々が鬱蒼
と繁っていたことから「腹切り丸」と呼ばれるようになりました。判決すぐ処刑ということはな
いんですが、前方の井戸は首切り後の血洗いの井戸のように見えることからも、そう呼ば
れる雰囲気はあります。
実際は藩主の住まいである備前丸にも近く、処刑場がある訳はありません。

現在の三の丸広場や動物園のあたりには、沢山の住宅や施政のための施設がありました
ので、そのあたりに奉行所などもあったと思われます。しかし、処刑場は離れた場所にあった
でしょう。加古川辺りでも武士の為の処刑場や祀る為のお寺などは遠く離れた加美町にまで
離れた所に見ることができます。