大天守閣の構造の秘密とはなんでしょう。

姫路城は天守閣の左手側に西天守閣と乾天守閣を従えていますので、大天守閣と表記
しました(以下天守閣と表記)。天守閣は五層の屋根を持っています。窓も5段階に開けら
れています。しかして実態は数々の門を突破して、狭間からの矢や弾の雨をも掻い潜り、
なおかつ、埋め門や崩れ門を突き進んだとして、やっとたどり着いた天守閣を5階まで駆け
上がってみても、そこには天守がないんです。実は1階にはいる段階で天守閣の建ってい
る姫山の地階(石垣部分)にはいっているんです。そして、五層の天守閣は六階の階層で
カムフラジュされていますのです。
このことから、姫路城は五層六階(石垣部分に地下部分の階があり、五層七階という人もい
る)なんです。
攻め出るための「武者溜り」も同規模の城に比べて三分の一程度の大きさですから、輝政
築城の最初から、防御中心に考えられた城なんです。

姫路城は白鷺城(しらさぎじょう、はくろじょう)とも言われていますがどうしてでしょう。
姫山は今でも白鷺がすんでいますが、江戸時代にはもっといたと推測されます。それは、
姫山を鷺山(さぎやま)とも呼んでいたからです。しかし、城主の住まいが備前丸と言われて
いるように、築城の石垣も岡山から多くを調達しました。防火のために白漆喰で固められた
姿や各櫓と渡り櫓が両脇に広がっている様子も白鷺になぞられたようです。
岡山城は右の写真のように黒く烏城(うじょう、からすじょう)とも言われるようになったのは、
対比として白鷺城(しらさぎじょう)を意識したからだと思います。