〜Memory〜

私がこれまでに出会った猫達・・・

そして 私の元から空の彼方へ旅立った子達・・・

その想い出を 記します。

シャム
 名前は「シャム」。女の子でした。私が生まれて初めて触った猫です。その時私は30歳でした。それまで1度も猫に触った事も無く 猫は嫌いだったのです。でも婚家に来てこの子と出遭い 私の猫人生は始まったのでした。餌付けされた猫が最初に産んだ子と聞いています。私が嫁ぐ少し前の話です。この時のシャムは生後1年と少し。とても物静かで 私にもすぐに懐いてくれました。他の外猫をまとめてくれた 良きお姉さんでもありました。

 2歳半近くの時 ひっそりと亡くなりました。原因は判りません。この子が姿を見せなくなってから 私は随分と心配し 探しましたが 行方は知れず・・・それから2ヶ月程経った時 彼女が夢に出てきました。庭で他の子達と遊んでいるのですが 周りにいる子達は亡くなった子達ばかり・・・そのうち シャムはみるみる全身が黒くなっていって 私は「どうしたの?シャム!」と言いつつ 目が覚めました。その数日後 家族から聞かされたのは「シャムの遺骸がこの前見つかった。亡くなってから時間が経ってたようで 全身が黒く腐敗していた」という事でした。

 あの夢は 心配する私への彼女からのメッセージだったとしか思えませんね・・・。猫嫌いの私を猫好きにしてくれた彼女に 今とても感謝しています。
木の上のハナ
 名前は「ハナ」。シャムの母猫の妹の娘です。ハナの母猫に似て 神経質でした。庭でみんなと一緒に暮らしていましたが ある日を境に居なくなりました。4ヵ月後 ふらりと戻ってきましたが その時に会ったのが最後になりました。当時ハナは5歳少しだったように思います。小鉄と一緒に生まれた子でした。
 
 彼女に対する想い出で一番印象深かったのは 初めて子猫を産んだ時の事です。神経質で あまり人間を寄せ付けない筈のハナが 私に生まれて1週間足らずの子供達を触らせてくれたのです。3匹産んだのですが 私が子猫達を家の中に連れて行き 色々と様子を見て1時間ほど経った頃 元の場所に返そうと思ってドアを開けると そこにはハナが待っていました。何も言わずに 子猫を咥えて寝床に運んで行きました。当時の私は 猫に対する勉強不足で ただ可愛い・好きという気持ちで接していましたが 本当はやってはいけない事だったのですね。人間の匂いがつくと 神経質な母猫の場合 かみ殺してしまう事もあると 後になって知りました。それに ハナがどれくらい私に心を許しているのかも解らなかったし。でも ハナは快くそれを許し 1ヶ月後には全員連れて お披露目にやってきました。あの時の嬉しさは格別でした。

 ハナが消えてから5年近くが経ちました。その間に彼女が産んだ子達は天国に行ってしまいました。ハナも今 天国にいるのか・・・それとも どこか別の場所で長生きしてくれているのか・・・今となってはわかりませんが 私の心の中には ハナの姿はずっと残っています。
 この写真のハナは 野性味溢れる姿で 一番好きなハナです。
ジャッキー
 名前は「ジャッキー」。男の子です。ハナが産んだ子で 小鉄と同じ色でした。生後1ヶ月でハナに連れられて 我が家に食べに来るようになりました。最初から人懐こく 私がしゃがんでいると ヨチヨチと体を上ってきて 肩の上によく座っていました。小さな可愛い声で「エッエッ」と鳴いていました。

 亡くなったのはたった生後4ヶ月の時。裏の家の犬が侵入してきて 自分の敷地に引きずり込んだのでした。気づいたのは夕方。いつもご飯の時間に居る筈が どこを探しても居ない。夜になっても姿を見せない。裏の家では犬が大声で吼えていました。丁度帰ってきた夫に話すと 裏の家に行き そこでジャッキーの遺体を発見したのです。
 あの時の私は 殆ど気が狂わんばかりに泣き叫んでいました。犬を自分の庭とはいえ放し飼いにしていた飼い主。 うちの木戸を破って入ってくるような犬に 何の躾もしていない飼い主。今なら明らかに訴えられる事件です。
 この年は シャムを筆頭に この子を含めて4匹亡くしたので とても悲しく辛い年でした。たった4ヶ月しか生きられなかったジャッキーに 守ってやれなくてごめん・・・と 今でも思っています。
 隣の人が持ってきた線香と花束は その場で捨てました。とても供える気にはなれませんでした。
 今生きていたら10歳です。小鉄と並んで 美しい毛並みが見られたのに・・・性格もきっと可愛い子に育っていた事でしょう。いくら時間が経っても悔しさは消えません。
クッキー
 名前は「クッキー」女の子です。ハナが産んだ子で ジャッキーと兄弟です。シャムと同じ色柄でした。
 この子は 生後2ヶ月の時 猫風邪で2日目に亡くなりました。あっという間の事で 猫の病気に対する知識が まだ全然無かった私にとって どうして?という思いしかありませんでした。しかも 私の手の中で亡くなったので その初めての出来事によるショックは計り知れず・・・何日も食事が喉を通らず 泣き続けていました。私の責任だという思いがいつまでもついて離れません。それは今も変わっていません。
 とても大人しい良い子でした。この写真を撮った時に気づくべきだったのかもしれません。これくらい小さな子猫が 1匹で居るなんておかしいと・・・。
 猫に限らず 動物と暮らす場合は 自分からどんどん病気に対する勉強をしておくべきだと 痛感しました。知識がある程度あれば 異変に気づくのが早いからです。人に聞くのもいいけれど まずは自分がしっかり下準備をしてから一緒に暮らすのがベストだと・・・。手遅れにならないために 飼い主がする最低限の準備だと思います。
それを教えてくれた子でした。
テン
 名前は「テン」。女の子です。ハナが産んだうちの1匹です。彼女はクッキーやジャッキーよりも長く生きました。
 普段からあまり甘えたり懐いたりするほうではなく 性格もどちらかというとはっきりとした子でしたね。
 5歳になる直前に 猫伝染性腹膜炎を発症しました。食欲が無いようなので どうしたのだろうと思い 病院に行ったのですが 当時の先生がこの病気の可能性を考え すぐに血液検査をしてくれました。この病気の血液検査は 検査所に出さないと調べられないのですが 結果が出るよりも早く 薬の投与を始めてくれました。結局結果は陽性で 月日が経つにつれ 少しずつ痩せ 食欲も益々落ちました。2ヶ月後にお腹に腹水が溜まりだしたので ウエットタイプの腹膜炎と判りました。検査所で結果が出てから 私とテンは150日間に及ぶ闘病生活に入りました。外の子だったので 毎日の捕獲が凄く大変でしたね。何とか捕まえて病院に行って 点滴と注射と強制給餌に投薬。でも もともと触られるのも嫌がる子でしたから 病院での強制給餌はかなりのストレスになり 2週間を過ぎた頃には 診察台の上で あらん限りの力を出して抵抗し 食べさせる事が困難になりました。こんな調子だから 私には無理だろう・・・と思ったのですが とにかくこれではどうにもならないと思い いちかばちかで家で私がやってみる事に。すると意外な事に 私だと食べてくれたのです。太い注射器の先を切ったようなポンプに高カロリーのパテを詰め 何度も何度もそれを口の端から押し込んで飲み込ませるのですが あっけないくらい簡単でした。万一抵抗されて逃げられては駄目だと思い 大き目のケージを庭に用意して その奥にテンを入れ 私はケージを封鎖するような格好で 四つんばいになって体を入れての作業でした。これはかなりきつかったですね。夏真っ盛りでしたし。給餌が終わる頃には汗びっしょり。でも すぐにその必要もなくなり 普通に私の傍で給餌を受けるようになりました。
 その時思ったんです。この子は普段は全然甘えて来ないし 触らせてもくれないけど 私の事はそれなりに信頼してくれてたんだと。大変な看病も その嬉しさのお陰で続ける事が出来たと言ってもいいくらいです。
 病気を見抜いて投薬を早くから始めたせいなのか 腹水でお腹がパンパンになっていたのに 徐々にそれが無くなっていきました。腹水を抜く処置をしなければならないだろうと思っていたのに 目に見えて無くなっていき これには先生も奇跡ですと喜ばれました。私も更なる看病に励みました。残念ながら 発症してから150日後にテンは旅立ちました。最後の2日間は 朝入院して夜お迎えという形だったのですが 最後の最後の日に たった7分着くのが遅れ 最期を看取ってやれませんでした。病院から危篤だという連絡が家に入った時 私は病院に向かう途中だったので その事を知る由もなく・・・病院に着いた時 テンは安らかな顔でした。先生も「全然苦しみませんでした」と言われました。
 150日間の通院・治療・強制給餌に耐えて 後半は奇跡を見せてくれたテン。私に看病の辛さに耐える力を授けてくれたテンに とても感謝しています。
 綺麗な箱に収められたテンを 自転車に乗せての帰り道。
 途中の公園のベンチで 一人夜空を見ながら煙草を吸い 泣いた事が今でも忘れられないです。享年5歳4ヶ月でした。 
ジャッキーとテンハナ一家のひとときジャッキーとハナ
    ジャッキー(左)とテン(右)   ハナ一家   ジャッキー(左)とハナ(右)
 ハナは毛色の全く違う子供を3匹産みました。この時の子育て風景は 見ていてとても楽しく 感動する事ばかりでした。
マウ
 名前は「マウ」。広東語で猫という意味です。女の子でした。この子は 佐助とその兄弟の銀を予防接種に連れて行く途中 草むらの中で1匹だけ鳴いていたのを保護しました。そのまま一緒に病院に連れて行き 簡単に診て貰いましたが その時は特に異常も無かったので うちの子として育てる事に。先住猫達にもすぐに慣れ 最初の1週間は とても微笑ましい光景が毎日見られました。

 ところが 家で1週間が過ぎ 2週間目に入った時 突然黄色い泡状の液体を何度も吐き 食欲も全く無くなってしまいました。病院で検査した結果 パルボウイルスに感染している事が判明。それからは 毎日体力維持と治療の為に 朝晩3本ずつ 計6本の注射をしました。あと1日もてば抗体が出来て何とか助かるという時に マウは残念ながら息を引き取りました。保護した時が生後3週間程度だったので マウの一生は僅か1ヶ月と少しという とても儚く短いものでした。
 沢山の命が生まれる中で 普通に生きて寿命を全う出来る事は 本当は物凄い奇跡なのではないのか・・・
 マウのとても短い一生にほんの少しだけ関わった事で 益々そう思うようになりました。もっともっと長く生きて 猫としての一生を送ってもらいたかったです。
銀
 名前は「銀」。男の子です。佐助と一緒に納屋で生まれました。佐助と違って銀はとても臆病でした。体も佐助より1回り小さかったように思います。
 彼が7ヶ月くらいの時 嘔吐を繰り返し 元気が無くなったので 診察を受けた結果 幽門部不全という事が判りました。それからは色々治療を行いましたが 定期的に嘔吐を繰り返していました。その嘔吐が この病気の場合 普通の嘔吐ではなく 噴水のように吐くので 汚物が広範囲に飛び散り その為にいつも後片付けが大変でした。いつ どこで吐いてもいいように 至る所に何十にも新聞を敷いたり 夜中に「コッコッコ」という嘔吐前の特有の音がすると どんなに熟睡していても目が覚め 銀の元に飛んで行くという日々が 丸2年続きました。
 銀自身は 嘔吐時以外は元気があり 他の猫たちともよく遊んでいました。外猫から家猫にした時も 何の抵抗もなく すんなりと落ち着いてくれました。
 しかし 嘔吐することによって栄養が十分取れなくなり 丸2年の闘病の末 亡くなりました。11月の事でした。
 銀の看病は テンよりも前の事で 私にとっては 長期に渡る看病が初めての事でしたので 戸惑いも大きく イライラも募り 体力も気力もかなり消耗していましたが 今思うと あの2年間で 銀は私に大きなものを残してくれたのだと思います。あの体験があったからこそ テンの看病をやり抜けたのだと感じています。
 銀は最後は体重が1.37キロに落ちました。享年2歳7ヶ月でした。
保護した子猫達
 この2匹は ある日の夜 家の前にデパートの袋に入れられて捨てられていました。
どちらも男の子です。幸い元気もあり 食欲も旺盛で 怪我の様子も無く 毛並みも綺麗だったので 野良猫の子ではないな・・・と思いました。うちの子達にも積極的に近寄っていき とても愛らしく可愛い子達でした。
 流石にこれ以上家の中では世話出来ない数になっていたので 里親を探す事に。病院などにポスターを貼り 幸い2匹とも 20日後に里親が決まりました。
 たった20日間しか世話しなかったけれど 先住猫達とのやり取りや コロコロとよく動く仕草に 毎日が楽しかったですね。健康にも何の問題も無かったのが とても嬉しい事でした。過去に亡くしたマウのようになってしまったら・・・という不安もありましたが 今も元気で暮らしています。
黒猫の赤ちゃん
 この赤ちゃん猫は 家族の知人が勤める会社に捨てられていた子です。合計10匹が捨てられおり 里親探しに協力しました。上の写真に映っているキジトラを貰ってくれた里親さんが この子を引き取って下さいました。性別は女の子と判明。健康にも問題なく ミルクもちゃんと飲み すくすくとそのお家で育つ予定が・・・先住猫と上手く行かず 結局その方の親類の家に引き取られたようです。今はのびのびと育っているとか。残りの9匹も全部里親が見つかり 本当に良かったです。
 チョボは母屋の屋根裏で生まれました。子猫の頃はまったく人に懐かず 顔を見てはこそこそと逃げ回る子でした。外猫時代だった生後7ヶ月の頃 姿が全く見えなくなり 4日目に酷い風邪を引いているところを発見しました。死ぬ一歩手前だったので緊急入院となり 10日後どうにか退院。それから性格が180度変わったかのように 私をとても信頼してくれるようになりました。それから10年。チョボはとても可愛く お茶目で 本当によく喋る猫に成長しました。「ニャー」と鳴く事がとても少なくて いつも色んなイントネーション バリエーションで話しかけてきました。それはまるでお猿の子供であったり カッコウ鳥であったり 時には鶏のコケコッコーであったり。声域も広く リズムも豊富で 本当に猫なのか?とよく思っていました。だから家の中はチョボの話し声でとても賑やかでした。
そのチョボが話せなくなって4ヶ月目。はっきりした原因が判らないまま 2005年2月24日午前4時過ぎに この世を去りました。家族が大好きで 猫達からも好かれたチョボ。穏やかで面白くて甘えん坊で素直な子でした。5月で11歳を迎える筈でしたが 病気に勝てず とても残念に思っています。
享年10歳9ヶ月でした。


ここに載せられない沢山の子達もいました。


ジャップ・クロ・アーロン・アントニオ・イド・ルー・・・


そして佐助と銀の残りの3匹の兄弟。


猫イラスト


亡くなった子達・元気に旅立った子達。


この11年間で いろいろな想い出が出来ました。


嬉しい事ばかりではなく 辛い事も沢山ありますが


どれもとても大切な想い出です。


そして これらの想い出は 私にとって貴重な財産であり


貴重な教科書でもあります。


この子達が残してくれたものを大切にして 


これからも 猫達と共に暮らしていこうと思っています。