我々の魂を救え
「おまえら、西浦高校?」
「おー、タジマじゃん!」
カラオケボックス特有の、うす暗い照明とチカチカする画面に照らされた室内は、まさに異空間と化していた。
11人で来たもんだからそれなりの大部屋に通されたのだけれど、今はその部屋がなんだか狭く感じてしまう。
……いやだって、明らかに定員オーバーだから。こんなガタイのいい人ばっかり入ってきたら。
もともと榛名と阿部の問題には巻き込まれ気味で、しかしそれに輪を掛けて阿部が不幸なもんだから同情していたにしうらーぜの皆さんは、その日は珍しく阿部に恨み言を言いたくなったという。
だって、こんな事態は予想もしていなかったのだから。
その日の朝、妙に丸まって小さくなった肩を見て、あれ? と思った。泉の記憶によると、そいつは寒い日でもピンと伸びた姿勢の良さが特徴的で、ちょっと見は野球じゃなくて剣道とかをやってそうにみえるのだ。
まあ実際、西浦高校二年生の正月行事、百人一首大会で正座してるのを見たときに、座り方が堂に入っててそれだけで強そうに見えたもんだった。実際には完全に理数系のコイツはけっして強くは無かったのだけれども。
そんな背中に、今日は全く覇気がない。これはまたなんかあったな、可哀相に……、と哀れをもよおして、泉は前を歩く背中に向かって声を掛けた。
「おーっす、阿部!」
―――こうして後ろから声を掛けたときの阿部の反応は、大きく分けると二通りある。
一つ、声を掛けたのが野球部の場合。さすがに三年目ともなると、声だけで誰か分かるからか、振り向かずに手を挙げたり、ちらっとちょっとだけ振り向いて、「おー」とお座なりな返事を返したりする。
二つ、それ以外の友人が声を掛けた場合。この時は、ちゃんと立ち止まって、振り向いて返事をする。それに、どんなに不機嫌な顔して歩いてても、振り向いたときには普通の顔になっている。
要するに、野球部に対してはいい加減な挨拶なのだ。腹を立てるべきか、それともここまで気を許して、と喜ぶべきなのか、微妙に判断に迷うところだった。
で、だ。その阿部が、声を掛けたら、ゆらぁ……って振り返って、「……泉か」なんて言って、ちょ、お前どーしたんだよなんか人魂みたいなの飛んでるぜ、って疲れ切った顔のぞき込んだら。
「…………榛名の阿呆が」
…………やっぱり榛名サンか。よしよし、なんだ何があった? オレが聞いてやるから、お前もうちょっと元気出せよ。
「……昨日の野球中継で」
…………またなんか言われたのか。お前ってホント………、いや、なんでもねぇ。
「……それで、今日会うことになって……、時間差でカラオケに」
一応、人目につかない様に考えてはくれたんだな、あの人。
つーか阿部、お前大丈夫かよ。オレは昨日の野球中継っての、アニキにチャンネル取られて観てねぇんだけど、また爆弾発言されたのか? ああ、思い出したくないなら話さなくてもいいから……。
しっかし、時間差でカラオケとは、ねぇ。個室だし、まあ良い考えなんだろーけど。でも、阿部が一人でうろついてたら、確実につけられるだろーな、メディアに。
………そんじゃ、ここはオレが一肌脱いでやりますか。
―――という訳で、さっそく野球部三年に同胞メールを送信した。内容は、こうだ。
『阿部が今日榛名と会う約束をさせられたらしい。時間差でカラオケ、とか言ってるけど、阿部一人だと怪しまれるから、オレらも一緒に行ったらカモフラージュになると思う。今日空いてるヤツ、付き合ってくれ』
そしたらすぐにみんなから返事が来て、なんとこの忙しい時期に、三年全員が来るって言ってきた。こりゃ、栄口じゃなくても『阿部は愛されてるねぇ』なんて言いたくもなる。
基本的に自分のことは自分で、の阿部だから、珍しく追いつめられてるときぐらい助けてやりたいのかね? まあ、普段が偉そうなヤツだから、不幸を背負ってる今の状態を見かねた、ってところだろう。
とにかく、色よい返事に気をよくした泉は、放課後駐輪場集合、と再度メールを送信した。ちなみに、唯一電車通学の篠岡の為に、田島家に寄って自転車を借りるのは毎度のことなのでわざわざ書かない。前に2ケツしててケーサツに止められたので、それ以来田島姉の自転車を借りてるのだけど、あのスーパースター様は曲乗りで二台とも乗って帰ってくれるので、重宝することこの上ない。
よし、と小さく呟いた泉は、未だ悄然と項垂れる阿部に言った。
「貸し一回な。数学教えてくれりゃいいから」
――――と。
そして放課後、流れ作業の様に手際よく集合してカラオケに向かった面々は、カウンターで少しばかり待たされたものの、思ったよりもスムーズに二階の一室に通された。総勢11人の大所帯だから、通された部屋も広い。
「おおー、広い!」
部屋の広さにテンションが上がったらしい田島が、早速ソファに飛び乗って曲目をめくりだした。視力がやたらと良い田島は、リモコンで検索するよりも冊子で見た方が早いらしい。
その横で既に疲れた顔をした花井に、泉は烏龍茶を手渡しながら、この後も田島を頼むな、と言った。ここに来るまでにも、目を離すとすぐに居なくなる田島の手綱を引いて心身の疲労積もりに積もった花井だが、榛名が来たら田島が騒ぐこと請け合いなので、もう一苦労して貰う予定だ。げっそりした表情の花井を哀れに思いながらも、阿部の為だと思って、とその肩を叩く。
阿部と榛名のメールによると、6時頃に榛名がカラオケに来て、後からツレが来る、ということで部屋を取って入ってくるらしい。そこに、先に野球部で大部屋に入っていた阿部が行く、とまあ、そういう話だ。
榛名の方も、多少は人目を避けようとしてくれているらしいが、さてあの男に人目を忍ぶ行動なんて出来るものか、と首を捻ってしまう。帽子でも被ってくりゃ御の字だな、伊達眼鏡とまでは言わないから。
暫くして、阿部の携帯が鳴った。ちょうどカラオケに入ってから30分くらいで、巣山のコブクロ熱唱も佳境に入ったところだった。
阿部は右耳にケータイを宛て、左耳を塞いで何か喋っている。途切れ途切れに、203、だの、218だのという数字が聞こえて、218号室はこの部屋だから、榛名が居るのは203号室なんだな、と分かった。………いやだからといって榛名に会いたい訳じゃないけど、もしなんかあったら阿部を助けに行かないとな。
「んじゃ、行ってくる」
おー、頑張れよ。阿部の背中に声を掛けながら、泉はふとおかしな事に気が付いた。このカラオケの203号室は入ったことがある。6〜8人用の大きな部屋だったはずだ。なんだって榛名はそんな大きな部屋に入ったんだろうか。
――――そして、冒頭に戻る。
阿部が出て行ってから暫くして――と言っても、せいぜい1、2分程度だ――、突然ドアが開いて、ガタイの良いのが5人ほどなだれ込んできた。もちろん、店員の制服じゃない。
「218……。おー、ここだここだ!」
「おまえら、西浦高校?」
「おー、タジマじゃん!」
そう言って入ってきたのが、武蔵野第一のOBの人たち、だったらまだ良かったんだけど、そうじゃなくて、でも知ってる顔ばかりだった。
そう、初対面なのに知ってる顔、イコール、有名人。
「あ、あ…、ああぁー」
はす向かいの沖が口をあんぐり開けて奇声を発しているのを横目で見ながら、その実、泉自身も開いた口を閉じられないでいる。
つまり、榛名もカモフラージュに知り合いと何人かで来たのだ。まあ、榛名の知り合いと言えば、武蔵野第一OB以外は、当然プロ野球選手ってことになるんだろうけれど。
「そうかたくなるなよ。オレら、噂のタカヤを見ようと思って榛名についてきたんだけど」
「榛名に追い出されちまってさぁ」
「あ、オレらも歌っていい?」
榛名の知り合いなんだから、プロ野球選手、ってのも仕方ないとは思うんだけど、でも、ただの高校生がカラオケで同室してるって、なんかおかしくないか? 確実におかしいよな?
結構気さくな人たちみたいで、フツーに話しかけてくれるんだけど、オレたちとしたら正直それどころじゃない。
唯一、普段通りのマイペースで喋っている田島を除いて、オレたちはみんな一様に緊張で固まってしまっていた。
だって想像してみろ。去年の盗塁王に、「……で、あの二人実際のところどーなの?」 って聞かれるだなんて。なんて答えろってんだよ。
取り敢えず花井に目配せすると、うんと深く頷いて、速やかに田島の口を塞いでくれたのがせめてもの救いだった。
今までずっと、榛名がらみでは阿部に同情しっぱなしだったけど、今回ばかりは、むしろオレたちが同情して欲しかった。
現役高校生と現役プロ野球選手を詰め込んだカラオケボックスの一室は―――まさに異空間だった。
「おー、タジマじゃん!」
カラオケボックス特有の、うす暗い照明とチカチカする画面に照らされた室内は、まさに異空間と化していた。
11人で来たもんだからそれなりの大部屋に通されたのだけれど、今はその部屋がなんだか狭く感じてしまう。
……いやだって、明らかに定員オーバーだから。こんなガタイのいい人ばっかり入ってきたら。
もともと榛名と阿部の問題には巻き込まれ気味で、しかしそれに輪を掛けて阿部が不幸なもんだから同情していたにしうらーぜの皆さんは、その日は珍しく阿部に恨み言を言いたくなったという。
だって、こんな事態は予想もしていなかったのだから。
その日の朝、妙に丸まって小さくなった肩を見て、あれ? と思った。泉の記憶によると、そいつは寒い日でもピンと伸びた姿勢の良さが特徴的で、ちょっと見は野球じゃなくて剣道とかをやってそうにみえるのだ。
まあ実際、西浦高校二年生の正月行事、百人一首大会で正座してるのを見たときに、座り方が堂に入っててそれだけで強そうに見えたもんだった。実際には完全に理数系のコイツはけっして強くは無かったのだけれども。
そんな背中に、今日は全く覇気がない。これはまたなんかあったな、可哀相に……、と哀れをもよおして、泉は前を歩く背中に向かって声を掛けた。
「おーっす、阿部!」
―――こうして後ろから声を掛けたときの阿部の反応は、大きく分けると二通りある。
一つ、声を掛けたのが野球部の場合。さすがに三年目ともなると、声だけで誰か分かるからか、振り向かずに手を挙げたり、ちらっとちょっとだけ振り向いて、「おー」とお座なりな返事を返したりする。
二つ、それ以外の友人が声を掛けた場合。この時は、ちゃんと立ち止まって、振り向いて返事をする。それに、どんなに不機嫌な顔して歩いてても、振り向いたときには普通の顔になっている。
要するに、野球部に対してはいい加減な挨拶なのだ。腹を立てるべきか、それともここまで気を許して、と喜ぶべきなのか、微妙に判断に迷うところだった。
で、だ。その阿部が、声を掛けたら、ゆらぁ……って振り返って、「……泉か」なんて言って、ちょ、お前どーしたんだよなんか人魂みたいなの飛んでるぜ、って疲れ切った顔のぞき込んだら。
「…………榛名の阿呆が」
…………やっぱり榛名サンか。よしよし、なんだ何があった? オレが聞いてやるから、お前もうちょっと元気出せよ。
「……昨日の野球中継で」
…………またなんか言われたのか。お前ってホント………、いや、なんでもねぇ。
「……それで、今日会うことになって……、時間差でカラオケに」
一応、人目につかない様に考えてはくれたんだな、あの人。
つーか阿部、お前大丈夫かよ。オレは昨日の野球中継っての、アニキにチャンネル取られて観てねぇんだけど、また爆弾発言されたのか? ああ、思い出したくないなら話さなくてもいいから……。
しっかし、時間差でカラオケとは、ねぇ。個室だし、まあ良い考えなんだろーけど。でも、阿部が一人でうろついてたら、確実につけられるだろーな、メディアに。
………そんじゃ、ここはオレが一肌脱いでやりますか。
―――という訳で、さっそく野球部三年に同胞メールを送信した。内容は、こうだ。
『阿部が今日榛名と会う約束をさせられたらしい。時間差でカラオケ、とか言ってるけど、阿部一人だと怪しまれるから、オレらも一緒に行ったらカモフラージュになると思う。今日空いてるヤツ、付き合ってくれ』
そしたらすぐにみんなから返事が来て、なんとこの忙しい時期に、三年全員が来るって言ってきた。こりゃ、栄口じゃなくても『阿部は愛されてるねぇ』なんて言いたくもなる。
基本的に自分のことは自分で、の阿部だから、珍しく追いつめられてるときぐらい助けてやりたいのかね? まあ、普段が偉そうなヤツだから、不幸を背負ってる今の状態を見かねた、ってところだろう。
とにかく、色よい返事に気をよくした泉は、放課後駐輪場集合、と再度メールを送信した。ちなみに、唯一電車通学の篠岡の為に、田島家に寄って自転車を借りるのは毎度のことなのでわざわざ書かない。前に2ケツしててケーサツに止められたので、それ以来田島姉の自転車を借りてるのだけど、あのスーパースター様は曲乗りで二台とも乗って帰ってくれるので、重宝することこの上ない。
よし、と小さく呟いた泉は、未だ悄然と項垂れる阿部に言った。
「貸し一回な。数学教えてくれりゃいいから」
――――と。
そして放課後、流れ作業の様に手際よく集合してカラオケに向かった面々は、カウンターで少しばかり待たされたものの、思ったよりもスムーズに二階の一室に通された。総勢11人の大所帯だから、通された部屋も広い。
「おおー、広い!」
部屋の広さにテンションが上がったらしい田島が、早速ソファに飛び乗って曲目をめくりだした。視力がやたらと良い田島は、リモコンで検索するよりも冊子で見た方が早いらしい。
その横で既に疲れた顔をした花井に、泉は烏龍茶を手渡しながら、この後も田島を頼むな、と言った。ここに来るまでにも、目を離すとすぐに居なくなる田島の手綱を引いて心身の疲労積もりに積もった花井だが、榛名が来たら田島が騒ぐこと請け合いなので、もう一苦労して貰う予定だ。げっそりした表情の花井を哀れに思いながらも、阿部の為だと思って、とその肩を叩く。
阿部と榛名のメールによると、6時頃に榛名がカラオケに来て、後からツレが来る、ということで部屋を取って入ってくるらしい。そこに、先に野球部で大部屋に入っていた阿部が行く、とまあ、そういう話だ。
榛名の方も、多少は人目を避けようとしてくれているらしいが、さてあの男に人目を忍ぶ行動なんて出来るものか、と首を捻ってしまう。帽子でも被ってくりゃ御の字だな、伊達眼鏡とまでは言わないから。
暫くして、阿部の携帯が鳴った。ちょうどカラオケに入ってから30分くらいで、巣山のコブクロ熱唱も佳境に入ったところだった。
阿部は右耳にケータイを宛て、左耳を塞いで何か喋っている。途切れ途切れに、203、だの、218だのという数字が聞こえて、218号室はこの部屋だから、榛名が居るのは203号室なんだな、と分かった。………いやだからといって榛名に会いたい訳じゃないけど、もしなんかあったら阿部を助けに行かないとな。
「んじゃ、行ってくる」
おー、頑張れよ。阿部の背中に声を掛けながら、泉はふとおかしな事に気が付いた。このカラオケの203号室は入ったことがある。6〜8人用の大きな部屋だったはずだ。なんだって榛名はそんな大きな部屋に入ったんだろうか。
――――そして、冒頭に戻る。
阿部が出て行ってから暫くして――と言っても、せいぜい1、2分程度だ――、突然ドアが開いて、ガタイの良いのが5人ほどなだれ込んできた。もちろん、店員の制服じゃない。
「218……。おー、ここだここだ!」
「おまえら、西浦高校?」
「おー、タジマじゃん!」
そう言って入ってきたのが、武蔵野第一のOBの人たち、だったらまだ良かったんだけど、そうじゃなくて、でも知ってる顔ばかりだった。
そう、初対面なのに知ってる顔、イコール、有名人。
「あ、あ…、ああぁー」
はす向かいの沖が口をあんぐり開けて奇声を発しているのを横目で見ながら、その実、泉自身も開いた口を閉じられないでいる。
つまり、榛名もカモフラージュに知り合いと何人かで来たのだ。まあ、榛名の知り合いと言えば、武蔵野第一OB以外は、当然プロ野球選手ってことになるんだろうけれど。
「そうかたくなるなよ。オレら、噂のタカヤを見ようと思って榛名についてきたんだけど」
「榛名に追い出されちまってさぁ」
「あ、オレらも歌っていい?」
榛名の知り合いなんだから、プロ野球選手、ってのも仕方ないとは思うんだけど、でも、ただの高校生がカラオケで同室してるって、なんかおかしくないか? 確実におかしいよな?
結構気さくな人たちみたいで、フツーに話しかけてくれるんだけど、オレたちとしたら正直それどころじゃない。
唯一、普段通りのマイペースで喋っている田島を除いて、オレたちはみんな一様に緊張で固まってしまっていた。
だって想像してみろ。去年の盗塁王に、「……で、あの二人実際のところどーなの?」 って聞かれるだなんて。なんて答えろってんだよ。
取り敢えず花井に目配せすると、うんと深く頷いて、速やかに田島の口を塞いでくれたのがせめてもの救いだった。
今までずっと、榛名がらみでは阿部に同情しっぱなしだったけど、今回ばかりは、むしろオレたちが同情して欲しかった。
現役高校生と現役プロ野球選手を詰め込んだカラオケボックスの一室は―――まさに異空間だった。