テレビは電話じゃありません
ヴィィィィ、ヴィィィィ、ヴィッ……
携帯のバイブが机を小刻みに揺らしていた。放課後の教室は人気が無くて閑散としている分、その音が大きく響きわたる。
サブディスプレイをチカチカと点滅させながら震えるそれは―――ストラップの一つもついていないシンプルさ。間違いなく、阿部の携帯だった。
「ねー阿部、電話……」
「うっせぇ黙れ」
黙らせたいのは、果たして水谷なのか電話なのか。
水谷はノートの隅に意味もなく四角を書きながら、不機嫌絶頂の阿部をうかがった。うっかり進路が決まってしまって受験勉強の時間が浮いた阿部に、数学を教えて貰っていたのである。
―――余談であるが、水谷はテスト前に勉強を教えてくれる花井・阿部・栄口の中では、阿部に教わるのが一番好きだった。むろん阿部の教え方が一番恐ろしいのだが、恐ろしい分余計に頑張ってしまうので、勉強がはかどるのである。
まあそれは置いておいても、阿部はあれで結構教えるのが上手いので、水谷はここ数日の放課後は、阿部にマンツーマンで教えて貰っていたのだ。………その間に、なんど電話がかかってきたことか。
そして、そのたびにものすごく嫌そうな顔をして携帯を放り出す阿部。だったら、着信拒否でもすればいいのに、と思うけど、どうやら昔着信拒否をしてたとき、後で凄い騒ぎになったらしい。
なんとなくその騒ぎの様子が目に浮かぶ様で、水谷は同情を込めた視線を阿部に向けた。なんせ、榛名元希という人間の、その突飛な行動の一端は最近目撃したばかりだ。
水谷は、かなり長い間鳴り続けていた携帯をちらっとみて、阿部もやっかいなのに好かれてるよなぁ、と口の中で呟いた。
「―――ね、阿部」
「んだよ」
「オレ思うんだけど、ケータイ、ちゃんと出た方がいいんじゃないかなぁ」
「オレにあのアホの相手しろってのかよ」
「えーと、ちゃんと相手しろとかそーいうんじゃないんだけど、せめて電話に出るくらいはしないと……」
「……しないと?」
阿部の半眼が水谷に突き刺さる。ああ阿部ってば機嫌悪い、と嘆いてみても、水谷とて阿部の不機嫌の理由を知っているので、なんとも言いづらい。……むしろ、同情しているしなんとかしてやりたい、とも思っているのだ。
しかし、水谷としてはあの強烈な榛名元希と阿部の間に入る、なんてことは御免被りたいので、なんとか間接的な助力の方法を探すのに苦労していた。
その結果、阿部にアドバイスするだけならまあ大丈夫だろう、と言うところに落ち着いたのだが。
――水谷、眉を寄せた阿部に向かって言葉を繋げた。
「……しないと、榛名サン、またテレビ通じてなんか言うんじゃないかなぁ、って……」
「…………………………………」
水谷が、恐る恐るそう言った瞬間、阿部の表情が凍り付く様に固まった。……いや、凍り付く様に、というよりは、ビデオを一時停止したときに予定と違うコマで止まってしまったような、そんな不自然な形で固まってしまっている。
ああ、そこまで思いつかなかったんだな、と、水谷は意外な思いで阿部を見た。なんてったって、阿部は榛名サンのアレな行動に巻き込まれる率がダントツぶっちぎりの一位だ。だから、そろそろその行動もお見通しなのかと思いきや、だ。
………多分阿部は、一対一での行動なら慣れてるし予測も出来るのだ。でも、間に誰か(何か?)挟んでの行動には、イマイチ対応しきれない。
それに関しての水谷の見解は、あれで阿部は常識人だから、第三者を巻き込むってことは考えの外なんだろうな、というところである。
ジジッ…、と小さな音がして水谷が視線を巡らせると、教室前方、黒板の上のスピーカーから、少し音が割れたチャイムが鳴り響いた。
――あ、三年目にして新発見。水谷、なんだか嬉しい様な気持ちになる。
チャイムが鳴る直前に、スピーカーが小さく音を立てるだなんて、もう三年の秋になると言うのに初めて知った。なんせ、高校生の詰め込まれた教室がそんな小さな音を聞き分けられるくらい静かになることなんて、ほとんど無い。テスト中ですら、人の気配やシャーペンの芯が紙を引っかく音で聞こえないのだから。
朝一番に教室に来たら。それとも、今みたいに放課後遅くまで教室に残っていたら。そしたら聞けたかも知れない音。でも、野球に高校生活を捧げた、っていっても過言じゃないくらいに、野球ばっかりだったから、朝練が終わってから一時間目までの短い間も、終礼が終わってすぐに飛び出す教室も、なにもかも知らないままだった。
ふと感傷から立ち戻ると、阿部は未だ固まったままだった。
「阿部?」
水谷が声を掛けると、阿部は、ぎ、ぎ、ぎ、とコマ送りの様にぎこちない動きで、ゆっくりと携帯の方を向く。ゆっくり携帯を拾い上げて、油の足りないブリキのオモチャみたいな動作で振り向く。
微妙に震える指先で携帯を指して、水谷とディスプレイとを交互に見遣る阿部に、水谷は背中を押す様にうんと頷いてやった。
ピッ、ピッ、…………ピルルルルルルッ、…ピルルルルルルッ、…ピルルルルルルッ、……………
そしてしばらく。結局通話は繋がることなく、阿部は重々しい仕草で携帯を切った。
「榛名サン、出なかったの?」
「……今日先発のはずだから、今繋がらなかったらもう試合終わるまで出ないかも……」
「………………」
「……………………」
阿部が、ふう、と世を儚むような表情で顔を逸らした。諦めを多分に含んだその表情は、阿部には似合わないものだった。どちらかというと、田島に手を焼く花井の表情に近い。でも、どう考えても花井よりも現在の阿部の方が不幸に思えて、水谷は慰めの様な言葉を口にした。
「だ、大丈夫だって!今晩電話すればいいじゃん!」
「そ、そうだよな……」
―――しかし、そうは問屋が卸さないのが榛名元希の恐ろしいところだった。
その晩、好物の生クリームがたっぷり入ったシュークリームを食べている最中に、「あ、もしかして榛名サン今日の登板後のインタビューでなんか言っちゃうかも」と思いついた水谷が、ハラハラしながらテレビ中継を見守る中……
「――ありがとうございました。ところで、西浦高校の阿部選手との事ですが……」
「あ、タカヤ!? そーだ、てめ、ケータイ出ろよな!お前家に居んだろな?今日行くからな!」
あ、タカヤ!? の後、インタビュアーではなくカメラの方を向いた榛名は、全国放送の中継でまたしてもやらかした。興味津々のインタビュアーが、まだ何か訊きたそうにしているところを、コーチが引っぱって下がらせているのが見える。
「………阿部、大丈夫かな」
水谷の脳裡に、今日も田島家に寄宿しているはずの阿部の顔が浮かんだ。浮かんだ顔は、なんだか泣きそうになっている。水谷も、阿部の気持ちを思うと、可哀相で泣けてきそうだった。
取り敢えず。
テレビは電話代わりに使うもんじゃありませんよ、榛名サン。
余談だが、茶の間でしっかり中継を観てしまった阿部は、半泣きに(むしろ完全に泣いていたかもしれない)なりながら、「すんませんオレ今家にいないんですホントに勘弁してください」と榛名に電話して、結局近いうちに会う約束を取り付けられてしまったらしい。
携帯のバイブが机を小刻みに揺らしていた。放課後の教室は人気が無くて閑散としている分、その音が大きく響きわたる。
サブディスプレイをチカチカと点滅させながら震えるそれは―――ストラップの一つもついていないシンプルさ。間違いなく、阿部の携帯だった。
「ねー阿部、電話……」
「うっせぇ黙れ」
黙らせたいのは、果たして水谷なのか電話なのか。
水谷はノートの隅に意味もなく四角を書きながら、不機嫌絶頂の阿部をうかがった。うっかり進路が決まってしまって受験勉強の時間が浮いた阿部に、数学を教えて貰っていたのである。
―――余談であるが、水谷はテスト前に勉強を教えてくれる花井・阿部・栄口の中では、阿部に教わるのが一番好きだった。むろん阿部の教え方が一番恐ろしいのだが、恐ろしい分余計に頑張ってしまうので、勉強がはかどるのである。
まあそれは置いておいても、阿部はあれで結構教えるのが上手いので、水谷はここ数日の放課後は、阿部にマンツーマンで教えて貰っていたのだ。………その間に、なんど電話がかかってきたことか。
そして、そのたびにものすごく嫌そうな顔をして携帯を放り出す阿部。だったら、着信拒否でもすればいいのに、と思うけど、どうやら昔着信拒否をしてたとき、後で凄い騒ぎになったらしい。
なんとなくその騒ぎの様子が目に浮かぶ様で、水谷は同情を込めた視線を阿部に向けた。なんせ、榛名元希という人間の、その突飛な行動の一端は最近目撃したばかりだ。
水谷は、かなり長い間鳴り続けていた携帯をちらっとみて、阿部もやっかいなのに好かれてるよなぁ、と口の中で呟いた。
「―――ね、阿部」
「んだよ」
「オレ思うんだけど、ケータイ、ちゃんと出た方がいいんじゃないかなぁ」
「オレにあのアホの相手しろってのかよ」
「えーと、ちゃんと相手しろとかそーいうんじゃないんだけど、せめて電話に出るくらいはしないと……」
「……しないと?」
阿部の半眼が水谷に突き刺さる。ああ阿部ってば機嫌悪い、と嘆いてみても、水谷とて阿部の不機嫌の理由を知っているので、なんとも言いづらい。……むしろ、同情しているしなんとかしてやりたい、とも思っているのだ。
しかし、水谷としてはあの強烈な榛名元希と阿部の間に入る、なんてことは御免被りたいので、なんとか間接的な助力の方法を探すのに苦労していた。
その結果、阿部にアドバイスするだけならまあ大丈夫だろう、と言うところに落ち着いたのだが。
――水谷、眉を寄せた阿部に向かって言葉を繋げた。
「……しないと、榛名サン、またテレビ通じてなんか言うんじゃないかなぁ、って……」
「…………………………………」
水谷が、恐る恐るそう言った瞬間、阿部の表情が凍り付く様に固まった。……いや、凍り付く様に、というよりは、ビデオを一時停止したときに予定と違うコマで止まってしまったような、そんな不自然な形で固まってしまっている。
ああ、そこまで思いつかなかったんだな、と、水谷は意外な思いで阿部を見た。なんてったって、阿部は榛名サンのアレな行動に巻き込まれる率がダントツぶっちぎりの一位だ。だから、そろそろその行動もお見通しなのかと思いきや、だ。
………多分阿部は、一対一での行動なら慣れてるし予測も出来るのだ。でも、間に誰か(何か?)挟んでの行動には、イマイチ対応しきれない。
それに関しての水谷の見解は、あれで阿部は常識人だから、第三者を巻き込むってことは考えの外なんだろうな、というところである。
ジジッ…、と小さな音がして水谷が視線を巡らせると、教室前方、黒板の上のスピーカーから、少し音が割れたチャイムが鳴り響いた。
――あ、三年目にして新発見。水谷、なんだか嬉しい様な気持ちになる。
チャイムが鳴る直前に、スピーカーが小さく音を立てるだなんて、もう三年の秋になると言うのに初めて知った。なんせ、高校生の詰め込まれた教室がそんな小さな音を聞き分けられるくらい静かになることなんて、ほとんど無い。テスト中ですら、人の気配やシャーペンの芯が紙を引っかく音で聞こえないのだから。
朝一番に教室に来たら。それとも、今みたいに放課後遅くまで教室に残っていたら。そしたら聞けたかも知れない音。でも、野球に高校生活を捧げた、っていっても過言じゃないくらいに、野球ばっかりだったから、朝練が終わってから一時間目までの短い間も、終礼が終わってすぐに飛び出す教室も、なにもかも知らないままだった。
ふと感傷から立ち戻ると、阿部は未だ固まったままだった。
「阿部?」
水谷が声を掛けると、阿部は、ぎ、ぎ、ぎ、とコマ送りの様にぎこちない動きで、ゆっくりと携帯の方を向く。ゆっくり携帯を拾い上げて、油の足りないブリキのオモチャみたいな動作で振り向く。
微妙に震える指先で携帯を指して、水谷とディスプレイとを交互に見遣る阿部に、水谷は背中を押す様にうんと頷いてやった。
ピッ、ピッ、…………ピルルルルルルッ、…ピルルルルルルッ、…ピルルルルルルッ、……………
そしてしばらく。結局通話は繋がることなく、阿部は重々しい仕草で携帯を切った。
「榛名サン、出なかったの?」
「……今日先発のはずだから、今繋がらなかったらもう試合終わるまで出ないかも……」
「………………」
「……………………」
阿部が、ふう、と世を儚むような表情で顔を逸らした。諦めを多分に含んだその表情は、阿部には似合わないものだった。どちらかというと、田島に手を焼く花井の表情に近い。でも、どう考えても花井よりも現在の阿部の方が不幸に思えて、水谷は慰めの様な言葉を口にした。
「だ、大丈夫だって!今晩電話すればいいじゃん!」
「そ、そうだよな……」
―――しかし、そうは問屋が卸さないのが榛名元希の恐ろしいところだった。
その晩、好物の生クリームがたっぷり入ったシュークリームを食べている最中に、「あ、もしかして榛名サン今日の登板後のインタビューでなんか言っちゃうかも」と思いついた水谷が、ハラハラしながらテレビ中継を見守る中……
「――ありがとうございました。ところで、西浦高校の阿部選手との事ですが……」
「あ、タカヤ!? そーだ、てめ、ケータイ出ろよな!お前家に居んだろな?今日行くからな!」
あ、タカヤ!? の後、インタビュアーではなくカメラの方を向いた榛名は、全国放送の中継でまたしてもやらかした。興味津々のインタビュアーが、まだ何か訊きたそうにしているところを、コーチが引っぱって下がらせているのが見える。
「………阿部、大丈夫かな」
水谷の脳裡に、今日も田島家に寄宿しているはずの阿部の顔が浮かんだ。浮かんだ顔は、なんだか泣きそうになっている。水谷も、阿部の気持ちを思うと、可哀相で泣けてきそうだった。
取り敢えず。
テレビは電話代わりに使うもんじゃありませんよ、榛名サン。
余談だが、茶の間でしっかり中継を観てしまった阿部は、半泣きに(むしろ完全に泣いていたかもしれない)なりながら、「すんませんオレ今家にいないんですホントに勘弁してください」と榛名に電話して、結局近いうちに会う約束を取り付けられてしまったらしい。