素直に喜ぶには驚きが大きすぎる
阿部の体が宙に舞った。
茫然自失、というのが相応しい状態の阿部は、首を傾げたままで担ぎ上げられて、首を傾げたままで中空に放り投げられている。普段なら胴上げなど断りそうな(もっと言えば、逃げそうな)阿部だが、未だ衝撃冷めやらぬ、という事だろうか。誰もが驚く身も蓋もないリアリストのくせに、珍しい。
そして、固まったままで放り上げられた阿部は、またタイミングの悪いことに、放物線の頂点で我に返り、「うおわぁ!?」とよく分からない奇声を発して体をよじり、頭から下の人垣に突っ込んで数人を巻き添えに着地した。もちろん巻き込まれたのは、阿部と関わると途端に不幸に遭遇する哀れなフミキを筆頭に、花井など苦労性の面々である。まあ、怪我はなかったので誰も心配しないのだが。
ちなみに、着地(失敗)した阿部の第一声は、「この馬鹿、三橋が怪我したらどうするんだ!」だったことを追記しておく。我に返った第一声がそれかよ、と感激している三橋以外の誰もが思ったらしい。
さて、ようやく一応の落ち着きを取り戻してみると、どうして突然阿部が指名されたのか、ということに疑問が残る。田島が指名されるのは、本人も周囲も予想済み、というか、そういう前情報(進学かプロ入りかの打診?)があったので分かっていて、後は発表を待つのみ、だったのだが、阿部に関しては完全にノーマークだったので、どうしても喜びよりも驚きが勝ってしまう。予想外すぎて、白い犬と黒人のCMが脳裡に浮かんでしまうほどに、だ。
そもそも阿部自身も、まったく聞いていなかった様子で、むしろ誰よりも驚きが大きかった。阿部の進路は、誘いの来ていた強豪大学に普通に試験を受けて入る、というなかなか面白いアレだった。何でも、「オレはセンターと二次でちゃんと合格できそうだから、その分の枠で別の選手取って戦力補強してください」との事だそうだ。角か立つたと思いきや、そう言う阿部の指導者的な視点を買って推薦の話を持ってきた大学だったので、さすが、と逆に感心されたとのことである。
そんな訳で、現役引退後、ちゃくちゃくと進学の準備を進めていた阿部だったのだが、この期に及んで意外なところから予想外のお誘いがかかってしまったのである。
その後しばらく、阿部自身は、肩を叩かれたり揺さぶられたりと周囲の喜びにもみくちゃにされていたが、イマイチ実感が湧かないので、喜ぶに喜べない、という状態だった。途中、壇上の田島が助走付で阿部の上に飛び降りてくる、という一幕があって、またしても三橋が怪我したら、と怒ったのだが、当の三橋は、「おめっ、お、おめっ!」とどもりながら精一杯の喜びを表現しようとしてくれている。結局のところ、一番マイペースなのは三橋だよな、と見ていた浜田が泉に言った。
数分後、事務室から初老の用務員が内線で講堂に連絡を入れてきたことによって、ようやく阿部指名の謎が解き明かされることとなった。……何のことはない、球団側から学校に電話があったのだ。曰く、阿部君と直接話したい、と。
はぁ、といつもに比べれば格段に歯切れも悪く頷いた阿部は、取り敢えず事務室に行って来る、と言った。講堂の扉の方を振り向くと、人垣が綺麗に2つに分かれていて、花道の様になっている。田島が、教科書のあれみたい!と言っているが、あれ、の固有名詞は思い出せないらしい。モーゼだろ、と花井が律儀に突っ込んでいた。
「――はい、阿部です。……はい。………はい。…………――大学の方から推薦の話を頂いているので、すぐに返答しかねるのですが……。………はい。あ、ちょっと待ってください………、どうぞ。………はい、分かり次第連絡します。………はい、失礼します」
カチャ。受話器が置かれた。ふぅ、と阿部が息をつくと、同時に後ろからも息をつく音が聞こえる。しかも、複数である。ん?と阿部が振り向くと、そこには野球部三年、つまりお決まりのメンバーが勢揃いしていた。
「ついてきてたのかよ」
「うん。で、どーだった?」
「いや、それがな……」
阿部を指名した球団は、どうやら阿部の頭を高く買っているらしい。……というか、監督が捕手出身で、阿部の性格悪すぎる配球をいたく気に入ったのが原因だったようだ。
阿部自身は捕手としては小柄で、肩も飛び抜けていいわけではないが、身軽な分動作が速かった。盗塁を刺すスローイングのモーションが速いので肩を補えている。
それに、なぜか得点に絡む確率が高かく、本塁生還率は堂々の西浦トップだ。足も選手の平均よりは速いが、といった程度なのに、リードも巧みにバッテリーの心理を揺さぶってくるので、出塁されると物凄く嫌なランナーなのである。阿部自身がマスクを被っているときに、彼自身の様なランナーが出塁していれば、盛大に舌打ちして三橋をびびらせること請け合いである。
要するに、阿部隆也という選手は、基本的な能力は平均より上だが決して飛び抜けてはいない。しかし、ただ一つ突出している捕手としての頭脳を、打撃や走塁にも生かすことによって能力以上の力を発揮する、という、異色の野球選手なのである。
で、球団としては、5年ぐらいを目途に使い物になってくれればいいなぁ。しかし、取り敢えず打者や投手の分析にはすぐにでも参加してね、ということでの指名だったようだ。
―――というような内容を、阿部は説明した。指名の決め手が、打率でも長打力でも強肩でもなく頭だった事に、一抹どころか二抹三抹もの違和感を禁じ得ない。阿部が指名されたのって、プロ野球だよな。大学とか研究機関とか、そういう所じゃないよな。……そういう違和感である。
「あー、なるほど。……んで、お前どーすんの」
「取り敢えず、志望校の野球部監督に電話してみる……」
そして、阿部が一般受験で入学するからと推薦枠に入っていなかったことと、突然の指名でむしろ被害者(?)は阿部の方であると分かっているので、大学側には、残念がられたが意外と角が立たずにプロ入りを承認されてしまった。
「……こんなんでいいのかよ」
――とは、阿部本人の弁だが。
斯くして、頭の良さでプロ入り、という異色のプロ野球選手・阿部隆也は誕生したのだった。
茫然自失、というのが相応しい状態の阿部は、首を傾げたままで担ぎ上げられて、首を傾げたままで中空に放り投げられている。普段なら胴上げなど断りそうな(もっと言えば、逃げそうな)阿部だが、未だ衝撃冷めやらぬ、という事だろうか。誰もが驚く身も蓋もないリアリストのくせに、珍しい。
そして、固まったままで放り上げられた阿部は、またタイミングの悪いことに、放物線の頂点で我に返り、「うおわぁ!?」とよく分からない奇声を発して体をよじり、頭から下の人垣に突っ込んで数人を巻き添えに着地した。もちろん巻き込まれたのは、阿部と関わると途端に不幸に遭遇する哀れなフミキを筆頭に、花井など苦労性の面々である。まあ、怪我はなかったので誰も心配しないのだが。
ちなみに、着地(失敗)した阿部の第一声は、「この馬鹿、三橋が怪我したらどうするんだ!」だったことを追記しておく。我に返った第一声がそれかよ、と感激している三橋以外の誰もが思ったらしい。
さて、ようやく一応の落ち着きを取り戻してみると、どうして突然阿部が指名されたのか、ということに疑問が残る。田島が指名されるのは、本人も周囲も予想済み、というか、そういう前情報(進学かプロ入りかの打診?)があったので分かっていて、後は発表を待つのみ、だったのだが、阿部に関しては完全にノーマークだったので、どうしても喜びよりも驚きが勝ってしまう。予想外すぎて、白い犬と黒人のCMが脳裡に浮かんでしまうほどに、だ。
そもそも阿部自身も、まったく聞いていなかった様子で、むしろ誰よりも驚きが大きかった。阿部の進路は、誘いの来ていた強豪大学に普通に試験を受けて入る、というなかなか面白いアレだった。何でも、「オレはセンターと二次でちゃんと合格できそうだから、その分の枠で別の選手取って戦力補強してください」との事だそうだ。角か立つたと思いきや、そう言う阿部の指導者的な視点を買って推薦の話を持ってきた大学だったので、さすが、と逆に感心されたとのことである。
そんな訳で、現役引退後、ちゃくちゃくと進学の準備を進めていた阿部だったのだが、この期に及んで意外なところから予想外のお誘いがかかってしまったのである。
その後しばらく、阿部自身は、肩を叩かれたり揺さぶられたりと周囲の喜びにもみくちゃにされていたが、イマイチ実感が湧かないので、喜ぶに喜べない、という状態だった。途中、壇上の田島が助走付で阿部の上に飛び降りてくる、という一幕があって、またしても三橋が怪我したら、と怒ったのだが、当の三橋は、「おめっ、お、おめっ!」とどもりながら精一杯の喜びを表現しようとしてくれている。結局のところ、一番マイペースなのは三橋だよな、と見ていた浜田が泉に言った。
数分後、事務室から初老の用務員が内線で講堂に連絡を入れてきたことによって、ようやく阿部指名の謎が解き明かされることとなった。……何のことはない、球団側から学校に電話があったのだ。曰く、阿部君と直接話したい、と。
はぁ、といつもに比べれば格段に歯切れも悪く頷いた阿部は、取り敢えず事務室に行って来る、と言った。講堂の扉の方を振り向くと、人垣が綺麗に2つに分かれていて、花道の様になっている。田島が、教科書のあれみたい!と言っているが、あれ、の固有名詞は思い出せないらしい。モーゼだろ、と花井が律儀に突っ込んでいた。
「――はい、阿部です。……はい。………はい。…………――大学の方から推薦の話を頂いているので、すぐに返答しかねるのですが……。………はい。あ、ちょっと待ってください………、どうぞ。………はい、分かり次第連絡します。………はい、失礼します」
カチャ。受話器が置かれた。ふぅ、と阿部が息をつくと、同時に後ろからも息をつく音が聞こえる。しかも、複数である。ん?と阿部が振り向くと、そこには野球部三年、つまりお決まりのメンバーが勢揃いしていた。
「ついてきてたのかよ」
「うん。で、どーだった?」
「いや、それがな……」
阿部を指名した球団は、どうやら阿部の頭を高く買っているらしい。……というか、監督が捕手出身で、阿部の性格悪すぎる配球をいたく気に入ったのが原因だったようだ。
阿部自身は捕手としては小柄で、肩も飛び抜けていいわけではないが、身軽な分動作が速かった。盗塁を刺すスローイングのモーションが速いので肩を補えている。
それに、なぜか得点に絡む確率が高かく、本塁生還率は堂々の西浦トップだ。足も選手の平均よりは速いが、といった程度なのに、リードも巧みにバッテリーの心理を揺さぶってくるので、出塁されると物凄く嫌なランナーなのである。阿部自身がマスクを被っているときに、彼自身の様なランナーが出塁していれば、盛大に舌打ちして三橋をびびらせること請け合いである。
要するに、阿部隆也という選手は、基本的な能力は平均より上だが決して飛び抜けてはいない。しかし、ただ一つ突出している捕手としての頭脳を、打撃や走塁にも生かすことによって能力以上の力を発揮する、という、異色の野球選手なのである。
で、球団としては、5年ぐらいを目途に使い物になってくれればいいなぁ。しかし、取り敢えず打者や投手の分析にはすぐにでも参加してね、ということでの指名だったようだ。
―――というような内容を、阿部は説明した。指名の決め手が、打率でも長打力でも強肩でもなく頭だった事に、一抹どころか二抹三抹もの違和感を禁じ得ない。阿部が指名されたのって、プロ野球だよな。大学とか研究機関とか、そういう所じゃないよな。……そういう違和感である。
「あー、なるほど。……んで、お前どーすんの」
「取り敢えず、志望校の野球部監督に電話してみる……」
そして、阿部が一般受験で入学するからと推薦枠に入っていなかったことと、突然の指名でむしろ被害者(?)は阿部の方であると分かっているので、大学側には、残念がられたが意外と角が立たずにプロ入りを承認されてしまった。
「……こんなんでいいのかよ」
――とは、阿部本人の弁だが。
斯くして、頭の良さでプロ入り、という異色のプロ野球選手・阿部隆也は誕生したのだった。