意表をついたドラフト中継





 その日、埼玉県立西浦高校は、全校生徒及び全教職員が固唾を呑んでその瞬間を待ちかまえていた。今か今かと、待ちかまえていた。
 正確には、全校生徒+全教職員−約1名なのだが、とにかく、学校始まって以来の快挙の瞬間を待ちこがれていた。

 ―――長閑な田園の中に建つ西浦高校は、とにかく敷地が広い。グラウンドも広いし、校舎もでかい。でかすぎて移動に時間がかかるほどだ。その西浦高校の、やはり大きな(しかし老朽化の進んだ)体育館兼大講堂に、全学うち揃って、スクリーンに映された中継画面を食い入る様に見ている。
 ………授業はどうした、西浦高校。

 しかし、そこそこの進学校であるかわりにコレと言って特徴のない公立校の西浦にとっては、まさに開校以来の出来事なのだ。


『―――埼玉県立西浦高校、田島悠一郎選手!』


 そう、最大音量で音の割れたスピーカーから流れ出したとき、講堂は狂喜に包まれた。うわぁ、と大波みたいにみんな立ち上がって、口々に喜びを叫ぶ。中でも、最前列に陣取った集団の喜びようと言ったら、もしその田島が校内模試で1番になったとしてもここまでは、というほどのものだった。
 最前列の集団は、同校所属の硬式野球部。そして、たったいま名を読み上げられた田島は、その野球部を引退したばかりの、つい先の夏まで4番でサードの選手だった。
 なんて誇らしい!田島が、プロ野球選手としての未来を確立した瞬間だった。この、名前を読み上げられる、ということの価値を、高校球児なら誰もが知っているだろう。つまり、ドラフトで指名されるということの意味を。

「おめでとう、田島!」
「やったな!」
「お、おめでっ、と!」

 口々の祝福。田島を中心に、十重二十重の人垣が出来ている。凄い凄いと、隣にいる者と肩をたたきあって、みんな我が事の様に喜んでいた。田島の人徳のなせるわざだろうか。
 もみくちゃにされていた田島が、不意に宙に舞った。高三になっても小柄な体は、腕力抜群の野球部員達によって、どこのサーカスですか、というぐらい高くに放り上げられる。胴上げと言うには少々やりすぎだが、何よりやりすぎなのは器用に空中で一回転してみせる田島の方だろう。……本当に、どこのサーカスですか、だ。

 ひとしきり喜び合って、割れる様な歓声が収まった頃に、壇上の教頭が、田島になにかしゃべれ、と促した。はいはーい!と田島が軽やかに壇上に飛び上がる。その動きにすら、歓声が上がる。
 マイクを手渡され、田島が脳天気にも考えなしに口を開こうとした、その瞬間―――


『埼玉県立西浦高校、阿部隆也選手!』


―――スクリーンのドラフト中継は、田島の指名の後は誰も注視する者が無く、ただ映像と音声を垂れ流しているだけだった。そも、われるような歓声に、さしもの最大音量も太刀打ちできず、音声など無いも同然、全く聞こえなかったのだ。それが、田島が壇上に上がり話そうとしたことで、講堂が静かになったことによって、また音が聞き取れる様になった。これから田島が話すのだから、と気付いた教員が、慌てて音声をマイクに切り替えようと操作盤に走り寄る。阿部の名前が読み上げられたのは、まさにその瞬間だった―――

 つい先ほど、田島が指名された時の大騒ぎとうって変わって、講堂は沈黙に包まれた。今しも喋ろうとしていた田島の為に、多くの者が拍手を送ろうと、手を胸元で構えたまま、ポカンと口を開けて馬鹿の様に呆けていた。映画やドラマでなく、実際にこの様に大人数が一様に凍り付く場面など有ると思っても見なかったが、驚きが過ぎると、人はみな反応できないものらしい。
 
 数瞬後、最初に立ち戻ったのは、壇上の田島だった。

『おめでとー!やったな、阿部!!』

 握りしめたマイクも今まさに喋ろうとしていたそのままに、大声で賛辞を送る。もともと声がでかい田島のマイクを通した大音量は、講堂の壁に反響して、ビリビリと窓ガラスを揺らした。

「…………………へ?」

 阿部が、大きなタレ目をいっぱいに見開いたままで、何が起こったのか分からない、といった様子で小さく首を傾げた。普段のキビキビした動作に反して、妙に幼くて可愛らしいと言えなくもない。
 その阿部が、ぎぎぎ、と音がしそうに軋んだ動作で、ゆっくりと周囲の野球部員達をみる。全員―――やはり同学年で固まっていたので、三橋や花井や栄口や……といった面々だった―――口が開きっぱなしで間抜けなことこの上ない顔だった。壇上の田島だけが、いち早く現実に立ち戻って全身で喜びを表現している。

「えーと、なんだっけ。……あぁそうだ、田島が指名されたんだったよな。今日は祝賀会だな」

 阿部が言った。

「……つーか、いま阿部も指名されなかった………?」

 ぽつり、花井が独り言の様に呟く。みんな、自信なさげに頷いた。え、なんで……?という阿部の呟きが、静かな講堂に意外なほど大きく聞こえた。

 ……………………………。

 …………………………………………………………。

「……ぃ」
「い?」

「ぃやったじゃん阿部っ!!」

 そして、二度、講堂は歓声で爆発した。