合宿も二日目の夜ともなると、筋肉痛で歩くと体がギシギシいって痛くなる。しかし、日を通しての、内容の濃い練習は、疲労と供に満足を感じさせてくれる。
ペタペタと裸足の足音を立てて、微妙にギクシャクとした歩き方で廊下を歩くのは、戸田北シニアの二年、阿部隆也だ。筋肉痛が体全体にきていて、歩き方がぎこちなくなっている。決して普段が運動不足なわけではないのだが、合宿になると力が入るのか、どうしても筋肉痛になってしまうのだ。
ペタペタ、ペタペタ、薄暗い廊下に足音が続く。部屋割は、手前から一年、二年、三年、と学年分けされていて、隆也は二年であるから、当然2番目の部屋に割り振られている。しかし彼は、このとき二つ目の戸を通りすぎ、ノックを二回、一番奥の三年の部屋の戸を開けた。
「っつれーします、元希さん・・・・・・っと、あれ?」
カラリ、と軽い音がして、木枠に磨りガラスの入った引き戸が開く。グラウンド近くのこの宿舎は、古いが手入れは行き届いた民宿で、畳の香りのする和室にはすでに布団がのべられていた。そしてその上に、めいめいに座り、又は寝ころんでいる三年生達。しかし、肝心の元希の姿は見当たらない。
「元希さん、どこ行ったんですか?」
きょろきょろと見回すまでもなく、元希がいない事は分かる。十六畳の和室は、遮るものがない為に戸口から一望する事が出来た。
「よー、隆也。元希なら、そこにいるぜ」
そう言ったのは、ショートを守る三年生。白い敷布に寝ころんだまま、顔だけ上げて部屋の右隅を指し示した。
「え、どこですか?」
言われて隆也は示された方向に顔を向ける。しかし、そこには片寄せられたドラムバッグや洗濯されたユニフォームが積み上げてあるばかりだ。
「いや、そこじゃなくて、押入」
「は?」
遡る事三〇分ほど前。3つ並んだ和室の一番奥、三年生の部屋では、三年総出で布団を敷く作業が行われていた。普通なら仲居さんが敷いてくれたりするものなのだが、合宿で団体引きを利用している為に、布団敷きや食器の返却、部屋の掃除等はセルフサービスとなっているのだ。朝に敷き布団も掛け布団も一緒くたにして三つ折りにしておいたのを、引っ張って元に戻して、申しわけ程度に剥がれかけたシーツを敷き込み直す。十六畳の部屋は、10人分の布団によって瞬く間に畳の枯葉色からシーツの真っ白い色へと変化した。
さて、敷かれた布団にダイブして、疲れた体に心地よいシーツの感触を味わう三年生の中に、一人しかめっ面の男がいた。彼の名は榛名元希。戸田北シニアでエースナンバーを背負う投手である。彼の左手から放たれる速球は、嘘みたいにきれいで、それでいて激しくコントロールに難があった。早いわ痛いわノーコンだわで、とてつもなく捕球するのが困難な元希の球を、ちゃんと受ける事が出来るのは二年の阿部隆也だけだったので、今はこの2人がバッテリーとして戸田北を支えている。
そして、元希の困難さはその球を捕る事だけではなかった。彼は、少々オレ様な性格で、野球以外には極めていい加減だが、自分のものを他人に触られたくないという神経質さも併せ持っていた。それ故、滅多な事では友人を家に招いたりはしないし、一人部屋なので誰かと同じ部屋で眠る、という事もなかった。それが、今回のような合宿である。雑魚寝とまではいかないが、当然布団は隣り合い、たくさんの他人寝気配の中で眠る事となる。つまり元希は、
「昨日は眠れなかった・・・・・」
―という悩みを抱えているのだった。どうも、人の気配がする中では眠りにくい。そのため、元希は前の夜、いびきやら寝言やらが聞こえる中で、何度も寝返りを打って眠れない夜を過ごしていた。夜半過ぎ、漸く寝付いたが眠りは浅かったらしく、朝方も疲れが残っていて辟易したらしい。
その、前日の経験を元に、本日の元希は布団を敷く際に少々の考えがあった。すなわち、
「オレ、押入に布団敷いて寝るわ」
―という案である。元々入っていた布団をすべて出された押入は、ちょうど布団一枚をしけるほどのスペースがあり、なおかつ襖を閉めれば部屋とは隔絶した小さな部屋のようになる。なるほど、人の気配が眠りをさまたげるというのならば、これには効果があるかもしれない。お前はドラえもんか、と言われつつも前日自分が使った布団を、おもむろに押入の上の段に敷き、そうしてそれによじ登って、寝ころんだ。
「どう?」
「けっこう快適!」
上機嫌で襖を閉めた元希は、今夜こそはぐっすり眠れそうだと、布団を被って目を閉じたのだった。
「・・・・・・つーわけで、元希は押入ん中に布団敷いて寝てるんだよ」
かくかくしかじか、と事情を説明されて、はぁ・・・、としか返事の出来ない隆也。普段はあんなに大雑把なのに、変なところで神経質なんだから、とため息をついた。そもそも隆也は、元希と打ち合わせる事があって三年生の部屋に来たのだ。そして隆也が来る事は、夕食後のミーティング時に伝えてあったので、元希も知っているはずだ。なのにそんなわかりにくい場所で寝ているとは、なんとしたコトか!隆也は勢いよく押入の襖を開けた。肝心の元希は、・・・・・・大口をあけて、至極気持ちよさそうに眠っていた。
(・・・・・・文句のひとつも言ってやろうと思ってたのに、こんな顔して寝てたら起こしにくいなぁ)
それほどまでに、満足そうな顔で眠っている元希。隆也は、打ち合わせは明日の朝一にして、今日はこのまま寝かせといてあげようかと、しばし逡巡した。
・・・・・・と、かすかなうなり声をあげて、元希がうっすらと目を開いた。
「まぶし・・・・・・」
「あ、すいません、眩しかったですか」
「・・・タカヤ・・・・・?」
目元をコシコシとこすって、眇めた黒い目が隆也を捉えた。寝ぼけているらしく、普段から頭の良さそうなしゃべり方をしない元希が、いっそう舌足らずに思える。
「・・・どったの、タカヤ」
「ミーティングん時に言ってたヤツなんですけど、元希さん眠そうだから・・・」
言われるまでもなく元希は眠かった。確かに眠かったのだが、彼が明日の練習について隆也と話しておきたい事があったのも事実だった。元希の動きの鈍い頭が、部屋の灯りを遮るようにして立つ隆也を捉えた。
(タカヤが居て、でもオレは眠いし、部屋は眩しいし・・・・・・)
カシャ、カシャ、チーン、とひらめく妙案。
(タカヤも押入に入りゃいいじゃん)
しかし、一方の隆也は、そんな元希の考えの推移を把握していなかった。 阿部隆也という少年は、基本的には長子気質で世話好きだったので、このときも元希のはだけた掛け布団をなおしてやりながら、話は明日の朝でイイですよ、オヤスミなさい、なんて言おうとしていた。しかししかし。グイッと引っ張られる腕、寝ころんだままで、隆也よりも視線の低くなった元希が、寝ぼけてかすれた声でこう言う。
「こっちこいよ」
「え?」
瞬間、言われた意味が理解できなくて聞き返した隆也を、元希は押入の上の段に引っ張り上げた。そして、?を浮かべる隆也を余所に、ピシャリと閉められた襖。
「・・・・・・な、あれ、ほっといていいんかな・・・・・・?」
後に残されたのは、閉められた襖を心配そうに眺める三年生達だった。
押入の中、といえば、所謂ところのドラえもんの住処であるが、ホントにそこに布団敷いて寝る人がいるとは思わなかった、と言うのが隆也の正直な感想である。
元希に引っ張り込まれた押入の中は、暗くて何も見えない上に狭く、座ると天井(?)に頭が付いてしまう、どうにも居心地の悪い空間だった。いや、一人で寝ころぶ分にはそれなりに居心地はいいのかもしれない。閉所恐怖症でも暗所恐怖症ではない隆也は、慣れれば意外と心地いいのかもしれないと思った。
しかし、問題は元希である。この狭苦しい空間に一緒にいるのだ。うっかり左腕を踏んだりしてしまわないか。隆也はそれが心配だった。
「元希さん、なんでオレまで押入の中に入ってんですか」
「明日の練習のことで打ち合わせとく事あっただろ」
「そーですけど、でも元希さん眠いんでしょ?」
ふあ、とアクビをした元希に、隆也が言う。
「眠ぃのは眠ぃけど、明日のコト話とかないと・・・」
「そりゃそうですけど、でもなんでオレまで押入に入ってんですか」
「だって出るのめんどいし」
それに、眩しいじゃん、と元希が言う。つまり、つまりは。
元希と隆也は話す事があったが、すでに押入で寝る体勢の元希は押入から出るのがイヤだった。なおかつ、押入の襖を開けたままで話していると、暗さに慣れた目が眩しい。これらの問題を一挙に解決する妙案が、「こっちこいよ」だったワケである。
しかし、そんな思考の推移は、あくまで元希の頭の中だけの事なので、隆也には分からない。押入に引っ張り込まれたはいいが、真っ暗で動く事も出来ないし、元希は吃驚するぐらい至近距離に寝ころんでいるしで、どうして良いか分からない。しかし、取り敢えず、
(こんな細長い空間じゃ、座ってたら場所取るから、オレも寝ころんだ方がいいのかな。いやでも、それはそれで微妙・・・・)
「タカヤー、膝当たってジャマ。お前も寝ころべよ」
「・・・・・・はい」
そんなわけで、押入の中、狭い空間に、二人して寝ころんで話す事になってしまった。
「午後にシートやるって言ってたから、投げ込むんならそれまでスよ」
うつ伏せに寝ころんで、組んだ腕の上にアゴを載せて、隆也は隣の投手に言った。4泊5日の合宿は、初日は半日でキャッチボールを中心に基礎練を、二日目は守備練中心で、3日目の明日は打撃練習が中心になる。最終日は練習試合があるのだが、取り敢えずは目先の打撃練習だ。
「んー、シート、オレも投げんのかな」
「あったりまえでしょう!」
イヤだなー、とぼやく元希に、隆也は食って掛かる。元希はシートバッティングのピッチをするのを嫌っていた。
シートバッティングとは、各々自分の守備位置について、打者はマウンドから投手の投げる球を打ち、ランナーとして走る、というもので、フリーバッティングなどと比べると実戦に近い。バッターは打つ練習だが、ランナーの練習も守備の練習も兼ねているので、盗塁もあるし牽制もある。 この練習で元希が投げるのを嫌がるのは、自分のペースで練習を組みにくいというのと、チームメイトなのでさすがに当てまくるとマズイ、というのが理由だ。
「だって、さぁ・・・」
隆也には見えないが、それでも、頬をふくらませた子供みたいな顔で言っているのだろうと分かる口調。元希は、口の中でなにやらモゴモゴと文句のようなコトを言っている。
「だって、じゃないですよ」
ごろり、寝返りを打って、元希が隆也の方に背を向けた。本格的に拗ねているのか。それにしても、
(んな狭いトコで寝返りとかやめて欲しい・・・・・・)
ほんっとに仕方のない人だなぁ。はぁ、と息を付いて、隆也は元希の背中に呼びかけた。
「ねえ元希さん、何がそんなにイヤなんですか。投球練習にしわ寄せ食うからですか?」
「・・・・・・・・・・・・」
「でも、シートで投げといた方が実戦に近い形だから、調子とかもあがるだろうし…」
「・・・・・・・・・」
「オレだって打者のいる形で元希さんの球取る練習しとかないとヤバイし…」
「・・・・・・」
「元希さん、聞いてます?」
「・・・だってさぁ、シート、お前打席も打席に立つだろ」
元希の背中越し、声。拗ねたような、照れくさいような、そんなぶっきらぼうな声音で。
しかし、隆也が打席に立つ事の、何がそんなにイヤなのか。大体、それを言うなら、元希だって打席には立つのだ。元希は、これで充分だとばかりに言葉を切っている。相変わらず背中を向けたままで、なんだか居心地悪そうにしていた。
「それだけじゃ意味が分からないですよ」
「・・・・・・」
「元希さん、元希さん!」
「うっせえなっ!」
元希が、バッと音を立てて、勢いよく振り向いた。いや、正確には、寝返りを打って体ごと隆也の方に向き直った。ついで、ゴツ、という鈍い音が。
「いっ、つぅ・・・」
そもそも押入は人が入るように造られているわけではないので、狭いのだ。そんな中に2人も入った上に、その片方が勢いよく寝返ったならば、どうなる事か。
元希の背中に呼びかけていた隆也は、当然、少しばかり元希の方に寄っていた。そこに、振り返る元希。勢いもそのままに互いの額を衝突させた訳である。ちなみに、隆也は普段からチップを喰らう等で打たれ慣れている上に、たいそうな石頭だった。
「大丈夫すか、元希さん」
「おまえ、なんでそんな普通なん!?めちゃめちゃ痛かったぞ、今の!」
「あー、オレ、けっこう石頭なんで」
打ち付けた額をさすりながら、クッソー、と元希。もし明るいところだったら、目尻ににじんだ涙が見れたかもしれない。
「で、結局、さっきのはなんだったんですか」
いい加減、言ってくださいよ。オレは、元希さんの球を捕る機会を無駄にしたくないんだ。シートでだって捕りたいし、ブルペンでだってそうなんだ。顔が見えないせいか珍しく素直な隆也にそんな風に言われて、元希も観念したように、とうとう口を開いた。
「だから、お前の打席でオレが投げるときって、キャッチはお前じゃねーじゃん。なんかこう、おもっきり投げられないっつーか・・・・・・」
3人いる投手の、それぞれで一打席ずつ打つ。エースの元希は豪速球で荒れ球、二枚目は変化球にそこそこのコントロール、3番手はムラがあるがスピードとコントロールの釣り合いは良い、という、上手い具合にばらけた特性の投手陣。そして、戸田北シニアには隆也の他に2人の捕手がいるが、そのどちらも元希の球を捕る事が出来なかった。
「キャッチが捕れねぇからって加減して投げたら、タカヤに打たれんのも腹立つし」
でもって、と言葉を継ぐ。
「でもって、オレが打席に立ってる時に、他のヤツの球捕ってるお前もムカツク」
「・・・元希さん」
隆也が、元希の方をじっと見た。暗闇の中で、当然顔の造作など判別できるはずもなかったが、それでも元希が今どんな顔をしているのかが、とてつもなく気になった。
「元希さん」
「・・・んだよ」
今度は、返事があった。元希の声は、拗ねているような、照れくさいような。誰にも知られたくない秘密を、そっと打ち明けるような、そんな響きがあった。
うれしい。よく分からない。でも、顔が熱い。隆也は、小さく頭を振った。
(元希さん、が、オレを認めてくれた・・・?)
いやまて、この人の事だから、きっと今の言葉に意味なんてない。脊髄反射で生きている人だぞ、今の言葉も、考えて出たものじゃないだろ。
そう思って見ても、隆也にしたら嬉しいものは嬉しい。むしろ、考えて出た言葉じゃない分、重かった。
「・・・・・・タカヤ?」
急に黙り込んだ隆也に、元希が声をかける。触れた隆也の肩は、小刻みに震えていた。
「お前、どーしたの」
当てずっぽうで手を伸ばしたら、隆也の顔に触った。吃驚するくらい熱い。
「おまっ、これ、熱あんのか!?」
元希にしてみれば、隆也が風邪引くのは、他の誰が風邪引くよりも重大事だ。だって隆也が寝込むと、元希は投球練習が出来ないので、ひどくストレスが溜まるし、どういう訳かひどく不安になってしまう。
寒いか?と布団を掛けてやると、大丈夫です、と隆也は答えたが、その声も震えていて、元希の不安は更に募った。
「タカヤ、薬とか飲んだ方が・・・・・・」
「平気ですよ。それより、明日、シートん時、オレ元希さんの球打てなくていいから、元希さんが投げてる間は、ずっとキャッチやってますよ。でもって、投げてない時間は、みんなには悪いけど、ブルペンで投げ込みしませんか」
「そんなんいいのか?お前、全体練習とかいつもちゃんと入ってんのに」
「明日はいいですよ」
「そか。じゃ、明日はじっくり投げっかなー!」
ひどくご機嫌に、元希が言う。んーっ、と伸びをして、押入の壁に手足がつかえて、やっぱ狭いなー、と、それでも機嫌良さそうだ。元希が機嫌が良いと、隆也もなんとなく嬉しい。
元希は癇の強いところがあるが、機嫌の良い時には軽口だっていうし、優しい、というか、鷹揚な部分を見せる事もある。基本的にオレサマなのには変わりはないのだけれど。
ところで。
明日の話が終わった後も、内容のあるようなないような話を続けていた元希と隆也は、そのままその場所で眠ってしまった。元希は最初から押入で寝るつもりだったので別に構わないが、隆也も話し込んでいる打ちに眠ってしまって、しかも妙に寝心地が良かったものだから、うっかり寝過ごしてしまうという醜態をさらしてしまう。
次の日の朝、全員が食堂に集まった時に空席が二つあって、
「あれ、そーいや、元希と隆也は?」
「隆也は昨日の夜部屋に戻って来なかったですよ!」
・・・という声が飛び交った。
あー、そーいや元希って押入で寝てたんだっけ、起こすの忘れてた、と思った三年ショートのキャプテンは、会話の隆也、の部分に引っかかりを覚えて眠気のかかった意識を一瞬で覚醒させた。
(隆也も、もしかしてあのまま押入で寝たとか・・・・?)
「オレ、ちょっと見てきます!」
ガタンと椅子を引いて、今し方出てきたばかりの三年の部屋に走った。
戸のカギを開けるのももどかしく、かなり手荒に引き戸を開き、押入の前に立った。
ゆっくりと襖を開ける。
狭い押入の中に、ひとつの布団で兄弟みたいに眠る元希と隆也の姿があった。
... talking bed
「元希さんって、一人部屋になってから長いんですか?」
「そりゃまぁ、上が姉貴だからなー」
「元希さんのおねぇさんって、顔似てますよね」
「お前ンとこの弟ほどじゃないだろ」
「オレとシュン、そんなに似てますか?」
明日の練習の話、ってのもすでに終わり、しかし隆也は未だに押入の中で元希と一緒にいた。元希も、
「眩しいから襖開けるな」
・・・と言っているし、なにより隆也が、押入から出て隣の二年の部屋に戻るのがめんどくさくなっていた。
しかし、元希は人の気配があると寝付きにくい、と押入に籠もっている割に、隆也の気配は大丈夫らしい。
なんせ隆也は、元希曰く、
「オレの(キャッチの)タカヤ」
・・・だそうで、なんかもう、自室の隅に座っていたとしても不自然に感じないらしい。
そういうわけで、2人は眠りに落ちるまでのひとときを、とりとめのないことを話して過ごしていた。
「そーいや、さ」
眠くなってきたのか、幾ばくか眠そうな元希の声。
「お前、枕なくても寝れんの?」
元々、寝るつもりで押入に入ったのではなく、元希に引っり込まれて押入に入ったので、隆也は当然枕などは持ち込んでいない。
「ちょっと寝苦しいですけど、敷き布団の端っこ折り返して枕代わりにしてるんで大丈夫ですよ」
「・・・・・・お前、なにその、生活の知恵みたいなの」
「枕がない時に座布団二つ折りにして枕代わりにすんのと同じです」
「あー、なるほどね」
ころり、隆也が寝返りを打った。それまで仰向けで寝ていたのが、元希の方を向く形になった。元希は最初から横向きで寝ていたので、ちょうど向かい合うような形になる。互いの呼吸が触れて、思いの外、近いところに顔があるのが分かった。
暗闇の中、顔は見えない。でも、至近距離で、声だけで表情まで分かってしまいそうだった。もうかなり夜も更け、押入の向こうの三年生達も寝付いたらしい。いつの間にか、閉めた襖の隙間から差し込んでいた部屋の灯りが消えていた。
起きている間は騒がしい中学生も、眠ってしまえば静かなものだ。イビキをかく者も寝言を言う者もいない、静かな部屋。普通のトーンで話すのはさすがに憚られ、囁くように言葉を交わす。
「あーあ、なんで隣で寝てんのがこんなちまいガキなんだーろーな。可愛い女の子とかだったら腕枕とかすんのに」
「嘘付け。腕を枕にすると痺れるから、元希さん絶対そんな事しないだろ」
「バレた?」
「つーか、アレ、寝にくくないんですかね」
そこで誰かの腕の上にのっている自分の頭を想像してみる。
しばしの沈思の後、
「ゴリゴリしてて、嵩が高くて寝にくそう……」
・・・と隆也が言った。
「高さ足んねーし、細いし、頭とか乗っけたら心配で寝れねーって」
・・・と元希が言った。
そもそも、一般的には腕枕というものは、男が女にしてあげるものである。元希も隆也も男なのであるから、なかなか腕枕されるという機会はないのではなかろうか。
さらに、この場に第三者がいたとしたら、元希と隆也の言葉に引っかかりを感じただろう。おまえら、誰に腕枕されるのを想像して寝にくいって言ってんだ、とつっこまれるかもしれない。
隆也の言う、ゴリゴリしていて嵩の高い腕は、鍛え上げられた元希の腕だった
。
元希の言う、細くて高さの足りない、枕になんかすると心配で逆に眠れない腕は、隆也のものだろう。
確かに現状は、元希と隆也がひとつの布団で寝ているわけだが、だからといって腕枕の想像ですらも、無意識の内に相手はコイツだ、と思っているのはいかがなものか。想像力が貧困なのか、はたまた深層心理の投影なのか、一緒に眠る相手をお互い以外に想像できない、ちょっと将来の危ぶまれるバッテリーだった。
しばらくして、本格的に睡魔さんが訪れたらしい。枕談義も中途に、とうとう元希が眠りに落ちてしまった。
「・・・きさん、もときさん」
「ん・・・・・」
「・・・おやすみなさい、もときさん」
二度三度、もぞもぞと動いて、体の据わりの良いところを見つけたのか、隆也も眠りについた。
互いの体温で温まった布団が心地よくて、うっかり寝過ごしてキャプテンにたたき起こされるのは、次の朝の話だった。
'06.3.26
余談(16)は、この時のおまけ小話でした。
それにしても、'05年の本だと思ってたら、'06年の3月でした。
まあ、どちらにしろ月日の流れの早さを感じます。
文章も、今とは違って、なんだか恥ずかしいし、直したいところもいっぱいあります。
ただ、ああ私こんなにも阿部くんのこと好きだったんだなぁ、と思いました。
いえ、もちろん今でも好きですし、コミックスも買い続けていますよ。でも、このころの情熱って、今思い返すと、ほんとに凄かった。