余談(46)
冷蔵庫の扉に野球ボール形のマグネットでメモが貼ってあった。冷蔵庫の開閉の度にひらひらとはためくそのメモは、なんの変哲もない長方形の紙で、うす青の紙面には罫線すらない。いわゆるボックスメモの一枚で、さてそのボックスは、というと、リビングの片隅に置かれた電話台の上に鎮座ましましていた。
メモには、右肩上がりの字でこう書かれている。
『1.銀行(引き出し、振り込み)
2.図書館の本返却
3.本屋(定期購読、図書カード)
4.百均(ビニールテープ、書類ストッカー、ブックエンド)
5.スーパー(牛乳、ヨーグルト、バナナ、リンゴ)
6.パン屋
7.和菓子屋』
……なんとも生活じみた内容である。
メモを書いたのは、阿部隆也という青年で、御年二十代の半ばである。現在、今をときめくプロ野球選手の榛名元希と同居中で、なんだかよく分からない内に家事の殆どを引き受けるはめに陥っていた、という迂闊な男だ。
その阿部は、これは彼が実家にいた時からの癖なのだが、とにかく予定を書き出しては冷蔵庫に貼る、という癖があった。阿部家では、予定はおのおの冷蔵庫に貼られたカレンダーに書き込む、という方式が採られており、その名残だと思われる。
しかし現在同居中の家では、そんなところにカレンダー貼ったら邪魔だ、という同居人の意見を容れ、カレンダーはリビングボード上にあった。……じゃあなんでメモは冷蔵庫に貼るのかと言えば……、その場所が一番目につくからだった。
ちなみに、メモが貼られたのは、連休を前にした金曜の夜だった。メモの内容は、翌土曜の阿部の予定である。図書カードや和菓子を買う理由は、阿部が日・月と帰省して、親戚の子供とも顔を合わす予定があったからだ。叔父にはよく小遣いをもらったものだった。
その夜、阿部が持ち前の寝付きの良さを発揮して夢の世界へ特急列車にのって旅だったあと、むくりと起きあがって動き出す影があった。言わずと知れた同居人、榛名元希である。
榛名は、足音を殺すでもなく(阿部はこの程度では起きない)冷蔵庫に歩み寄り、おもむろにメモを引っぺがすと、ボックスメモから同じメモ用紙を一枚取ってなにやら書き始めた。
しばらくして、満足げに頷いた榛名は、メモを元通り冷蔵庫に貼ると、やはり足音を殺すでもなく寝室に戻った。無論のことこれぐらいの音では起きない阿部は、榛名がメモに何かしたことには気付かず、平穏そのものの寝顔をさらしていた。
―――次の日、つまり、土曜日である。榛名はオフだがなにやら用事があるらしく、朝から球団の事務所の方に出向いていた。一方の阿部も、朝食の片づけや洗濯を済ませた後、件のメモを片手に外出していた。家を出たのは、阿部の方が少しばかり早い。
メモの通りに用事を済ませていった阿部は、本屋に行った後、なぜか百均には向かわずに駅のロータリーに車を停めた。停めたところで、首をかしげる。
(あれ、なんで駅に来たんだっけ?)
阿部の記憶では、駅に来る用事なんてなかったはずである。そもそも、普段阿部が利用している路線ではない。無意識に来たにしては、おかしすぎる。
首をかしげたところで理由の分からない阿部は、ポケットからよれよれになったメモを引っ張り出した。どこにも「駅に行く」なんて用事は書いていない………はずだったのだか。
『1.銀行(引き出し、振り込み)
2.図書館の本返却
3.本屋(定期購読、図書カード)
4.○×駅西口ロータリー
5.百均(ビニールテープ、書類ストッカー、ブックエンド)
6.…………
』
………メモは改竄されていた。こんなことするのは、1人しかいない。そう思った瞬間、影が差して、車のガラスがコンコンと叩かれた。
顔を上げると、満面の笑みを浮かべた榛名が立っている。助手席側に回り込んだ榛名は、断りもなくドアを開けると乗り込んできた。
「時間ぴったりだな。本屋が開くのは10時半だから、駅までだったらこのくらいかと思ってたんだよ」
榛名がニカッと笑う。要するにこの男、昨夜メモの予定を書き換えたのだ。阿部は自分が興味を持っていない分野に関する予定消化はひどく事務的で、メモなど書いてしまうと、疑問も持たずにその通りに動いてしまうことがある。そこを利用されたらしい。
「……で、アンタ車に乗り込んでどうすンですか。荷物でも持ってくれるんすか?」
阿部が、引っかかった悔しさからか、眉根をよせて言う。もっとも、野球をやめた今でも。荷物を投手に持たすだなんて出来もしない捕手根性なのであるが。
その阿部に、榛名は笑って言った。
「持ってもいいけど、その前にほら」
その指は、阿部の持つメモを指している。阿部が紙面に目を落とすと、メモはこう続いていた。
『1.………
5.百均(ビニールテープ、書類ストッカー、ブックエンド)
6.昼食
7.スーパー(牛乳、ヨーグルト、バナナ、リンゴ)
8.パン屋
9.和菓子屋
10.ケーキ』
ちなみにケーキは榛名の好物である。男2人でケーキなど食べにくい、と思うかも知れないが、有名人の榛名を慮ってか奥まった席に通してくれるので、人目を気にせずに食べられるらしい。……榛名が人目を気にするような性格なのかは疑問が残るが。
とにかく上機嫌の榛名は、不承不承といった表情で車を出した阿部に向かって、こうのたまったのだ。
「久しぶりのデートだな」
―――――と。
メモには、右肩上がりの字でこう書かれている。
『1.銀行(引き出し、振り込み)
2.図書館の本返却
3.本屋(定期購読、図書カード)
4.百均(ビニールテープ、書類ストッカー、ブックエンド)
5.スーパー(牛乳、ヨーグルト、バナナ、リンゴ)
6.パン屋
7.和菓子屋』
……なんとも生活じみた内容である。
メモを書いたのは、阿部隆也という青年で、御年二十代の半ばである。現在、今をときめくプロ野球選手の榛名元希と同居中で、なんだかよく分からない内に家事の殆どを引き受けるはめに陥っていた、という迂闊な男だ。
その阿部は、これは彼が実家にいた時からの癖なのだが、とにかく予定を書き出しては冷蔵庫に貼る、という癖があった。阿部家では、予定はおのおの冷蔵庫に貼られたカレンダーに書き込む、という方式が採られており、その名残だと思われる。
しかし現在同居中の家では、そんなところにカレンダー貼ったら邪魔だ、という同居人の意見を容れ、カレンダーはリビングボード上にあった。……じゃあなんでメモは冷蔵庫に貼るのかと言えば……、その場所が一番目につくからだった。
ちなみに、メモが貼られたのは、連休を前にした金曜の夜だった。メモの内容は、翌土曜の阿部の予定である。図書カードや和菓子を買う理由は、阿部が日・月と帰省して、親戚の子供とも顔を合わす予定があったからだ。叔父にはよく小遣いをもらったものだった。
その夜、阿部が持ち前の寝付きの良さを発揮して夢の世界へ特急列車にのって旅だったあと、むくりと起きあがって動き出す影があった。言わずと知れた同居人、榛名元希である。
榛名は、足音を殺すでもなく(阿部はこの程度では起きない)冷蔵庫に歩み寄り、おもむろにメモを引っぺがすと、ボックスメモから同じメモ用紙を一枚取ってなにやら書き始めた。
しばらくして、満足げに頷いた榛名は、メモを元通り冷蔵庫に貼ると、やはり足音を殺すでもなく寝室に戻った。無論のことこれぐらいの音では起きない阿部は、榛名がメモに何かしたことには気付かず、平穏そのものの寝顔をさらしていた。
―――次の日、つまり、土曜日である。榛名はオフだがなにやら用事があるらしく、朝から球団の事務所の方に出向いていた。一方の阿部も、朝食の片づけや洗濯を済ませた後、件のメモを片手に外出していた。家を出たのは、阿部の方が少しばかり早い。
メモの通りに用事を済ませていった阿部は、本屋に行った後、なぜか百均には向かわずに駅のロータリーに車を停めた。停めたところで、首をかしげる。
(あれ、なんで駅に来たんだっけ?)
阿部の記憶では、駅に来る用事なんてなかったはずである。そもそも、普段阿部が利用している路線ではない。無意識に来たにしては、おかしすぎる。
首をかしげたところで理由の分からない阿部は、ポケットからよれよれになったメモを引っ張り出した。どこにも「駅に行く」なんて用事は書いていない………はずだったのだか。
『1.銀行(引き出し、振り込み)
2.図書館の本返却
3.本屋(定期購読、図書カード)
4.○×駅西口ロータリー
5.百均(ビニールテープ、書類ストッカー、ブックエンド)
6.…………
』
………メモは改竄されていた。こんなことするのは、1人しかいない。そう思った瞬間、影が差して、車のガラスがコンコンと叩かれた。
顔を上げると、満面の笑みを浮かべた榛名が立っている。助手席側に回り込んだ榛名は、断りもなくドアを開けると乗り込んできた。
「時間ぴったりだな。本屋が開くのは10時半だから、駅までだったらこのくらいかと思ってたんだよ」
榛名がニカッと笑う。要するにこの男、昨夜メモの予定を書き換えたのだ。阿部は自分が興味を持っていない分野に関する予定消化はひどく事務的で、メモなど書いてしまうと、疑問も持たずにその通りに動いてしまうことがある。そこを利用されたらしい。
「……で、アンタ車に乗り込んでどうすンですか。荷物でも持ってくれるんすか?」
阿部が、引っかかった悔しさからか、眉根をよせて言う。もっとも、野球をやめた今でも。荷物を投手に持たすだなんて出来もしない捕手根性なのであるが。
その阿部に、榛名は笑って言った。
「持ってもいいけど、その前にほら」
その指は、阿部の持つメモを指している。阿部が紙面に目を落とすと、メモはこう続いていた。
『1.………
5.百均(ビニールテープ、書類ストッカー、ブックエンド)
6.昼食
7.スーパー(牛乳、ヨーグルト、バナナ、リンゴ)
8.パン屋
9.和菓子屋
10.ケーキ』
ちなみにケーキは榛名の好物である。男2人でケーキなど食べにくい、と思うかも知れないが、有名人の榛名を慮ってか奥まった席に通してくれるので、人目を気にせずに食べられるらしい。……榛名が人目を気にするような性格なのかは疑問が残るが。
とにかく上機嫌の榛名は、不承不承といった表情で車を出した阿部に向かって、こうのたまったのだ。
「久しぶりのデートだな」
―――――と。