余談(42)





 悪いけど、よろしくね。

 そう言って阿部に手渡されたのは、持ち手が輪になった赤い紐だった。皮膚に痛くないよう、丈夫だがやわらかい素材で出来ている。
 その紐の、一方は阿部の右手に巻き付き、もう一方は地面に向かって垂れていた。阿部の足下、纏わり付く毛玉へと繋がっている。
 こめんねー! と足早に去っていくモモカンを見送りながら、なんで今日なんだ、と阿部はため息をついた。しかしそのような阿部の心情など、足下の毛玉は知らぬげである。あまつさえ、嬉しそうに尻尾を振ってじゃれついてくる。
 可愛い。可愛いし、阿部自身は犬好きだった。そもそも監督の愛犬・アイちゃんとも、仲が良い。――しかし、本当になんだって今日なんだ、と。阿部は右手に赤い紐を持ったまま、己の不運さを呪った。
 その赤い紐を、一般的にはリード、という。  急遽アイちゃんを預かることになった阿部は、本日家に来る大型犬を思い浮かべて、またため息をついた。


 その夜、阿部家の二階、隆也の部屋は、大騒ぎだった。……と言っても、この部屋の住人である阿部隆也は、基本的に家で騒ぐことはない。つまり、阿部意外のものが騒いでいるのだった。
 床に敷いたラグの上には、じゃれ合う2匹―――アイちゃんと、榛名の姿。それを見て、阿部は大きなため息をついた。
 もともと、今日は榛名が泊まりに来る予定だったのだ。なんでも、家の斜め前の道路が工事中で、うるさくて眠れないらしい。そんなうるさい工事を夜にしてるのか、と不思議だったが、どうやら本当だったらしい。なんせ、泊めてくれ、と言ってきたときの電話に、工事の騒音が入っていたのだ。

 それで阿部家に避難してきた榛名だったが、阿部が連れ帰ってきたアイちゃんを見ると、急激に機嫌を良くして、なんだか嬉しそうにアイちゃんと遊び初めてしまった。アイちゃんも、構い倒してくれるこの大型犬っぽい人を、どうやら気に入ったらしい。
 そのじゃれ合いは夕飯を挟んでその後も続き、先に風呂に入ってきた阿部が髪の毛を拭きながら二階に上がってきた時には、盛り上がりも最高潮を見せていた。
 ―――自室のラグマットの上に、ムツゴロウさんの動物王国が発生している。


 ――だから嫌だったんだ。

 阿部は、髪の毛を拭いていたタオルを頭から被ってため息をついた。この犬っぽい人と犬を会わせると、似たもの同士で意気投合して騒ぐか、同族嫌悪でいがみ合って騒ぐか、どっちかなんだから……。

 アイちゃんとじゃれる榛名に耳と尻尾を見た気がして、犬好きの阿部はなんとなく諦めの境地で、2匹纏めて頭を撫でてやることにした。