余談(35)





[ 左手の告白 ]


そもそも違和感はあった。
ブルペンなんて無いから、ただ距離を測ってホームベースを置いただけの投球練習のスペース。マウンドみたく土を盛っていない、真っ平らでプレートすらない、グラウンドの片隅。そこで、ぐらりと眩暈のような、変な感じ。
なんだろう、片目で目測を誤るような違和感。夜に曇った空のような、不確かさ。自由落下の一瞬みたいに、上も下も分からないような、そんなぐにゃりと歪んだ感覚。どこかおかしいのに、それが一体何処なのか、なんて。
いいや、どこもおかしくなんてない。肩は大丈夫。足も痛くなんてない。スパイクの歯はこの間替えたばかりで、地面をガリリと引っかいて滑ることはない。右手のグローブはちゃんと磨いている。手の形に慣れて、いっそ体の一部だって言ってもいいぐらいだ。この右手を、振りかぶった後に引き寄せて、投げる。それだけのことなのに、ひどく億劫だった。

どうしたの? とホームベースの向こうに座っていた人影が立ち上がる。オレが投げることに拘ってるのを知ってるから、なかなか投げたがらないのを訝しんでいる。なんでもない、と立ち上がったの再びを座らせた。
大丈夫、どこもおかしくない。言い聞かせて、足場を均した。振りかぶる、右足をあげる。腕を振り、反動みたいにグローブを引き寄せる。

放たれた。オレの左手から、まっすぐ捕手の左手へと。

そして、それが捕手のミットに吸い込まれて音を立てた瞬間、ああ、と分かってしまった。


違うんだ。このミットは、違う。


捕手は、秋丸は、オレの友達で、イイヤツで、中学ではあんな事になったから、高校では一緒に野球をやろうって言って、オレと同じトコを選んだのに。口にしたことはないけど、確かに感謝してるし、一緒のチームで嬉しい、とさえ思うのに。
だけど、コイツは違う。このミットは違うんだ、と悲しいぐらいに分かってしまった。たった一球のことなのに、こんなにもはっきりと。


あのミットが良い、あの、暴れ球を体全体で押さえ込むようにして捕る、そのくせ妙にいい音をたてるあのミットが。コントロールを外したら容赦なくノーコン! と言うクセに、構えたところにストレートが決まった時なんて、なんでお前、って言うくらいに嬉しそうな顔をする。マスク越しの、睨み付けるような目。あれが欲しい、あれが良い。……あれでないと、いやだ。


分かりたくなんて無かったけど、たった一球で知らされてしまったそれは、告白だった。お前がいいんだ、と切実に、まるで愛の告白みたいな、それは。





タカヤの左手がいい、と身を切るように告げるそれは、左手の告白だった。