余談(26)
阿部隆也という少年は、口も達者で手も早いので、およそ引っ込み思案とはほど遠い、主張のはっきりした性格をしていた。
面白いのは、たとえ相手が年上だったからといって態度を変えることはない、ということで、それでも根が素直なので年上に嫌われるということも無かったらしい。
某年上ピッチャーなどは、
「お前それセンパイに対する態度かよ」
……などと言っていたものだが、阿部に言わせると
「だったらちょっとはセンパイらしくしてくれ」
……ということだそうで、それでもナマイキナマイキと言われながらも気に入られていたようだった。
つまりは、阿部とちゃんと向き合っている限りにおいては、彼の毒舌はある種、近しいものに対する親しみのようなものなのだろう。 そしてそれは周知の事実だったので、友人たちは概ね、ポンポンと厳しいことを言うものの腹蔵するところのないその性格を、好ましくも思っているようだった。
そのように、何かにつけてすぐに口に出してしまう阿部だったが、時には例外もある、ということを知っているのは、たった一人だけだった。
例えば朝方、出がけの身支度の際に。
あれだけ気をつかって手入れし守っている美しい投手の指は、投げること以外にはひどく不器用で、ネクタイ一つキチンと結べない、そんなときに、いい加減覚えてください、なんて言いながらもネクタイを結んであげる阿部の姿があった。
学生の身で、私服校や学ラン指定の学校に通っていると、ネクタイなんてまだ結べないという事も有り得るのだけれど、彼の場合は中学がブレザーだったので、その指はよどみなく動いて結び目を作っていく。
(それにしても問題は、ネクタイ必須のブレザーでもう三年生なのに、なんでか未だにキチンと結べないこの人だ!) 去年や一昨年はどうしていたんだろう、と不思議に思ってしまうのだが、要領が良いのか悪いのか、取り敢えず停学にならない程度には服装規定を守っていたのだろうと阿部は推測していた。
そうする間にも、突き指で少し指の曲がった、何にでも器用な阿部の指が、一本の布だったネクタイを結んでいく。
不器用な投手は、されるがままだ。
シュルリ、と衣の擦れあう音がして、最後に垂れたタイの端と、キレイに三角に作られた結び目とを引っぱって、緩いままだったのを締めているときに、それまで突っ立っていた男が、突然、あっ、と声を上げた。
「そーいや、さ。毎朝ネクタイ結んでもらってて、なんか新婚さんみてぇ」
そう言われた瞬間の阿部といったら、アンタ馬鹿ですか、だの、寝言は寝てから言え、だのと罵詈雑言が聞こえてきそうなもの凄い表情をしていたのだが、へへへ、としまり無く笑った男があんまり嬉しそうで、しかも、
「明日も明後日も、よろしくな」
…なんて言ったもんだから、対処に困って思わずそっぽを向いてしまった。
耳まで赤くなりながら、意趣返しのように、掴んだままだったネクタイを思いっ切り締めあげて(絞めあげて?)やる。
抗議の意味と、明日もネクタイを締めてやる、という意味と。
絞められて、ぐえぇ、と潰れたカエルみたいな声を上げた男も、意味を正しく汲んだのか、相変わらずひどくしまりのない顔をしている。
普段は非常に雄弁な阿部も、たまには言葉でなくこんな意思表示をするのだと。
それを知る特権を持っているのはただ一人、年上で不器用でちっともセンパイらしくない投手、榛名元希だけだった。
面白いのは、たとえ相手が年上だったからといって態度を変えることはない、ということで、それでも根が素直なので年上に嫌われるということも無かったらしい。
某年上ピッチャーなどは、
「お前それセンパイに対する態度かよ」
……などと言っていたものだが、阿部に言わせると
「だったらちょっとはセンパイらしくしてくれ」
……ということだそうで、それでもナマイキナマイキと言われながらも気に入られていたようだった。
つまりは、阿部とちゃんと向き合っている限りにおいては、彼の毒舌はある種、近しいものに対する親しみのようなものなのだろう。 そしてそれは周知の事実だったので、友人たちは概ね、ポンポンと厳しいことを言うものの腹蔵するところのないその性格を、好ましくも思っているようだった。
そのように、何かにつけてすぐに口に出してしまう阿部だったが、時には例外もある、ということを知っているのは、たった一人だけだった。
例えば朝方、出がけの身支度の際に。
あれだけ気をつかって手入れし守っている美しい投手の指は、投げること以外にはひどく不器用で、ネクタイ一つキチンと結べない、そんなときに、いい加減覚えてください、なんて言いながらもネクタイを結んであげる阿部の姿があった。
学生の身で、私服校や学ラン指定の学校に通っていると、ネクタイなんてまだ結べないという事も有り得るのだけれど、彼の場合は中学がブレザーだったので、その指はよどみなく動いて結び目を作っていく。
(それにしても問題は、ネクタイ必須のブレザーでもう三年生なのに、なんでか未だにキチンと結べないこの人だ!) 去年や一昨年はどうしていたんだろう、と不思議に思ってしまうのだが、要領が良いのか悪いのか、取り敢えず停学にならない程度には服装規定を守っていたのだろうと阿部は推測していた。
そうする間にも、突き指で少し指の曲がった、何にでも器用な阿部の指が、一本の布だったネクタイを結んでいく。
不器用な投手は、されるがままだ。
シュルリ、と衣の擦れあう音がして、最後に垂れたタイの端と、キレイに三角に作られた結び目とを引っぱって、緩いままだったのを締めているときに、それまで突っ立っていた男が、突然、あっ、と声を上げた。
「そーいや、さ。毎朝ネクタイ結んでもらってて、なんか新婚さんみてぇ」
そう言われた瞬間の阿部といったら、アンタ馬鹿ですか、だの、寝言は寝てから言え、だのと罵詈雑言が聞こえてきそうなもの凄い表情をしていたのだが、へへへ、としまり無く笑った男があんまり嬉しそうで、しかも、
「明日も明後日も、よろしくな」
…なんて言ったもんだから、対処に困って思わずそっぽを向いてしまった。
耳まで赤くなりながら、意趣返しのように、掴んだままだったネクタイを思いっ切り締めあげて(絞めあげて?)やる。
抗議の意味と、明日もネクタイを締めてやる、という意味と。
絞められて、ぐえぇ、と潰れたカエルみたいな声を上げた男も、意味を正しく汲んだのか、相変わらずひどくしまりのない顔をしている。
普段は非常に雄弁な阿部も、たまには言葉でなくこんな意思表示をするのだと。
それを知る特権を持っているのはただ一人、年上で不器用でちっともセンパイらしくない投手、榛名元希だけだった。