余談(24)





どうにもこうにも、すれ違って会えない日もある。
だからって、それがよりによって自分の誕生日だ、ってのはどういうことだ。





朝起きたときから、なんだか喉に小骨の引っかかったような違和感があった。
なんか忘れてる。なんだったっけ?
思い出せないのなら大したことじゃない、というわけではなくて、オレは基本的にけっこういろんなことを忘れてるので、重大な事だったら困るなぁ、と思った。
いや、極論すれば、野球以外はまあ重大じゃないんだけど、例えば今日は抜き打ちのテストがあるとか、提出物の締め切りだ、とかだとそれなりに困るんだ。
なんせ、点が悪くても、提出し忘れでも、放課後の練習に出れなくなる可能性があるからなぁ。
秋丸にメールして聞いた方がいいかなぁ?
そんな事を考えながら、アクビを一つ二つ、階段を下りて食卓についた。
朝練があるとオレの起きるのが早すぎて、前の晩から用意してあった朝食を温めて食べる事になっている。
弁当も昨日の晩から冷蔵庫に入っていて、冷気でひんやりするそれをカバンに放り込んで、寝静まったままの家に一声、いってきまーす、と言って家を出た。
結局秋丸にはメールしてねぇし、今日が何の日かも分からないから、なんかこう、消化不良みたいに気持ち悪い。
なんだっけ、何の日だっけ?
あぁ、そうだ。タカヤに聞いたら分かるかも!
我ながら名案で、急いで携帯を取り出した。
ロケット検索 "タ" でタカヤのアドレスを呼び出す。
そもそも携帯に登録してある名前からして "タカヤ" だから、オレが名字を覚えてなかったのも無理はない、と思うんだけど、その話をしたらタカヤにも秋丸にも鼻で笑われたのを思いだした。
チクショ、あの捕手どもめ!
まあいいや、メールしよう。

『今日って何の日?なんかあったっけ?』

よし、これで、返事が来たら何の日か分かるだろ。
タカヤが分からんって言ったら秋丸に聞くし。
満足して、パタンと携帯を閉じた。
さっさと朝練行って投げてぇなー。



「なぁなぁ秋丸、今日ってなんかあったっけ?」

結局、タカヤからの返事は『アンタ馬鹿ですか』の一言だったんで、今日が何の日か分からずじまいだった。
そもそも、馬鹿ですかってなんだよ。
最近オレは、タカヤにことあるごとに馬鹿扱いされてる気がする。
実際にテストの点とか成績とか、そーいうのを比べられるとぐうの音も出ないんだけど。
だってあいつ、成績は良いし。
で、秋丸に聞いてみたんだけど、

「は、今日?」

「うん、今日」

「何の日か覚えてないの?」

「全然」

そっかー覚えてないのかー、って笑われて、ホントに何なんだよ!?って聞き返したら、そのうち分かるよ、って笑われて。
なんなんだよ、もう。
笑ってる秋丸の様子だと、抜き打ちとか提出とかじゃなさそうだってのは分かったけど、分かんねぇから聞いてんのに、そのうち分かるよってなんだ。
くっそー、タカヤといい秋丸といい、捕手ってヤツは!



その、朝から持ち越してた疑問が氷解したのは、練習後に寄ったファミレスでのことだった。
オレはこーいうのってあんまり来ない方だったんだけど、今日は "新メニューが旨そうだ" って言われて行く事にした。
そしたら、だ。

「よーし、榛名、今日はオレたちのオゴリだから、好きなモン食っていいぞ!」

なんて気前の良い事をいうもんだから。

「なになに、宝くじでも当てたのか?」

そう聞き返したら、お前馬鹿だなぁ、それでこそ榛名だよ、って感慨深げに言われたから、怒って良いのかどうなのか。
なんだよ、得したけど気持ち悪いなぁ。
それでもオゴリだと言うから、がっつりしっかりと、普段は注文しないような高い物ばかり頼んで、デザートまで食って、腹がくちて、なんかもう、今日が何の日か分からなくてもいいや、と思いかけていたそのとき。

「榛名、ホントに今日が何の日か分かってないの?」

「わかんねーよ。つか、朝も聞いたのに、秋丸教えてくれなかったじゃん」

「いやまぁ、忘れてることはあっても、ここまでされて思い出さないってのも凄いなぁと思うんだけど」

ズズッと、ドリンクバーのジンジャーエールを啜りながら、秋丸が笑った。
そこまで言われると、やっぱり気になる。

「だからー、今日って5月の24日だろ。お前の誕生日じゃん」

「…………? ……………、……あぁ!!」

そういやそうだった!
思わずガタンと立ち上がったオレに、気付くの遅すぎ、と笑い声が上がる。重なるようにして、おめでとー!って声も。
いや確かに、今日が24日だってのは分かってたし、それが誕生日だってのもちょっと考えりゃ分かるんだけど、だ。
この年になったら、正直誕生日とかってわりとどうでもいいっていうか。
いや、こうして奢ってもらえたり祝ってもらえたりすると嬉しいんだけど、ガキの頃みたいに待ちわびるって感じでもなくてだな。
ん?今日がオレの誕生日ってことは……。

『アンタ馬鹿ですか』

朝方の、タカヤの返事が頭に浮かんだ。
―と同時に、思い出される過去のやりとり。

(いってぇ!タカヤ、てめ、人の頭をバシバシ叩くなよ!)
(大丈夫ですよ、これ以上馬鹿になれないから)
(おまっ、ひど!お前、もうちょっとオレに優しくしてもいいと思うぞ)
(じゃあ元希さんの誕生日くらいは優しくしてあげますよ)
(オレの誕生日って、まだまだ先の事じゃん)
(そーですね)
(しかも、年に一日だけかよ)
(そーですね)
(おい!?)

―――お も い だ し た !

今日がオレの誕生日ってことは、タカヤが優しくしてくれる日じゃねーか!!
やっべ、もうあと数時間しかねぇし!

立ち上がったまま固まったオレに、おーい榛名ダイジョーブか? って声がかけられるけど、正直オレはそれどころじゃない。

「わり、帰るわ!おりがと、ごっそーさん!」

カバンをひっつかんで、礼だけ言って、食い逃げと間違われそうな勢いでファミレスを飛び出した。
みんなには明日ちゃんと礼を言うから、今日はちょっと。
なんせ、年に一度の、隆也がおれに優しくする日だぞ。
なんでこんな時間まで思い出さなかったんだ、オレの馬鹿野郎!
ストラップを掴んで引きずり出した携帯の、リダイヤルから一番上にあるタカヤのケー番を呼び出した。
コールが一回、二回……しばらくして、留守番電話に繋がった。
くっそー、なんで出ねぇんだよ!
暗い町並みを、タカヤの家に向かってチャリで爆走しながら、何度もかけ直してはそのたびに繋がらない電話に舌打ちをした。
途中、無灯火爆走自転車に対して巡回中の警官からの指導が入りかけたが、急いでいるオレはそれもぶっちぎって、ようやくタカヤの家について荒い息もそのままに、インターフォンを押して、タカヤが出てくるのを待った。

「あら元希くん、久しぶり。ごめんねぇ、隆也はまだ帰ってないの」

くっそー、タカヤめ!
まだ帰ってないってことは、まだ学校にいるのか。
オレは、取り敢えずはニシウラだ、と、これまたチャリでうろ覚えのニシウラへの道を爆走した。
途中、何度か携帯にかけてみたけど、やっぱり出やがらねぇ。
いつだったかに、チャリで20分と言っていた道を、有り得ない頑張りを発揮して15分で走破して、ようやっと辿り着いたニシウラ高校は、
――明かりが全部消えていて、誰も残っていないのは一目瞭然だった。

どこにいるんだよ、あのヤロウ!
会えないタカヤに、苛立ちと、焦燥が募る。
そもそもどうしてこんなに必死になっているんだろう。
そりゃもちろん、今日がオレの誕生日で、今日が隆也曰く、オレに優しくしてくれる日、だからだ。
つか、普段のオレってそんなに虐げられてたっけ?
……すくなくとも、タカヤに頭は上がんねーよな。
虐げられてるってワケじゃないけど、なんかこう、口も手も早いタカヤに、頻繁にどつかれてるっていうか。
別にそれがイヤだってワケじゃなくて、オレとタカヤの仲なんだし、そうやってじゃれてるのもいいんだけど、たまには優しくして欲しいっていうか。
だってほら、せっかくタカヤが優しい日、なんだから、あれもこれもしたいじゃん。
ってことは、やっぱりなんとしても今日中にタカヤをつかまえないといけないわけだ、うん。

やっぱり電話は通じないし、仕方がないからニシウラとタカヤんちの間にあるファミレスの駐輪場を見て回って、タカヤのチャリを捜した。
見慣れたチャリだから、すぐにわかるはず。
でも、どこにも見つからない。
もう一度、今度はタカヤの家電に電話をして、おばさんに聞いてみたけど、やっぱり帰っていなかった。
行き付けのスポーツ用品店はもう閉まってる時間だし、あとアイツが行きそうな場所っていったら……、と考えるけど、どうにも検討がつかない。
だってアイツ、立派な野球馬鹿だし、普通に練習がある日の行動なんて大体がオレと同じようなもんだし。
……どうしよう、もう心当たりがない。
隆也を捜しながら、いつの間にか自宅近くまで戻ってきていて、仕方なくオレは重い心と足を引きずって、一旦家に帰る事にした。
そもそも、朝の時点で誕生日だってことを思いだしてたら、ちゃんと連絡してつかまえといたのに。
そう思うとどうにも口惜しい。
オレの馬鹿野郎!

家の明かりが見えて、暗い気分でため息をつきながら、車と家の外壁の間に自転車を停めて、前カゴのカバンに手をかけた。
ん?なんか、いつもと違う感じが……。
暗くてよく見えないけど、奥の方に停まっている自転車の数が多い気がする。
あれ?
虫の知らせみたいに、胸が高鳴って、急いで玄関にまわって、ドアを開けた。
クツ、があった。
見慣れたスニーカー。
いてもたってもいられなくなって、ただいまも言わずに、カバンも玄関に放り出して、廊下を走り、階段を駆け上がった。
元希? と母親の声がするけど、今はそれに返事しているヒマなんて無い。
勢いもそのままに、自室の扉をあけて、飛び込んだそこには。

「ん〜、もとき、さん?」

ベッドの上にミノムシみたいにわだかまった布団、の中に、タカヤ。
眠そうに目をこすって、いっそう垂れた目尻で、おかえりなさい、と言った。
携帯出ろよ、とか、どれだけ捜したと思ってるんだ、とか、来るなら来るって言っとけ、とか、色々いってやりたい事はあったけど。
折しも時計は10時を指していて、今日は残り二時間ほどしかなくて、時間も言葉も勿体なくて、取り敢えずぎゅうぎゅうと抱きしめてみた。
いつもは殴られるのに、今日は大人しく腕の中に収まっていて、

「たんじょうび、おめでとうございます」

そう言われると、今日の苦労も何もかも、どうでも良くなってしまった。